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The Incredible String Band/Tricks Of The Senses : Rare & Unreleased Recordings 1966-1972
/2008 Hux Records Ltd. HUX100



TRICKS OF THE SENSESはウィッチシーズン(プロデューサーだったジョー・ボイドのプロダクション・カンパニー)とアイランド・レコードのアーカイヴから掘り起こされた、インクレディブル・ストリング・バンドの未発表あるいはレアなマテリアルを寄せ集めたものだ。これはバンドのもうひとつの歴史を示し、このプロジェクト当初から全面的に参加してきたロビン・ウィリアムソンとマイク・ヘロンは、その発掘されたマテリアルのクオリティに感動してしまった。

最初のISBのアルバム(ロビン、マイクそしてクライヴ・パーマーによる)のセッションは、未発表マテリアルを1つも残さず、短期集中コースで行なわれた。クライヴがアフガニスタンに旅立ち、ロビンがモロッコから帰還したのち、ヘロンとウィリアムソンはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの名高いギグのオファーを受けた―仲間のエレクトラ・レコードのアーチストだったトム・パクストンとジュディ・コリンズのサポート・アクトとして。1966年10月、バンドはグラスゴーのちょうど北にあるバルモアの友人の小屋に集まり、そこで彼らは本げいこ(ドレス・リハーサル)を録音した。そのテープは90年代に思いがけなく再発見されるまで、何10年という間、戸棚の中で忘れ去られ眠っていた。それは彼らがアレンジメントとセット・リストの実験を行なったように、マイクとロビンの創造的プロセスに魅力的な洞察力を与えてくれる。家庭用のオープンリール式レコーダーで録られたため、たしかにローファイではあるが、2人になったISBの現在まで生き残ったマテリアルの最初期に当たる音源だ。レッドベリーの“Relax Your Mind”は、エジンバラのクラブ、‘ハウフ’でのお気に入りのレパートリーだった。ロビンによって新しい詞が加えられた、ここで聞けるヴァージョンは、アルバート・ホールでのオープニング・ナンバーとして選ばれた。ロビンはその時期のオリジナル・デュオが聞かせていた音楽をかなりよく反映していると考えている。

バンドのセカンド・アルバム『5,000 Spirits』のセッションからは、1つの未発表曲が生き残っていた。何年にもわたり、マイクの“Lover Man”はアル・スチュワートのファーストLPでのカヴァー・ヴァージョンとして聞けるのみであった。これは1997年に『Chelsea Sessions』というCDでデモの形で日の目を見たが、ここではロビンによる気が狂ったような笛とカズー、そしてダニー・トンプソンによるストリング・ベース(コントラバス、ダブルベース)が加えられた完成型が聞ける。威勢のいいパフォーマンスで、あなたはなぜLPから外されたのか不思議に思うことだろう。おそらくマイクのいうように、LPの時間的制約のためだろうが、あるいはより深遠な作品である“Chinese White”や“Painting Box”に並べると、あまりにファースト・アルバムのマテリアルを連想させると考えられたからかもしれない。

『Hangman's Beautiful Daughter』からのアウトテイクはつ1つもなく、2枚組の『Wee Tam & The Big Huge』が次のトラックを生み出した。ロビンの“All Too Much For Me”の「ラフ・ミックス」は、過去、日の目を見ている―おそらくそれは1985年に行なわれたテープ・ライブラリーのリスニング・セッションから作られたブートレグだ(訳注:『Chelsea Sessions』に入っているが…)。しかし我々は1968年4月30日にサウンド・テクニクスでレコーディングされたオリジナルの4トラック・テープから仕上げた。サイケデリックな時代への別れが読みとれるところが魅力であるが、ロビンはあまりシリアスな歌とは考えていない。それでも彼は途中からつながるブラインド・ウィリー・ジョンソンから教わった2つのゴスペル・ソングを気に入っている。マイクは最初のセクションにオルガンを、ゴスペル・チューンにハーモニーと手拍子を加えている。あとの方のWee Tamセッションからは、“The Iron Stone”とそれに続いて行なわれたジャム(ロビンがギター、マイクがシタール)の魅力的な別マスター・テイクが生まれた。リッキー・マッケクニーは先の2枚のアルバムではいくらか脇役を担っていたが、これらのセッションではバンドとともに本気で取り組み始めた。ここで彼女はハープをプレイしている(最初の部分で、ロビンが彼女といっしょにチューニングを合わせている音が聞ける)。

