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Bert Jansch/Birthday Blues/2001 Sanctuary Records Group Ltd. CMRCD334



バートが25回目の誕生日を迎えようとしていた1968年11月にレコーディングされ、翌1969年1月17日にリリースされたBirthday Bluesは、バート・ヤンシュの‘ペンタングル時代’にレコーディングされた4枚のソロ・アルバムのうち2番目に当たるアルバムだった。この期間は1967年〜1973年初頭に当たり、その間に草分け的なソロ・ギタリスト/ソングライターであるバートは、真にプログレッシヴな融合アンサンブルの一員となり、世界中をツアーして回り、そして今日に至る彼のキャリアの中で、たった一度だけブリティッシュ・シングルとアルバム・チャートの壁を破った。

しかしながら、1人のアーチストとしてのバートのファンたちにとって、彼のバンドの状況がらせん降下することは、続く彼のソロ・キャリアのまばらな表明につながっていた。68年春から1973年を通じて、バートはソロイストとして唯一のコンサート(1971年にフェスティヴァル・ホールで1日だけ行なわれた)を務め、ペンタングルのコンサートでは散発的にソロとしてのスポットを浴びるだけだった。たしかに、1968年夏から1971年夏にかけての多くのコンサート・レビューと現存するセットリストの中には、バート自身のプレイに言及したものはひとつもない。一方で彼の1967年半ばのアルバム、Nicolaに収録のマテリアルの多くは、ソロ・コンサートとクラブ・ギグで披露されていた。

たしかにいくつかのトラックは初期ペンタングルによってプレイされていたが、ザ・ペンタングルがレコーディング・ユニットに発展するや、メンバーの課外活動はマネジメントの助言によって限定されたものとなり、多数のバートの熱心な一団が唯一彼を聴く機会は、定期的に少しずつ発表されるソロ・アルバムに限られていた。それらのアルバムは2〜3年の間にこっそりと発表され続け、プロモートのために時折、BBCラジオ・セッションでオンエアされていた。もしラジオ・タイムズ(BBCが出しているラジオ・テレビ番組案内の週刊誌)を捜さないのなら、あるのは唯一アルバムだけだった。

皮肉なことに、Birthday Bluesの多くは、ペンタングルのレコードと共通性を持っていた。いくつかのトラックではバンドのリズム・セクションであるダニー・トンプソンとテリー・コックスがフィーチャーされ、ペンタングルの最初の3枚をプロデュースしたシェル・タルミーは、このヤンシュのプロジェクトとペンタングル・サウンドの間に、音的質感の類似性を設定していた。しかしいくつかのトラック―刺すような才気が光る‘Poison’から暗さを伴った平静さのある‘Wishing Well’あるいは‘The Bright New Year’まで―に漂う荒涼さと激しさによって、最初にその類似性に対するリスナーの感情は盛り上げられる。さらに気分を高揚させてくれるのが、2人の優れたゲスト・プレーヤーたち―ブルース・ハープのダフィー・パワーとフルート/テナー・サキソフォンのレイ・ウォーレイだ。

ある者はこの2人の参加をうながしたキーマンとして、ダニー・トンプソンの存在を挙げるかもしれない。ダニーは2人のそれぞれのレコーディングに参加していたし、セッション・マン仲間として2人とともに他のレコードでもプレイしていた。たしかにザ・ペンタングル結成直前、トンプソンとコックスはダフィー・パワーのニュークリアスのメンバーだった。ギタリストのジョン・マクラフリンを擁したフュージョン・カルテットのニュークリアスは将来を見込まれていたが、パワーの健康上の問題によって数回のギグを務めただけで、活動は停滞していた。ダフィーが活動再開するまでに、ペンタングルの活動は波に乗り、マクラフリンはスターダムへの道を歩みだしていた。ダフィーは悪意を包み隠すことのない快活な性格だった。‘Poison’に漂うムード―バートのいつもの遠回しな思考による環境への関心事―の中で、彼の仕事は功を奏し、それは2人が共に再びレコードを制作することがなかったのが残念に思われるほどだ。(しかしハッピーエンドとして、ダフィーの素晴らしい解釈によるバートの‘I Am Lonely’が、最近のトリビュート・アルバム、People On The Highway : A Bert Jansch Encomiumに収録された)

バートは当時、Birthday Bluesはマテリアル不足を象徴しているという主張を退けていたが、これは今聴いてもかなりルーズなコレクションだ―よく練り上げられた一握りの歌と、ブルージーなジャムで具現化されたインストゥルメンタル、そして冗漫なことばの即興によるスピリチュアルで抽象的な事柄が混在している。「何曲かは何年もかけて書いたし、何曲かは2分で書いたんだ」 1969年のジグザグ誌とのインタビューで、彼は酷評にほとんど対抗することなく説明している。「でも僕は世界一のソロ・アーチストになるには向いていないから」

ほとんどのトラックはたしかに以前、認められたようなスタイルではなく、おそらくアルバムの穴埋めとして書かれたのだろう。それでもいくつかは長い形成期間を経ていた。トラディショナル・シンガーのアン・ブリッグスと共作した魅惑的な‘Wishing Well’は、短期間ではあったが実り多いコラボレーション期間だった1965年の初頭に書かれていた。‘I Am Lonely’も同年にさかのぼる(1998年リリースのアマチュア時代のライヴ・コンピレーション、Young Man Blues : Live In Glasgowで一瞬聞くことができる)。‘Blues’は事実上、‘Dissatisfied Blues’(1967年にアルバムNicolaのために録音されたが、1972年のコンピレーション、Box Of Loveで日の目を見るまで未発表だった)のバッキング・トラックだ。一方で、現在でもなぞめいたテーマを持つ‘A Woman Like You’は、1967年にフェスティヴァル・ホールでジミ・ヘンドリクスとともにビラに載った伝説的なコンサートのあった期間に書かれたらしく、ラジオで流され、レビューの対象にもなった。またその時の魅力的な(ペンタングルの中での)ソロ・パフォーマンスは全てが1968年のペンタングルの2枚組アルバム、Sweet Childで、1枚のライヴ盤としてフィーチャーされた。

