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The Incredible String Band/Their First Album/2010 A Wing & A Prayer Ltd. Fledg'ling FLED 3076



時代のレンズを通したインクレディブル・ストリング・バンド

1960年代中期のベストのひとつが、可能性を感じられた“空気”だったことだ。それは“水”においても同様だった―あの時代、人々はがつがつと飲み食いし、観察し、描き、想像し、そして必然的に期待に添えず失敗した。しかしほとんどはあの時代の音楽の中での話だ。多くの川はボブ・ディランにぶつかり、彼は次に多彩な流れを供給した。

そういった流れの1つがインクレディブル・ストリング・バンドだった。他の仲間たちの中で、ストリング・バンドは生きることの驚きと喜びを最高の形で提示することに成功した。彼らの初期のレコードは、神聖なミステリーをとらえていた(「全ての命は慢性的パターンの内にある」とロビン・ウィリアムソンはいった)。そしてそれはアルバム「Wee Tam & The Big Huge」で、より祝いの色彩を濃くしていった。同時代の多くのアーチスト同様―ビートルズ、ドノヴァンからシド・バレット、ブライアン・ウィルソンまで―、彼らは1966年から68年の間に創造的ピークに達した。その後、彼らのインスピレーションは二日酔の1970年代(と80年代)の中へと、ゆっくりと消耗していった。サイケデリアを捨て去り、サイエントロジー(訳注:かなり怪しげな新興宗教)の助けを借りて地味に漂流したあとでも、彼らのショーは存在の喜びに基づいた友好が中心となっていた。彼らの友人だったローズとリコリスが参加し、謎めいたスコティッシュ・ソングで輝きを放つ哲学的ショーマンのロビンと笑顔のマイクは、正しい時と場所にこの地球にいる喜びを私たちにもたらしてくれた。

レノン/マッカートニー同様、マイク・ヘロンとロビン・ウィリアムソンは互いに補い合うシンガーであり、ソングライターだ。どちらかが書いた歌を聞いても常にもう片方の存在を感じることができる。それはひょっとすると、彼らの声が全く違うからかもしれないし、彼らが協力して共通の見解―暗い奇跡のマントをまとった―をつづり合わせていったからかもしれない。そしてリスナーはその中で彼ら自身を抱くことができたのかもしれない―人生から逃れるのではなく、人生全てを豊かにすることだ。「君は自分が何になるか分かっているんだ」 マイクはそういった。「友よ、僕に教えておくれ。君がいつも心配している理由と、自分がなりたいものを」 僕は彼らを4度見たことがある。グラム・ロック時代においても、彼らのショーは彼ら自身の命が吹き込まれていた。定義づけすれば、彼らはフォーク・ミュージックでスタートし、現在呼ばれるところのアート・ロックで幕を閉じた。ディランとともに、彼らは僕にとってミュージシャンへの道を示した最初のインスピレーションだった。彼らのオーディエンスとの親しげな関係と、歌の中に込める嗜好は、僕が自身のステージに取り入れて磨きをかけたいと思っている要素だ。

アティチュードはロック・ミュージックの契約の中で9番目か10番目の項目であるが、くだらないことの下には、何10年もこの仕事を続けるための本物の歌がなくてはならない。生涯が終わりに近づき、本物の歌のうち、インクレディブル・ストリング・バンドの書いた歌がどれほど多いかを知るのは、元気づけられるものだ。では聴いてみてくれ。彼らがやって来たから・・・

ロビン・ヒッチコック 2009年11月ロンドンにて


60年代初頭、僕はサムエル・パーマーの田舎、ショーハムにいた。僕はロンドン出身の旧友といっしょにハウスボートに寝泊りしていた。当時のショーハムは、もはや存在しないオールド・イングランドの一部で、もやのかかったのんびりしたところだった。僕の友人は1人の学校の友人に、エジンバラにある彼の家へ招かれていた。彼は僕にも来る気はないかと聞いた。というわけで、翌朝、僕は小さなバッグとバンジョーとテントで身支度をした。僕は旅に出た。それはいつもゾクゾクするような時間だった。最初の晩、僕は道の端っこにテントを張った。僕が目を覚ましたのは、何頭かの牛がテントの中に頭を突っ込んできた時だ。エジンバラに着いてから、しばらくは社会施設を見つけるのに時間を費やした―グレイフライアーズ教会の向かいにあった古いクエーカー教徒の礼拝堂だ。そこはアーチ道を抜けたところにある長く高い天井のある部屋でできていた。そしてとても寒かった。何とかしようと、僕は部屋の隅っこに自分のテントを張って、安っぽい灯油ストーブを置いた。その結果、とても居心地のいいスペースができた。

数日後、僕はとなりの通りにフォーク・クラブを発見した。僕のミュージシャンとしてのキャリアは9歳の時に始まっていた―タップ・ダンス一座のヴォーカリストだった。そして10歳の時に、主に18世紀の音楽をやるためにバンジョーを始めた。僕は2年間、パリの並木道でバスキング(ストリート・ミュージシャン)をして過ごしていた。そのフォーク・クラブはクラウン・バーと呼ばれていて、すばらしいミュージシャンだったアーチー・フィッシャーが運営していた。僕は自己紹介をして、その晩遅くのゲスト・スポットを手に入れ、ショーを見るためにうしろの方の椅子に座った。

アラン・セーターを着た赤ら顔の男が現われて、古いイングリッシュ・バラッドの“The Cuckoo”を歌った。彼は例の雰囲気で歌い、僕は夜がふける前に彼と話をしなきゃいけないと思った。それから僕は全く問題なく自分のステージを務めた。その赤ら顔の男の名はロビン・ウィリアムソンであることが判明して、彼は僕のプレイをとても楽しんだといって、いっしょにいくつかギグをやるのはどうかと提案した。

少数のギグは多数のギグとなり、ロビンとクライヴのフォーク・デュオが誕生した。僕たちは2年間、スコットランドとイングランドのいたるところでプレイし、3人目のメンバーを加えることを考えた。僕たちが人材を探しているといううわさが広まり、マイク・ヘロンという名の1人の男が現われた。僕たちは何度かのギグをやり、ついにインクレディブル・ストリング・バンドが生まれた。ある朝、僕たちのプレイを聞いた1人の若い金髪の男がやって来て、バンドのレコードを作りたいと申し出た。彼の名がジョー・ボイドだった。僕たちはロンドンに飛んで、このアルバムのレコーディングを開始した。それは2つのレコーディング・セッションで素早く片付けられた―主な理由は、ジョーが簡単なやり方でベストを引き出す達人だったからだ。

時がたつにつれ、僕たちの音楽は新しい影響を受け、変化し始めた―禅からLSDと瞑想に基づいたチャイニーズ・ポエトリーまで。光は自らをヴェールで覆うことによって具現化する。人は物事のヴェールを引きはがし、あなたの人生はスピリチュアルな旅の行程となる。インクレディブル・ストリング・バンドの音楽が僕の人生にもたらしたものと同じことが、あなたの人生の助けになることを願う。旧友のマイク・ヘロンが書いた僕のお気に入りのISBソングから、何行か引用して終えたいと思います。

長い間 君に日の光が当たりますように
君を囲む全ての愛と
君の中にある純粋な光は
ずっと君を導いてくれるだろう

クライヴ・パーマー 2009年11月ペンザンスにて


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