1968年5月、マイク、ロビン、そしてリッキーはフィルモア・イーストでの初の大々的なUSギグのために渡米した。過去、ジョー・ボイドはリスナーの資金提供によるニューヨークのラジオ局WBAIのために、いくつかのショーを行なっていたため、6月のコンサートの2週間前に、彼はボブ・ファスの番組“ラジオ・アンネーマブル(Unnameable)”で、深夜のスタジオ・セッションを計画した。ボブ(フリーフォーム・ラジオの父と呼ばれる)はとりとめのないアプローチを好み、よく彼の広大なコレクションから豊富なサウンド・エフェクトを番組に差し挟んでいた。ISBは全く歌を伴わないやり方でその機会に立ち向かった。それは『Hangman』のオーディエンスにとっては普通のことであったかもしれないし、断固として全くの未発表マテリアルをプレイすることだったのかもしれない。

ボブの前置きの妙技(‘悪魔払い’のため)に続いて、ロビンは詩の朗読である“The Head”の初期ヴァージョンを始める。マイクとリッキーはそのうしろでうまく効果を上げる音を提供している。“The Head”の最終ヴァージョンは、結局『Wee Tam』のインサートに、ロビンによる水彩イラストレーションとして登場した。またそれは、このブックレットの裏側で再登場している。それからマイクによる“Douglas Traherne Harding”のゆったりしたヴァージョンが続く。これはちょうど1か月前(“All Too Much For Me”と同セッション)に彼が『Wee Tam』のためにレコーディングした歌だ。LP『Be Glad For The Song Has No Ending』でのちに日の目を見た“See All The People”は、ここでリッキーのパーカッションを伴い、対位法的なジャムの見せ場を展開している。これはISBのスタンダードからいっても風変わりな歌で、‘禅’のような超然とした感覚がある。このセッションの最後の歌は、ロビンによる濃厚なパフォーマンスの“Maya”だ。これは傑出したヴァージョンであり、あるいは初のライヴ・パフォーマンスかもしれない。3週間後にサンセット・ブルヴァード・スタジオで録られた『Wee Tam』ヴァージョンよりも2ヴァース短い。このWBAIセッションでは、ジョー・ボイドによって(かなり不本意に!)“Greatest Friend”へと切れ目なくつなげるために、LPではぶった切られた部分のオリジナルのエンディングを聞くことができる。

2枚目のCDは“Penwern”でスタートする。これはもともと1969年の映画『Be Glad For The Song Has No Ending』のサウンドトラック用にレコーディングされたが、使用されなかったインストゥルメンタルだ。ロビンはいくらかゆらめくようなスパニッシュ・ギターのラインを弾き、マイクはベースを加えている。オルガンはマイクかジョー・ボイドのどちらかだ。“Penwern”はウェールズの農場家屋の名前で、そこにロビンとリッキーが当時住んでいた。監督のピーター・ニールは近くの環状列石「Pentre Ifan」で、『Be Glad』の神話“The Pirate And The Crystal Ball”を撮影した。マイクの“All Writ Down”の1つのヴァージョンは、アイランド・レコードのアルバム『Be Glad』にモノラルで登場したが、我々は1つのヴァースが追加された未発表マスター・テイクを発見した(1969年のシングルB面で使われたヴァージョンではない)。ローズ・シンプソンは『Wee Tam』頃にバンドに参加していた。このトラックのベースは彼女だ。ギターとヴォーカルを担当するマイクはとてもすばらしく、リッキーはオルガンを弾き、ロビンは入り組んだワウワウのギター・ラインを加えている。

