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Fairport Convention/Heyday-The BBC Sessions 1968-69 Extended/2002 Universal Island Records Ltd IMCD 290/586 542-2



60年代後半。それはフリー・コンサートとフリー・ラヴ、刑務所とオールナイト・ミュージックのクラブ、フリルのジャケットと主流逸脱、あらゆる方向性が許され、“管理国家不在”の時代だった。この世のありとあらゆることが可能に見えた時代だった。

当時のフェアポート・コンヴェンションの5人の青年と1人の女の子の可能性は、確かに魅力的なものに思われた。僕たちはどんなに実験的なものであろうと、自分たちの望む通りに確実にプレイできて、それがリスナーに対してもラジオでのエアプレイにも耐えうるっていう自信をもったプロフェッショナルなミュージシャンだった。

僕たちはもちろんラジオでのプレイを手に入れた。それはおびただしい数のね。今じゃ天下のBBCが聞き慣れないバンドの“ライヴ”レコーディング・セッションを許すなんて信じられないことだね。それも当時のマネージャーが好意を持ってくれている番組のプロデューサーに電話して、BBCのスタジオや廊下なんかにたむろさせてくれるなんてね。当時、おもしろい音楽をかけてくれたのはなにもジョン・ピール1人だけだったわけじゃないよ。DJたちはみんな(彼らのことをスタイル愛好家と呼ぶことにしよう)一風変わったものなら何でもかける用意があった。

当時、標準となっていた英国の“アンダーグラウンド”の自由奔放な音楽一団の中でさえ、フェアポートは異質だった。僕たちは自分たちが最高だと思っていたシンガーソングライターたちのメロディックな曲を短くプレイする傾向をもっていた。ほとんどは大西洋の反対側のフォーク・シーンで話題となっていた音楽だった。詞が重要だったね。音楽的表現の様式としてコード進行に合わせるような、からっぽでとりとめのない詞じゃなくてね(それをjammingと呼ぶんだけど)。僕らはジョニ・ミッチェルとレナード・コーエンの詩がお気に入りだった。

他とは違うものが僕たちを際立たせていた。これは真剣に趣味として打ち込んだもので、ラジオ・セッションで同じことをくり返すことは決してしなかった。僕たちは当時、だいたい月1回のセッションをしていて、存分にこの気まぐれ的なカヴァーを楽しむことができたね。僕たち全員が好んでいたものは何でも取り上げていた―ラグタイム、カントリー・ミュージック、昔のエヴァリー・ブラザーズのナンバー、何でも僕らは楽しんだ。当時BBCスタジオにはたくさん便利なものが置いてあった。今では伝説的なプロデューサーのバーニー・アンドリュースが最高のセッションを取り仕切っていた。彼は同僚のジョン・ピール同様に、バンドにとって個人的に親しい友人となったんだ。

ケン・ガーナーの本、In Session Tonightの中で、僕はいくつかのバーニーの心配事を覚えているよ―友人である彼が、僕らを思いのままにさせることをいとわないとは言えないようなね。ここで改めてそのことを書くけど、別にわびるつもりはないよ。ラグタイム風の“If It Feels Good”で、僕たちはカズーの音をかぶせたいと思った。でもただのカズーの音じゃなくて、テープの回転を上げた音がほしかったんだ。僕らは1時間ほどかけて、スピードアップさせたソロをトラックの中に挿入した。それから僕らはサウンド・ジョークを使って遊んだんだ。これにはコップの割れる音が入っているんだけど、実はそう簡単にはいかなかった。なぜなら、ばっちりの音を、“君のコーヒーカップを置いて”っていう詞が出てきたあとにタイミングよく挿入しなければならなかったからだ。全ての作業をするのにさらに時間をとった。BBCのコップもいくつかね。

これらのセッションがレコーディングされた場所は、僕たちの経験に特別な貢献をしてくれた。昨今、僕たちはひんぱんにコンパクトで目的に沿って作られた小さなスタジオに入るが、当時のラジオ・セッションは歴史を感じさせる巨大な古いスタジオでレコーディングされた。時にはレコーディング・スタジオに改造されたコンサート・ホールも使われた。ノーサンバーランド・アヴェニューのザ・プレイハウス、ボンド・ストリートのエオリアン・ホール、デラウェア・ロードのメイダ・ヴェイル・スタジオ―みな大きくて古い建物だ。そこにはありあわせの楽器が詰め込まれていた。次のSing Something Simple(BBCの企画物)やなんかで社内のミュージシャンたちが必要とするかもしれないものなんかのね。チェレスタのようなチリンチリンと鳴るキーボードは、“Dance Of The Sugar Plum Fairy”みたいな曲に使われた。例えばインクレディブル・ストリング・バンドなんかを訪ねてみたら、きっと彼らは自分たちの曲でそういった楽器を持ち出していただろう。花柄模様のシャツにベルボトムのズボンをはいて、スカーフを巻いてフェンダーのギターを持って立っていたところで目を閉じてみれば、BBCオーケストラを指揮するサー・エドワード・エルガーの姿を想像することができるんだ。僕たちそういう場所が本当に好きになったんだと思う。

