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The Incredible String Band/Hard Rope & Silken Twine/2013 BGO Records BGOCD1093



ジ・インクレディブル・ストリング・バンドは最後までなぞめいていたし、最初の出発点からそうであった。1965年にスタートした時から、バンドはアメリカのオールド・タイム、ケルティック・トラディショナル、そしてヨーロッパ、アジア、アメリカの文化から影響を受けたコンテンポラリー・フォークの折衷的なミックスだった。1974年に消滅した時も同様に折衷的であったが、プログレッシヴ・ロックとジャズの要素が多く加わっていた。その合間に、彼らは世界中の民俗音楽、ケルトの神話、アシッドによる悟り、広大な好奇心、そして定型フォーム及び構造を無視することにより、その独創性を完成させたサイケデリックの名物バンドとなった。

インクレディブル・ストリング・バンドはもともとロビン・ウィリアムソン(1943年4月24日スコットランド、エジンバラ生れ)と、クライヴ・パーマー(1943年5月13日ノース・ロンドン、エドモントン生れ)から成り、トラディショナル・ソングとブルーグラスをプレイするために1963年に結成された。彼らはアーチー・フィッシャーの運営する“クラウン・バー”のセッションで定期的にプレイしていたが、そこに居合わせたエレクトラ・レコードのジョー・ボイドが彼らを見て、レーベルと契約させた。エジンバラ生れのマイク・ヘロン(1942年12月27日)を加えた彼らは、ファースト・アルバム『The Incredible String Band』を録音し、それはUKフォーク・リヴァイヴァルの最後尾に位置することになった。アルバムはメロディ・メーカー紙の例年の人気投票により、“フォーク・アルバム・オブ・ザ・イヤー”を勝ち取り、1968年のシング・アウト!マガジンのインタビューで、ボブ・ディランはアルバム収録の“October Song”をお気に入りの1曲として称賛した。

しかしながら、クライヴ・パーマーが去り、残った2人はグループを立てなおし、ポスト・ヒッピーのカウンター・カルチャーを基盤とする展望に精通した折衷的なアコースティック・バンドとして再出発した。マルチ楽器デュオである彼らのマテリアルはどんどんと複雑になり、セカンド・アルバムの『The 5000 Spirits Or The Layers Of The Onion』は幅広い称賛を受けた。次のアルバム『The Hangman's Beautiful Daughter』はUKトップ10に入り、インクレディブル・ストリング・バンドの名を広く知らしめることとなった。

ガールフレンドのローズ・シンプソンとクリスティーナ“リッキー”リコリス・マッケクニーを加えたISBは、『Wee Tam & The Big Huge』、『Changing Horses』、『I Looked Up』、そして『U』といった独創的なアルバムを制作した。彼らはロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールやニューヨークのフィルモア・イーストなどの会場をいっぱいにし、ウッドストック・フェスティヴァルにも出演した。ウッドストックでは荒れ模様の天候により彼らのステージはキャンセルされ、再度セッティングされたステージはその日の大物たちの間に挟まってしまった。また彼らは1968年のUSツアー中のニューヨークでサイエントロジー(新興宗教)の熱心な信者となった。このことは以降の彼らの音楽に大きな影響を与えることになり、より親しみやすい音楽が生み出され、彼らのアプローチとエスニック指向を改良した一方で、創造性へのネガティヴな影響として嘲笑する者と支持する者とにファンの意見を二分した。

1970年までに、インクレディブル・ストリング・バンドはエレクトラを去り、アイランド・レコードを契約を交わし、さらに4枚のアルバム―『Be Glad For The Song Has No Ending』、『Liquid Acrobat As Regards The Air』、『No Ruinous Feud』、『Hard Rope & Silken Twine』―をリリースした。『Hard Rope』は2000年に再結成するまでの彼ら最後のアルバムだった。

