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Nick Drake/Made To Love Magic/2004 Universal Island Records Ltd. UICY-60085



編集者記;

1967年初頭、ニックはディラン、バート・ヤンシュそしてジャクソン・C・フランクら他人のお決まりのカヴァーを捨て、自身の曲を作り始めた。当時の精選されたスタンダードをプレイするニックのスタジオでのアプローチは、彼に完璧なチューニングとテクニックをもたらしていた。それは彼の個性的な楽曲を見事にプレイする技量と、初期の特異なレコーディング作品を生み出すこととなり、当時のファッショナブルなシンガーソングライターたちとは違った側面を確立させることになった。

このアルバムの最初期のレコーディングは、彼がケンブリッジ大学時代に学友のロバート・カービーと出会い、共にプレイしたものだ。ロバート・カービーは1968年春に、数曲のニックの新曲をステレオ・テープ・レコーダーに録音することに何とか成功していた。ロバートは大学でプレイする目的で、ストリングスと木管楽器で曲にアレンジメントを施すためにこれらのテープを用いていた。幸運なことに、これらテープはロバートの収納小屋の苛酷な環境に耐え、生き残り、最小限のノイズ除去がなされ、今ここに初めて姿を現すことになった。それらは彼らが録音した当時と変わらぬ新鮮なサウンドを響かせてくれる。RIVER MANはオーケストレーションなしで存在する唯一のヴァージョンとして知られている。またこれはニックの大学時代の日々を描写したものと考えられている。一方MAYFAIRはニックが知ることとなったロンドンのゆがみと気まぐれを考察した最も初期のヴァージョンとして知られている。これはのちにニックによって、より形式ばった装いで‘正式に’レコーディングされ、アイランド・レコーズのスカ・ヒットメーカーでガール・ロリポップのミリーによってカヴァーされた。

大学を去り、レコーディング・スタジオに入ったニックは、デビュー・アルバム‘Five Leaves Left’となる曲を書いていた。レコーディング・セッションが何回かに分けられ実施される中、ニックはコンスタントに新曲を書いていき、そのことによって初期の曲はあとの方に書かれた優れたマテリアルによって補完されていったと考えられている。JOEYとCLOTHES OF SANDが1968年暮れに向けてレコーディングされたが、これらはアルバムに収録されることはなかった。これはニックの品質管理に対する信条表明であり、こういった強力なマテリアルが最終セレクションからもれたデビュー・アルバムの信じられないほどの水準の高さを示している。これら2曲プラス、別ヴァージョンのTHE THOUGHTS OF MARY JANEは未発表曲集の‘Time Of No Reply’に収録され、そのレコードはボックス・セット‘Fruit Tree’に加えられた(訳注:ジョー・ボイドのハンニバルから出た4枚組ボックス・セットのこと。LPは80年代半ば)。3曲ともリマスターされていた。

初期のスタジオ・セッションで、ニックはオーケストラ編曲者としてリチャード・ヒューソンを使ったが、結果に満足できなかった彼は、将来ほとんどのアレンジメントを手掛けることになる友人のロバート・カービーを連れ戻すことにした。この時までにデビュー・アルバムはすでにMAGICとTIME OF NO REPLYを収録する余地を残していなかったため、ロバートの元々のアレンジメントは手書きのみで残ることになった。それらスコアのためにロバートは2003年にスタジオに戻り、新しい‘オリジナル’なアレンジメントがレコーディングされた。最新のテクノロジーによって、‘Magic’からニックの声が取り除かれ、音程を変えることなしにそのトラックは正しいテンポにスピードアップされた。こうして今、我々はニックが思い描いていた通りの歌を聞くことができる。Time of No Replyはヴォーカルとギター・パートのみが存在していたが、元々のアレンジメントで新しくレコーディングを加えることはたやすく行われ、それは1968年当時をほぼ再現したに等しかった。セッション全体はジョン・ウッドによってプロデュースされた。

60年代後半、様々な融合が図られたアイランド・レコーズは、多くのアーチストたちに互いのコラボレーションの場を提供した。レーベル社長でプロデューサーだったクリス・ブラックウェルは、音楽スタイルとアーチストの個性両面において、文化の交流ができることを固く信じていた。ニックは様々なレーベル仲間の中で、ジョン・マーチン、リチャード・トンプソンと友人だった。1969年3月、ニックは北ロンドンのモーガン・スタジオにいた―彼がほとんどのレコーディングを行なったサウンド・テクニクス・スタジオから離れた珍しいケースだった―彼はそこでコンガに故‘Reebop’Kwaakhu Baahと一人の無名のフルート奏者とともにTHREE HOURSをレコーディングしようとしていた。このヴァージョンは‘Five Leaves Left’に収録されたものより2ヶ月前にレコーディングされたものだ。Reebopは続いてライヴ・アルバムOZ Benefitの‘Welcome To The Canteen’でプレイした。そのアルバムはのちにトラフィックに加入するメンバー含むアイランドのスターたちをフィーチャーしていた。このヴァージョンはマルチ・トラックの状態で発見され、今回初めてミックス・ダウンされてリリースされる。それはアルバムの最終ヴァージョンよりも長く、よりリラックスしていて、ほとんど‘ジャム’セッションに近いものだ。

