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Frankie Armstrong/Lovely On The Water/1972 Topic 12TS216



いく分たまたまではあるが、このレコードはほぼ全体的に愛の様々な側面を浮かび上がらせる内容となっている。人生の場合と同じくフォーク・ソングの中で、愛は100の顔を見せる。微笑んだりすねたり、失望したり大喜びしたり、愛の成就を歓迎し、愛に敗れ復讐したり。愛は栄光であり、喜劇であり、悲劇である。しかし馬鹿げた愛などめったに存在しない。フランキー・アームストロングはここで様々な顔を呈示する。甘く、苦く、優しく、そして時には残忍だったりするが、それらは常に説得力を保持している。

フランキー・アームストロングはカンバーランド(イングランド北西)に生まれたが南部で育った。彼女はフォーク・ソング・リヴァイヴァルの中で最も称賛される女性シンガーの一人だ。愛らしい容姿と優しい人柄―しかしここで焦点となるのは―彼女は星をも落とす歌が歌えることだ。彼女はたやすく、説得力をもって喜びから悲劇へと変化してみせる才能をもつ―ほとんどが綿菓子のような(見掛け倒しで)、時につまらなそうな表情を見せる取るに足らない女性シンガーの世界で、確かに彼女は稀有な存在だ。例にもれず、彼女は学生時代にフォーク・ソングに興味を持ち、スキッフル・グループでアメリカ産のレパートリーを歌うようになった。その後すぐにグループはThe Ceilidh Singersとして再編され、主に英国の素材を歌うようになった。1964年にグループが解散すると、フランキーはソロになる前に1〜2年の間、ルイス・キレンとともにフォーク・ソング・クラブで歌った。今では彼女はスコットランド含む英国内のフォーク・ソング・クラブやフェスティヴァルで歓迎され、よく知られた存在となった。なお彼女の本業はソーシャル・ワーカーだ(最初は盲目の人たち、現在は薬物中毒者が対象だ)。彼女はたびたびラジオ番組で歌い、テレビでもおなじみとなっている。

他に彼女の歌が聞けるTopicのレコードは、アン・ブリッグス、A. L. ロイドとともに参加したThe Bird in the Bush(12T135)がある。


SIDE ONE

1 Tarry Trousers
中国からペルーに至るフォーク・ソングの中で共通する、母と娘の恋に関する対話で、それらは中世以前の尼たちが寺院の若い売春婦たちに歌い継いできた教訓的な歌に基づいている。しかし現在のヴァージョンはおそらく200年以内のものだ。これはヨークシアからサマセットに至るまでよく知られており、その流布はある部分Catnach他のブロードサイド出版業者らによるものだが、一方で、少女たちの目に映るダイアモンドのように輝く船乗りのズボンに対する憧れとイメージによるものであることは、疑いのないところだ。ディケンズはこの歌を知っていた。彼は小説「ドンビーと息子」の中で、この歌の一片をカトル船長に歌わせている。フランキーの優雅な曲調は、エセックス、ブレントウッド近くのイングレイヴに住んでいたハンフリー婦人が、ヴォーン・ウィリアムズに歌ったヴァージョンに大体は基づいている。

2 The Green Valley
我々の失恋ソングのほとんどは少女の観点から書かれたものだ。このテーマでの少女の歌はおそらく少年のそれと5対1ほどの数でまさり、それはバルトークが膨大な東欧のコレクションで示した統計的測定値に比例する。彼はその中でいっている。“その数値が示すとおり、愛とは少女にとってきわめて重要な問題である”:確かにそうだ。それらの運命は困惑の連続であり、歌は物語ではなくムードを伝える。それらは単に一定のイメージとありふれたヴァースをもち、過去に同じ詞で様々なヴァージョンを聞いてきたとしても、そうとは気づかずにそのムードに収束されていく。この歌がまさにそれであり、ここに突如現れる全体的なヴァースの構成は、数知れない失恋ソングの中に見出すことができる。それぞれの曲調の違いを見分けるのは難しい。このケースでは、Died for Loveを中心とする広大なメロディ形態の中の一つだ。

3 Low Down in the Broom
通常この穏やかな詞に出てくる“I”は一人の男だ。ブロードサイドのヴァージョンに出てくる毛織物仕上げ工はここでは抜け落ちてしまっているが、構成要素の一つとして味付けられている。少女は両親と不仲であることを明かす。父親はあまりにしみったれていて、母親はあまりに威張りくさっていると。物語はこうなっている:「私は彼女を農園に散歩に連れ出し、優しく彼女を横たわらせた。彼女がエニシダ(植)の中に横たわっている時に私にいった言葉がある。“若者よ、望む通りにすればいい”“どうでもいいわ、母さんは私があなたとエニシダの中にいるなんて思わないわ”」 フランキーのヴァージョンはW. P. メリックが20世紀初めにすばらしいサセックスのシンガー、ヘンリー・ヒルズから教わったものに基づいている。グレインジャー(パーシー・グレインジャー:米ピアニスト・作曲家)は、このヴァージョンからいくつかの詞を使ってユニークなBrigg Fairを録音したが未完成に終わっている。