『Hard Rope & Silken Twine』はもともと1974年にリリースされた。アルバムが出た当時のISBは、6人編成の完全なエレクトリック・バンドだった。レギュラーのリズム・セクションが創設者のロビン・ウィリアムソンとマイク・ヘロン、そしてその頃入った仲間のマルコム・ルメーストルに加わっていた。そのラインナップは、アコースティック・ギター、ウード、マンドリン、エレクトリック・フィドル、フルート、ホイッスル、コンガ、そしてヴォーカルを担当するウィリアムソンと、アコースティック/エレクトリック・ギター、シタール、オルガン、ピアノ、ストリングスのスコア、そしてヴォーカルを担当するヘロンをフィーチャーしていた。ベーシストのスタン・リーはペダル・スチール・ギター、モーグ(ムーグも可)、そしてヴォーカルを受けもった。ジャック・イングラムはドラムだった。グレアム・フォーブズはエレクトリック・ギターをプレイし、マルコム・ルメーストルはヴォーカルもとった。その音楽は全盛のエレクトラ時代とはかなり異なっていたが、ある意味それは、独特で分類できないものを創造しようとする彼らの実験精神への非難であった。しかしそれでもこの世のありとあらゆるものから影響を受けたオリジナルな音楽であることは、すぐに認識することができた。

当時『Hard Rope & Silken Twine』のリリースは、懐疑と困惑の入り混じった反応で迎え入れられた。それはインクレディブル・ストリング・バンドのリリースには必ずついてまわっていた反応だった。評論家とファンはこの内容について、歓喜と失望の間を揺れ動いていた。アルバムは1973年12月にロンドンのチェルシーにあるサウンド・テクニクス・スタジオで行なわれたレコーディングと、1974年春のUKツアーでレコーディングされたライヴ・トラックのミックスだった。各曲のライターは、マイク・ヘロン、ロビン・ウィリアムソン、マルコム・ルメーストルが分け合い、それぞれが単独で書いたが、それでも全体の出来に貢献していた。“All Music Guide”の中でクリス・ニクソンはこのアルバムを次のように評価した―「ここでマイク・ヘロンはすばらしい“Maker Of Islands”を提供し、ロビン・ウィリアムソンはかぐわしいシタール・ワークの入った“Dreams Of No Return”を提供している」

ややクラシカルなオーケストラとマイク・ヘロンの情熱的なヴォーカルをフィーチャーした“Maker Of Islands”は、プロコル・ハルムに通じる荘厳なプログレッシヴ・バラッドだ。その沈着で威厳漂うテンポと表情豊かなアレンジメントは、ISBのアルバム『Earthspan』の重さを受け継いでいる。

“Cold February”は熱烈な反戦ソングであり、当時のロビン・ウィリアムソンの中では最もあからさまに政治的な歌だった。北アイルランド問題を扱う一方で、背後に隠されていたのは、あらゆる戦争―宗教的、政治的、その他―の中で侵食していった世界中の人的廃物(汚物や下水など)に対するコメントだった。マイク・ヘロンによる荘厳なオルガンとロビンのヴォーカルとティン・ホイッスルに導かれた歌は、戦争への抗議を唱える一方で、かつてISBの音楽地図を占めていたケルティックの血を呼び起こしている。この歌はロビン最高のケルティック作品の1つであり、ハーモニウムとホイッスルによるシンプルなバッキングは、このトラックのところどころに無骨さを加えている。“Cold February”のライヴ・レコーディングが存在するといわれるが、スタジオ録音はこれだ(訳注:??これはライヴ録音にしか聞こえないが・・・)。

マルコム・ルメーストルと以前デヴィッド・ボウイのところにいたキーボード・プレーヤーのマイク・ガーソン共作の“Glancing Love”は、巧みなジャズ・ギター・リックとルメーストルのヴォーカルの背後で鳴る喚起作用あるフルートを使った、フォーク・ロックとUS FMロックの中間に位置するメロディックなバラッドだ。

