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Bert Jansch/It Don’t Bother Me/2001 Sanctuary Records Group Ltd. CMRCD205



1965年4月にリリースされたバートのセルフ・タイトルのデビュー作は、わずかに憂うつさが注入された孤独な若者の才能が濃密に漂う作品だった。それは大人、家出、求愛、そして貧困をたった1本のギターによって、ほとんど先例のない音の縫合でモノクロームに考察したものだった。そのサウンドはフォーク、ブルース、そしてモダン・ジャズから引き出されていた。ひそかに彼の仲間たちや音楽通の人々にもたらされたそのインパクトは、測り知れないほどだった。1965年11月11日にリリースされた彼のセカンド・アルバム、It Don’t Bother Meは、明らかに同じ男の作品だったが、多くの点で著しい違いがあった。

それはその時期のロンドンでの生活を大きく反映した歌をフィーチャーしていた―彼のデビュー作を特徴づけていたのは、傷つきやすいバラッドと苦悩のギター描写、それでいて柔軟なソングライティングであったが、それよりも自信にあふれ、交互にタフさとルーズさが顔をのぞかせていた。第二に、これはトランスアトランティックのボスであるナット・ジョゼフによってプロデュースされ、本物のスタジオで録音されていた(ビル・リーダーはある日のかなり遅くにセッションを手伝ってほしいと頼まれたことを漠然と覚えているが、スリーヴには依然クレジットされないままだ)。

プロジェクトの始まりは最も早くて65年4月、最も間近では8月にセッションが行なわれたが、これは一握りの午後のセッションと数本のワインによる所産だった。バートのあやふやな記憶によれば、たった1日の午後のセッションだったそうだ。「3時間と2本のワインで作ったんだ」 彼はいう。「世界一安上がりのアルバムだ!」 自由気ままな部屋でのセッションから格上げされたことで、バートはおそらくナーヴァスになったのだろう。彼は10年後のNMEとのインタビューで回想している―「僕は速く録音してしまえば早くその場を逃れられると思って、1ダースほどのワインを注文したんだ。それで自分の前にマイクを立てて、3時間酔っ払いながら片付けた」 たしかにわずかに残っているセッション・テープには、2つか3つを超えるテイク数のトラックはほとんどない。

しかしながら、1965年のバートのファンたちにとって最も顕著な変化は、2つのトラックに参加したセカンド・ギタリストの存在だった―ジョン・レンボーンだ。1964年11月にバートがレス・ブリッジャー―ロンドンの多くのフォーク・クラブに出演していたバスカー―とともに移って来てすぐに、レンボーンがアメリカの黒人シンガー、ドリス・ヘンダーソンとともに立ち寄っていた。ジョンはその時、キングストンからロンドンに引っ越すことを決めていたが、ドリスはロサンゼルスから飛行機でやって来て間もない頃だった。2人とも落ち着く場所を探していた。その結果、ドリスはバートのかつてのガールフレンドだったジル・クックのフラットに行き着いた。また当時そこには、トラディショナル・シンガーのアン・ブリッグスも滞在していた。一方のジョンはバートとレスのところに落ち着いた。

1944年8月キングストン生まれのジョンはほぼバートの1つ年下で、バートよりミドル・クラス寄りの出身だった。バートと同じく、まず第一にギター革新者のデイヴィ・グレアムにインスパイアされたレンボーンは、イングランド南西部地方を放浪しながら暮らし、1963年以来、ロンドン周辺の様々なフォーク・クラブでは素性のよく分からない存在だった。しかし彼は才能あるミュージシャンだった。バートと比べて彼に欠けていたのは、音楽的創造性と個性的な表現力だったが、彼は音楽の本質と構造に対する旺盛な研究心で、それを埋め合わせていた。また、デイヴィ・グレアム同様、その高度な技術は絶え間ない努力と献身によってもたらされていた。

バートとジョンは1964年から67年までずっとフラットで共同生活していたが、ソマリ・ロードほど伝説になったところはないだろう―It Don’t Bother Meのカヴァーに写ったフラットだ。また彼らはレコードでも互いに脇役として登場した。ジョンの名を付したデビュー作のかなり不完全な2つのインストゥルメンタルでバートがプレイしたのが最初の録音だったが、それに対する初のジョンによる返礼が、It Don’t Bother Meの2つのトラック―‘My Lover’‘Lucky Thirteen’だった。ある意味、神秘的で東洋モードをもつ‘My Lover’は時代的な産物だが、‘Lucky Thirteen’は将来の2人のコラボレーションを予兆させていた―最初はデュオとして、続いて5人編成のペンタングルのメンバー同士となる2人だ。またこれは彼らの最も説得力あるレコーディングとして生き残り、バート初のUSリリース・アルバムのタイトルにもなった―そのレコードは彼のUKでの最初の2枚から13曲が選ばれ、収められた。

曲ごとの短い解説(今回CD裏側に再掲された)のついたIt Don’t Bother Meは、バートの単調ならざる異性関係の中でのできごとに、遠まわしの引喩がふんだんに使われた作品だった。それはある1曲での彼による解説―“誰かの愛に拘束されることは全く愛されないのと同じくらい苦痛かもしれない”ということばに象徴されている。2人のかつてのガールフレンド、ジャン・コールとベヴァリー・カットナー(未来のジョン・マーチンの妻であり、偶然にもアルバム・カヴァーに永遠に残ることになった)もそのノーツに名前が登場している。一方、彼の最初の子供の母親ジル・クックも、おそらく歌の奥底に埋め込まれているのだろう。それはエジンバラ出身の昔の恋人、リズ・クルックシャンクも同様だ。彼女はその夏ロンドンに滞在し、何度かバートとともにプレイしたが、その後しばらくの間、仕事のためにカナダへ旅立った。

