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The Incredible String Band/Be Glad For The Song Has No Ending
/1998 Edsel Records EDCD 564



このアルバム『Be Glad』が1971年3月にリリースされた時、ISBの意図が何であったのかを理解するのは困難な作業であった。派手なスリーヴ・デザインは、これがよりポップな新しい方向性であることをほのめかしていた。マルコム・ル・メーストルはローズ・シンプソンの代わりにバンドに加入したばかりだったし、新しいラインナップは多くの新曲をフィーチャーした大々的な春のツアーを行なっていた。しかしその時の新曲(アルバム『Liquid Acrobat』)は、その年の10月までリリースされなかった。

その代わりファンたちは、ジョー・ボイドのことばを借りれば、“戸棚にしまってあるものを取り出したようなもの”を手に入れた。彼らのマネージャーでプロデューサーだったジョーは、自社のウィッチシーズン・プロダクションをアイランド・レコードに売却したばかりで、アメリカでの新しい仕事に向けて荷造りを進めていた時に、事実上『Be Glad』の曲順をまとめ上げていた。収録曲は1968年と1969年からの抜粋であり、大部分がこのサウンドトラック・アルバムのきっかけとなった前年1970年7月封切の同タイトル映画と結びついていた。その映画のプレミアは遅れに遅れていた。

さらに混乱に拍車をかけたのが、『Be Glad』がエレクトラ時代のコンピレーション・アルバム『Relics』と同じ週にリリースされたことだ。この2枚はよく同時に取り上げられてレヴューされた。評論家たちはアルバムの評価に戸惑っていた。「バンドの注目すべき作品のうちには入らない」―メロディ・メーカーはこう不満を述べた。サウンズ紙は指摘した―「あたたかく、心地よい気持ちになる」 そして読者に向けていった―「その点だけを望んで接すれば、失望することはないだろう」 それに応じてセールスは微々たるものであった―ヴァージン・レコード・チャートではほんの少しの間、11位に達したが(妙なことに、公式チャートはその時ストライキ中だった)。

音楽的には『Wee Tam』と『I Looked Up』の間の過渡期であり、ローズとリコリスがバンドのレコーディングとギグで徐々に大きな役割を担いつつあった。それと同時に、ソングライティングは折衷的で時折難解な夢か呪文のような傾向から、より意識的で直接的なアプローチへと変化していた―効果的なコミュニケーションに主眼を置いたサイエントロジー(新興宗教)へのバンドのかかわりによる副産物だ。

映画『Be Glad For The Song Has No Ending』(タイトルはロビンの詩、“The Head”からつけられた。“The Head”は彼のある連作の中のひとつ)は、ピーター・ニール監督によるヘンドリクスのドキュメンタリー、『Experience』に続く、音楽界への次なる挑戦だった。プロジェクトは資金が少しずつ上昇するにつれ、1年を超えて進展していった。映画は1968年3月30日のフェスティヴァル・ホールのギグで始まり、そのためにBBCの総集番組が資金を提供した。“Cellular Song”も最後まで撮影されたが、See All The Peopleだけが、最終編集版で唯一フル・ヴァージョンでフィーチャーされた。禅の歌詞は別として、むしろマイクとロビンにとっては、対位法的なジャムのようなものを目指すための口実の側面が大きかった。マイクは、メロディ・ラインのひとつは当時彼が聴いていたクラシック音楽から引用したと考えている。

マイクとロビンのインタビュー・クリップと、ロビンとリコリスによるギター・メーカーのジョン・ベイリー訪問に加え、彼らがいつも使っていたチェルシーのサウンド・テクニクス・スタジオで“The Iron Stone”と新曲のヘロン・ソング、All Writ Downをリハーサルする1969年初頭のバンドの姿も撮影された。マイクはこれを、おそらくアルバム『Changing Horses』のセッションの一部だと考えている。たしかに“All Writ Down”のもっと長いオルタナット・テイクは、このアルバムからのシングル、“Big Ted”のB面として1969年10月にリリースされた。清新な愛の試練について歌ったその歌もまた、サイエントロジーが背景に隠されているのかもしれない。ジョー・ボイドによればこうだ―「“記憶痕跡”についての歌だ。つまり細胞に残っている記憶のことだ」 マイクは否定する―「いや、僕はサイエントロジーの歌を試みようとはしなかった。たしかに僕のキャリアのあの時点のことじゃない。サイエントロジーに関するかぎり、まだ早い時期だった」 短いヴァースととても長いコーラスを伴う珍しい構造をもち、印象的で曲がりくねったワウワウ・ギター(ロビンのプレイだ!)をフィーチャーしている。ちなみに、シングル・ヴァージョンには追加の歌詞があった―