1969年の『Changing Horses』からの未発表マテリアルは生き残っていないが、その次のアルバム『I Looked Up』からはレア・トラックが存在する。1970年2月にレコーディングされた“Queen Juanita”は、ISBのストーリー・ソングの1曲で、メンバー4人全てをフィーチャーするために書かれた。これはおそらく、アルバムにはすでに2曲の長尺トラック―“Pictures In A Mirror”と“When You Find Out Who You Are”―が収録されるため外されたのだろう。それでも“Juanita”は創意に富んだ1曲であり、このヴァージョンのエネルギーは伝染性あるものだ。“Juanita”についての評論家の意見はさまざまだが、ライヴでの重要なレパートリーだった。ISBファンのジェフ・ロックウェルはこの頃、フィラデルフィアでISBの“無類の”ギグを目撃した。ショーのあとのことを彼は覚えている―「500人もの人々が友人や見知らぬ人たちと手をつないで、“Queen Juanita”のコーラスを歌いながらアーチ・ストリートを歩いていたんだ」

我々は長らく廃盤だったコンピレーションLPの収録曲としてこれが1976年にリリースされた時に、ジョー・ボイドがプロデュースしたミックスを使用した。“Juanita”のセッションについて、マイクはバンドが一時的に借りるため、世に知られない楽器のカタログを手に入れたことを思い出す。1つはオンド・マルトノ(Ondes Martenot) という、振動する周波数を使った、一風変わった電子鍵盤楽器だった。これは1930年代に、メシアンやヴァレーズといったフランスの作曲家とともに一般的に知られていた。近年ではレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドで有名だ。これは複雑で厄介な楽器で、マイクによれば、誰も本当にうまくプレイすることができないそうだが、2分20秒と4分40秒のところで少しだけオンドが聞けると思う。もっとうまくいったのが「sea machine」だった―バンドは小さな箱のようなものを想像していたが、マイクは次のようにいっている―「部屋くらいのサイズだった!」 それは小石がいっぱいに詰まった巨大な木製の‘桶(おけ)’だった… それを使うためには、まず水を加え、それから端っこをもち上げねばならなかった。注意深く聞けば、その音が混ざっているのがわかる。またロビンが演説調の‘demon of the deep’セクションの真ん中あたりで、息苦しそうな笑い声を上げているのが聞こえる。バンドはこのレコーディングを楽しんでいたと思う。

1970年4月、ISBとダンス/マイム・グループのストーン・モンキーは、チョーク・ファームのラウンドハウスでの10日間公演を引き受けた―マルチ・メディア・ショー‘歌と踊りのシュールな寓話’―‘U’をやるためだ。でき上がったスタジオ・レコーディング盤からは、時間的制約からショーの中の2曲が省かれたが、我々はラウンドハウスのPAがモノラルでライヴ録音したテープから、パチパチ音の激しいヴァージョンを突き止めた。“El Ratto”はマルコム・ル・メーストルによる臆病なスペイン大公のパントマイムと切り離してしまうと、わずかに欠点となっているが、我々は想像しやすいように‘U’のリハーサル写真を載せた。それでもロビンは絶好調だ。マイクは“Long Long Road”で華麗なパフォーマンスを見せ、同時にギターを美しく奏でている。“Long Long Road”はショーの中で、マルコムによる“Newborn Seeker”が悟りを探し求める「悲しみの道」を表す時に登場するが、途中で悪魔に待ち伏せされてしまう。我々はリスナーに‘U’の雰囲気をより味わってもらうために、悪魔のセクションを少しだけ残しておいた。