アルバム‘Pink Moon’のリリース後、ニックは彼の最後の4曲と考えられているレコーディングのためにスタジオに戻った。これらは素早く7インチ・モノ・テープとしてミックスされ、‘Fruit Tree’のボーナス・ディスクに収録された。ここで聞けるヴァージョンは元々のレコーディング・エンジニアだったジョン・ウッドがマルチ・トラックからトゥルー・ステレオできちんとミックスしたものだ。1974年にレコーディングされたBLACK EYED DOG, RIDER ON THE WHEEL, そしてVOICESはニックの覚書によれば、ニュー・アルバムの最初のトラックだったようだ。HANGING ON A STARは新たに発見されたテイクで、さらによいヴォーカルであると判断された。初めてニックのヴォーカルとギターが分けてレコーディングされたものだ。この時のミックスはまだレコーディングが進行中だった頃で、存在が確認されたTOW THE LINEはまだミックスが施されていなかった。間違いなく1974年以来、ここに初めて姿を現したナンバーだ。ニックは自信満々の1曲を残して我々から去っていった。そしてそこには当時彼がどうにも行き詰まっていたことを気づかせるような、もう一つの次元を思わせる黙想にふける静けさがあった。

ジョン・ウッドとロバート・カービーのチームが今回戻り、そしてニックの姉ガブリエルの全面協力のもと、我々は3枚のスタジオ・アルバム、FIVE LEAVES LEFT, BRYTER LAYTER, PINK MOONに加えてもう1枚の仲間を加えることができた。CDは最新技術によってデジタル・リマスターされ、ニックがスタジオで過ごした数少ない年月にレコーディングされた全身全霊の名盤3枚に加わるにふさわしい1枚となった。

カリー、2003年


ニックと僕がFive Leaves Leftのセッションのために金曜の晩ケンブリッジからロンドンに車で向かう時、僕らは3曲トラック・ダウンできれば上出来だと考えていた。いちおう僕らは4曲用意していたけど、万一に備えてね・・・それが“The Thoughts of Mary-Jane”、“Fruit Tree”、“When The Day Is Done”そして“Way To Blue”だった。

土曜の朝、3時間セッションの残り15〜20分の時点で、僕らはかろうじて“Way To Blue”を2〜3回通しただけだった(テイク4として)。でもこのプレッシャーは確かに強力なテイクを作ることに貢献したね。

僕らは少なくとも3曲を隠し持っていた・・・ “Time of No Reply”、“Made to Love Magic”、そして“Rain”(My Love Left with the…)で、あと“Blossom”と“Mayfair”のだいたいのスケッチだった。ニックは“The Thoughts of Mary-Jane”は“Time of No Reply”に似ていたが、アルバムにふさわしいと判断した。ニックはギターあるいはピアノだけで“Made to Love Magic”をプレイしたけど、僕は彼のヴォーカルとオーケストラのみでアレンジした。僕は彼がアルバムの中で1曲だけギターを使わない曲を入れたがっていて、“Way to Blue”が彼の選択だったと確信しているね。

彼は早い段階でアルバムから“My Love Left with the Rain”をボツにしていた―アルバムの他の曲ほど完成度が高くなかったんだ。(残念ながら今回僕たちはこの録音を見つけることができなかった。オーケストラをオーヴァーダブするのに十分な音質だったんだけど。)

もう一度スコアを見てみると、当時いかに高度なことをやってたかと思うね。バロック時代そのものだ。二度と同じものは作れないな!ストリングスは四重奏と9人のプレイヤーの間ならどこでも入れることができたし、吹奏楽器は1〜2本のフルート、オーボエ/イングリッシュ・ホルンは1〜2本のフレンチ・ホルンと入れ替えができた。あるいは吹奏楽器なしでもオーケーだった(僕はフレンチ・ホルンを吹いた)。例えば現存している“…Magic”のスコアには、ヴァイオリンの旋律からフルートの二重奏が降下していくとある―でも明らかに僕らは当時フルートを使わなかった(ここでの二重奏はフルートに戻された)。

僕はオリジナル・スコアに忠実にやり続けてきたけど、存在する唯一のわずかな修正が、9人の弦楽奏者(2つのカルテットとベース)と2つのフルートの最適なセクションにふさわしいダビングを施したことだ。こうやってあるパーツを削ったり、行き過ぎた重奏(それぞれの弦楽奏者が一度に2音プレイしている)を加えたりせずに済んだ。僕は自由にふるまうことができた。例えば2つのカルテットが8つの独立したパートをプレイしている。