僕はこの女たちがとても残酷で
とても下等だと考えた
しかし彼女たちは自然の法則に従って行動していた
ここにいるのはふさわしくないと感じた
彼女たちは行ってしまうだろうと考えた

9つのインストゥルメンタル・パートからなるThe Song Has No Endingは、映画の後半を構成する“The Pirate and the Crystal Ball”という神話のサウンドトラック・ヴァージョンだった。特にロビンはマルチ・メディア・パフォーマンスにずっと関心をもっていた―彼らの初期のギグは2人の女性ダンサーをフィーチャーし、映画のコンサートの場面では“ノア”の彼と“聖霊”(!)のマイクをフィーチャーした寸劇のひとコマがある。1968年5月にニューヨークのチェルシー・ホテルで、元エクスプローディング・ギャラクシーのメンバーだったマルコム・ル・メーストルとラキスに出会ったことは、その夏、ペンブルックシアのペンワーン(Penwern)の農場家屋でのアーチストたちの一時的なコミューンの設立を導いていた。その流動的な居住者たちは、マルコム、ラキス、彼らのダンス/劇団グループ、“ストーン・モンキー”のメンバーたち、ドクター・ストレンジリィ・ストレンジのアイヴァン(イワン)・ポウル、ロビン、そしてリコリスを含んでいた。(マイクとローズは絶え間ない玄米、徘徊する豚、そして湿気に全く取り組もうとはせず、ほとんどをスコットランドで過ごしていた) 

計画はストーン・モンキーをフィーチャーした“神話”のために準備され、マイクとロビンは音楽を提供し、神々の役割で(他に何がある!)端役として出演した。ローズとリコリス(及びストーン・モンキーのIshy)は三女神だった(ローズ:「私はひどいつけまつ毛をして結膜炎になったわ。完全に悪夢だった!」)。撮影のために、ローズ、マイクその他に合流したピーター・ニールとジョー・ボイドは、あの夏、手作りの小道具、ぐらぐらの背景幕、そして信じられないほどたくさんのアルミホイルの中でてんてこ舞いの週末を過ごした・・・。実際、映画は魅力的な出来ばえだ。これまでデジタル・フォームで再発されてきたし、ヴィデオは“Unique Gravity”から入手可能だ。

手短にあらすじをいえば、1人のならず者(ラキス)が三女神(大きな環状列石の前でえんえんと体をくねらせて踊っている)から水晶球を奪い、自分の運命を思いどおりにしようとたくらむ。三女神は事態を収拾しようと、“狩人ハーン”(Herne the Hunter:真夜中に悪霊となる森の番人:イングランド伝説)に助けを求め、ならず者は捕らえられる。そして派手な化粧にアイシャドウを塗りたくったマイクとロビンに裁かれ、彼は輪廻転生を宣告される(訳注:つまり死刑だと思います)。彼は粉屋のせがれとして生まれ変わることになる。

映画の中で使用されたインストゥルメンタルは、おそらく『Wee Tam』セッションの最後のある時期にレコーディングされたのだろう(“Beyond The See”は『Wee Tam』と『Big Huge』両方のレコードにまたがって録音されたが)。レイモンド・グリーノーケン(訳注:おそらく評論家)は経験と知識に基づき、どの曲で誰がプレイしたかを推測した。“Theta”(これはまさにサイエントロジー用語だ)を除いて、タイトルは知られていないが。“Theta”は1969年3月にジョン・ピールの番組“ナイトライド”でセッション・トラックとして紹介された。

1章:Pirate's Theme(Russian Song)
マイク‐ギター、ヴォーカル;ロビン‐マンドリン、ヴォーカル;ローズ‐ベース、ヴォーカル;リコリス‐シェイカー、ヴォーカル

2章:In The Woods
マイク‐グロッケンシュピール(鉄琴)、チャイム;ロビン‐ホイッスル;リコリス‐カズー;ジョー・ボイド‐ハーモニウム

3章:Summoning of Harne
マイク‐シタール;ロビン‐サーランギ(sarangi:ヴァイオリンに近いインドの弦楽器);ローズ‐タブラ;ジョー・ボイド‐ハーモニウム