ロビン・ウィリアムソンの“Dreams Of No Return”は、悲しげなアコースティック・ギターとドローン音の鳴るチェロに載ったロビンのヴォーカルで始まる。この歌はインクレディブル・ストリング・バンドのレコーディングに再び歓迎されたマイク・ヘロンのシタールを伴い、抒情的な意識の流れへと発展する。再びこれも初期ISBを思わせるが、一方で後期ISBの特徴である抑制の効いた適用がなされたメロディックな構造を活用している。この歌はアルバム『Liquid Acrobat』期を彷彿させるようなインド風の間奏、味わい深いギター/アコースティック・ベース、そして物語バラッドを挟みこみながら進んでいく。“Dreams Of No Return”は作者ロビン・ウィリアムソンの最高の腕前が発揮された曲として、ずっと語られてきたが、これを聞けば何も議論はないだろう。この頃、主にジョン・マーチンとともにツアーとレコーディングを行なっていたダニー・トンプソンが、このトラックに特徴的なダブル・ベースを加えている。

ライヴ・トラックの“Dumb Kate”も再び、慣れ親しんだISBの領域に踏み込んでいる。このフィドル主導の陽気なホーダウン(hoedown)曲は、“Black Jack David”と“Log Cabin Home In The Sky”と同じ血筋だ。ドラムスは抑えられているが、マイク・ヘロンが伝える“無口なケイト”のストーリーにふさわしいアレンジメントだ。彼女は無口な快楽引受人(売春婦?)であると同時に、トラック・サービス・エリアの無口なウェイトレスだ。見せかけのケイジャンのリズムと田舎のアクセントで歌われる歌は、オックスフォード大学のオーディエンスにあたたかく迎え入れられている。

LPの片面を埋めているマイク・ヘロンの大作“Ithkos”が、アルバムの最重要作品だ。6つの組曲からなる20分に及ぶこれは、ギリシアのイメージをたっぷりと彷彿させる。“Ithkos”はISBのもっとも結合力ある大作の1つとして注目すべき作品だ。これは多くの点で、彼らがアルバム『The Hangman's Beautiful Daughter』と『Changing Horses』で生み出した“White Bird”や“A Very Cellular Song”のような長尺トラックを思わせるサウンドの取り組みが見られる。ここで焦点となっているのはギリシア神話だ。歌詞はホメロスの“イーリアス”と“オデュッセイア”、ローマの詩人ヴェルギリウスの“アイネイアス”に似ている。歌詞的に、その物語風な構造はロック・ソングの範疇を超えている―テーマは商売の任務を帯びたイスコスのシュバリス(イタリア南部にあった古代ギリシアのぜいたく好きな都市:BC720-510)への旅と、女王ヒッポリュテへの失恋、そして彼の心に宿る奇妙な虫の知らせだ。

ジェームズ・アークボールドのドキュメンタリー、Rehearsalで、マイク・ヘロンは“Ithkos”の由来を説明した。「グループには複合的なスキルを試すための大きな枠組が必要だと思ったことが、そのアイデアの始まりだったんだ。僕は人々が本当に夢中になって思い描けるような、広い視野と背景を持つ大きな曲を書くことができたらと思った。それは僕が休日にギリシアに行った時に心に浮かんだ考えだった。テーマは神話のキャラクターたちの堕落とフィクションを混ぜ合わせたもので、筋書きはイスコスという基本的に冒険好きな旅商人の男についてなんだ」

音楽的には、ギリシア・スタイルと地中海サウンドによるストリング・アレンジメントに始まり、全体はプログレッシヴ・ロックの作風となっている。ハイライトはロビンによるドラマチックなウード(oud:リュートの祖先にあたるアラビア弦楽器)のイントロと、思わず聞き入ってしまうエレクトリック・フィドル・ソロ、そしてマルコムのすぐれたヴォーカルを含み、熱烈なロック・ファンのほとんどを満足させてしまう、ザクザクとしたギター・リフがふんだんに使われている。どちらかといえば、“Ithkos”はISBが利用した世界中に向けた音楽的カメラ・レンズと、コンテンポラリーなロック・バンドとしての最新の彼らのステイタスをミックスして円を完結させた。“Ithkos”はハード・ロックの新しいリズムを用いながら、彼らの過去の冒険を表現し、情熱的かつ長大な作品として成立している。クリス・ニクソンは“Ithkos”にこうコメントした―「バンドの示す全ての野望は、大作“Ithkos”の中にある。20分間というのはたしかに長く、これは多くの変化を伴いながら展開していく。(タイトルが意味するように)ギリシアに起源をもったイントロ部分からフォークへ進み、それからギター主体のプログ・ロック、ネオ・シンフォニー、そして最後にはシンセサイザーが加えられる」

