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Dando Shaft/An Evening With…/2001 Demon Records Ltd. EDCD 711



60年代から70年代に向けて流れ出したブリティッシュ・ミュージック・シーンの魅力的なある一面が、僻地で続いていた主流を越えた音楽的探求であった。果てしのないブルース・スタイルをとりとめもなく即興演奏したり、入念にコンセプトにこだわって発展させ作り上げるのではなく、ある者たちは折衷主義を取り入れ、トラディショナルな様式の中に可能性を見出し調査し、過度な電気的増幅を避け、より有機的な音楽的枠組を好んで探究していった。もちろんその様式でのイングランドにおける田園趣味のマーケット・リーダーがフェアポート・コンヴェンションだった。しかし一方でペンタングルのような者たちは、さらに突飛な要素を自分たちの音楽的背景の中に融合させていた。それは例えばフリーフォームなジャズや古楽などだ。田舎にとりつかれた者たちは前述したようなものは少しも持っていなかった。

トラフィックは“田舎に集まろう”といったコンセプトを発明したが、ニック・ドレイクは当時ほとんど称賛されていなかった(もちろん彼は死後以降、再評価されるようになった)。一方でパブ・ロッカーといわれるブリンズレィ・シュウォーツは、まだ未熟なアルバム‘Despite It All’で、全体に渡ってアコースティック・バラッドへの傾倒を示していた。今回の素晴らしいエドゼルからのリイシューの主役であるダンドゥ・シャフトは、そのクールな発明の才とミュージシャン間の驚くべき相互作用の点からいって、1960年代後半のブリティッシュ・ルーツ・ミュージック・シーンから出現した最も興味深いバンドのうちのひとつだ。

バンドは1968年にイングランド中部のコヴェントリーで結成された。少し話は脇道へそれるが、この頃の音楽シーンは‘ポップ’と‘ロック’バンドの間に裂け目を作り始めていた。シングル・チャートはゆっくりと衰退していき、いくらかの高慢な者たちは、増えつつあった表現媒体としてのLPレコードに比べてシングルは価値を見出せないものとして、開けっぴろげに嘲笑していた。なるほど45回転シングルは、パンクが76年と77年にその重要性を復権させるまでは復活しなかった。ブリティッシュ・ブルース・ブームはチキン・シャックやフリートウッド・マックらが隆盛を極め、最高潮に達していた。

プログレッシヴ・ロックはザ・ナイスらのようなバンドたちが完璧なクラシック/ロック・アルバムを作り上げようと、アメリカをも巻き込んで結晶化し始めていた。一方、商業主義に冒されていなかった中での最高峰だったバート・ヤンシュとジョン・レンボーンはともにペンタングルとして、あるいはソロとしてアコースティック・ギターのはるか外側の限界を探求し始め、ジミー・ペイジも同様の旋律を奏で始めた。アメイジング・ブロンデルのような中世まがいのバンドは、学生自治会サーキットでかなりの魅力を振りまき、USAではカレイドスコープ(訳注:デヴィッド・リンドレィがいたグループ。のちにフェアフィールド・パーラーとなった英国のグループとは別)らがワールド・ミュージックを実験し始め、ザ・バンドでさえアメリカ文化に触発されたアルバムが評論家たちから大絶賛を浴びていた。

主にアコースティックなUKフォーク/ルーツの環境においては、ダンドゥ・シャフトが革新的なコンボとして出現した。彼らの様々な仲間同様、数種の音楽的要素に挑戦したが、時には彼ら独自のものといえる音楽的高みに達していた。アルバム‘An Evening With…’に参加していた顔ぶれは、デイヴ・クーパー(ギター、ヴォーカル)、マーティン・ジェンキンス(ヴォーカル、マンドリン、ヴァイオリン、フルート)、ケヴィン・デンプシー(ギター、ヴォーカル)、ロジャー・ブレン(ベース)そしてテッド・ケイ(パーカッション)だ。彼らがともに作り上げた音楽は、様々なアコースティック・サウンドとスタイルの興味深い混成物であった。楽曲は全てがグループのオリジナルだが、マーティン・ジェンキンスによるアレンジメントがグループの特徴を主に決定づけている。あるいはこのアルバム・タイトルがこの作品がライヴ・レコーディングであることを暗示しているのかもしれないが、このスタジオ・ワークが非常に魅力的で喜びにあふれたものであったことは事実だ。