4 The Cruel Mother
世界的に有名な辛く不気味な物語。未婚の母は望まれぬ赤ん坊を殺す:しかし陳腐な日曜紙が示すよりももっと多くのことがここには含まれている。ほとんどのヴァージョンで女は三つ子を産み、3人とも殺してしまう。そして3人の死体をヘッドスカーフ、ベルト、ガーターで縛りつける。幽霊となって出てこないようにするためだが、彼らは母を呪うために戻ってくる(古代の人々は3歳に満たず死んだ幼児の霊は特に邪悪だと信じていた)。刃物に残った血のあとが、洗っても洗っても消えない悪夢のような光景が描写される。母のマクベスは事が起きることを察知する。
子供たちはこのバラッドを、歌い、踊り、陽気なふしをつけてリング・ゲーム(輪になって遊ぶゲーム)として使った。輪の真ん中には母と赤ん坊役の二人が立ち、復讐する役の3人の子供が輪の中に入ったり出たりして母役の子を追い回す。アニー・ギルクリスト(英作家)は1915年にサウスポート孤児院で一つのヴァージョンを記録した。児童精神科医のみなさん、どうぞよろしく。

5 The Crafty Maid’s Policy
このおどけた散文物語は、少なくともボーモントとフレッチャー(16世紀後半〜17世紀初めのイングランドの劇作家。二人の合作が多い)の時代から現在まで続いている。あるいは1860年ごろにブロードサイドに印刷したロンドン、セント・ジャイルズのディズレィよりも以前に長い間、詩が歌に載って広まっていたのかもしれない。H. E. D. ハモンドは1907年にドーセット(イングランド南部)、アップウェイの偉大なシンガー、ラッセル夫人が歌うのを聞いている。ラッセル夫人はいたずら好きの少女が出てくる歌に愛情をもっていた。同じ時に彼女はずる賢いメイドの歌の一つ、The Broomfield Hillを歌っている。

6 The Maid on the Shore
これもいたずら好きの少女が出てくるが、これはもしかすると全く普通の少女ではないかもしれない。見たところ、乱暴な船乗りに振り回されているが、彼女は落ちついて難局を脱する。田舎の人々が歌をThe Mermaid(人魚)と呼んだのも不思議ではない。繊細なウィットは歌を現実的に見せているが、歌の中の月光がイメージさせるのはなにか超自然的な雰囲気だ。

7 The Frog and the Mouse
ウェッダーバーン(1733-1805:英国の裁判官)のComplaynt of Scotland(1549)の中で、羊飼いが一つのヴァージョンを歌っている。それは1580年にゴシック体バラッドとして認可された。ある者はゴシック体はエリザベス一世のおどおどした求愛を風刺したもっと古い歌の焼き直しだと主張するが、確たる証拠はない。リフレインのヴァースの中で少しの違いが見られるものの、とにかくこの歌は以来、幼児から大人までに愛されている。道化師のグリモールディは19世紀前半に、この歌によってミュージック・ホールで成功した。愉快なフランスの芸術家グランヴィル(版画家・風刺画家)はびっくりするような美しい幻灯機を作った。しゃれた結びはこうだ:

そして自然は命令した:元へ!
我々はオタマジャクシに毛を生やすことはできないだろう。

フランキーのヴァージョンは古いバーミンガムのシンガー、セシリア・コステロ夫人の歌に基づいている。


SIDE TWO

1 Lovely on the Water
特定のフォーク・ソングは大きな人気があり、国じゅうのいたるところで何度も採取されてきた。他は―いくつかの傑作含む―狭い地域でしか広まらなかったようだ。華麗なメロディと深い詞をもつLovely on the Waterは、かつて一度だけノリッジから数マイル離れた南ウォルシャムでヴォーン・ウィリアムズによって採取された。この歌は田園詩的に始まり、不吉に終わる。晴れた日が雲に覆われるように。シンガーのヒルトン氏は14のヴァースを歌ったが、ヴォーン・ウィリアムズはところどころ聞き逃してしまった。失われたヴァースはおそらくよく知られた状況に関する部分だろう。女は恋人といっしょに航海に出るため、船乗りに変装しようとするが思いとどまらせられる場面だ。

