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The Incredible String Band/First Girl I Loved/1998 Mooncrest Records CRESTCD 032 Z



あるグループの影響力がそのゲスト・リストのステイタスによって認識できるとすれば、1997年暮れのインクレディブル・ストリング・バンドの再結成コンサートに出席したレッド・ツェッペリンのロバート・プラントが私たちに何かを語りかけているのかもしれない。今なお、知る人ぞ知る人たちにとっては、1965年に始まり―マイク・ヘロン、ロビン・ウィリアムソン、そしてクライヴ・パーマーがグラスゴーで1つになった時だ―、1974年にあいにくの時勢のうちに幕を閉じた1つのストーリーが、かなり重要なものとしてフォーク・ミュージック史の中へ消え去っていったことは、思い出すまでもないだろう。

パーマー(グラスゴーのソーキホール通りで“インクレディブル”フォーク・クラブを運営していたイングランド人で、彼らはそこからグループ名をちょうだいした)は、ISBのデビュー作となったセルフ・タイトルのアルバム(1966)にのみ参加した。それはアメリカのエレクトラ・レーベルで働いていたフォークロックの権威ジョー・ボイドによって、プロデュースされていた。しかしウィリアムソンとヘロンが2人組としてグループを再編し、翌年にサイケデリックな装いで『5000 Spirits Or The Layers Of The Onion』をリリースした時に、彼らは真にはずみをつけていった(このコレクションのタイトル・トラック“First Girl I Loved”はそのアルバムで発表された)。この2人は、のちにリコリス・マッケクニーとローズ・シンプソン、それにダンサー/シンガー/ベーシストのマルコム・ルメーストルを加え、その後リコリスとローズが脱退し、キーボーディストのジェラルド・ドットを加えてからも、バンドの最後まで創造的中枢であり続けた。

インクレディブルズはどう見ても多作だった―68年3月に発表した『The Hangman's Beautiful Daughter』は、驚くべきことにUKトップ5にチャートインし、10月にリリースした2枚組のアルバム『Wee Tam And The Big Huge』は、それぞれ1枚もののアルバムとしてもリリースされた。ここに収録のマイク作のオープニング・トラック、“Cousin Caterpillar”と、ロビン作の“The Circle Is Unbroken”は、『The Big Huge』のハイライトであったが、あるいは様々なリリース形態が要因となったためか、チャート入りは逃してしまった。

30年間の道のりをふり返った書物『The Rough Guide To World Music』は、ペンタングルを結成したバート・ヤンシュ、そしてジェスロ・タルのイアン・アンダーソンをも含めたジャンルの越境者たちによるスコティッシュ・フォークロックの波に影響を与えたとして、ISBに賛辞を送っている。「彼らは一方では自分たちの過去に目を向けた時代遅れな手法をとりながら、もう一方でサイケデリアと未踏の地へと足を踏み入れていた」―そして「彼らの成功は、ジャンルの大きな境界線を打破した」と結論づけていた。

1970年作の度が過ぎたダブルLP『U』で、まれにみる酷評を受けたのち、インクレディブルズはアイランド・レコードと契約し、フェアポート・コンヴェンションとレーベル仲間となったが、1971年暮れのアルバム『Liquid Acrobat As Regards The Air』がトップ50をうろうろしたにとどまった。過酷な新しい10年間(70年代)においては、ISBにかかわった多くのラヴ&ピース仲間の誰もが、難しいと感じることになった。シタール、ジンブリ(アラブのフィドル)、ジューズ・ハープ(ビヤボン、口琴)、そして笛といったエキゾチックな楽器編成はライヴ向きではなく、バンドがアンプにプラグを差し込み、folkyというよりrockyになっていった時に、それが不可能であることが証明されていた。しかしそれでもそこには多くのハイライトがあった。1973年の『No Ruinous Feud』は、ロビンの“Old Buccaneer”を生み出したし、ここで最後に聞けるマイクの“Ithkos”は、翌年の最終作『Hard Rope And Silken Twine』からだ。

解散したあとも2人はレコーディングを続け、マイクは元ISBのメンバーたちを“マイク・ヘロンズ・レピュテイションズ”で使い続け、それから単に“ヘロン”と改名した。カリフォルニアに移住したロビンは、ソロ及び彼のバンド、“メリー・メン”とともに活動した。2人とも創造的あるいは商業的頂点には達しなかったものの、たしかに向こう見ずに思われた2000年代が近づくにつれ、再び手を組み自分たちを信じた時に、彼らはまた楽しむことになった。

ロンドンのブルームズベリー・シアターでのヘロンとウィリアムソンの思いがけないリユニオンがほとんど知れわたらなかったのは、彼ら自身がインクレディブルズとして宣伝しなかったからかもしれない。元フラワー・チャイルド(ヒッピー)のローズ・シンプソン―今や信じられないことに、ツイードで身を固めたアベリストウィス(ウェールズ西部)の市長だ―は、ロバート・プラントとともにオーディエンスの中にいたし、ロイ・ハーパーもそこにいた。それは大事件にほかならないものを目撃することだった。“Everything's Fine Right Now”が公に放送されたが、多くの歴史が手つかずのまま残された・・・少なくともTVドキュメンタリーが計画されるまでは。このレコーディングはそのドキュメンタリーに入っている。

カナダでのこのライヴ・パフォーマンスは、2人の男の全キャリアのステージ、プラス『Earthspan』期のマルコム・ルメーストル作品をフィーチャーしている。デジタルの分野(CD)ではまだ申し分のない“ベスト・オブ”のリリースはない。そこでこれがロバート・プラントを見習う用意のある全ての人たちにとって、歓迎すべきサンプルとなることだろう。それではインクレディブル(信じられない)なパフォーマンスに備えて席についてくれたまえ・・・


マイケル・ヒートリー



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