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The Kinks/At The BBC/2012 Sanctuary Records Group Ltd. 279 727-0



ザ・キンクスに紹介は必要ないだろう。BBCにしても同じだ。30年以上にわたって衝突し、協力し合ってきたのは何ら驚くにあたらない両者は、英国の文化的生活においてまさに中心に位置している。

それでも彼らが出会った時の状況には少しの説明を必要とする。広大な1960年代、そこには放送に関する2つの黄金律が存在した。まず第一に、ポップ・ミュージックはばかげたものであり、それにふさわしいチャンネルに制限すべきものだった。テレビに関しては、キンクスは週1回のヒット・パレード番組、“トップ・オブ・ザ・ポップス”に時々出演するだけの、かなり制限されたものだった。その制限はまた、BBCのアーカイヴへポップ・ショーが保存されることがほとんどなかったことにつながっていた―いったん放映あるいは放送されれば、それは忘れ去られていた。

The Kinks on the Radio and Television

ンクスがおそらく知らなかったのが、彼らが定期的にもうひとつの“トップ・オブ・ザ・ポップス”―世界中に配信されていたBBCのラジオ番組―に主演していたことだろう。ここで我々は第二の黄金律に行き着く。それは、なんとしても局はミュージシャンズ・ユニオン(MU)の機嫌を損ねてはならないことだ。会員の仕事を保護するのに熱心なMUは、ラジオ番組でかけるレコードで成り立つ“Needletime”(レコード放送番組の時間)の時間枠をきびしく規制していた。

“BBCライト・プログラム”のスケジュールを埋めるために、何100というセッションが録音され、その場でキンクス、ビートルズ、そしてローリング・ストーンズといったMUのメンバーたちは、BBCスタジオで自身のヒット曲を再レコーディングしたことに対し、ユニオンの定めた最低賃金を受けとっていた。(時折グループたちはラジオでのレパートリーを様々に変えていた。それが“This Strange Effect”や“Good Luck Charm”がキンクスの正典へ仲間入りした理由だ)

もっとも名声ある60sポップ番組が“サタデイ・クラブ”だった。それはティーンエイジャーたちにとって、ランチタイムまでトランジスタ・ラジオといっしょにベッドにとどまるための口実だった。そして“サタデイ・クラブ”は、UKでは聞くことのできなかったラジオ番組、“トップ・オブ・ザ・ポップス”の大部分から構成されていた。

“サタデイ・クラブ”の司会だったブライアン・マシューによって進行されるその番組は、まるで毎週海外市場に向けて特別にレコーディングされて構成された最新のBBCセッションの寄せ集め的な内容だった。もともとのインタビューの断片と曲紹介は維持されたが、ブライアン・マシューは新しいつなぎ部分を加え、時折猛スピードで司会とパフォーマーたちとの間の苦しいやりとりを交わしていた。

ほとんど“ライヴ”といえるBBCのポップ・セッションは、実際には会社のスタジオ―通常はロンドンの中心部にあるプレイハウス、ピカディリー、あるいはパリス・スタジオ―の1つであらかじめレコーディングされていた。この取り決めによって、プロデューサーもアーチストも、起こりうるライヴ・ショーの完全な混乱状態に対応することなく、多かれ少なかれ、前もって完璧なパフォーマンスを用意することができた。

今日と違い、放送されたものが永久に記録保存されることはなく、通常BBCはなるべく早くあらかじめ録ったセッションを破棄していた―もじゃもじゃ頭のノース・ロンドンのポップ・グループが冒険していく中で、1年後にも興味深い存在になる可能性があることは想像もせずに・・・。

そしてラジオ版の“トップ・オブ・ザ・ポップス”は、諸外国へブリティッシュ・ポップのベストを伝えただけでなく、怠慢が原因であるとしても、後世のために測り知れないほどの価値のある恩恵を提供することになった。“サタデイ・クラブ”のようなショーの“オンエア”のみのテープが、個人のコレクションとして保持された一方で、“トップ・オブ・ザ・ポップス”はテープではなく、国際的に容認されたレコード盤の形で配信されていた。

これらのレコードは、“BBCトランスクリプション・サーヴィス”レーベルでプレスされ、何度目の番組かということとその日付(つまり“Week 4, 1965”という風に)のみが振られていた。アーチスト名や曲名などの他の情報は、全て別の“キュー台本”に印刷されていた。それぞれのディスクはごくわずかな数しか製造されず(推定には100〜500の開きがある)、それらのほとんどは一度オンエアされれば、忘れ去られていった。しかし何100という失われたBBCセッション・レコーディングが他の形で十分に保存され、生き残ったのが、個人の所有あるいはラジオ局の埃にまみれた棚の上だった。そういうわけで、このCDに入っている1970年以前のマテリアルのほとんどが、輸出オンリーの“トップ・オブ・ザ・ポップス”から収録されている―その番組のキンクスのパフォーマンスとインタビューは、英国のリスナーのために録音されたのであるが。

