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Johnny Thunders & The Heartbreakers/D.T.K-L.A.M.F./1986 Jungle Records CD FREUD 4



1976年。それはパンクの年だ。人々はピストルズの“アナーキー・イン・ザUK”に仰天し、クラッシュ、ダムドに夢中になった。しかしもっと早い時期に、MC5、ストゥージズそしてニューヨーク・ドールズのような、アメリカの先駆者たちから受け継がれた圧倒的な存在があった。これら70年代初頭のパイオニアたちは、パンク同様むこうみずなエネルギーを見せつけ、70年代ロックの傲慢でグラマラスなスーパースターダムに対して軽蔑の気持ちを抱いていた。

ドールズを例にとってみると、彼らは髪の毛を逆立て、10代の不満やドラッグ、当時のクラブの象徴として、その薄汚い格好でホモぶったりして得意げに振舞っていた。デヴィッド・ヨハンセン(シンガー)とジョニー・サンダース(ギター)は、まるでグロテスクで薄っぺらいジャガー/リチャーズのパロディのようであった。一方でジェリー・ノーランは最高のドラマーとして周囲に認められていた。しかしハイオクのスピード狂のごとく、ドールズは自滅の道を走り、例の3文字プラス、ピストルズという名のバンドのマネージャーとなるマルコム・マクラレンにより解散することとなった。ヨハンセンはソロとなり、サンダースとノーランはハートブレイカーズを結成した。

最初のラインナップにはリチャード・ヘルも名を連ねていたが、この気性の激しいメンツは長続きするはずもなく、ヘルはヴォイドイドへ参加することになった。ディーモン・ウォルター・ルアがギターで参加し、ヘルが担当していたベースは、ビリー・ラスが受け継ぐことになった。この時までに既にハートブレイカーズのレコードを聴いたり、ギグを観たりする事は伝説に遭遇するようなものであった。それは主に雑誌と口コミによって広まっていったのだった。バンド最初の成功は、パンクのパッケージ・ツアーとしては、史上初のアナーキー・ツアーに参加する事が決定したことだった。それにはピストルズ、クラッシュ、そしてダムドが参加していた。そのツアーはビル・グランディのTVインタビューでの事件後、すぐに中断されたが、ハートブレイカーズにとってはパンク・サークルでの確固たる地位を獲得することとなった。

サンダースとノーランの恐るべき血筋は、筋金入りのパンクロッカーとして名声を欲しいままにした。彼らは火炎瓶のような激しさといよりも、どちらかというとチャック・ベリーに近いような、抗しがたくだらしのないスタイルと、汚らしく人をからかうような、“ラヴソングへの反感”を伴った刺々しさを持っていた。

“アナーキーツアー”後、マネージャーのリー・ブラック・チャイルダーは、バンドを1年間イギリスに滞在させ、レコード契約を取ることに決めた。彼らの過去の実績と人気から、多くのパンク系レーベルは契約を獲得しようと躍起になったが、結局彼らはトラック・レコードと契約し、一連の最高のシングルとアルバム“LAMF”をリリースした。 パワフルでキャッチーな曲の詰まったレコードではあったが、残念ながら100%彼らの持ち味を表現し切れてはいなかった。

まさに彼らの真の姿はステージにあり、77年という年はハートブレイカーズのギグを人々の記憶に植えつけたのである。彼らはあらゆるロンドン中のメジャーなロックのメッカでプレイした―ミュージックマシン、ロキシー、マーキー、レインボウ、そして新たにオープンしたパンク・クラブ、ヴォーテックスだ。とりわけミュージシャンたちの憧れの的となったスピークイージーで彼らは注目を浴び、そのライヴパフォーマンスは連夜大変な盛り上がりを見せていた。

大抵ステージはレコードからプレイされた。聖歌である“Chinese Rocks”、“One Track Mind”、誰も真似のできない60sクラシック“Do You Love Me”、うなるようなキラーナンバー“Going Steady”、“Get Off The Phone”、そして“All By Myself”などだ。ギターが音をはずそうが(バンド自体も)、ジョニーの声が全く調子っぱずれに引っくり返ろうが、バンドはよろめきながらも酔っ払った観客に緊張感を提供していた。

ハートブレイカーズがバラバラになるのは必然であった。 何もかもが早すぎたのだ。彼らはふざけて名前を“ジャンキーズ”と変え、アメリカに戻った。しかし勢いは息を吹き返すことなく、パンクの波は短命のバンドによって徐々に弱まっていった。ジョニーはソロとして再スタートを切った。そして結局はジェリー、ビリーと共にしばらくイギー・ポップとバンドを組んだり、他のバンドを試みていた。

レコードでは正当な評価を得られなかったものの、ここでのライヴが彼の偉大さを証明している。ハートブレイカーズの強さと弱さ全てが封じ込められている。そう、これは遺産であるが、80年代半ばの混沌とした音楽シーンの中で放たれた、直腸を蹴り上げられるような心地よい音を今でも聴くことができるのだ。

クリス・ニーズ


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