中でも一番だったのがメイダ・ヴェイルだった。最も大きかったけど、低い建物だった。もしかしたらそれが人目を避けていた要因かもしれない。セッションのために何度も通っていたのに、いつも場所が分からなくなってしまうんだ。優雅なエドワード朝の背の高い家々が立ち並んだ同じような路地の真ん中にあってね。この荘厳な建物の外で、自分たちのヴァンから機材を降ろすなんてのは、すごく不釣合いな光景だった。

そこのサウンド・エンジニアたちもまた重要なパートを担っていた。もしかすると彼らの仕事が一番キツかったかもしれない。なぜなら旧式の設備で限られた時間内に、最高のクォリティでレコーディングしなきゃならなかったから。またこれらのレコーディングはミュージシャンの最新リリース作品に匹敵するくらいの音質にしなければならなかった。ピート・リツェマやジェフ・グリフィンのような最高の腕前を持った人たちは、当然のように自身がプロデューサーになったりした。この人たちからは僕がセッションのあとつかまえて、テープコピーを手に入れたね。厳密に言えば、これは彼らの仕事の範囲を越えていたけど、僕はかなり口がうまかったに違いないから、彼らは僕に好感を持ったはずだ。それで僕は1/4インチ・テープを何巻か含む膨大なテープ・ボックスを手に入れることができたんだ。それがこのコンピレーションCDの基になっている。

このアルバムのオリジナルCDリリースは、What We Did On Our Holidaysのラインナップで録音された曲だけがフィーチャーされていた。今回、UnhalfbrickingLiege and Liefのラインナップでのトラックが追加されて再リリースされた。60年代終わりに録られた後者のラインナップによるトラックは、トラディショナル・ブリティッシュ・フォークロックへのラジカルな変化を示している。このセッションのプロデュースはもう1人の伝説的人物、ジョン・ウォルターズが担当した。ウォルターズの話は聞かないでほしい。それを話し出すと僕は止まらなくなって、君がいつまでたってもこのCDを聴けなくなってしまうから。

アシュリー・ハッチングス 2001年5月


オリジナル・スリーヴ・ノーツ

私が責任を負わねばならないんだと思う。つまり、1人のアメリカ人としての私の見解は、この手の曲はアメリカ人の方がどんなイングリッシュ・バンドよりも、目をつぶってでもうまくやってのけてしまうということだった。私はフェアポートが自分たちのオリジナル作品を発展させる中で自らの才能をみがくことによって、可能な限り英国的になるべきだと感じていた。それで私は1967年と1968年にこれらの曲のほとんどをレコードに収録することを思いとどまらせたんだ。私はオーディエンスがほしがるものを与えることに関しては、それにふさわしい人間であったことは一度もなかった―彼らが聴くべきものを提示するというのが私のモットーだ。ギグにおいて、オーディエンスがこれらの曲を大いに楽しんでいるように見えたという事実は、私にとっては何の意味もないんだ。フェアポート自身がUnhalfbrickingに‘Gone, Gone, Gone’を入れることをやかましく要求していたというのではない。これらの曲は、レコードに入っている曲ほど重要じゃないという共通の認識は私たちの中にあったからね。しかしながら、20年経ってみると、これらのトラックには純然な喜びと初期フェアポートを思い起こさせるスピリットが宿っていることを否定できないし、もちろん今の私は、これと互角にプレイできるアメリカのバンドを見つけることが困難であることを認めざるを得ないんだ。

ジョー・ボイド 1987年8月


Cajun WomanとSi Tu Dois Partirはリック・グレッチのヴァイオリンをフィーチャーしている。リックはファミリーのメンバーで、フェアポートとのツアーを通じて親友になった。それで彼はこの2曲でゲスト出演した。リックはその後、クラプトン、ウィンウッドらと共にブラインド・フェイスに参加した。ReynardineとTam Linはトラディショナル・ソングに取り組み始めたごく初期のヴァージョンだ。これらの曲がLiege and Liefに収録されるまでに、いくつかの詞が変えられて、メンバー全員がこの新しいジャンルにより自信を深めていた。ここに収録のラジオ・ヴァージョンのTam Linは、バンドがライヴでプレイしていたヴァージョンにとても近い。レコードよりも長く、熱狂的で、曲の終わり部分がインストゥルメンタルになっている。

アシュリー・ハッチングス


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