‘Poison’‘Promised Land’、そして‘A Woman Like You’といったトラックは、ペンタングル・サウンドをよりとげとげしく拡張したものとして見なすことができる。ソロ・レコーディング・アーチストとしてのバートの将来的方向性は、バロック的な魅力のある母親に向けた歌、‘The Bright New Year’、インストゥルメンタルの‘Birthday Blues’‘Miss Heather Rosemary Sewell’でよりはっきりと一瞥することができる。後者は当時のバートの人生に存在した女性を表していた。

彼女より前にいた数人の女性たちは、はっきりとではなくとも歌の中で言及されていたが、今回のケースでは、2人はすでに結婚していた。へザーはロンドン出身のアート・スクール学生で、彼女の夫とは生い立ち、性格とも著しく異なっていた。以前はロイ・ハーパーのガールフレンドだった彼女の‘背信’は、‘歌による果し合い’に発展し、ロイの苦悩のほどがうかがい知れる内容だった。へザーがバートに出会ったのは、ペンタングルのツアーの中で最も過酷だった2年間の直前だった。彼らはすぐに結婚式を挙げた―‘Birthday Blues’のレコーディング直前に当たる1968年10月19日、場所はサセックスのルイスだった。彼女はアルバムのバック・カヴァーに忘れられない絵を描いた―それぞれの歌のテーマを反映した絵物語だった。

事実上、アルバム収録曲は全体的にコンサートで披露されることはなかったが(見たところ唯一の例外が、1970年にBBCテレビジョンのIn Concertに出演したペンタングルが挿入曲としてジャム・セッションを行なった‘Blues’がある)、アルバムのリリースに合わせたBBCラジオ・セッションでフィーチャーされた2つのライヴがあった。バートとダニーが参加した最初のものが、1968年12月11日にDJジョン・ピールの番組ナイト・ライドでプレイされた3つのBirthday Blues収録曲―‘Tree Song’‘I Got A Woman’、そして‘Birthday Blues’だった。そしてこれらに加えられたのが、バートによる試みで未レコーディングのトラディショナル・ソング、‘Thames Lighterman’、めったに演奏されなかったSweet Child収録の‘I Loved A Lass’、そしてダニー・トンプソンのソロ、‘Haitian Fight Song’だった。

1969年1月25日、トランスアトランティックが果敢にもメロディ・メーカーに、レコードをプロモートするための半ページの広告を載せた時、バートはプレイハウス・シアターでのライヴ放送、Country Meets Folkにソロ出演した。彼はニュー・アルバムから‘I Am Lonely’‘Come Sing Me A Happy Song’と、ブルース・スタンダードの‘Come Back Baby’をプレイした。加えてザ・ペンタングルはBBCラジオ・ワン・シリーズの4つの30分番組に出演し、1969年12月と1970年1月に最初の放送が流された。それらのショーは様々なコンビネーションによって、メンバーの才能をフィーチャーすることになっていた。間違いなくソロ・パフォーマンスも含まれていただろう。残念ながら現存するテープはない。

おそらくその時のバートのコラボレーターだったピーター・カートリー(彼は最初にBirthday Bluesでバートの音楽に目覚めた)のたっての頼みだと思われるが、バートは1990年のハイパーテンション・レーベルからのアルバム、Sketchesで3曲を再録した―A Woman Like YouPoison、そしてCome Sing Me A Happy Song(これは同レーベルからの1992年のペンタングル・コンピレーション、‘Anniversary’のためにリザーブされたが)だった。‘A Woman Like You’は1996年の‘公式ブートレグ’、Live At The 12 Barで再度登場し、トリビュート・アルバム、People On The Highway : A Bert Jansch Encomiumで、生涯のバート・ファンであるジョニー・マーによって美しくカヴァーされた。‘Poison’は2000年のチャンネル4によるヤンシュ・ドキュメンタリー、Dreamweaverで再び復活し、2001年2月5日のBBCラジオ2フォーク・アワードのセレモニーで、バーナード・バトラー、ジョニー・マーとともにプレイされた。そこでバートは生涯功労賞を授与された。3人の演奏は2001年2月14日にフォーク・オン2で放送された。その結果、‘Poison’はバートのライヴ・レパートリーに再び入ることになった。

これはファンにとってフラストレーションと純然たるクオリティ両方を併せ持つアルバムであり、‘Wishing Well’や‘The Bright New Year’のようなマジカルで喚起作用あるバートの傑作は、おそらくステージでプレイされたことはないだろう。アート作品のごとく、これらは1つの場所においてのみ鑑賞することができる―このCDのことだ。メロディ・メーカーで1つのレビューが思慮深く結論づけたように、Birthday Bluesは、みなの関心が全てペンタングルに向けられた中でひっそりとリリースされたのかもしれないが、“それにもかかわらず、大いに満足できるアルバムであり、ヤンシュの音楽的叙事詩の中でさらなる進化を遂げている”のである。これに同意しない者はほとんどいないだろう。


コリン・ハーパー、2001年4月―Dazzling Stranger : Bert Jansch and the British Folk and Blues Revival(2000年ブルームズベリー出版より)の著者


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