またここには一時的な政治への関心事である‘Anti Apartheid’(反アパルトヘイト)が入っている。バートは5月のベトナム抗議行動へ、ドノヴァン、ジョーン・バエズ、トム・パクストン、ロイ・ハーパーその他とともに参加していた。しかし彼の仲間たちとは対照的に、政治は彼の作品の中で珍しいテーマだった。「僕は1つの党とか団体に所属することはなかった」 彼はいう。「僕は当時、政治について十分に理解していなかった。自分が分からないものには距離をおいていたんだ」

インストゥルメンタルは3曲だった。うち2つはソロだ。‘Tinker’s Blues’はレス・ブリッジャーの猫に捧げたものだった。‘The Wheel’はソーホーのフォーク・クラブ、レス・カズンズにあった装飾にインスパイアされていた。そこには巨大な車輪があった。前述した‘Lucky Thirteen’は、2人のプレイが魅惑的なヤンシュ/レンボーン共作の見事なインストゥルメンタルだ。構成するテーマと諧調に変えられていないコード・パターンに乗った即興演奏は、明らかに翌年の彼らによる最初で最後のジョイント・アルバム、Bert And Johnで大いに探求される方向性を暗示している。

あとの2つ、‘So Long (Been On The Road So Long)’‘900 Miles’は、それぞれアレックス・キャンベルとデロール・アダムズに恩義のあるトラックだ。前者はたしかにバートのアイデアによる‘Blackwater Side’のアレンジメントである‘循環処理’インストゥルメンタルだ。そのトラディショナル・ソングの独創的なアレンジメントは、ファースト・アルバムでさえまだリリースされていない頃に練り上げられ、それ自体レコード上に刻まれていなかった。ナット・ジョゼフが、バートのトレードマークであるファースト・アルバムのコンテンポラリー・ソングとインストゥルメンタルの手法を繰り返すよう主張した可能性は大いに考えられる。この段階でトラディショナル・ソングをレコーディングすることは―彼も感じていたかもしれないが―こっけいなアイデアだった。よくいわれるように、ニュー・レコードというのは常に前の作品の影を引きずるものだ。「短期間においては、もっともなことだがこのLPは非常によく売れるだろう」 Folk Scene誌のデイヴ・モーランはそう書いた。「しかし長い目で見れば、これはファーストLPから進化してはいない」 国中のフロア・シンガーたちは待ち望んではいたが、これが大方の見方だった。

「最初のレコードはゆっくりと浸透していった」 現在はフォーク・ルーツ誌の編集者で、当時はブリストル出身の野心に燃えるブルース・シンガーだったイアン・アンダーソンはいう。「しかしセカンド・アルバムが出るまでに、彼は誰でもすぐに分かるような有名人になっていた。ディランみたいなものだった―レコードが出たその日に買って歌を覚えたもんだった。さもないと他のローカル・シンガーたちに先を越されてしまうんだ。ブリストルにティム・クラターバックっていう恐るべき記憶力の男がいた。ディランのアルバムが出た時に、彼は48時間でアルバム全てを記憶してしまったことを覚えている。ブリストルでティムは敵なしだったんだけど、国中にそういう奴がいたんだと思うね!」

アルバムから‘Tinker’s Blues’‘The Wheel’が、ファースト・アルバムの3つの歌物とともに、翌年EPとしてリリースされたが、ファースト・アルバムへの反応とは違い、セカンド・アルバムからはスティーヴ・アシュリーが遅ればせながら‘It Don’t Bother Me’をカヴァーし、その慣習を断ち切るまでは、注目すべきカヴァーは何ひとつ存在しなかった。アシュリーはそれにパーカッシヴなストリング・セクションを配し、よりトラディショナルな響きのある騒々しさに仕立て、バートのトリビュート・アルバム、People On The Highway : A Bert Jansch Encomium(マーケット・スクエア・レコーズ、2000年)に収めた。バートはハイパーテンション・レーベルの要請に基づいて、1990年のアルバム、Sketchesのために自身の曲をいくつかセルフ・カヴァーしたが、ファースト・アルバムのマテリアルとは違い、彼のステージ・レパートリーに長く残ることはなかった。

実はまだ2つの完全なアウトテイクが存在する。バートのオリジナルな‘循環’ギターの傑作‘Joint Control’(のちにペンタングルの名作‘Reflection’の基盤となったこれは、1962年以来の彼の重要なライヴ・レパートリーだ)と、他では知られていない‘Just Like You’だ。願わくば、未来のリリースで日の目を見てほしい。しかしながら現状では、以前のCDより優れたサウンドになった今回のリリースを喜ぶべきだろう。これは最近になってヴァンガード・レコーズ(60年代を通じてトランスアトランティック・レーベルと提携していたUSレーベル)から復活した別マスターから、新たにリマスターされたものだ。

It Don’t Bother Meは、ある期間をとらえた作品だ―それはバートがファースト・アルバムで見せた孤独な職人技から、即興演奏に焦点を当て、トラディショナル・ソングに基礎を置いたジョン・レンボーンとの作品へと動き、さらには数年後のペンタングルをも予兆させるものだ。これはファースト・アルバムの素早い続編としてレコーディングされ、全ては新しく書き下ろされ、当時の彼がいたところが簡潔に示された作品だ。その多くは1965年当時と同じように、今日でもパワフルで魅惑的に響いてくる注目すべきアルバムである。


コリン・ハーパー、2001年4月―Dazzling Stranger : Bert Jansch and the British Folk and Blues Revival(2000年ブルームズベリー出版より)の著者


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