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Andy Irvine & Paul Brady/Andy Irvine Paul Brady/2008 Compass Records Group. LUN CD 3008



1. Plains of Kildare

私はアメリカで初めてこの歌を聞いたが、フォーク歌手のシスコ・ヒューストンは“Stewball”(白と茶のぶちの馬)について歌っていた。

“私はイングランドで彼の上に乗り スペインで彼の上に乗ったわ
私は男の子に事欠かなかった 私はいつでも手に入れていた”

もうひとつのヴァージョンがアメリカの黒人伝承の中にある。それは南部の労働者収容所で広く歌われていた。

次に私が聞いたのは、バート・ロイド(A. L. ロイド)が歌ってくれたヴァージョンで、彼はその馬を“Skewbald”と呼んでいた。彼のヴァージョンでは、アーサー・マーヴェルが所有していた馬は、“キルデア(アイルランド東部の県)の広々とした平原で”、ミス・グリーセルダというグレイの雌馬と出くわす。1964年、デリー、Magilligan州のエディ・ブッチャーは、私にもうひとつのStewballのヴァージョンを歌ってくれた。そのヴァージョンでは、“若いゴア夫人”がミス・グリーセルと出くわす。次に私はアンディの歌に出会い、それがここに聞けるヴァージョンだ。

これらの歌の起源は、1790年頃のキルデア、カラッハ(アイルランド東部キルデア州にある平野:有名な競馬場がある)でのサー・アーサー・マーヴェル所有の馬と、サー・ラルフ・ゴア所有のグレイの雌馬の間に端を発した。その馬の子孫がバラッドメーカーたちの空想をかき立て、結果、広く歌われてきたに違いない―初期の印刷物としてのヴァージョンは、1829年のアメリカのソングブックの中に登場した。

ここで歌われているのは、バート・ロイドのヴァージョンとエディ・ブッチャーのヴァージョンをくっつけたものだが、私は将来、これはきちんとアンディ・アーヴァインのヴァージョンと呼ばれるようになると思う。

2. Lough Erne Shore

アルスター(北アイルランドの口語別称)のラヴ・ソングだが、これはシンガーたちにとってどんどんと重要なレパートリーになってきているように思う。ひょっとすると、それは北方の優れたシンガーたち(ジョーディー・ハンナ、ジョー・ホームズ、レン・グレアム、パディ・タニー、サラ・マッケムなど)による歌唱、あるいはその詩的なクォリティと、こういった歌の美しい響きによるものなのかもしれない。ポールがここで歌っているヴァージョンは、彼がパディ・タニーから教わったものだ。つい去年亡くなったパディの母親、ブリジット・タニーは最高のシンガーの1人だった(訳注:おそらくこのライナーノーツが書かれたのはレコードがリリースされた1976年かその前年)。彼女はこのタイプのラヴ・ソングを数多く知っていた。

3. Fred Finn’s Reel/Sailing Into Walpole’s Marsh

これら2つのリールは、デルドレー・シャノン(フィドル)、ブライアン・ベイリー(フルート)、そしてトレヴァー・スチュワート(イーリアン・パイプ)から教わったもの。彼らは北アイルランド出身のすばらしいトリオだ。フレッド・フィンは多くの注目すべきミュージシャンを輩出したスライゴーのKillavil出身の名高いフィドラーだ。Sailing Into Walpole’s Marshは、Aマイナーでプレイしようと決めたピアノ伴奏者たちに多くの頭痛をもたらしたに違いないグレイトなモード調チューンのひとつだ!

4.Bonny Woodhall

この歌の起源は明らかにスコットランドだ。アルスターで何年も前にサム・ヘンリーによって収集されたが、私はここで歌われるヴァージョンは聞いたことがない。最初、アンディはディック・ゴーハンによる異なった雰囲気のヴァージョンを聞いた。またErin Go Braghに似た雰囲気のもう1つのヴァージョンでも歌われている。

5.Arthur McBride and the Sergeant

おそらく大家の代理人の次にアイルランドで嫌われている人間の1人が、徴兵執行人だった。貧乏な土地所有者と徹底的に困窮したアイルランドの農民は、嫌悪すべき権力と戦わざるを得なかった。こういった事情を知るバラッドメーカーは、その悪意あるバラッドの中で、自分の感情をさらけ出すことにやぶさかでなかった。それは常に辛辣なとげを持っていた。この歌やMrs. McGrath、The Kerry RecruitそしてJohnny I Hardly Knew Yeのような初期のバラッドは、1914〜18年に書かれたSergeant William BaileyやThe Tipperary Recruiting Sergeantのような、のちの反徴兵ソングのトーンに影響を及ぼした。それはイングランドがアイルランドに対して徴兵制度を強制した時代だ。

