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Bert Jansch/The River Sessions/2004 River Records RIVERCD006



1974年11月18日、グラスゴーのシティ・ホールで行なわれたバート・ヤンシュのソロ・コンサートを収めたこのCDは、とりわけバートのキャリアにおいて興味深い時期に当たる。ヤンシュはそれまでの数年間、フォーク“スーパーグループ”のペンタングル(ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ジャッキー・マクシー、ダニー・トンプソン、テリー・コックス)のメンバーとして過ごし、並はずれた足跡を残していた。バートはペンタングル在籍時に、高く評価されたソロ・アルバム、『Rosemary Lane』(今日でもバートのお気に入りだ)をリリースし、1973年のペンタングル解散後もエキサイティングで耐久性ある作品を生み出し続けた。中でも最も人気のある1枚が『LA Turnaround』だ。

ペンタングル解散後、バートはほとんどすぐにカリズマ・レーベル(リンディスファーン、ジェネシスらがいた)と契約を交わした。その頃のカリズマにとって、ジェネシスはアルバム『The Lamb Lies Down On Broadway』のリリースによってスタジアム・ロック・バンドとなりつつあり、リンディスファーンは商業的な安定期に入っていた。カリズマとの契約は3枚のアルバム―『LA Turnaround』、『Santa Barbara Honeymoon』(両方ともこのコンサートの時までにレコーディングされていた)、そして『A Rare Conundrum』―を生み出すことになった。現時点ではこれらいずれのアルバムも未CD化だが、現在のバート・ヤンシュと彼のバック・カタログへの関心は、まもなくこの状況を変えるだろう。ここに収録の14トラックのうち、8曲が『LA Turnaround』からだ―今のところ、彼のその独創性に富んだアルバム収録曲がもっとも多く聞けるのは、このCDだけだ。それらトラックのほとんどが、もともとバンドとしてレコーディングされ、プレイされたため、ここでソロ・トラック―純粋なバート・ヤンシュと彼のギター―として聞くことができるのは、さらにいっそう興味深いことだ。


以下、2004年3月にロンドンのバート宅で行なわれた彼のインタビューからの引用

build another band
これはダニー・トンプソン(と僕自身)にとっての活性剤として書いた歌。“そこから抜け出してもう一度始めよう”みたいな歌だ。

i've got a feeling
僕はもともとこの歌を自分で歌うために書いたが、ペンタングルでジャッキーが歌った。彼女は僕よりもはるかにうまく歌っている。

one for jo
ペンタングル時代にいた僕たちのローディーの1人が、ボビー・カドマンというバーモンジー(ロンドン中東部)の男だった。彼は実際、ローディーというよりも用心棒だった。彼のガールフレンド(現在2人は結婚している)がジョー(ジョアンナの略称)だ。これは彼ら2人についての歌。

the blacksmith
これは同名のトラディショナル・ソングではないが、ドク・ワトソンが歌っていた“St. James' Infirmary”のメロディとのミクスチャーだ。僕はこれをよくDADGADチューニングでインストゥルメンタルとしてプレイしていたが、その後、この歌詞を加えた。

travelin' man
旅行談フォークソングみたいなものを作るために、他の複数のフォークソングからタイトルやフレーズをいただいて作った歌、といっていいだろう。

lady nothynge's toye puffe
僕のミス入りのジョン・レンボーン作のグレイト・インストゥルメンタル。

fresh as a sweet sunday morning
僕がパリでジョージ・シャトレインのために何曲かプレイしている時に書いた歌。彼はかの地にある大レコード会社のボスの1人だった。ダニー・トンプソンとラルフ・マクテルは、よく彼のために働いていた。僕もその時にインストの“Chambertin'”を書いた。

angi
デイヴィ・グレアムの不滅の“Angi”。僕は何年にもわたって、これを何度プレイしたか分からないが、今もってクラシック(傑作)だ。

stone monkey
これは16世紀に中国で書かれた歴史物語で、アーサー・ウェイリーによって英訳された“Monkey”(西遊記)についての歌。実際は仏典をもち帰る(取経)ために、Tripitaka(三蔵法師)が引き受けたインドへの旅についての風刺的な物語だ。三蔵は3人の弟子―Monkey(孫悟空:石から生まれた)、Pigsy(チョハッカイ)、そしてSandy(サゴジョウ)によって護衛されていた。僕はもともとの作者がこの3人を想像上のキャラクターとして創り上げたと思っているが、三蔵は実在していた人物で、仏典を手に入れるために紀元629年にインドへ行った。

dance lady dance
“さあ、踊ろう”以外に、これについていうことはあまりない!

when i get home
これは僕が営業時間終了になるまでパブを出ることができなかった、酒浸りだった頃についての歌。僕のおじのアダムは、僕が幼少の頃にいっしょに住んでいて、彼は1週間ずっとシラフで誰にもひと言も口を利かなかったが、給料の出る(彼はエジンバラのリースの港湾労働者だった)金曜の晩から月曜の朝まで酔っ払っていた。恐るべき自己抑制。

in the bleak mid-winter
僕はこのメロディが大好きだ。これはグスターヴ・ホルストが書いた。

key to the highway
これはビッグ・ビル・ブルーンジーの歌だが、僕は60年代の本当に早い時期の17歳かそこらの時に、エジンバラのハウフ(フォーク・クラブ)でサニー・テリーとブラウニー・マギーにじかに教えてもらった。

chambertin
僕はこの時のライヴで“Chambertin”をやっていたことに驚いている。なぜならとてもプレイの難しいナンバーだから。パリにいる時に書いたもう1つのナンバー。


Amazon.co.ukにはバート・ヤンシュのCDが67枚、ペンタングルが45枚ほども載っている。重複や異なる媒体(レコード)、そして2on1CDを含めれば、途方もない作品数だ(ここで列挙するにはあまりに多すぎる)。そしてまだCD化されていないアルバムを含めると、その数字はさらに膨大となる。私個人としては、その長大なリストにこのアルバムが加わることをとてもうれしく思っている。

バート・ミュアヘッド 2004年4月 エジンバラにて


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