『Hard Rope』のもう1つの魅力的側面が、前のアルバム『No Ruinous Feud』をプロデュースしたジョン・ウッドとは正反対のマイク・ヘロンによるプロダクション・ワークだ。ロック・リズム・セクションとの統合は前回において暗示され、ライヴ・ショーではドラムとベースが使われたが、今回は完全なロック・リズム・セクションが全面的に活用された。

1974年に『Hard Rope & Silken Twine』がリリースされた時、依然ギグを展開する実在のバンドであったが、今やインクレディブル・ストリング・バンドはヒッピーの過去を意味する頭字語(ISB)としてみなされ、週3日は熱心に聴かれ、その時代における雷のような存在だった。1974年4月、ISBは新曲の“Evie”、“Easy Street”、そして“New Moon”(全てヘロン作)をレコーディングした。これらはおそらく次のスタジオ・アルバムに予定されていたトラックだったが、彼らはリリース保留としたままだ。

1974年5月、インクレディブル・ストリング・バンドはチック・コリア、マイク・ガーソン、ウディ・ウッドマンジー、そしてジェフ・アップルバイとともに、ロンドンのレインボウ・シアターでサイエントロジーのためのベネフィット・コンサートを行なった。その‘The Eternal Variety Show’(果てしないヴァラエティ・ショー)は、L Ron ハバード(新興宗教“サイエントロジー”の創始者)の書『Dianetics』の刊行20周年を祝っていた。ISBは1968年以来、サイエントロジストとして活動し、彼らのギグでサイエントロジーの“ためになる”知識をまき散らしていた。そのショーはアイランドのモビール・レコーディングによって録音され、レコードとしてプライヴェイトにリリースされた。

『Hard Rope & Silken Twine』リリース後、8月にロンドンのオリンピアで行なわれたRock PromsでUKでのギグを終えたのち、さらにもう1つのアメリカン・ツアーが待っていた。8月の彼ら最後のUSツアーはほとんどのショーでヘッドライナーを務めることになったが、ビラではエルヴィン・ビショップ、マーシャル・タッカー・バンドらと名を連ね、ある時はブルース・スプリングスティーン&ジ・Eストリート・バンドのオープニング・アクトを務めた。その場所はスプリングスティーンの生れ故郷であるニュージャージーで、パセーイクにあるキャピタル・シアターだった。

英国に戻ってきたインクレディブル・ストリング・バンドは、アイランド・レコードとの契約を満了し、解散した。ネイバーフッド・レコードの創立者であり、ISBのファンだったメラニー(メラニー・サフカ)と彼女の夫ピーター・シェカリック(?Schekeryk)の関心をひいたマイクとロビンは、当時のメラニーのアルバム『As I See It Now』と『Sunset And Other Beginning』に参加し、ロンドンのシアター・ロイヤルでの彼女のコンサートで共にステージに上がった。ISBの解散はプレス発表によってアナウンスされた―「僕たちはインクレディブルズとして多くを学んで、多くを成し遂げたと理解した。今は僕たちにとって新しい段階へ進む時だろう。そこにはいざこざもないし、大きな感動的場面も、経済的あるいは法的問題もない。ほんの少しのノスタルジアと、互いとそして僕たちのファンへの大きな愛情をもって、僕たちはみな新しい方向性へ取り組むつもりだ」

ロビン・ウィリアムソンはその時の妻でマネージャーのジャネット・シャンクマンとともに、カリフォルニアのバークリーに移り住んだ。彼はみずからのケルティック・ルーツに戻り、多作なライター/レコーディング・アーチストとして活動を続け、手始めにシングル盤の付属したスコティッシュ/アイリッシュ/イングリッシュ・フィドル・チューンの教則本をリリースした。また彼はレコーディングとツアーのための新しいバンド、‘ザ・メリー・バンド’(Merry Band)を結成した。メンバーは彼以外にハーピストのシルヴィア・ウッズ、フィドラーのジェリー・マクミラン、ハープとバグパイプにクリス・カズウェルだった。彼らは1977年から79年にかけて3枚のアルバム―『Journey's Edge』『American Stonehenge』『A Glint At The Kindling』―を制作した。彼らは1978年にUKツアーを行なったのち、1979年12月31日にロサンゼルスのマッケイブズ・ギター・ショップでフェアウェル・コンサートを行なった。それからロビンはマルチ楽器奏者/吟遊詩人としてソロ・キャリアを再開した。

