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Grateful Dead/Grateful Dead(Skull And Roses)/2003 Warner/Rhino R2 74398



レコード・ビジネスで働くことは70年代初頭のサンフランシスコ、ベイエリアでは音楽愛好者たちの夢であった。我々のレコード店はBill Graham Presents(ビル・グレアムが主催する)のチケットを置く販売代理店のうちの一つだった。私たちはフィルモア、ウィンターランド、そして他の多くの会場へ自由に出入りできる権限を与えられた。夜になると私たちは体力の続く限り、多くのコンサートへ行き、想像しうるあらゆるタイプの音楽を観た。日中の私たちというと、音楽のことを話し、音楽を売り、そして音楽を聴いた。私たちが見た中で最も驚異的で最も楽しんだのがグレイトフル・デッドのコンサートだった。バンドとオーディエンスの間には独特で、陶酔的で、本当にマジカルなシナジー(相乗効果)が発生した。彼らは多くのタイプの音楽をプレイしただけでなく、ショーはいつも日によって異なっていた。同じ曲でも別の日には違った形で演奏され、彼らの即興演奏はロックンロールの中で前代未聞だった。デッド・ショーにおいては、見知らぬ者など一人もいなかった。全ての人がファミリーであるかのように感じられた。圧倒的な至福が彼らのコンサートには行き渡っていた。ビル・グレアムが最もそれをうまく言い表している。“彼らが最高なのは彼らがやっている音楽自体じゃなくて、ああいった音楽をやっているのが彼らだってことだ。”

4枚のアルバムと何年にも渡る音楽的冒険ののち、デッドは豊富なハーモニーを含んだ2枚の美しいメロディあふれるアルバム、Workingman’s DeadとAmerican Beautyをレコーディングした。突然デッドはラジオからあふれ出し、新しい世代のファンがバンドに関心を持つようになった。

デッドの次のリリース作品はライヴ・レコーディングされたが、新曲には以前のリリースよりもよりわかりやすい音楽スタイルの融合が反映されていた。“Me & My Uncle”, “Not Fade Away”、そして“Goin’ Down The Road Feeling Bad”のような曲は、新しい3曲のオリジナル、“Wharf Rat”、“Bertha”、そして“Playing In The Band”同様、“古い”デッド・ナンバーと“より新しい”デッドのレコーディングの間をうまく橋渡しすることになった。

このディスクのオープニングは、思わず魅了され踊りだしたくなるような“Bertha”のホットなヴァージョンだ。デッドは何100ものコンサートで、この曲をオープニングに使っていた。ここに収録されたヴァージョンは、その中でも1,2を争うほど良い出来だ。ここに含まれている3つの新曲は、“cosmic cowboy songs”としてかわいがられたKris Kristoffersonの“Me & Bobby McGee”、Merle Haggardの“Mama Tried”、そしてJohn Philipsの“Me & My Uncle”だ。これらの曲でのジェリーのプレイは、カントリー・ソングで広く知られる“テレキャスター・ピッキング”と彼自身の流麗さが素晴らしくブレンドされ、ここちよいスタイルが浸みこんでいる。

このリリースはデッドが1971年にプレイした数々の曲を象徴的に示している。彼らは自分たちの広大なフリーフォーム・スタイルを完全には放棄しない一方で、ショーはよりタイトに、よりコンパクトなサウンドを見せるようになった。ピッグペンの健康状態はこの頃悪化し始め、彼は休養することになるが、ここには彼の見事な歌唱が聞ける“Big Boss Man”が収録されている。またミッキー・ハートがこの頃バンドを去り(彼は1974年に戻ってくる)、ここでのドラムスは全てビル・クロイツマンによるものだ。彼はロックンロールの中で真に偉大なドラマーの一人だ。

“Playing In The Band”はリード・シンガーとしてのボブ・ウィアーの役割がより増していることを示している。“The Other One”はデッドの60年代の自由な即興演奏を思い起こさせ、このアルバムのハイライトの一つとなっている。71年4月26日のフィルモア・イースト・コンサートから収録された“Wharf Rat”はここでは特に強力だ。フィル・レッシュの驚異的なベース・プレイをフィーチャーした“Wharf Rat”はまた、多くのデッド・ソングスに提供していたロバート・ハンターの楽観的な詞によるものだ。ゴスペルのようなフィールを加えている美しいオルガン・プレイはMerl Saundersだ。彼はデッドがツアーをしていない時に、ベイエリアでガルシアと一緒に演奏していた。71年3月24日、ウィンターランドからのアンコール、チャック・ベリーの“Johnny B Goode”はストーンズのような熱いプレイだ。アルバムはいかしたヴァージョンの“Not Fade Away/Goin’ Down The Road Feeling Bad”で幕を閉じる。

きわめて透明な響きを持ったこれらライヴ・レコーディングのクォリティは驚くべきものであり、アルバムのエンジニアを務めたBob MatthewsとBetty Cantorはその名が知られるようになった。

今回のリリースに追加されたボーナス・トラックは、71年4月6日のマンハッタン・センターのコンサートからの2曲だ。リーバー/ストーラー作の“I’m A Hog For You”は、ジェリーとピッグペンによる甘くしなやかなデュエットがフィーチャーされている。ここで聴けるヴァージョンが、この曲の最後のパフォーマンスだ。バディ・ホリーのヒット曲、“Oh, Boy”はこの曲における彼ら唯一のエレクトリック・ヴァージョンである。

今日に至るまで、このアルバムに呼ばれ続けている二つの“非公式な”タイトルがある。Skull And Rosesはジャケット・アートから、Skullfuckはフィル・レッシュが使いたがっていたタイトルだ。ワーナー・ブラザーズはどちらも拒否し、単にGrateful Deadとした―ほとんど彼らのデビュー作、The Grateful Deadと同じである。いくらかタイトルをめぐる混乱が起きたにもかかわらず、レコードはよく売れ(確かに我々の店でもよくかかっていた)、彼らの最初のゴールド・アルバムとなった。またカヴァーの内側には“DEAD FREAKS UNITE. Who are you? Where are you? How are you?”というメッセージが載っていた。バンドは“Dead Heads”気付でリスナーたちに名前と住所をグループのオフィスに送るよう尋ねたのだ。これがバンドの忠実なファンに向けて記述した有名な言葉のうちの最初のものだ。反応は大きく、デッドのオフィスは半年間かけて全員に会報を送った。それにはジェリー・ガルシアからの次のようなメッセージが含まれていた。“僕らは君が誰でどこに住んでいるかを知っている。君の名を受け取った。”。

アルバムGrateful Deadは、まさに彼らの嗜好であることをバンドが認めたレコードのうちの1枚だ。ジェリーはリリース後、次のようにいっている。“これが僕らだ。グレイトフル・デッドの原型であり、基本のユニットさ。それぞれのトラックはグレイトフル・デッドが音楽的であることを示した好例であり、全描写だ。ニュー・アルバムは僕らがいつも撃ち合いの酒場にいるバンドだってことが分かるような全体像が描かれている。熱いよ!”

楽しい旅を!

-Paul Nichols & Hale Milgrim


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