Welcome to my homepage


Bert Jansch/Moonshine/2001 Sanctuary Records Group Ltd. CMRCD112



バートのキャリアの中で最高の仕事の1枚に入るMoonshineは1972年5月にレコーディングされ、1973年2月にリリースされた。それは当時広く取り上げられたが、ほとんどの評論家はそのアルバムをどう判断すればいいか、あるいはどう受け取ればいいか確信を持てなかった。スティーライ・スパンといった甲高いフォークロックや、生真面目なコンテンポラリー・ソングライターたちが当時のトレンドとして普及していたが、これはその間をさまよい、その浮世離れした調合はマーケットあるいは評論家たちによる期待と影響に束縛されることなく、明らかに独自の道を開拓していた。要するに、あとにも先にも他のあらゆるバート・ヤンシュのアルバム同様の完全無欠さとマジックを示したバート・ヤンシュ・アルバムだということだった。

バートにとってこのアルバムとは―「決して表に出なかった1枚だね。誰もこのアルバムの存在を知らないと思う」 彼は1975年にそういったが、ひょっとするとそういった人知れずレアな側面が、実際にオリジナル盤を発見し、初めてその並はずれた音楽を聴いたのちの熱狂的なヤンシュ・ファンたちに刺激を与えたのかもしれない。60年代のトランスアトランティック・レーベルでのバートの作品は、多くがある特定の共通したサウンドとフィールを持っていたが、同じことが70年代後半のカリズマ・レーベルでの作品にもいえる。しかしその2つの時代に挟まれ、ユニークな音を聞かせ、多くの珠玉の作品中、不当にも最もレアなのがMoonshineだ。当時の妻ヘザーによる豪華できらびやかなスリーヴアートを装ったアルバムは、ペンタングルの同僚ダニー・トンプソンによってプロデュースされ、マーク・ボランとデヴィッド・ボウイとの仕事で名高いトニー・ヴィスコンティによる魅惑的なアレンジメントをところどころにフィーチャーしていた。

アルバムのぜい沢に織り込まれたサウンドへの、プロデューサーとしてのダニー・トンプソンの影響力は注目に値した。参加した多くの者が彼の接触によるものだった。3曲のアレンジメントとともに、ベース、パーカッション、リコーダーをプレイしたトニー・ヴィスコンティは、レコーディング・セッションの現場で偶然トンプソンと出会っていた。当時のヴィスコンティの妻メリー・ホプキンは、1曲でバートとデュエットした。彼女は少し前に、ザ・ビートルズの秘蔵っ子としてヒットを飛ばしていた。彼女は再びバートとともにレコーディング・スタジオに入ることはなかったが、2人は70年代の終わりまで多くのライヴ・ショーでいっしょにステージを務めた。3曲で特徴的なリード・ギターを弾いているゲイリー・ボイルもまたダニーによる依頼で参加したが、彼は以前ブライアン・オーガー、キース・ティペットとともに働き、翌年にフュージョン・バンドのアイソトープを結成することになった。

ここで珍しくピュアなトラディショナル・スタイルから外れたプレイを聞かせているのが、バートの友人のアラン・ベインで、当時彼はスコティッシュ・トラディショナル・グループのボーイズ・オブ・ザ・ロックに在籍していた。ラルフ・マクテルはバートとダニーの古くからの友人だった。しかしあるいは最も注目すべきゲストは、ジャズの伝説チャーリー・ミンガスのドラマーであるダニー・リッチモンドかもしれない。当時リッチモンドは他のプロジェクトで英国に滞在し、ダニー・トンプソンもそのプロジェクトに参加していた関係で彼に誘われ、Moonshineに参加した。「彼は気に入っていたよ」 後年トンプソンは語っている。「仕事が終わると彼はこういったね―‘君を知っていたおかげでどえらい体験ができたよ。アメリカに戻ったらみんなにこの“イングリッシュ・トラディショナル・ミュージック”とやらをプレイして聞かせてやるよ!’ってね」

厳密な意味でその‘イングリッシュ・トラディショナル・ミュージック’にあたる歌もまた傑出していた。3つのオリジナルのうちの1つが、永遠の名曲であるタイトル・トラックだ。これはアーサー王伝説のペルスヴァルの幽閉を伝えると同時に、アルコール中毒の危険性をほのめかしていた。3つのトラディショナル・ソング―‘Yarrow’、‘Twa Corbies’、そして‘Rambleaway’に加え、‘Brought with The Rain’はトラディショナル・チューンに当てはめたヤンシュ自身の詞がフィーチャーされていた。そして2つのカヴァーがあった。1つが想像力に富んだ美しい解釈であるイワン・マッコールの‘The First Time Ever I Saw Your Face’だ。バートは最初にこれを1966年のJack Orionでインストゥルメンタルとしてカヴァーし、その後ロバータ・フラックによって世界的ヒットとなり、エルヴィス・プレスリーのレパートリーに入ることになった。もう1つはバートが史上最高の歌の1つと考えるデイヴ・グールダーの‘The January Man’だった。

1974年の終わりにリリースされたカントリー・ロック風味のあるLA Turnaroundは、‘カムバック’として広く認められ、かなりのプレスによってその‘放蕩息子’の帰還は喝采を浴びたが、それはMoonshineがリリースされてから2年にも満たない時期だった。Moonshineは事実上、歴史の中に追いやられてしまった。アルバムの2〜3曲は続く何年間にもわたってバートが再レコーディングしたが、あるいは今回のMoonshineのリイシューが、彼の最高かつ忘れ去られた作品への大きな称賛と認知を獲得するベストなタイミングかもしれない。


コリン・ハーパー、2000年12月―Dazzling Stranger : Bert Jansch and the British Folk and Blues Revival(2000年ブルームズベリー出版より)の著者


ホームへ