1971年、ISBはしかし大きな変化を遂げた。ローズは出産のため去っていき、マルコムが加入し、彼らはエレクトラからアイランドへ移籍し、プロデューサーでマネージャーだったジョー・ボイドと別れた。アルバム『Liquid Acrobat As Regards The Air』をアイランドでレコーディングしたのち(アウトテイクはなし)、彼らはいくつか本気のツアーを行なった。その秋、彼らはパントマイム・プレイの“Poetry Play Number One”を作り上げた。マイクはそのバックグラウンド・ミュージックを作曲した。音源は長い間消失したままだったが、我々はエジンバラのクレイグホール・スタジオで録音されたオリジナル・マルチトラックを発見し、少しおもしろいコラージュを創るためにそれらを使った。我々が使わなかったセクションは、“Card Game”、“Flee”そして“Aggravation”だ。それらは全てスケッチそのものだった。マイクはピアノ、ギター、ヴォーカルを担当し、スージー・ワトソン-テイラーがフルート、そしてのちのISBのサウンドマン(音響担当)となるスタン・シュニールがベースとパーカッションだ。ロビンもマルコムも内容についてはあまり覚えていないが、ロビンは最初のフルート・パートが場面チェンジで使われたことを覚えている。

“The Archers”セクションは気味が悪い。オリジナル・テープでは、マイクがミュージシャンたちに「もっとがつがつくるように」と指示を出しているのが聞ける。このトラックのミキシングをしている間に、4つのエレクトリック・ピアノがオーヴァーダブされた“Faery Tune”は、“テリー・ライリー(米現代音楽作曲家・キーボード奏者 1935〜)風”と呼ばれるようになった。“Looking For A Face In The Crowd”はふさわしく賛歌を締めくくっている。レイモンド・グリーノーケンはニューカッスル・シティ・ホールで行なわれた1971年10月のギグを目撃した―

「“How We Danced The Lord Of Weir”の最後に全員がオーディエンスを残して舞台裏へぞろぞろと立ち去っていった。オーディエンスは彼らの聞いたものが、普通の意味での音楽かどうかを思案していた。レヴォックス(Revox)のテープ・マシンはステージ前近くに設置されていた。そしてしばらくすると、1/4インチ・テープの大きなリールがブンブンと音を立てて回り始めて、かなり印象主義的な音楽が会場を埋め尽くしたんだ。マルコムとロビンとリッキーはだいたい同じようなゆったりしたチャコール・グレーの上着と半ズボンを着て出てきて、リンゼイ・ケンプのレパートリーそのままのダンス風マイム(あるいはマイム風ダンス)を展開していった―眠りから目覚めて、目に見えないカーテンを引き開けて、大弓で矢を放つといったような。全てがすごくあいまいな物語で組み合わされていた。一目見てマルコムはプロフェッショナルで、ロビンとリッキーは熱心な初心者だということがわかった。マイクはいつものようにステージ上の出し物に寄りそいながら、動かずにじっとたたずんでいた。最後に僕はマイムとモダン・ダンスをやっていた友人に意見を聞いてみたら、彼女は‘悪くないわ’といっていた」

予算はアイランド時代によりきびしくなり、ISBは1枚のLPに収録する候補曲を、最初にホーム・デモとして作るという仕事のやり方に変わっていき、最終的なヴァージョンをレコーディングするのみとなっていた。そういうわけで、最後の2枚のアルバム―『No Ruinous Feud』と1974年の『Hard Rope And Silken Twine』―からのアウトテイクは存在しない。

つまりここでの最後の2曲は、1972年4月の『Earthspan』セッションからということだ。これまではその2ヶ月前にレコーディングされたBBCセッションが唯一手に入るヴァージョンだった“Secret Temple”は、リッキーの最後の作品だ(彼女は1972年暮れに「長期休暇」のために去っていき、二度と戻ってくることはなかった)。そのわかりにくい歌詞は論議の的となってきた―恋人に向けた歌なのか?それともスピリチュアルな何かに向けた歌なのか?しかし彼女の甥であるドンとベンがこのトラックを聞いた時、彼らはリッキーの彼女自身との対話であることを確信した。マイクがいくらかの部分を書き、アレンジメントを手伝った。ユニヴァーサル・レコードのテープ・ライブラリーの記録は、この歌の最終ヴァージョンがあることをほのめかしているが、大昔に誰か知らない者(ひょっとするとリッキー自身か?)によって、関連テープが持ち去られている。我々は運よく生き残っている個々のセクションのマルチトラックを使ってリミックスすることができた。リッキーがピアノ、マイクがギター、マルコムがエレクトリック・ハープシコード、そしてロビンがフルートとシェナイ(インド北部と西部のオーボエ)だ。

