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Grateful Dead /Workingman’s Dead/2003 Warner/Rhino R2 74396



最初のコードを聴いたとき・・

1970年のアメリカでカー・ラジオから流れてきた“Uncle John’s Band”は、まるでけばけばしくてだんだんと険悪になっていくようなパーティーの中にいて、ふと外に逃げ出す秘密のドアを発見したかのような歌だった。そしていったん外に出ると、そこにはいかした奴らがマリファナを吸いながらよどみない会話を交わしていて、君はその気になればいつでも仲間に入っていけるってわけだ。アンクル・ジョンはいう。“奴の子供たちをうちに連れて帰んな” 歌い手たちは君と仲良くすることを確約してくれる。すると“home”は急に音楽自体よりもはるか近くに感じられる。

グレイトフル・デッドの前2作のスタジオ・アルバム、The SunとAoxomoxoaの音楽はまるで月面のカーニヴァルのようなストレンジネスにあふれていた。しかしそれとは対照的に1970年6月にリリースされたWorkingman’s Dead(そして次のAmerican Beautyも)は過去を磨き上げた工芸品のようであり、Folkways(レーベル名)の管理員、ハリー・スミスが調べ上げたAnthology Of American Folk Musicの作曲法を豊富に含んだ幻の宝物のようであった。Workingman’s Deadのセピア色のジャケットでさえ、連綿と続く庶民の暮らしに通じているかのようだった。

しかしながらよく注意してみると、その音楽は単に古風で趣があるだけではない。“Cumberland Blues”の最初の半分はMerle HaggardあるいはBuck Owensから拝借されているに違いない(とりわけガルシアの早い指使いによるリードはOwensのBuckaroosでのDon Richの見事なプレイに捧げられるものだ)。そしてあの素晴らしいBakersfieldのレコードの中にはピッグペンの強力な一撃である“Easy Wind”あるいは“New Speedway Boogie”のように下品で泥臭いものは全く存在しない。一方でロバート・ハンターの詞ははるか昔の鉱山労働者の世界、Jackballers(?)、赤いドレスを着た女たちを喚起させ、それらはデッドのアシッド・パーティーの正典の中にあらゆるものを内包させる洞察力を生み出すのである。Workingman’s Deadでデッドは地に足をつけ、同時に宇宙的でもあることを証明してみせた。

“僕らは過去の特定の音楽に対する愛情を示し、それを追悼したかったんだ。僕らの時代の音楽に持ち込んで現在と未来のスペースをみなで共有するためにね。” ハンターは回想する。その結果、アルバムは世界中にアピールする崇高で磨きのかけられた楽曲集となった。ローリング・ストーン誌の読者たちはアルバム・オブ・ジ・イヤーとしてこれを選んだ。“Uncle John’s Band”と“Casey Jones”はバンドの初のラジオ・ヒットとなり、Workingman’s Deadはビルボード27位まで上がった。

このささやかな成功はバンドにとってちょうどよい時期であった。LPはダイアモンドと同じ手法―強度の圧力をかけられて―によって宝石で作られていた(バンドの伝記作家Dennis McNallyはかつてそういった)。Aoxomoxoaはレコーディングからミックスまで何ヶ月もかかっていた。そのアルバムが完成するまでにデッドはワーナー・ブラザーズに180,000ドルの借金を抱えていた―素晴らしいLive/Deadのリリースによって彼らはいくらか返済したが・・。他の害悪はその背景に潜んでいた。American Beautyの“Truckin’”で永遠に刻まれることになったニューオリンズの破産者がWorkingman’s Deadのセッションが始まる前に2週間刑務所に入ってしまった。そしてアルバムのレコーディング中にバンドはマネージャーであり、ドラマーのミッキー・ハートの父親であるレニーが数千ドルを持ち逃げした事に気づいた。“High Time”のようなよりシンプルなフォークの構成を持った曲は、バンドにPacific High Recording Studioに入る前に、リハーサルにおいてアレンジメントを固定させることを促した。そのスタジオはサンフランシスコのフィルモア・ウェストの後ろ側に位置し、ニュー・アルバムは2週間以内にまとめられることになっていた。

プロセスを合理化する実際の必要性は同時にガルシアに対して、彼がレコーディングしたいアルバムの方向性についての見解を促すことになった。“僕はこう思っていた。次にスタジオに行ったら本当にきわどいアプローチにトライしてみようってね。カントリー・アンド・ウェスタンのレコードを作るってことだ。” 彼はのちに語っている。

