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Fairport Convention/Liege & Lief/2002 Universal Island Records Ltd.IMCD291/586 929-2



僕が“リージ&リーフ”について聞かれた時真っ先に思い出すのは、レコーディング・セッションでもリリース時の評判でもなく、夢が現実となったあの田舎の家のことだ。

ジョー・ボイドは、再編フェアポートのためにファーレイ・チェンバリンの大きな郊外の家を用意した。ハンプシャーのウィンチェスター近くで、その土地も素晴しかったね。当時そこには多くの目的が存在した。まず、自動車事故からの立直りの場所としてだった。僕らのうち何人かは、他のメンバーよりもっと精神的に回復するのに時間を必要としてたかもしれないけど、全員が相応しい環境で精神的調整をする必要があったんだ。ファーレイ・チェンバレンは相応しかったよ。そして僕らは2人の新メンバーを仲間に入れた。 僕らは彼らとバンドをまとめるために短期間集中コースを必要としてた。まさしく一緒に住んでね。そしてそこにはいつも音楽があった。そう音楽…

もちろん僕らは一様に現代楽器を使って、古い音楽を演るって仕事に取り組む意思決定をしたけど、それをうまくやるにはどうすればいいかっていう現実に直面したよ。僕らは1Fの一番大きなリヴィングに輪になって機材のセッティングをしたんだ。そういう形でずっとリハーサルを続けてた。その部屋に流れたサウンド、リズム、音楽様式とそのマジックは、以前には存在しなかったものだったね。僕は、いや多分誰もが毎日その部屋で創り出される奇跡を体験できる朝が待ち遠しくてしかたなかっただろう。

とてもハードな仕事をやんなくちゃならなかった。でもどうやって不慣れな拍と黙示的なリズムを自分たちの楽器に対応させたのだろう?曲の中でどの詞を採用してどの詞を捨てたのだろう?どうやってその馴染みのない素材を演奏する真のグループになったのだろう?

とにかくそこは、喜びの空気に満ち溢れていたね。サウンドとリズムの演奏パターンに乗って曲が始まると、それは歓喜の魂を高揚させてくれた。美しい歌声を聞く喜びと共に、曲は命が吹き込まれて現代に甦ったね。

もちろん全てがきつい仕事とインスピレーションばかりではなかったよ。そこにはあったかいアーガ(商標:英国製のクッカーオーブン)の付いた自由に使えるキッチンと、みんなと一緒の食事と、使いやすい大きなテーブルがあった。スワブのコリー犬と一緒に、田舎の散歩も楽しんだよ。専門的なテクニックはなかったけど、芝生の上で(サッカーの)試合に熱中もした。時々茶目っ気を出してリハーサル・ルームで、大真面目なアメリカ人を真似て、“我々にはロックンロールよりも神のご加護が必要だ”なんてやったりした。あるいは僕らは、ディランのOpen The Door, Richardにあるような、ザ・バンドのMusic From Big Pinkとつながっていたのかもしれないね。

いつでも僕らは、まさに自分たちの存在を定義づけた”リージ&リーフ・ミュージック”に戻ることができるよ。

アシュリー・ハッチングス


“リージ&リーフ”のレコーディングは1969年夏、最も不幸な情況下で始まった。グループは解散の危機にあった。誰もドラマー、マーチン・ランブルの事を考えずに過去の曲を演るなんて想像できなかったね。マーチンとリチャードのガールフレンド、ジーニー・テイラーは、その春の自動車事故で死んでしまった。

苦悩しながら彼らはゆっくりと、バンド再編の考えに至るようになったよ。オリジナルメンバーは皆、全く新しい方向性と、レパートリーを強く望んでいた。彼らにはマーチンと共に発展させた曲と、そのスタイルを繰り返すことは(辛くて)とてもできなかったんだ。彼らがこの新しいプロジェクトのために、英国伝承歌に救いを求めたのには多くの理由があるが、私には二つの重要なポイントがあると考えている。

サンディはツアー中、多くの時間を過ごす楽屋でトラッドを歌うことによって、メンバーたちを育て上げる役割を果たしていた。皆トラッドを好きになり、とりわけアシュリーはセシル・シャープ・ハウスにちょくちょく出入りするようになり、多くのトラッドのヴァージョンを研究し始めたんだ。この時のフェアポートの2人の新しい動きは皮肉にもアルバムリリース直後、2人がバンドを去る結果となってしまったが…。

もう一つの決定的要因は(ザ・バンドの)Music From Big Pinkだった。彼らはいつもアメリカン・ミュージックとSSWに魅了されていた。ザ・バンドは彼らに衝撃を与えた。彼らはザ・バンドのレコードをいつも聴いていた。もちろん大好きだったんだが、同時にショックも受けていたんだ。とてもディープなアメリカン・ミュージックで、その文化的ルーツに深く根ざしていたからね。フェアポートは自分たちのゴールは、はるか彼方に行ってしまったかのように感じていたよ。彼らはザ・バンドの占めていた領域に存在することはできなかったが、おそらくもっと専念していたならば、ビッグピンクと並ぶ何かを成し遂げることができただろうね。多分ザ・バンドがアメリカ人であるのと同様、イギリス人として自分たちのレパートリーを創ることが出来ただろう。

でもその時のチャレンジ精神はエキサイティングだったよ。私があの夏、2人の新メンバーのデイヴと共にリハーサルをしている彼らを訪ねた時はそれは驚いたね。革命的であることはすぐに分かったよ。振り返ってみると、リージ&リーフには欠点を見出す事もできるが、全体には天才的なオリジナリティと、勇敢さを伴った草分け的作品としての試みに満ち溢れているね。トラッド・フォーク・ロックの最もひどい過剰な部分(猛スピードのジグやリールなど)も残されているけど、このジャンルの最も荘厳な部分にも光を当てている。60年代の英フォーク界は多くの才能に溢れていた―バート・ヤンシュ、ISB(インクレディブル・ストリング・バンド)、ウォーターソンズ、デイヴィ・グレアム、マーティン・カーシーなどだ。でもフェアポートは“リージ&リーフ”でもって、ロック界に向けて最初に強烈なインパクトを与えたんだ。それまで無視、あるいは馬鹿にされていたものに焦点を当てることによってね。フォーク・ミュージックにおいてのこの大きな効果は、言うまでもなくイギリスにとどまらず全世界に及んだ。北ロンドンから放たれたミドル級ロケットは21世紀に向けて、音楽シーンが必要としていた要素を提供したんだ。

ジョー・ボイド


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