マイク・ヘロンはネイバーフッド・レコードからのオファーを受け入れ、1974年10月〜11月にかけてロンドンのオリンピック・スタジオでアルバム『Mike Heron's Reputation』をレコーディングした。そこにはリチャード&リンダ・トンプソン、エディ・ジョブソン、クリーシャ・コクジャン(?Kocjan)、ダンカン・ブラウン、そしてメラニー含む様々なゲストが参加していた。インクレディブル・ストリング・バンドのメンバーだったグレアム・フォーブズ、マルコム・ルメーストル、そしてロビン・ウィリアムソンは、“Evie”と“Meanwhile The Rain”の2曲にゲスト参加した。またマイクは、ピーター・シェカリックのプロデュースした“Evie”と“Meanwhile The Rain”を除いて、アルバムをプロデュースした。彼は元ISBのマルコム・ルメーストル、グレアム・フォーブズ、スタン・シュナイアー、そしてドラマーのジョン・ギルストンとともに、‘マイク・ヘロンズ・レピュテイション’を結成した。マイク・ヘロンズ・レピュテイションはアンディ・フレイザー・バンドとともに英国をツアーし、のちに再び‘ヘロン’という名のバンドに変わり、1977年にブロンズ・レコードから1枚のアルバム『Diamond Of Dreams』をリリースした。

グラスゴー拠点のインディ・レーベル、ズーム・レコードからシングル、“Sold On Your Love”を出したのち、マイク・ヘロンはカサブランカ・レコードでセルフ・タイトルのアルバムを録音した。ヒュー・マーフィーがプロデュースしたそのアルバムは、1980年にリリースされる予定だったが、リリース日の2週間前にレコード会社の経営がピンチにおちいった。ヘロンはスコットランド、グレンロウのコテッジへ戻り、そこで多くのホーム・デモ録音を行なったが、1990年代初頭に自身の‘インクレディブル・アコースティック・バンド’を率いるまでは、プロとしてのレコーディング及びツアーからは遠ざかっていた。

1997年、ロビンとマイクは彼らがずっと仲たがいしていたという神話を一掃するために、ロンドンのブルームズベリーで2つのコンサートを行なった。これに続き、1999年にはオリジナルの3人にロウソン・ダンドゥとロビンの2番目の妻ビーナを加えた、完全な再結成が実現した。2006年にロビンと妻のビーナが去るまで、このラインナップで定期的に英国中でツアーが行なわれた。

クライヴ・パーマーはフェイマス・ジャグ・バンドとクライヴズ・オリジナル・バンド(COB)を結成した。マルコム・ルメーストルは俳優業に専念したが、2000年以降に2枚のソロ・アルバムを制作した。1974年に話を戻すと、ジ・インクレディブル・ストリング・バンドはさしあたり、消滅してしまう前に重要な最後のあがきをしていた。つまりこういうことだ―『Hard Rope & Silken Twine』は不可解でフラストレーションがたまり、ところどころにむらがあると考えられていた。今聴けば、それが様式上の難問であることが分かるし、その未完成な部分は意欲ある首尾一貫したISBの勇敢さを示していることを理解できるだろう。そう、彼らはロック・バンドとなり、プログレッシヴ・ロックの理想へ取り組んでいたが、それは彼らのやり方になっていた。インクレディブル・ストリング・バンドはキャリアの始めからなぞめいていたし、彼らは始めた時と同じように、なぞめきながらストーリーの一部を終えた。ストーリーはまだまだ続くが、さしあたりこれで十分であったのだ。

(C)ジョン・オーリガン 2012年11月

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