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Keef Hartley Band/The Time Is Near…/2005 Eclectic Entertainment Ltd. ECLCD 1027



ンカシア生まれのドラマー、キーフ・ハートリーは1964年にロンドンに向かった。彼は18歳の時にサンダービーツでキャリアをスタートさせ、63年の6月にローリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズのドラマーの座を引き継いだ。彼の前にハリケーンズのドラムスを担当していたのが、リチャード・スターキー(のちのリンゴ・スター)だった。フレディ・スターと共にしばらくプレイしたのち、ハートリーはロンドンに向かうまでに3年あまりギグを経験していた。

彼の最初のブレイクはアートウッズだった。そのグループはロニー・ウッドの兄が率い、のちのディープ・パープルのキーボード・プレーヤー、ジョン・ロードを擁していた。ライヴではその魅力を発揮したにもかかわらず、アートウッズは大きな成功を収めることはなかった。しかし彼らのリリースしたEP、Jazz In Jeansはコレクターの間で広く称賛される1枚であり、それは彼らの名声のひとつとなっている。現在、新品同様のその中古盤に300ポンド以上もの値段が付いていることを想像してみてほしい。ハートリーのキャリアが羽ばたいたのは次の仕事だった。ジョン・メイオールのブルース・スクールは、ブルースとロックの偉大な教育機関のひとつだった。メイオールが人選を誤ることはほとんどなく、そこから旅立ったサイドメンや卒業生たちは、キャリアの成功がほとんど保証されたようなものだった―クラプトン、ジャック・ブルース、ピーター・グリーン、ミック・テイラー、ジョン・マクヴィーその他まだまだいる。メイオールは彼らを採用することができただけでなく、いつも彼らが自分たちの進むべき道へ旅立つ時期を知っていたかのようだった。

ここでも他のところでも、いかにメイオールがジャズロックのオーディエンスを増やしたかについて、その重要性を過小評価すべきではない。彼は66年の傑作アルバム、Bluesbreakers With Eric Claptonでホーンを使用した。実際、余談として、当時テナー奏者として駆け出しであり、70年代ジャズロックのパイオニアだったマイケル・ブレッカーは、Have You Heardでのアラン・スキッドモアのサックス・ソロが、いかに彼のプレイに影響を与えたかを喜んで認めている。皮肉なことに、メイオールの次のアルバム、Hard Roadのライナーノーツには、ブルースブレイカーズをホーンで補強する見込みはないとあったが、まあ、これは彼の悪意のない冗談だと推測される。

ハートリーはメイオールの最も私的なアルバム、Blues Aloneに参加し、彼はロック・ドラマーとしてとてつもなく繊細なプレイを披露してみせた。しかしひょっとすると、もっと彼のスタイルの完成に役立ったのは、ホーンと共に参加したCrusadeとDiary of a Band Vols 1&2(ホーンと共にオレより目立ってるじゃないか!―メイオール)での経験だったかもしれない。独創的なアルバム、Bare Wiresより前にハートリーはバンドを去ってしまったが、間違いなくこれはブリティッシュ・ジャズロックの最高の1枚だ。ここでさいは投げられたように思える。ジョン・メイオールとの経験が、彼のその後のキャリアを決定づけたというのは誤りであろうし、それはキーフ・ハートリー・バンド(以下KHB)でさえも同様だろう。まずKHBの音楽は、メイオールよりもはるかにソウル及びジャズに向かっていた。しかしながら、このブリティッシュ・ブルースのゴッドファーザーは、続くハートリーのキャリアに形と方向性を与えたように思われる。

ゲイリー・セイン(KHBのベーシスト)、ポール・コゾフとポール・ロジャース(ともにのちのフリー)と共に少しの間、短命のバンドで活動したのち、ハートリーはKHBを結成した。そしてミラー・アンダーソン(ギタリスト/シンガーソングライター)が68年11月に加入した時に、バンドは本格的に始動した。デラム・レーベルからの2枚のアルバム、HalfbreedとBattle of NW6は、豊富なコーラス・ワーク、ホーン・セクション、タイトなリズムにあふれたソウルフルでブルージーな作品だった。それらのアルバムは自然に体が動き出すような音楽でありながら、当時は類を見ないものだった。ハートリーの並はずれた名人ぶりによって、彼らはすぐにクラブと大学のサーキットでライヴ・アクトとして優れた呼び物となった。彼らはアメリカをツアーし、ウッドストックでさえプレイした。残念ながら映画からは漏れてしまったが。

ミラー・アンダーソン、ベースのゲイリー・セイン、ハートリーを軸に、ホーンとキーボード・プレーヤーたちが流動的にバンドのメンバーとなった。HalfbreedとBattle of NW6に参加したホーン隊(それぞれはほとんどのライヴに出演した)には、トランペットにヘンリー・ラウザーとハリー・ベケットとマイク・デイヴィス、サキソフォンにクリス・マーサー、サキソフォンとフルートにバーバラ・トンプソン、フルートにレイ・ウォーレイが含まれていた。1970年までに、ラインナップはほとんどハートリー、アンダーソン、セインに、トランペットのヘンリー・ラウザーとサックスのジミー・ジュウェルに落ち着いていたが、最後の2人はこのアルバムが出るまでに脱退していた。以上がこのアルバムで聞ける顔ぶれだ。