このCDはマイクの“Curlew”で完結する。2本のチェロ、1本のヴィオラ、ハーダンガー・フィドル(ノルウェーの民族楽器:ノルウェー語ではハーディング・フェーレ)、そして2本の笛のアレンジメントはマイクだ。ロビンはこの曲の発端となったものを覚えていないが、同時期の彼のソロ・アルバム『Myrrh』に収録のいくつかのトラックと同様、ムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)の音楽の影響を受けているとコメントしている。おそらくグレン・ロウ(スコットランドにある地名?)のハルモニウム(リード・オルガン)で作られた曲だろう。マルコムが笛、ロビンがハーダンガー・フィドルと2番目の笛を担当している。ロビンはヴィオラ・プレーヤーと(ダブルトラックの)チェリストが誰だったかについてはよくわからないそうだ。この美しく、もの悲しげな曲は、このアルバムを締めくくるのにふさわしいものだ。

エイドリアン・ウィッタカー、2008年9月

ジェフ・ロックウェルの引用は『beGLAD-an Incredible String Band Compendium』(ヘルター・スケルター出版)から
転載承認済み


‘私の耳が失っていたサウンド’
このプロジェクトについて少し

私たちはこのプロジェクトで多くの使命を帯びていた。リサーチは数ヶ月間に及び、さまざまなソースからテープが見つかった。リリースに向けて曲を準備する中で、数々の大きな技術的チャレンジに直面させられることになった。加えて、“Queen Juanita”を除き、ステレオ・ミックスされたマテリアルがなかったため、私たちは実現可能でかつ折り紙付きのオリジナル・レコーディングのアプローチをやり遂げねばならなかった。全体として、私たちは‘歴史的正確さ’を重要視しようと心がけた―私たちはそのマテリアルが当時のアルバムに収録されてリリースされたと想定してミックスとエフェクトを使用した。

最初のトラック、“Relax Your Mind”だけが孤立している―これはテープ・アーカイヴからのものではなく、古い家庭用のオープンリール式テープ・レコーダーで録音された。オリジナルのヘロン/ウィリアムソン・デュオのレアなパフォーマンスであるが、私たちはクリス・ミュザート(Muijzert)がやってみようと賛同してくれたことを喜んだ。過去、ドクター・ストレンジリー・ストレンジのアーカイヴ・プロジェクト(Halcyon Days)での彼のテープ復元スキルを、私たちは高く評価するようになっていたからだ。

初期ISBのレコーディングの多くは索引がなく、私たちはリサーチの間、30を超えるリール・テープを最後まで再生した。最初の期待はすぐに失望に変わってしまった―どのテープもアルバム両面の‘安全対策コピー’あるいはそうでなければ、すでにリリースされたヴァージョンの不完全テイクばかりだった。最初の驚きの発見が“Lover Man”だった―テープ・ボックスには‘Song’と貼ってあった(!)。ダニー・トンプソンによるダブル・ベースの最初の一音を聴いてすぐ、私たちは『5,000 Spirits』のアウトテイクを手に入れたことがわかった。私たちは『5,000 Spirits』全体のミックスを手本にした。つまりヴォーカルがセンター、楽器が左右チャンネルという初期のステレオ・ミックスに共通したアプローチだ。私たちはサウンド・テクニクス・スタジオが使っていた‘プレート・リヴァーブ’(鉄板を振動させてエコーを作り出すこと)さえ使った。『Wee Tam』の時までに、サウンドは左右スピーカーに、より均等に広がるようになったため、私たちは“All Too Much For Me”でそのアプローチを採用した。“Penwern”のベース・パートは少し不安定にうねったような傾向が見られたため、不安定な方のチャンネルを片方へ移動させて1つにするという、(エンジニアの)ジョン・ウッドが編み出した技術を適用した。私たちはそれらを念入りに吟味することに同意してくれたジョー・ボイドに、これら‘忠実な復元’である新しいミックスを聴いてもらうことに、少しばかりナーヴァスになっていたが、彼が承認した時にはまったくホッとした!

