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The Incredible String Band/The 5000 Spirits or The Layers of The Onion
/2010 A Wing & A Prayer Ltd. Fledg'ling FLED 3077



のアルバムは1967年、もしくは“サマー・オブ・ラヴ”(そう呼んでかまわないなら!)のまさにど真ん中の7月にリリースされた。これはサイケデリック森林地帯へ引きこもったバンドの最初の声明だ―そういう傾向をもった若者は以前からたくさん点在していたんだけど。そのルーツはフォーク、ブルース、“ワールド・ミュージック”その他何でもありだった。

ロビンは春にモロッコから戻ってきて、僕たちはグラスゴーから数マイルのところにあるコテッジで曲を書き始めた。僕たちは自分たちの気に入るものが出てくるまで、いっしょに歌い演奏した。そのプロセスはロビンがもち帰ってきたアイデアといろんな楽器によって、いっそう価値あるものになっていた。楽器は縦笛、ウード(oud:マンドリン系)とギンブリ(gimbri:4弦の低音弦楽器)、ラトル(ガラガラ)、ベル、そして太鼓なんかだった。でもほとんど、心地よい香りのする空気が彼の望んでいた歌とプレイを変えてしまっていた。頑固なスコットランドの石垣のひとつは、北アフリカのあたたかい風に触れていた。

ジョー・ボイドはアメリカ人だったが、エレクトラ・レコードを代表してロンドンにやって来て、そこにオフィスを構えた。そのニューヨーク拠点のレーベルにいた彼は僕たちと契約を交わして、僕たちのマネージャー兼レコード・プロデューサーになった。1967年までに、彼は急速に拡大していた音楽シーンにどっぷりはまっていた。彼は僕たちを出演させるためにUFOクラブへ連れて行った。2枚目のレコードを作る考えがあったのかもしれない。ロビンは完全に時代に乗っているようだった―カラフルな服とビーズを身につけていた。僕もベストを尽くしたけど、僕たちはそのたった1年の変化に驚いてしまった。とりわけキングス・ロードは全く違う国になっていた―つまりエキゾチックと“みずがめ座”(Age of Aquarius:占星術での自由と兄弟愛の時代)だ。

僕たちはパチョリ(インド・ビルマ原産の亜低木)とビャクダンの香りのする森林をかき分けて、ジョン・ウッド(エンジニア)のチェルシー・スタジオへとのろのろ進んでいった。僕たちの両腕はエキゾチックな楽器で一杯になっていた。僕たちはジョーのプロデュースとジョンのエンジニアリングによって、そこでファースト・アルバムを作っていた。ジョンは特にアコースティック楽器から最良のサウンドを引き出す才能と関心をもっていたし、ジョーはとてつもなくすぐれた耳をもっていた。また彼の耳は他の人たちができないような展開を見抜く“スーパーパワー”(異常な力)を備えていた。

僕たちがテンプル・コテッジ(コーンウォールの歴史あるカフェ)での成果を披露していたとき、彼は歌にダメージを与えずに、どうやってさらに良くしようかと考えていた。ジョーは何曲かでダブル・ベース(コントラバス)のダニー・トンプソンに参加してもらったらどうかと提案した。当時、シタールをとりとめもなくもてあそぶトレンドがあったから、彼は本当のシタール・プレーヤーの巨匠を呼ぶのがいいかもしれないと考えた。彼のスーパーパワーの耳は、うしろに並ぶドラムスとベースのリズム・セクションについては気にも留めていなかった―そう、僕たちはそれからもリズム・セクションなしだった!全てはうまくいった―ダニーは7曲で繊細さとオリジナリティを発揮し、ナージル・Jarazbhoy(“Soma”として参加)は“The Mad Hatter's Song”の中で舞い上がっている。

このアルバムが4トラック・マシン(当時の水準だ)で録音され、そのサウンド・クオリティが全てはジョンとジョーの腕と忍耐にかかっていることは、述べておく価値があるだろう。当時は特別な日々だったが、楽観的な20代半ばに、全てが自然で全てが進行中のようだった。あの一瞬の間をマジカルにしてくれたみんなのおかげだ。

マイク・ヘロン、2009年11月、インナーリーセンにて


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