68年の1月と2月にある共通の友人が、ニックに僕とコンタクトを取るよう促した。それは僕が音楽の勉強をしていただけでなく、僕がTVで働いていたからだったんだ―ケンブリッジ・グループの一員としての“Dee Time”のクリスマス番組だった。僕は1962年以来、4人組の“フォーク”バンドにも在籍していて、何度かドイツ・ツアーを経験していた。だから僕は世の中のギター事情に通じていたんだけど、その頃はロックへの移行期だったね。ニックはカイウス大学の僕の寮にぎこちなくやって来て、ブツブツと低くはっきりしない口調で、何曲かのオリジナル・ソングを持っていてギグのためのオーケストラ編曲者を探しているといった。そして僕のダサいスパニッシュ・ギターを抱えて世にも聴いたことがないような歌を歌った!

僕は1959年製で真空管のフェログラフ社製モノ・テープ・レコーダーを持っていた(今でも持っている)。それで何週間かかけてニックが持っていた全ての歌を録音した。僕は自分の部屋にピアノを持っていたから、彼はそれで“Way to Blue”、“Made to Love Magic”そして“Saturday Sun”をプレイして僕が録音したんだ。彼は僕が各曲の複雑なコードを分析して、正確に譜面におこすうんざりするような時間を、忍耐強く我慢していたね。

ここに収められたRiver ManとMayfairはこの時の録音からで、僕は実際にライヴを体験した人々が伝えるニックを完璧にとらえていると思う。もはや全てのテープが手元に残っていないのは悲劇だね。あれから30年以上経って、“ニックと一緒に”スタジオに戻ったことは本当に不思議な体験だった。それはジョン・ウッドがプロデュースとエンジニアリングを担当していたからこそ、容易に実現可能となったんだ。僕らは何年にも渡って一緒に働いたし、ニックはジョンのことを全面的に信頼していた。それから僕はニックの姉のガブリエルとずっと連絡を取り合ってきて、彼女の100パーセントの合意と僕ら3人の協力体制があったから、ニックが自分自身を立証する土台を提供することができたんだ。僕が35年後に再び指揮台の上に立つと、ヘッドフォンを通じて僕のオーケストラの上にニックの声が流れてきた。目を閉じると何ともいえない高揚感に包まれたね。僕は60年代後半のあのケンブリッジの独特な匂いと雰囲気を間違いなく再体験したんだ。

ロバート・カービー、2003年


1974年の早すぎる死の前に、ニックは3枚のアルバムを制作した。当時はほとんど無視されたが、30年後の今になって大きく称賛されることになった。ニックの短いキャリアの中で、彼と一緒に全てのスタジオ・レコーディングに関わってきたことは、僕にとってすごく幸運だったし、3枚のアルバムから漏れたレコーディング作品をフィーチャーしたこのアルバムは、僕が携わってきた中で最も重要なうちの1枚だ。ニックとのレコーディング・セッションはいつも待ち遠しいものだったね。

1968年10月、チェルシーのスタジオ、サウンド・テクニクスで始まったまさに最初のセッションから、ニックの楽曲のクォリティと彼の才能はすぐに発揮された。ここに収められた歌は並外れた才能を示しているし、あまりにも少ない彼の遺産を増やすことにつながった。

ここでは最後のニック・ドレイクのアルバムとして全曲がリミックスされ、2曲でロバート・カービーによるオリジナル・アレンジが施された。

ジョン・ウッド、2003年


ジョン・ウッドによるレコーディング手記

River ManとMayfairはケンブリッジ大学のロバート・カービーの寮の中で録音され、これらはニックが自分のプレイに対して並外れた自信を持っていることを示すものだ。デモとして録られたRiver Manは、ロバートにとってニックのギター・テクニックとヴォーカルの一貫性を明確に示した曲であり、Mayfairはスタジオ・ヴァージョンよりはるかに優れたパフォーマンスである。

Three Hoursはのちのヴァージョンよりはるかにライヴ感がある。これはフルートが除かれ、より考え抜かれたギター・パートが加えられ、Five Leaves Leftに収録された。

Pink Moonのレコーディングに続いてニックはいっそう引きこもりがちになり、うつ病が進み、事実上音楽活動は停止していた。我々はその後2年間に渡ってニックと個人レベルで接触をとり続けた。そしてある日、突然彼はスタジオに戻りたいと宣言した。うつ病にかかった状態の中、74年2月の最初のセッションで彼はレコーディングが困難であることを悟り、再びスタジオに戻って最後の数日間のレコーディングを行なったのが7月だった。簡潔で荒涼としたこれらの歌は、Pink Moon収録曲以上に彼の内面を反映していた。そして29年経ち、最後の全てのセッションをチェックしている時に、見落とされていたTow the Lineが姿を現した。これこそニックがレコーディングした最後の歌だった。


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