アルバムは元々1970年にヤングブラッド・レーベルからリリースされた。この英国の独立レーベルはMiki Dallonという一人の男によって経営されていた。Dallonはそのレーベルではそれまでもっとポップな領域で成功を収めていた―たしかにダンドゥ・シャフトのアルバムは、彼がプロデュースにあたったドン・ファードンの‘The Lament Of The Cherokee Indian Reservation’がUKシングル・チャートのトップ3に入ったのと同時期に無造作にリリースされたものだった。ずっと以前にDallonは失敗に終わったが短期間ポップ・ソロ・シンガーとしてデビューしたことがあり、そのあとにプロデューサー、ライターに転身し最も成功したのが原始フリークビート・コンボ、ザ・ソロウズだった(訳注:ザ・ソロウズのリード・シンガーがドン・ファードンだった)。この点においては、Dallonがダンドゥ・シャフトをプロデュースしたことは、シェル・タルミーとペンタングルの関係と同じことがいえる―タルミーもザ・フー、キンクスそしてザ・バチェラーズで成功を収め、さらに型にはまらない逸材に手を染めることができたのである。我々が即座に思いつくインディ・レーベルとしては1976年に発足したスティッフ・レコーズがあるが、60年代後半から70年代初頭にかけてもヤングブラッド、B&C、モーガン・ブルー・タウンらのような様々なインデペンデント・レーベルが登場し、それぞれがあらゆるポップ/ロック・ビジネスを展開していた。

ダンドゥ・シャフトはメインストリームのレーベルが契約するには、明らかに商業ベースに乗らなかったかもしれないが、彼らの音楽的魅力は一聴してダイレクトに伝わってくるものだ。アルバムのオープニング・トラック、‘Rain’のような魅力は他では味わうことのできないものであり、この比較的洗練されたジャズ・ワルツのリズムは、アルバム全体のイメージである不可欠なモチーフとしての叙情詩的なスタイルを補強するものだ。楽器間の相互作用、そしてアコースティック・ギターとマンドリンの対照的音色は、時折はっとさせるものがあるが、その当時のプロダクションは単に興味をそそるような聴覚的効果を提供しているに過ぎない。またバンドは月並みなドラマーは持たず、アコースティック・ギターとベースの動きによって、その繊細なビートを雰囲気ある魅力的なプレイによって表現している。レコーディングの肌触りと大部分がアコースティックなバッキングは、いくらか秋を思わせる内省的なムードをかもし出している。楽曲は伝統的なヴァース/コーラスの構造を持たず、もったいぶったり、自意識過剰な芸術家気取りを装ったりすることなく、暗示的で色彩豊かなイメージを喚起させる。それらは例えば他のあるアーチスト―ニック・ドレイク、ドノヴァンでさえも彷彿させる。あるいはティム・バックレィの‘Happy / Sad’のような人を迷わせるような気だるい雰囲気さえも感じ取ることができるが、その肌触りは絶対的に英国の田園のものだ。

2曲目の‘Cold Wind’はさらに見事なアコースティック・ギターとマンドリン・ワークをフィーチャーしている。これは‘Cat Song’をB面に、当時シングルとしてリリースされた。