WBAIセッションのテープはモノラルだった―少なくともミキシングのジレンマは存在しなかったが、決定的な問題を示していた―ウィッチシーズンのテープとは違い、それらは低品質テープに録音され、すでに酸化が進み始め、40年間貯蔵庫に眠っている間に全体的に劣化していた。またそれらは秒速7 1/2インチというスロー・スピードで録られたノイズの多いレコーディングだった。これは元々のレコーディング・クオリティが低かったことを意味している。ノイズを増加させることなく、くもったサウンドにみがきをかけることは困難だったため、イコライゼーションに関連するノイズ・リダクション・ソフトウェアを使い、その2つのバランスをとり両立させなければならなかった。さらに悪いことに、ロビンが使ったWBAIスタジオのヴォーカル・マイクがいかれていて、元々少しばかり歪みがあった。これはテープが悪化した2008年までに著しく増加していた。なるべく聴きやすい音にするために、注意深くあらゆる手を加えた。オリジナル・テープからは2つのトラックが外された。ロビンとマイクは“You Get Brighter”のチューニングが気に入らなかったのと、“Maya”のあと、セッションの終わりの木琴とタブラによる熱のこもったデュエットは、まったくISBではないことが判明した。おそらくLPトラックだったのだろう。

多くの場合、WBAIセッションのさらなる問題が、サウンド・エンジニアが不在だったように思えることだ。その結果、ヴォーカルと楽器のレヴェルが、いたるところでふらふらしている。“Maya”の収録中、サウンド担当者は仕事にかなり遅れて到着したか、あるいは酔って空想にふけっていたところから目覚めたかのどちらかで、明らかに一瞬罪悪感にかられ、約8分のところのロビンの声に過度に大きなリヴァーブを忙しく加え、10分のところではミックスに極端な変化を与えている。全セッションはすでにモノラル・ミックスされていたため、私たちができることはあまりなかった…

‘U’のライヴ・テープはパチパチ音とゴロゴロ音満載であった。私たちはこれを完全にとり除こうとしたが、もはや歌がライヴ録音あるいはラウンドハウスでのレコーディングではないように聞こえたため、無類のレコーディングであることを念頭におきながら、許容レヴェルを保ちながらノイズを減らすことで妥協しなければならかった。

私たちはジョー・ボイドが1976年に行なった“Queen Juanita”のオリジナル・ステレオ・ミックスを発見した。そういうわけで、このコンピレーションの中で少なくとも1つのトラックは、まぎれもないリマスタリング作業だ。ここで聞けるこのトラックの音域は、1976年のリリース・ヴァージョンに比べて向上している。なぜなら私たちは概して可聴周波数域にあるレコード両面最後で周波数をカットするヴィニール盤のマスタリングが施されたヴァージョンを使わずに済んだからだ。“All Writ Down”のロング・ヴァージョンは8トラックで録音され、ミックスされていなかったが、私たちにはLP『Be Glad』の中に見本があった。それはかなりのヴォリューム・レヴェルで楽器とヴォーカル・トラックを私たちに示してくれていた。新しいステレオ・ミックスは確実にこの歌のサウンドを改良している。アルバムではモノラルで収録されていたことに、私たちは気づいた(おそらく映画のサウンドトラックから収録されたのだろう)。