全くの偶然の一致であるが、ラジオ番組の“トップ・オブ・ザ・ポップス”は、キンクスがBBCラジオに出演し始めたのとほぼ同時のスタートだった―その結果、私たちは続くグループの放送をほとんど完璧に手に入れることができた。一方で“トップ・オブ・ザ・ポップス”のディスクから完全に抜け落ちているのが背景だ―初期の“サタデイ・クラブ”に出続けていたキンクスといっしょに何が出ていたかという意味で。例えば、1964年9月に彼らがラジオ・デビューを飾った時、彼らはスキッフルのキング、ロニー・ドネガン、“Bobby's Girl”のヒットメイカー、スーザン・モーム、ビートルズのコピーだったナチュラルズ、そして長く忘れ去られていたトム、ディック&ハリーとともに出演した。

続く3ヶ月以内に、キンクスの再訪を歓迎した“サタデイ・クラブ”のラインナップは一変していた。R&Bが当時の英国における“今”のサウンドとしてそのビートをとどろかせ、今やキンクスはブルースの伝説ハウリン・ウルフ、モータウンのカルト・ヒーロー、ミラクルズ、そしてトラッド・ジャズとニューオリンズのクロスオーヴァーを試みていたクリス・バーバー・バンドとともに、放送時間枠を共有していた。この出演はデイヴィス兄弟のバンドに、“ラジオ・タイムズ”における最初の称賛記事を提供することになった―“そして熱狂的なリズム&ブルースのスタイルを秘めているのがザ・キンクスだ。”

1965年までは、週末の休日にビートルズのためにBBCラジオの場が与えられるのが慣習だった。しかしその年の8月、彼らの身が確保できず、Beeb(BBCの俗称:Auntie)はキンクスに助けを求めた。その結果が、キンクスとともにヤードバーズ、ケニー・リンチ、そして司会にデニー・ピアシーを配した“Kinksize Live Pop Package”なる企画だった―You Really Got...The Kinksというわけだ。しかしその年の“サタデイ・クラブ”放送ののち(うち1回は奇妙にもポピュラー・シンガーのフランク・アイフィールドの新しい映画からの抜粋だった。古きよき時代だ)、キンクスはなぜか1966年のラジオには不在となった。

1967年に彼らが戻ってくる時までに、BBC Light Programmeは(ほとんど)全てがポップ・ミュージックで占められていたラジオ1と、イージー・リスニングのラジオ2にその道を譲っていた。キース・スクーズがブライアン・マシューから“サタデイ・クラブ”を引き継ぎ、自尊心の強いロック・バンドが貪欲に求めていたセッションは“トップ・ギア”だった。1967年10月、キンクスはトラフィック、プロコル・ハルム、そしてクリームとともにこの日曜午後のショーに現われた(司会はジョン・ピールとピート・ドラモンド)。ロニー・ドネガンあるいはケニー・リンチの時代は終わっていた。9ヵ月後、彼らはフリートウッド・マックとペンタングルをおさえてトップ告知された。その間に“サタデイ・クラブ”は消滅し、キンクスは代わりに、ポップ・セッションが行なわれる時には“The DLT Show”と“Symonds On Saturday”に向かった。

1970年代初めまでに、ミュージシャンズ・ユニオンの規定はゆるめられ、BBCのDJたちは“needletime”枠を増やすことができるようになった。めったに出演しなくなっていたセッションで、キンクスはユニオンの規則に口先だけで同意するために、単にレコード・ヴァージョンに新たなヴォーカルをオーヴァーダブするようになっていた。今やアーチストたちにとって最重要な場は“イン・コンサート”だった―レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズと同じくらい有名なアーチストたちをひきつけた形態だ。奇妙にもキンクスは1974年7月までその要請に応えなかったが、3年後のクリスマス・イヴ・パーティーにおけるフィンズベリー・パークのレインボウ・シアターから戻ってきた。これは同時にテレビ中継された。アラン・フリーマンがラジオの司会、画面上ではボブ・ハリスが司会を務めた。

キンクスのBBCテレビでのキャリアは、テレビ版の“トップ・オブ・ザ・ポップス”への初出演によって、13年前に始まっていた。彼らが定期的に出演したほとんど当て振りの映像でアーカイヴに残っているものは、ほんの少ししかない。ほとんどが録画されなかったか、放映されるとすぐ、軽率に破棄されてしまった。したがって我々の確認できる最初期の映像は、“ザ・ビート・ルーム”からのものだ。これはステージ・スクール・ダンサーのビート・ガールズに付き添われたキンクス、ジョン・リー・フッカー、トム・ジョーンズその他が出演した“ノン・ストップ・ビート&シェイクの30分間”を約束した夕方の番組だった。(レイ・デイヴィスは“Got Love If You Want It”の注目すべきパフォーマンスの中で、シェイク・ダンスを披露した。その間、TVディレクターは弟のデイヴを1つのフレームで見せることを巧みにかわしていた)