ガルシアとハンターがラークスパー(カリフォルニア州西部)の家で共同で書いたムーディーな領域へと踏み込んだバラッドは、全くシンプルな処理が施されている。ガルシアのコーヒーハウス時代からの同輩であるDavid Nelson(the New Riders Of The Purple Sageの創立メンバー)は、“Cumberland Blues”でギターをプレイするよう招き入れられた。友人のCrosby, Stills & Nashは追加のヴォーカル・トラックを重ねる前に2声と3声のハーモニーで“そよ風のようなブレンド”を加えるため、その達人の技を提供した。

アルバムの特質の一部としては、その心地よいサウンドの連続と基調にある。それは例えばガルシアのバンジョーがサイド2のあたま、“Cumberland Blues”までポンと飛び上がってこないようなところだ。共同プロデューサーのBob MatthewsはビートルズのSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandの強力な連続性にインスパイアされ、注文をつけるために彼らの最新の作品が入ったテープをバンドに手渡した。曲がレコーディングされるにつれ、バンドは未来のアルバムの物語の流れの中に自らの身を置くようになっていった。もともとはサイド2の最後だった“Manson’s Children”は、ガルシアとレッシュがそのヴォーカル・サウンドがあまりに“pop”に感じたためLPから外された。それは今回このCDで聴くことができる。ホノルルでの素晴らしいライヴ・ヴァージョンだ。

田舎臭い珠玉の1曲、“Dire Wolf”が2月16日にレコーディングされる直前の日だったことを知ると驚異的である。バンドはキャリアにおいて最も伝説的な―そしてエレクトリックな―うちのひとつのショーを反対側の海岸にあるフィルモア・イーストで行なっていた。濃密なシーズンであった。デッドが4月上旬にアルバムをミックス・ダウンしていた時、同時に彼らはフィルモア・ウェストでマイルス・デイヴィスと共演していた。

振り返ってみれば、この時期に書かれた歌はガルシアとハンターの30年のコラボレーションの中で最高点を示している。もしそれら楽曲群が時代を超えた不変のものに聞こえるのなら、それは彼らが偉大なアメリカン・ミュージックのあらゆる最良の部分の要素に取り組んだからだ。ハンターは次のように説明する。“‘High Time’は僕が小さい頃、親父に連れられて行ったバーのジュークボックスから流れていたような曲にしたかったんだ。おそらく潜在的にハンク・ウィリアムズの影響があると思う・・・40年代後半の切ない感じがね。”

ハンターはブルースの偉人ロバート・ジョンソンのレコードを聴いた後に“Easy Wind”を書いている。“僕は彼の曲にある火花の散るようなドライヴ感を出したかったんだ。” 彼は言う。“実際には失敗したんだけど、また違うタイプの曲としてモノにはなったね。”((“lady in red”という詞はこのアルバムで2回登場するが、ハンターはそれについて思い巡らせている。“Rita Hayworth(米女優)かな?それともCarmen Jones(歌劇「カルメン」)かな?”)) “Cumberland Blues”の作詞家(ハンター)は、カンバーランド鉱山のしらがのベテランから人生最高のほめ言葉をもらった。“オレはこの歌を書いた奴が考えたことが驚きだね。奴はグレイトフル・デッドがやりたかったことが分かっていたのかってな。”

偉大なサイケデリック・ポスター・アーチスト、Alton Kelleyは、ジャケットのダウンホームなイメージを作るためにバンドをサンフランシスコのミッション地区に連れて行き、古いブローニー(Brownie:商標 Eastman Kodak社の簡単なカメラ)のカメラで彼らを撮った(左がハンター、クロイツマンは100度を超えるような暑さの中フォト・セッションに耐え切れず、玄関の間に座っている)。ある日スタジオから車でハンターを送り届けたのはガルシアだった。彼は全ての歌が鉱山労働者と技師についてであったことが、アルバムを“workingman’s Dead”のようなものへ変えることになったとコメントしている。

ボブ・ディランの傑作群とザ・バンドのファースト・アルバム同様、Workingman’s Deadはその音楽だけでなく、それが創り上げたキャラクターによって至宝となった。このアルバムによってイマジネーションの中に永遠の時と場所が存在するのだ。これから200年の間、キャンプファイアーの周りで我々の時代の歌が歌われる時、このアルバムの中の歌がその中に入っていることだろう。

-Steve Silberman


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