私たちは“Poetry Play #1”についてはよくわからずに進めていた。なぜなら私たちが意見を求めたISBもISBファンも、これの完成型がどんなものだったかはっきりとした記憶が全くないからだ。私たちはこれの音源パーツを全て手に入れていたが、テープ・ボックスを見てもどのパートがベスト・ヴァージョンと判断されたのか全くわからなかった―そこにはそれぞれのパートが最高で10テイク入っていた。私たちがしたことは、全てを再生し、どれをどういう順番に並べるかを決定し、それからラフ・ミックスをマイクに送り、彼の承認をもらうことだった。でき上がったミックスは、構成的にはオーディエンスが1971年に実際聞いたものとはほとんど関係がないかもしれないが、始まりと中間部と終わりという構成はたしかに保っていて、マイクは気に入ってくれた。

“Curlew”ははっきりとマスター・テイクであることがわかったので、もっと簡単にいった。私たちは少しだけプロダクション的なエフェクトを加え、承認をもらうためにラフ・ミックスをロビンに送った。“Secret Temple”は最後に仕上げたうちの1つだ。“Poetry Play”の場合と同様に、私たちは歌の全パート/テイクが入ったテープを聞き、どのテイクがベストであるかを決定しなければならなかった。しかしこのトラックに関しては、私たちにはもっと前のBBCセッション・レコーディングの助けがあった(訳注:おそらくHuxが2007年にリリースした『Across The Airwaves』のこと)。そういうわけで、少なくとも正しい配列は把握していた。残念ながらリッキーの承認を得ることはできなかったが(訳注:ジョー・ボイドによれば、存命していないといわれている)、彼女の2人の甥に歌を聞いてもらうことができた。2人は私たちがミキシングを終えた時にスタジオを訪れ、親指を立てて承認してくれた。

ベン・ワイズマン、エイドリアン・ウィッタカー、2008年9月


‘重ねてまた重ねて’-Relax Your Mindの復元

あるレコーディングを注意深く聴いてみることによって、あなたは元々の音楽がどんな仕掛けを通過したか、そしてそれがどう作用したかを知ることができるだろう。“Relax Your Mind”に関して、あなたはマイクロフォンの特色、プリアンプのノイズ、テープの圧縮、負荷のかけすぎによる歪み(おそらく他のテープへのダビング)、そして40年間に及ぶ保存の結果を聞きとることができるだろう。これら全ての欠陥が、それ自身の治療を要求し、テープをプリアンプで鳴らしてそれをマイクロフォンが拾うという、過去へ戻った作業が最高の結果を生み出した。

音声復元はコンピュータによって大いに容易になっている。いったんディジタル化されると(CDの形で音楽をリリースするためにはディジタル化されねばならない)、その音楽を数学的均一化(アルゴリズム)して取り扱うことができ、欠陥を修正することができる。残念ながら、均一化はパーフェクトではなく、ある程度までサウンドを特色づけてしまう。新しいものを加えることなしに、存在する欠陥をとり除くために、どの要因と範囲が最もうまくいくかを見極めるのが、サウンド・エンジニアの腕の見せどころだ。この意味で、音声復元は他のあらゆる‘復元’ととてもよく似ている。キーとなるのは、そこにあるものを失わないようにすることだ。ヴァニッシュ(商標 Vanish:殺菌フィルタ)とワイヤー・ブラシを使って、ある古い絵画からよごれやあかをとり除くことは可能だが、ミスター・ビーンが私たちに見せてくれたように、そこに絵画の何が残るだろうか?ゆっくり時間をかけ、とても慎重に、何度も重ねて、あなたはオリジナルにダメージを与える前に多くのものをとり除くことができる。絵画の復元とは違い、ディジタル・コピーで作業をしているので、ミスを犯したり、試したりすることができ、それはオリジナルには影響しない。あなたは絶えず最後のステップが実際改善されているかどうかを、もう一度問い合わせることができる。もし改善されていなければ、違う経路を試すことだってできるし、2ステップ戻ることさえできる。そして時々、つきが回ってくる!

Chris Muijzet



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