2年後(1966年)、彼らはバリー・ファントーニ(レイ・デイヴィスはその年に彼のためにシングルを書いた)とウェンディ・ヴァーナルズが司会を務める若者向けの総合番組“Whole Scene Going”に出演した。レイのインタビューと“Sunny Afternoon”のパフォーマンスが、ヤードバーズの短い出演、パリの街にいるデイヴ・ディーと仲間たちの場面、ロンドンのワンルーム生活の情報、米俳優チャールトン・へストンによる談笑、そして“インディアン・ポップ”についてのラヴィ・シャンカールの話とともに挟みこまれた。

そういった機会は、1960年代のUK TVでは珍しいことだった。1972年1月になって再び、キンクスはテレビでオリジナルのスタジオ・バッキング・トラックに大抵は新たにヴォーカルをかぶせた最新シングルに当て振りでプレイするのではなく、生で演奏するようになった。彼らは“オールド・グレイ・ホイッスル・テスト”の最初のシリーズへの出演依頼をうけた。その時のホストはメロディ・メーカーのジャーナリスト、リチャード・ウィリアムズだった。6年後、シリーズの1回分全てがシェパーズ・ブッシュのBBCテレビジョン・シアター(今は“エンパイア”として知られている)で行なわれたキンクスのコンサートに当てられた。

1972年、ビーブ(BBC)はレインボウ・シアターに撮影隊を送りこんだ。ライヴの場面と“他人から見たキンクスと彼ら自身から見たキンクス”のフィルムをミックスしたドキュメンタリーのためだった。翌年、バンドはラジオの“イン・コンサート”シリーズのテレビ版に出演した。それは“非道”と名付けられた芝居のあとに抜け目なく予定されていた。BBCの誇大宣伝記者は過剰に熱が入り、こう約束した―「キンクスの物語は今最新となった。騒々しい“You Really Got Me”から“The Village Green Preservation Society”のブラス・バンド・リヴァイヴァルまで」

このラジオとテレビでの5年間のコンサート放送は、1977年のクリスマス・イヴ・ショーでクライマックスに達した。その後、キンクスは英国よりもアメリカやヨーロッパのテレビでごく普通に見られるようになった。彼らは“Come Dancing”で“トップ・オブ・ザ・ポップス”に姿を現わし、それからあまりに過小評価されたアルバム『Phobia』のプロモートを精力的に行なった。90年代半ば以降は、デイヴィス兄弟に関する回顧的な催しやソロ出演、そしてドキュメンタリーなどが見られるようになったが、残念ながらBBCその他でのキンクスによるパフォーマンスはなくなってしまった。

同様に残念なのは、BBCが“Where Was Spring?”と題した1969年の興味をそそるシリーズのフィルム、あるいはビデオの断片を放置したことだ。それはネッド・シェリンがプロデューサーとなり、“完全な独力による5つの新しいショーをやるという困難なチャレンジを受け入れた”エリナー・ブロンとジョン・フォーチューンをフィーチャーしていた。完全に独力ではなかったが、それが知れわたったのはそれぞれの風刺的なショーが、完成したばかりのレイ・デイヴィスの新曲をフィーチャーしていたからだ(ノース・ケンジントン・フェスティヴァル・ウィンド・オーケストラの参加もあった)。

レイの歌はスクリーン上で、ベーシスト/アーチストのクラウス・フォアマンによって“図解説明”されていた。5つの新曲のうち、2曲はキンクスによって正式にレコーディングされ、したがって今回このCDに収めることができたが、残りの3曲―“We Are Two Of A Kind”、“Let's Take Off Our Clothes”、そして“Darling I Respect You”は、“春”それ自体同様、つかの間のできごととなってしまった。

あのタイム・マシンと電波の完全なコントロールが手に入れば、私たちは放送されたキンクスの気まぐれな旅の全行程をつぶさに観察、記録し、注意深く保護することができるだろう―未来の文明に楽しんでもらえるように。それでもごくわずかなスナップショット、もろい録音放送用LP、そしてフィルムの断片のみが残され、それらがこの最高に風変わりな英国の名物が本当に存在したことを証明しているのは、それだけでロマンチックなことかもしれない。

さて、もう一度『Kinks at the BBC』を楽しむ時間だ。ラジオで、テレビで、そして今度はパッケージとなったキンクスが我々の全記憶を永遠のものとするために、失われた“時”の瞬間をよみがえらせてくれるだろう。

ピーター・ドゲット


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