その歌の辛辣さは、兵士たちが英通貨シリングを受け入れた後に強制的に従事させられたひどい状況をはっきりと示している。アーサーの言葉はこうだ。

“私はお前の着ている衣服に不満がある
私のいうとおりにお前が服を借りさえすればいいのに
お前はあえて私に逆らった
態度を変えないのならお前はムチ打ちになるだろう”

これは全くそのとおりだ。9本のひもを付けたムチで最低25回、法では最大1500回ものムチ打ちが定められていたとする説がある。1日8ペンスでこれをやるのだ。

この歌は1840年頃にリメリック(アイルランド南西部)でP.W.ジョイスが採取した。そのことばづかいから、彼はこれをドニゴール(アイルランド北西部の県)発祥と定めた。ここでポールが歌うヴァージョンは、彼がアメリカで聞いたものだ。

6.The Jolly Sailor

これは父親と7人の兄弟が性的関係を迫った愛人によって殺されるという、アール・ブランドのオールド・バラッドの近代の変形ヴァージョンだ。より古いヴァージョンでは、女が彼女の父親のところへ情けを乞いにやって来たスウィート・ウィリアムに嘆願する。

“彼女はいった ああ お願い いとしのウィリアム
あなたの強引な誘惑には耐えられない
私にはたくさんの恋人がいるかもしれない
でも父親はたったの1人”

しかしこのバラッドの女はもっと計算高い。

“戦いなさい” 女は叫んだ “彼の申し出は平凡すぎる”
“もうちょっとまて” 父はいった “そうすれば全てが手に入る”

/The Blarney Pilgrim

コーク/ケリー(アイルランド南西部)発祥のすばらしい3パート・ジグ。ポール・デイヴィスから教わったもの。

7.Autumn Gold

これは1968-69年にかけて、アンディが一時滞在していた東ヨーロッパで書かれた4部作の最後の歌だ。ユーゴスラビアのリュブリャナの町で数ヶ月過ごした後に書いた歌だと彼は話してくれた。他の3曲はアンディがプランクシティのメンバーだった時にすでに録音されている。

8.Mary and the Soldier

恋人を残して戦場に向かう兵士を描いた古い物語。あるバラッドでは、恋人が男装して男についていくというものがある。女性水夫、女性兵士に関する歌は数限りなく存在する。しばしば彼女はかわいらしい鼓笛隊の少年や船の給仕になったりする。この歌での男は、彼が戦場へ行く前に彼と結婚した恋人の思いにひどく感銘を受けている。

デリーのMagilligan州でサム・ヘンリーがこの歌を採取し、The Gallant Soldierというタイトルのもとで彼のコレクションの中に登場している。

9.The Streets of Derry

この歌の、より完全なヴァージョンは1952年にピーター・ケネディとショーン・オーボイルによってレコーディングされた。それはアーマー(北アイルランド南部)、Keady州のサラ・マッケムのヴァージョンだった。サラのヴァージョンのストーリーはこうだ:

“若くりっぱな男が裕福な女性と恋に落ちたが、彼女の両親は結婚に反対した。彼女は彼といっしょになろうと必死で戦い、女王のところへ出かけていき、許可をもらった。彼女はいとしいウィリーを連れ出し、彼と結婚し、両親の思いを突っぱねた―彼女は正しかった。私は彼女のことを一切非難しなかった。彼は彼女にふさわしい男であり、彼を連れ出した彼女は正しいことをしたのだ。”

この歌はThe Maid Freed from the Gallows(チャイルド95番)と似ている。それもまたサム・ヘンリーによって採取され、The Dreary Gallows(No.705)のタイトルのもと、彼のコレクションである“Songs of the People”の中に登場している。

10.Martinmas Time

このタイプの歌は多く存在する。その兵士が彼女の両親の承諾なしには彼女のベッドルームに入ろうとしないのなら、彼女は男装して戦争へ行く彼について行こうとする。あるいは彼女はパレードで彼を見つけ出し、両親に彼以外とは誰とも結婚しないと告げる。この歌の中では、兵士たちがメイドに自分たちの宿舎に来るよう約束を引き出し、彼女が約束を守るというものだ。彼女は巧妙に変装し(髪を切りズボンをはいて)、欲情した男たちをごまかすことに成功する一方で、見事に約束を果たす。彼女はそこに行ったことを示す証拠を残し、処女のままうちへ飛んで帰る。

/The Little Sack of Wheat

ホーンパイプ(角笛/舞曲)は30年以上前に、マイケル・コールマンが78回転レコードでThe Stack of Barleyを録音して以来、フィドラーたちの大のお気に入りとなっている。最近では時代の流れの中で突飛なものとして考えられてしまい、あまりプレイされなくなってきた。しかしながら、良い曲というのは究極的には、時代の変化に影響を受けずに生き残るものだ。

―Frank Harte


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