The Time Is Nearは間違いなくKHBの最高作だ。ラウザーとジュウェルによるパワフルなホーン(何曲かでは木管楽器のライル・ジェンキンス、トランペットのデイヴ・カズウェル、キーボードのスチュアート・ウィックスらが参加)とともに、アルバムはグレイトな楽曲と切れ味鋭いプレイが詰め込まれている。大部分において、全くタイプの違った7つのナンバーの中で、首尾一貫した優れた感性が保持されている。それはオープニング・トラックのMorning Rainのイントロからすぐに感じさせてくれる。そして期待どおりの世界が展開される。このトラックは、雨を願い、必死に生きる農民を描いた詞から、なにかザ・バンドを思わせるが、それ以上のものになっている。アンダーソンの素晴らしくコントロールされたヴォーカル・パフォーマンスとともに、これはザ・バンドのロビー・ロバートソンを彷彿させる時代、場所、歴史を最も感じさせるグループの1曲だ。あるいはKing Harvest(Has Surely Come)(訳注:ザ・バンドのセカンドに収録)に通じるかもしれない。これ以上の賛辞のことばはないだろう。

対してFrom The Windowは巧妙なコントラストを見せる。これはKHBが得意とするソウル・ダンス・ナンバーの1曲だが、ブルージーなバラッド・セクションを含み、ヘンリー・ラウザーによる見事なトランペット・ソロが聞ける。今でも彼は最も過小評価されたミュージシャンの1人だ。タイトル・トラックのThe Time Is Nearはアルバムのもうひとつのハイライトだ。これは様々な顔を見せながら展開していく―最初にいくらかスタックス風のホーンがアクセントをつけながら、穏やかで内省的なアンダーソンの歌が始まり、それからブルース臭あふれるギター・セクションが展開される。これはミラーのベスト・ソロのひとつだ。そしてハートリーのグレイトなドラミングを覆う素晴らしいホーンとオルガンとコーラスに対抗するかのようなミラーのギターが飛び出してくると、それまでの約5分30秒はほとんど色あせてしまう。そこから素晴らしいトランペットとボスの驚きのドラム・ソロを含んだラテン・フィール漂う短い小節が入り、再びメイン・テーマに戻る。

You Can’t Take Itは大胆なホーン・アレンジメントが施されたもうひとつのグレイトなダンス・ナンバーだ。これはその数年後にサウスサイド・ジョニーやアズベリー・ジュークスが専売特許としたものに似ていなくもない。しかし再びギア・チェンジが現われ、アンダーソンがメイン・セクションに引き戻す前に、見事なセインのベースとハートリーのドラミングを伴ったサックス・インストゥルメンタルに変容する。しかしながら、私はPremonitionのようなナンバーを書いたサウスサイドとジュークスはたしかに見たことがない。優れたトランペットとサックスとギターを含むこういったソウル・ジャズ・インストゥルメンタルは、我々にとってはむしろジャズ・クルセイダーズあるいはキャノンボール・アダレイとジョー・ザヴィヌルのテリトリーに、より近いものだ。これは完全なクラシック的作品である。もしかするとアシッド・ジャズの連中がすでに理解していたのかもしれない。もしそうでなければ、何が彼らを保存できただろうか?

Another Time Another Placeはちょっとした逸品だ。ここではアコースティック・ギター、ヴォーカルそしてトランペットのみだ。全くシンプルであるが、美しく、効果的だ。そして永遠なる万物の流転の祈りであるChangeが、この素晴らしいレコードを品格をもって締めくくる。アンダーソンのヴォーカルは驚異的であり、ホーン・アレンジメントはほとんどスパニッシュ風味だ。そして痛烈なギター・ソロがハートリーとセインによるタイトで変化のあるリズムに加わる。真のグランド・フィナーレだ。

ここで我々には重大な問題が残されることになる。彼らが本当に優れているのなら、なぜ彼らより劣るバンドや才能たちのような成功を収めなかったのか?誰もが推測することであるが、ミュージック・ビジネスにおいては、才能と成功が一致することはほとんどないのだ。時にそれは流行り物であり、単なる幸運であり、またはその欠如だ。また時にそれはタイミングのような要素の欠如である。KHBについて私が思うのは、上述のうちのいくつかが当てはまるということだ。実際、ソウル・ベースの音楽はプログレッシヴ・ロックに浮かれた英国ではファッショナブルなものではなくなっていたし、この男たち、とりわけアンダーソンにとってはそれが鍵となっていた。あるいは同時にそのことが、彼らをグレイトなライヴ・バンドに押し上げていたのかもしれないし、ダンス的な要素はこういった音楽を創造する真のプロフェッショナリズムと関心を覆い隠してしまったのかもしれない。

いいかい?ここで詳しく述べる1つの注意事項がある。ほとんどの者はそうしないだろうが、ダンス・フロアでふと立ち止まった者は自分のパートナーに向かってこう言うだろう。「ワオ!このドラム・フィルは何て完璧なんだ!」あるいは、「ヘイ!このラテン風なホーンはイカすよな!」と。イエー、そう、私はそう言うだろうし、このライナーノーツを読んでいるあなたもおそらく同じだろう。しかしこの際はっきり言っておこう―我々は少数派なのだ。他と異なるというのは困難なことかもしれない。しかしこの男たちはあえてその道を選んだのだ。

ダンカン・ヘイニング


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