4章:Theft of the Crystal Ball
マイク‐ギター;ロビン‐ピアノ、フィドル、ホイッスル、マンドリン、シェイカー

5章:Tent of the Gods
ロビン‐チャイニーズ・ショーン(shawn:オーボエ);その他‐どら、ドラムス、うなりとブーブー音

6章:Fiddler's Waltz
マイク‐オルガン、ベース;ロビン‐フィドル、マンドリン

7章:Beyond the See
マイク‐オルガン、ハープシコード;ロビン‐ギンブリ(アフリカ弦楽器)ベース、ホイッスル

8章:The Reincarnation Cycle
ロビン‐ギンブリ、ヴォーカル;その他‐ヴォーカル、ドラム

9章:Theta
ロビン‐フィンガー・シンバル、ガチャガチャ音、クラベス、ブズーキ、トーキング・ドラム;マイク‐シタール;ローズ&リコリス‐ヴォーカル

映画は1969年に完成したが、BBCの“オムニバス”は手を引いてしまい(視聴者にとっては“進みすぎていた”)、最終的に『Be Glad』は70年代初頭に跡形もなく消えるまでに、ICA(近代芸術協会本部)と大学サーキットで短期間上映されただけだった。レビューも同様にほんのわずかだったが、アレクサンダー・ウォーカーはこういった―「真にオリジナルである―映画製作会社は彼らのテーマにまず賛同しないが」

映画上映後、LPを完成させるためにさらなる楽曲が必要となった。そして3つのウイリアムソン・ソングがウィッチシーズンの貯蔵庫から加えられた。傑出したソングライティングが光るVeshengroは、最後の『Wee Tam』セッションである1968年7月にまでさかのぼり、ペンワーンで書かれた。インタビューの中でロビンがたびたび口にしていた歌だ―「Veshengro―タイトルも内容も―は僕が見た夢だった。それを書いてから数日たって、僕は図書館でロマニー語の隠語辞書を偶然発見した!“Vesh”は森という意味で、“engro”は人間という意味だ。つまり“Veshengro”はwoodsmanなんだ」 この歌に出てくるキャラクターとして、アイルランドの伝説的な族長、Finn McCoolと、トルコのコニヤで、踊る托鉢僧団を創設したスーフィ教の詩人で神秘主義者のジャラル・アディン・ルーミーが登場する。この歌は『Wee Tam』収録曲とよく似た雰囲気をもつ―あるいはそのアルバムに含めるにはあまりに似すぎていたのかもしれない。

とても調和のとれた他の2曲は、ロビンによればペンワーンの日々に書かれたらしい。「僕たちはあの夏をあそこでものすごく楽しんだね。そのあとにやってきた冬は最悪だったけれど」 Come With Meは『Wee Tam』収録の“Job's Tears”同様、いくらかコール&レスポンスの形になっていて、ヴォーカルとリコーダーでローズとリコリスが前面にフィーチャーされている。私はロビンに歌の主人公は神話上の人物に基づいているのかと尋ねたことがある。ロビンはこういった―「うん、僕は普通可能ならいつでもそうしてたけど、この場合はノー!僕はフォークのいろんなモチーフ(主題)に基づいた歌を書こうとしていたんだ」

Waiting For Youは“Evolution Rag”同様、一連のほとんど端役を含まない彼独特の“音楽的演劇”に基づいたヴォードヴィル・ナンバーだ。これは4人のISBにとって、絶好のライヴ向きナンバーとなり、たとえば69年秋のツアーでは“Pictures in a Mirror”のあとの軽い息抜きを提供した。私の推測では、実際のレコーディングはその年だ。ロビンが指摘するように、いく人かのキャラクターは、ISBファンジンの中でよみがえることになった。70年代初頭ののレディング(ロンドンの西)で過ごしていたものなら誰もが、“彼らがShineと呼ぶ男”を知っているだろう。彼はレディング市場の売店で、ルーン・パンツ(パンタロン)、Tシャツ、その他極悪な商品を売っていた男だ!


エイドリアン・ウイッタカー 1998年3月
(マイク・ヘロン、ロビン・ウィリアムソン、ピーター・ニール、レイモンド・グリーノーケン、そしてマイク・スワンに感謝する)


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