他に見ていくと、‘September Wine’はザ・バンドの2枚目のアルバムに入っている‘King Harvest(Has Surely Come)’の変形としての英国版田園詩という印象を与える。その瞑想的ムードはまさに前述したニック・ドレイク、バート・ヤンシュと似たような水域にあるが、その音楽的表現力は彼ら自身の発明品だ。バンドが田舎のブリテンの伝統的な儀式を再設定する範囲において、それは興味深いものとなる―それは冬が始まる前の豊富な季節、収穫期であり、音楽は色彩豊かに、現代性と伝統/同時代性が反映される。‘In The Country’は伝統的なテーマである‘町と田舎’を取り上げ、それ自体が何かを付言している。繰り返し出てくる甘いフルートの旋律はアコースティックなバッキングと一体となり、内省的な詞と融合する。なにかワーズワース(自然を歌った英国の詩人)的な‘静寂の中に呼び戻される瞬間’が広がっていく。この逃避願望はトラディショナル・ミュージックと同じように、ポップの世界でも脈々と流れているものだ。それは例えばジョージー・フェイムの‘Getaway’、クリフ・リチャード/ザ・シャドウズの‘In The Country’、あるいはニール・ヤングの‘Everybody Knows This Is Nowhere’でさえも当てはまる。

インストゥルメンタルの‘Drops Of Brandy’は再びバンドの想像力あふれる相互作用あるプレイによって、ハイライトを作り出している。またこれは巧みな音楽的ジョークが差し込まれている。エンディングにおいて、まさにイングリッシュ・トラディショナル・フォークのラインの次にブルージーなギター・コードが使われるのだ。‘End Of The Game’のヴァイオリンはアメリカン・トラディショナル風であり、ほとんどアパラチアン・スタイルだ。これも彼らの折衷主義を表すものであり、彼らの強味のひとつだ。

アルバムのラスト、‘Lazily, Slowly’は間違いなく最も因襲的な売れ線の1曲であり、繰り返されるアコースティック・ギター/フルートのユニゾンはただ単純に美しいものだ。川のうねりを思わせる切ない詞的なイメージと誘惑のことばによって、それはトラディショナルとコンテンポラリーが著しく共鳴し合うスタイルへと作り変えられている。その感動はこの3分8秒のトラック終わった後も長く心に残るものだ。

ダンドゥ・シャフトはヤングブラッド・レーベルにアルバムを1枚のみ残し、そのあとRCA傘下の‘プログレッシヴ・ロック’レーベル、ネオンに移籍した。そこでは自らの名を付したアルバムと、親会社のRCAヴィクターでアルバム‘Lantaloon’を録音した。この時までに彼らは女性ヴォーカリストとしてポリー・ボルトンを迎えていた。彼女は素晴らしくピュアで印象的なスタイルを持ったシンガーだった。この時には彼らは国内に、とりわけ学生自治会サーキット・ベースに支持者をつかんでいたが、プレスとメディアの中にいたファンたちの支持によるところが大きかった。彼らはもう1枚RCAで未リリースとなったアルバムを録音したようだが、その後グループは分裂してしまった。のちの1977年、タインサイド(イングランド北部)を拠点とする地元のレーベル、ラバー・レコーズからのコンピレーション・アルバム‘Kingdom’によって彼らはシーンに戻ってきた。

そのアルバムにフィーチャーされていたのが、リンディスファーン、ジャック・ザ・ラッド、ペンタングルと他のアーチストの作品で名声をつかんでいた偉大なベーシスト、ダニー・トンプソン同様、バート・ヤンシュと組んでいたベーシストのロッド・クレメンツだった。そのアルバムは以前のものに‘改良を加えた’ものとして必然的に、やや魅力に欠ける作品だったが、‘Stroller In The Air’のようなトラックは初期の彼らのクオリティを何とか再現することに成功していた。マーティン・ジェンキンスはヘッジホッグ・パイに加入し、ラバー・レコーズでレコーディングを続けた。そして80年代後半にケヴィン・デンプシーとともにウィッパースナッパーを再結成し、コンテンポラリーなスタイルでイングリッシュ・トラディショナル・フォームを追求した。彼は今でもフィドル・プレイヤーのトム・リアリーとともにデュオとして活動している。あるいは彼らの最高の瞬間はダンドゥ・シャフトの珠玉の1枚、この‘An Evening With…’に帰せられるかもしれない。そして30年以上経た今でも、このアルバムからそう遠くないことを表現する昨今の者たちの‘New Acoustic Movement’や‘Quiet Is The New Loud’のシーンにタイムリーなインスピレーションを与えてくれるかもしれない。

アラン・ロビンソン 2001年8月


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