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Grateful Dead / Live/Dead / 2003 Warner/Rhino R2 74395



ついに自由
レコーディング時代の到来の前にはライヴあるのみであった。与えられたあらゆるスケジュールに対し、テクノロジーの制限がなされた結果問題となったのは、戸外で創造の瞬間を聴いていた音楽を圧縮し、形を整え、彫刻し、ひとつの歌に制限することであり、その進化は我々に3分間のヒット・シングル、ラジオのプレイリスト、あまりに平凡なポップ・チャートの一般的水準をもたらすに至った。

何よりもグレイトフル・デッドは自らのエネルギーをレコーディング・スタジオで精密に配列させることで、その心地よい時を費やしていった。1970年のWorkingman’s Deadの時までに彼らは快適であったように見えるが、彼らの最初の奮闘は録音された音の限界そして無限の可能性と取っ組み合うことだった。バンドのSpring of Love(訳注:Summer of Loveの年である1967年の春のこと)のデビュー作は、まるで爆発的ヒットを放っていたかのように陽気で神経質でスピードアップされていた。1968年のAnthem Of The Sunはライヴとスタジオ・レコーディングが濃厚に重ねられていた。それはグループが絶え間なく演奏していたボールルームとフリー・コンサートのサイケデリックな環境を再構築し、彼らのアシッド体験を反響させることを目的としていた。Aoxomoxoaはその色調をさらに飛躍的にアウズリー(上質のLSD、Augustus Owsley 掘1965年サンフランシスコで調剤していた素人薬剤師)の物理的特性へと向けた。しかしライヴ・バンドというのは、いかなる瞬間においてもどこででも音楽を奏でることができるが、テープとレコード盤の中にその相対性を封じ込めるのは容易なことではなかった。

デッド体験の核となるのは、彼らのライヴを目撃し、マリファナを手に入れることだった。彼らの歌は共同体の息づかいを表わしていた。それは香気が漂う中、浮遊状態で旅を続ける行程である。

1969年最初の月に行なわれた故郷のサンフランシスコのコンサートから収録されたLive/Deadは、バンドがAoxomoxoaを作っていた時期にレコーディングされた。そのスタジオ・アルバムはかなりのコストがかかり(そしてほとんど売れなかった)、デッドもワーナー・ブラザーズも財政的不安を取り除く必要があった。現金収支は別として、ライヴ・アルバムを作るには絶好の時であり、その要請は圧倒的であった。

出来上がった2枚組アルバム―1969年11月10日にリリースされた。それは60年代最後の祝日だった(オルタモントの悲劇が、むこうみずに走る10年間がヒッピー神話をいかに傲慢にもてなすかを予言するたった一ヶ月前だ)―は、グレイテスト・ヒッツ・メドレーではほとんどなかった。何気なく曲の途中から始まり、フィルとジェリーとボブの三者間の絡みは“Dark Star”に向かい、それはほとんどあたかもあなたがショーに出向くと、いったん演奏が常道を外れていき、群衆とバンドは夜が来るのを待ちわびながら事を始めるかのようだ。つまりプレイ時刻の最高点だ。

“St. Stephen”はAoxomoxoaからの新曲だった。“The Eleven”はAnthemから外されたナンバーだった。そしてピッグペンが魅了(turn on)させてくれる“Turn On Your Love Light”のような長きに渡る人気ナンバーは、いかにして彼らの歌が表現されるかが示されている。それは基地から飛び立ち、即興によるデッドの月面歩行(月面歩行が実現した年だ)であり、バウンドし、時には地球外風景に見える地平線を見ようと着陸する。これはデッドの歌に共通するものであり、デッドの自由奔放なエレクトリック・ブルーグラス&ロールと同じくらい豊富なロバート・ハンターの言葉遊びによる詞によって引き伸ばされている。

この時はまた重要な時期でもあった。なぜなら拡張していくバンドの楽器形態を固めていった頃だからだ。キーボードのTom Constantenは1968年の11月にやって来た。デッド混合物への彼の同化はBill Kreutzmannと共にツイン・ドラムをプレイするミッキー・ハート同様、ここで本格的に始まっている。我らが最愛のピッグペン、Ron McKernanはデッドがその音楽的複雑さに向かって奥深く探求するにつれ、退行していったように見えるが、彼の個性と野卑精神はバンドのバイカー・ルーツにおいて不可欠なものだ。私はこの時のライヴを覚えている。なぜならサマー・オブ・ラヴの終わりのある日、私は堕落天使Chocolate Georgeを称えるために行なわれたゴールデン・ゲイト・パークでのデッドのコンサートに足を運んだからだ。

他にも記憶に残っているものがある―初期のデッドがニューヨークを訪れ、Palm Gardens, Café Au Go-Goに出たこと、フィルモア・イーストでのある日の夜明けは“Turn On Your Love Light”が、喜びにあふれた数時間のクライマックスであり、バンドはめいっぱいの照明の中にいて、規則的なフラッシュバックを体験した。会場の全ての照明が灯っていた。

称えるべきは、デッドが束の間の性質を持つライヴ体験をふまえ、オーディエンスにテープ録音を奨励したことだ。バンド自身のアーカイヴは、Dick’s Picks―あるいはThe Phil ZoneまたはBear’s Choiceの許可の下リリースされたが、皆同様にグループが互いに共生しながら探求を続ける測り知れない価値のある記録だ―特に今バンドはジェリーの死後、分裂して活動している。

ブートレグやテープ・トレーディングが決まり事になる前、Live/Deadはグループの流動的な相互作用のあるパフォーマンスが持ち味となる最初の段階を表わしていた。選曲は彼らの定番曲となるものが含まれていた。“The Eleven”と“Turn On Your Love Light”は1月26日アヴァロンの3日間興行のうちの最後のショーからだ。一ヵ月後の2月27日、4日間のフィルモア・ウェストでの最初のショーからは“Dark Star”と“St. Stephen”が収録された。4日目のショーはレコードの4面目に収録された。堅固な“Death Don’t Have No Mercy”、そのままのタイトル“Feedback”、そして以降、我々と共にある“And We Bid You Goodnight”だ。

これは極上のデッドであり、彼らの伝説の転換点をとらえている。今現在から続く四半世紀の間もこれらのパフォーマンスは、デッド・ヘッズに愛される彼らのイコン的な姿を示すものとなるだろう。今やデッド・ヘッズはグループのジャムをゼリー状にうねらせるような浮遊性のある魂の共同体だ。継ぎ目のないコール・アンド・レスポンスの伝統は、時代が進むにつれ儀式化されるだろう。それは断絶なくプレイされるソロに十分な必然性を与える先見の明であった。Live/Deadはより発明のスリルに満ちたアルバムだ。先見の明をもって知られざる領域へ踏み込んだ大胆な織物だ。驚愕の瞬間が常に存在している。

驚くなかれ、70年代に影響力を持っていたローリング・ストーン誌でLive/Deadをレビューし、私はある気持ちを表明した。もし君がこの5年間に存在した音楽のある場所を見てみたいのなら、その現場はここにあると。私は1年近く休むことになった。1975年11月10日、ランボーの命日にHorses(訳注:パティ・スミスのアルバム、筆者レニー・ケイはそのギタリスト)という1枚のアルバムがリリースされた。バンドはあわただしかったが、それはもうひとつのボヘミアン世代の一派だった。彼らの終わりのないインプロヴィゼーション感覚は、デッドの共同体エネルギー、言質、そして恒星間の神話によって鼓舞されていた。

感謝あるのみ。

-Lenny Kaye


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