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John Fahey/The Yellow Princess/2004 Ace Records Ltd VMD 79293



ジョン・フェイヒの音楽はガタゴトと鉄道に乗って東海岸から西海岸へと向かい、そしてレールからはずれ誰も知らないところへと旅をする。
ジョン・フェイヒの音楽は深い海底の闇を探し求め、海底を腹這いになって進んでゆく。ジョン・フェイヒの音楽は大草原の空を照らす星のように舞い上がり、商人のビーズのように電線からぶら下がる。

ジョン・フェイヒの音楽はヒッチハイカーが新しい世界を見つけるために出発しようと突き出す親指である。それは一日中車の通らない幹線道路で行なわれる。それでも一向に構わない。その眺めを好むからだ。


ジョン・フェイヒは矛盾と逆説の達人だった。伝統主義モダニスト、歩くスミソニアン未来派アーチストであった彼は、スキップ・ジェイムスやブッカ・ホワイトのような、いにしえの神格化されたアーチストたちを救い出し復活させ、自分の指から血が流れるまで聞き、プレイした。彼はベイラ・バルトーク(1881-1945:ハンガリーの作曲家・ピアニスト。彼自身、民俗博物館管理人であり、調性の革新者であった)の中にシンコペーションを探し求めた前衛古典学者であり、チャールズ・アイヴズ(1874-1954:米作曲家。彼自身、徹底した偶像破壊主義者だった)の中のメロディアスな不協和音を崇拝していた。彼は館長を務め民俗品を保護する民俗学者であったが、この作品含む自分の古いレコードを聴き、考察することを嫌っていた。その休むことのない情熱によって、自分の作品を延々と再レコーディングし、作り直し、新たに命名していったが、それはどんどんとあふれ出し探検を続け、前へ前へとせっかちに進んでいった。

明瞭さと説明を理解する名匠であったが、彼の暗号化されたスリーヴノーツの中には謎と不可思議さが隠されていた。善悪の因果応報(カルマ)に対する第一の哲学は、彼の反神話的な風諭の中に表現されている。彼がメジャー・レーベルと契約しようとしなかったのは、その中に堕落を嗅ぎ取っていたからだった。彼は1959年にファースト・アルバムを100枚プレスし、その初回分が売り切れた時に2枚目のレコードを制作した。彼自身の生活は苦痛を伴うヒリヒリするようなものであったが、彼の音楽は一晩寝て考えるに十分な、柔らかな雷文細工のある優雅な猫のベッドになりうるものだ。彼は自分の中から悪魔を追い払うために精神分析を受けたが、彼の音楽自体が精神分析の対象である。作り物のシャーマニズムではない。新時代のイカサマでもない。ヘビの油でもない。水晶でもない。それは古い時代の信仰と二人乗り自転車だ。

ここでの1つのキーワードは逸脱である。逸脱と変形。ここでの2つのキーワードは逸脱と変形である。逸脱、変形そして超越。ここでの3つのキーワードは・・・

人類学者、文書館員、融合者、表現形式者、フェイヒはとげのあるワイヤーの柵のような効果をもたらし、コットンかウールのような効果をもたらしている。彼はブルーグラスとブルース、ラーガとラグタイム、賛美歌と祈りの歌、単旋聖歌と大農園の黒人の歌をかき集め指でサッと弾いてしまう。彼の音楽は夢の船を語り、橋と淡水の両生類とアコースティック・コンクレートを奏でる。彼はSwing Low Sweet Chariot(ゴスペル)とCalifornia Dreamingを引用する。どちらもこのレコードで聞ける。

ジョン・フェイヒの音楽は西半球から東半球へ向かって不穏な現代に響く。ブルース・モードをラーガ・モードに変容させ、一つの歌になるまで。

ジョン・フェイヒの誠実な洞察力は太陽のように輝く。その純粋さはベルのように鳴らされる。この音楽をあなたの頭の中で鳴らしながら眠るといい。

ROB CHAPMAN
October 2004


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