2 The Brown Girl
高慢で執念深い男は、“彼女が日焼けしすぎている”という理由から鼻であしらった。それが意味するのは:彼女は見てくれが悪い。女はユリのように白い手と、ミルクのように白い肌でなければならないということだった。外で働く女性は日に焼け、肌が荒れるので、良い家柄の人間にはふさわしくないというわけだ。Lord Thomas and Fair Eleanor, Barbara Allenその他の似たような詞を含むバラッドは、あまり共通のフォームをもたないようだが、だいたいフランキーの歌うヴァージョンに近い。ある変形ヴァージョンでは設定が男で、時にはさげすまされ、冷淡な扱いを受ける船乗りだ。これはイングランドではThe Dover Sailorとして、USAではA Rich Irish Ladyとして、彼らはギリシア火薬(wildfire)の商売で成功した。なぜこれほどの違いがあるのか不思議に思うかもしれない。とにかく、おそらく恋に悩む人の不幸を食い物にしたことに憤慨した恋人の気持ちが、この歌を生き延びさせてきたのだろう。

3 The Young Girl Cut Down in her Prime
死ぬまで誘惑と梅毒につきまとわれ転落する女が、無慈悲なリリシズムによってつづられる。もともとは不良の若い兵士に関する歌であるというアイルランド人もいるが、その兵士も同様に自分の葬式を準備すべく落ちぶれていく。時折、理由は誰にも分からないが、バラッドは兵士が一人の無軌道な女に変容したヴァースが並列する。しかし軍による葬儀の動機は、あくまで全く理論的に展開しない。そしてバラッドが大西洋を渡り、ラレード(テキサス州南部)の通りの死んだカウボーイに関する話に至った時には、思いがけずバリ(切断したり穴抜きする時に金属片に残るぎざぎざ)に突き刺さる思いだ。崇高なラ・モード(エオリアン)調は基本的に1909年、ソールズベリー・ワークハウスのチャールズ・シアーズからジョージ・ガーディナーが採取したものだ。

4 The Unquiet Grave
女は死んだ恋人の墓の上で嘆き続ける。すると墓の中の恋人がしゃべりだし、彼女が彼の眠りを妨げていることを責める。通常、このバラッドの設定、登場人物は固有名詞が使われるが、ここではどこの誰なのかは分からない。それゆえ、その超自然的精神風土はさらに神秘性を増している。この伝承は古く、あまりに深い悲しみは死者を困らせるものだと信じられているようだ。今日まで東ヨーロッパのある農民の間では、死者にろうそくの灯を当てた時に、嘆く人の涙によって不治の火傷を負うと信じられている。いくつかのヴァージョンでは死者が「もし絶対的忠誠を誓わなければ、バラバラに引き裂くぞ」と脅すものがある。人気の高い幽霊の復讐だ!しかしここでのフランキーのヴァージョンは、彼女の性格にフィットしたいくらか穏やかなものだ。彼女が採用した曲調は全体的に、ヘレフォードシア(イングランド西部)のディルウィンでヴォーン・ウィリアムズが録音したものだ。

5 The Saucy Sailor
19世紀にこの歌は人気があったようだ。ブロードサイド出版業者は何度も何度も発行した。それは1815年頃にロンドン、セヴン・ダイアルズのジョン・ピッツに始まって、1860年頃の同地域のディズレィとホッジズ、19世紀終わりにかけてバラ(ロンドンの自治区)のヘンリー・サッチまでと様々だ。“ロンドンのイースト・エンドの女工の間で高い人気がある”とウィリアム・バレットはリポートした。ほぼ全ての我々のパイオニア・コレクターたちがいくつかのヴァージョンを発掘したが、ほとんどは同じメロディの詞の変形で歌われた。フランキー・アームストロングのメロディは、サマセットでセシル・シャープが記録したものだ。彼はこれがどのスタンダードなモードにもフィットしない不可解な音階であることに気づいた。6度フラットのミクソリディアン・モードの一種だが、実は中東欧の一部地域では全く珍しいものではない。それでもこのケースはシャープが推測するとおり、シンガー自身の無意識の創作によるものなのかもしれない。いずれにせよ見事なメロディだ。

6 The Two Sisters
ヨーロッパ大陸ではこのバラッドは紛れもなく現実的で叙情的な悲劇であるが、北方に伝わった中には少し超自然的な要素が含まれることがある。それは骨が残酷な行為を歌にして、その罪を暴くところだ。時々The Berkshire Tragedyと呼ばれる現実的なイングランドのヴァージョンは、スコットランド-スカンジナヴィア半島の神秘的なヴァージョンと同じところに存在する。このバラッドの各ヴァージョンは様々なリフレインをもつ。例えば“かがんで、かがんで”(ダンスの指示か?)や、“Binnorie o, Binnorie”(サー・ウォルター・スコットの造語といわれる)などだ。白鳥が美しく泳ぐところの現在のリフレインは、もしかするとアイルランド産の歌に属しているのかもしれない。アイルランド産には白鳥がよく出てくるからだ。フランキーのヴァージョンは、主にリヴァプールのアイリッシュ・シンガーをフランク・キッドソンが記録したものから引用している。

A. L. ロイド



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