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Davey Graham/After Hours/1998 Rollercoaster Records Roll 2022



デイヴィ・グレアムは音楽の様式を変革し、独創的でオリジナルな才能を持った1人だ。彼はあらゆる領域のミュージシャンたちに影響を与えた。60年代のフォーキーたちは驚きをもって彼のプレイを聞き、ブルース・プレーヤーたちは彼に羨望の念を抱いた。彼のレコードはロック・ミュージシャンたちのワゴン車の中にころがり、まじめなオーケストラ・ミュージシャンたちの楽屋の中に散乱していた。

彼の発明したチューニングは、世界中のギタリストによってコピーされた。そのうちの1つである有名なDADGADチューニングは、She Moved Through The Fareのマジカルな再解釈としてここに収録され、今や事実上、アイリッシュ/スコティッシュ・ミュージックのスタンダードとなっている。60年代のパーティーでは欠くことのできないBGMであった彼のオリジナル作品、Anjiは、新進のギタリストたちの課題曲となり、ポール・サイモンとバート・ヤンシュからウィズ・ジョーンズに至るまで、あらゆる者たちにカヴァーされた。

最初のギターを手に入れてからたったの数週間で、デイヴィは説得力あるビッグ・ビル・ブルーンジーの模倣ナンバーをものにしてしまった。彼の急速な成長と新しいアプローチに対する意欲は、同時代のアーチストたちが困惑してしまうほどだった。他の者が法則としてみなすことを、彼は単なる問題点としてみなし、それは卓越した彼のギターによって華麗に解決されてしまった。その結果、彼はケン・ラッセルとジョセフ・ロージーの映画に出演することになり、エリザベス・テーラーの前でプレイし、アレクシス・コーナーとジョン・メイオールの関心を引くことになった。

「僕はギターのためにプレイするんだ。大衆のためでも自分自身のためでもなくね」 彼はかつてそう話したことがある。たしかに彼は音楽全体を、ギターのための1つの広大なリソースとしてとらえていたように見えるし、彼はその志を特異なものとして理解していなかったに違いない―人と違った型にはまらない音楽を創り上げ、技巧派ギタリストとして概念の変革を成し遂げてしまうことも。

60年代においてさえ、彼は伝説だった。ジョン・レンボーンが指摘したように、新しい波だったアコースティック・ギタリストたちがブライトン・ビーチのことを考えていた時に、彼はすでにタンジール(モロッコ北部の港町)から帰国していた。彼はフェスティヴァル・ホールでシャーリー・アビカーのバッキングを務めたかと思うと、次にはインド、ギリシア、トルコ、北アフリカへ答えを求めて旅立っていた。それだけが彼の実践する音楽的解決法だった。彼はギターに対する考え方を一変させ、現代のギター・スタイルにデイヴィ・グレアムの血を受け継がないものはほとんどないといえる。もちろんある者たちは彼から大きな影響を受けている。ピエール・ベンスーザンのようなコンテンポラリーなアーチストたちは、健康問題によってグレアムが活動を休止した時に、その志を受け継いでいった。

彼がフルタイムのプレイをしなくなると、彼の制作した数々のレコード―測り知れないほどの影響力を備えたFolk, Blues, and Beyondですら、次第に手に入らなくなってしまった。ハル大学のプライヴェイトなポスト‐フォーク・クラブに出演した時の模様を収めたこのLPは重要なドキュメントであり、驚くほど良質な録音状態だ(完全ヴァージョンはCD((RCCD 3021))で入手可能だ。そのCDはすでに満場一致の称賛を受けている)。そういった称賛が浴びせられた結果、現在デイヴィ・グレアムの残した傑作レコードのリイシュー計画が進行中だ―おそすぎるくらいだが。とにかくこのLPでは、CD、After Hoursのベストを聞くことができる。

デイヴィ・グレアムのファンの1人が、フェアポート・コンヴェンションに無二のサウンドを持ち込んだフィドル・プレーヤーのデイヴ・スウォーブリックだ。彼は60年代に伝説のトルバドール・フォーク・クラブで、グレアムのプレイを聞いた時にぶちのめされてしまった。

「誰のプレイをも超えた彼にみんなノックアウトされたね・・・ 誰もやったようなものでもなかったし、誰かがやろうと思ってたようなことでさえなかったんだ・・・ After Hoursを聞くとあの当時に戻るような気分だね・・・ 発明者としての彼の才能が自由にあふれ出てくるようだ。どんな音楽的方向性だろうと、テクニックの欠如によって邪魔されることが全くないんだ・・・ どう見たってこれは唖然とするようなプレイだね」

ジョン・ピルグリム



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