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The Clash/Super Black Market Clash/1999 Columbia 495352 2



1976年5月31日のウェスト・ロンドンでジョー・ストラマーは自身のバンド、The 101ersを解散させることにし、前日の晩にバーナード・ローズによってオファーされた提案を聞き入れ、ミック・ジョーンズ、ポール・シムノン、そしてキース・レヴィンと共に新しいバンドを組むことにした。まもなくテリー・チャイムズがドラマーとして加入しザ・クラッシュとなった彼らは、7月4日にセックス・ピストルズ、シェフィールドのブラック・スワンと共に最初のショーを敢行した。彼らの‘公式’のデビュー・ライヴは1976年8月13日、彼らが拠点としていたカムデン・タウンの‘Rehearsal Rehearsal’でのことであった。しかし10月までにザ・クラッシュの編成はミック・ジョーンズ、ポール・シムノンそしてジョー・ストラマーのみになっていた。テリー・チャイムズが彼らのファースト・アルバムのレコーディングのために戻ってきたが、1977年4月にニッキー‘トッパー’ヒードンが正式にドラマーとして加入するまではヘルプとして叩いていた。

1977年3月18日に最初のクラッシュのレコードとシングルが英国でリリースされた。しかし彼らのセカンド・アルバムでアメリカ・デビューとなる‘Give ‘Em Enough Rope’が出たのは1978年11月になってからだった。アメリカではアルバムのみならず、シングルでさえ彼らの居場所はなかった。彼らのファースト・アルバム、‘The Clash’はアメリカのレコード会社の重役たちにアメリカの一般大衆にとってはあまりに粗雑にプロデュースされ過ぎていると考えられていた。1979年7月になって‘The Clash’はついにアメリカでリリースされたが、1977年4月に最初に英国でリリースされて以降発売されたマテリアル(訳注:例えばシングルのComplete ControlやI Fought The Lawなど)を追加して曲順が変更されていた。オリジナルの10インチ・レコード、‘Black Market Clash’が1980年10月にリリースされたあとでさえ、まだアメリカでは未リリースとなっていたマテリアルがあった。しかしついには英国でも手に入らなかったマテリアルがアメリカでリリースされるに至った。

1977年3月から1982年6月の間にザ・クラッシュは18枚のシングル、5枚のアルバム(2枚組と3枚組含む)、4枚の12インチ・シングル、そして2枚の7インチEPをリリースした。1993年には多くのクラッシュのレコーディングの数々が廃盤となったまま、ヴィニール・レコードは「絶滅の危機に瀕した種」から完全に「絶滅リスト」に移動してしまった。しかしこの‘Super Black Market Clash’がその多くを救済することになったのである。

1977
最初にプレイされたのは、1976年9月20日の100クラブ・パンク・フェスティヴァルにおいてだった。アルバム‘The Clash’のレコーディングが始まった3つの週末のうち最初に‘White Riot’と共にレコーディングされた。

LISTEN
‘The Capital Radio’のEPを入手するには、アルバム‘The Clash’の初回盤に付いていた赤のステッカーを郵送しなければならなかった。するとニュー・ミュージカル・エクスプレスから引換券が送られてくることになっていた。ここで今回初めてトニー・パーソンのインタビュー無しのヴァージョンが聞ける。

JAIL GUITAR DOORS
ミック・ジョーンズの記憶によれば、101’ersのライヴでやっていた曲。結局ジョー・ストラマーがThe Clashとして詞を変えてレコーディングすべきだと説得された。

THE CITY OF THE DEAD
ロンドンの‘Complete Control’セッションでリー‘スクラッチ’ペリーと共に‘Pressure Drop’のレコーディングを試みたあとにレコーディングされたが、うまくいかなかった。

THE PRISONER
‘Give ‘Em Enough Rope’レコーディング中に行なわれた‘The Marquee Sessions’でレコーディングされた。セルフ・プロデュースによるこれらセッションではまた、‘White Man in Hammersmith Palais’、‘Pressure Drop’そして‘Time is Tight’が生まれた。

PRESSURE DROP
1977年5月のホワイト・ライオット・ツアーで初めてプレイされた。このToots & the Maytalsのクラシック・ナンバーのレコーディングはクラッシュの2度目の試みだった。

1-2 CRUSH ON YOU
まだジョー・ストラマーが加わる前に、ミック・ジョーンズとポール・シムノンが共にプレイしていた初期のナンバー。1976年のライヴでクラッシュとしてプレイされた。

GROOVY TIMES
‘Give ‘Em Enough Rope’のデモ・セッションでレコーディングされた。誰よりも多くの時間をザ・クラッシュと共にスタジオで過ごすことになるビル・プライスと共に、Wessexスタジオで完成した。

GATES OF THE WEST
大部分が‘Give ‘Em Enough Rope’セッションでレコーディングされた。またEP、‘The Cost Of Living’に加えられることになりロンドンで完成した。

CAPITAL RADIO TWO
1979年までにオリジナルの‘Capital Radio’EPは40ポンドの値がつき、たくさんの高価な海賊盤コピーが出回っていた。そこでリーズナブルな値段で容易に入手できるよう、この曲を再レコーディングすることを決定した。

TIME IS TIGHT
ザ・クラッシュはサウンド・チェックでしばしばインストゥルメンタルをプレイしていた。このブッカーT&The MGsのナンバーは彼らのお気に入りで、レコーディングされることのなかった‘Pop Goes the Weasel’も同様だった。

JUSTICE TONIGHT/KICK IT OVER
ザ・クラッシュが初めてリリースしたダブ・レコーディング。これはウィリー・ウィリアムズの‘Armagideon Time’のガイ・フォークスによる暗いロング・ヴァージョン。最初にライヴでプレイされたのは、1979年アメリカの‘The Clash Take The Fifth Tour’。

ROBBER DUB
CBS UKは‘Bankrobber’をシングルとしてリリースすることを望んでいなかった。ここで初めて聞けるのは完全な‘Dread at the Controls’ダブ・ヴァージョンで、リリースされることのなかった‘Bankrobber’の12インチ・シングルとして作られたもの。

THE COOL OUT
この‘The Call-Up’のリミックス・ヴァージョンはPepe Unidosとクレジットされていた。これはポール・シムノン、バーナード・ローズ、ジョー・ストラマー3人の変名。

STOP THE WORLD
核軍縮キャンペーン支持のためにリリースされた。

THE MAGNIFICENT DANCE
‘The Magnificent Seven’のリミックス・ヴァージョンで、これもクレジットはPepe Unidos。これをヘヴィ・ローテーションでオンエアした多くのニューヨークのR&Bラジオ局は、ファンたちが1981年6月にボンズ・インターナショナル・カジノ外側の広場、タイムズスクエアで暴動を起こすまでThe Clashが何者なのか知らなかった。

RADIO CLASH
これは文字通り‘This is Radio Clash’のB面。7インチ・シングルのA面に収録するには長過ぎたため、マスターが二つに分けられ両面に収録されリリースされた。

FIRST NIGHT BACK IN LONDON
リハーサル・ルームの移動式スタジオで実験的にレコーディングされたが、まもなくニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオに戻ることが決定された。

LONG TIME JERK
これもイアー・リハーサル・スタジオからで、他のほとんどのトラックが移動式スタジオで録音されたが、再レコーディングされ‘Combat Rock’に収録された。

COOL CONFUSION
ほとんどが収録されることになった‘Combat Rock’セッションでレコーディングされた。

MUSTAPHA DANCE
この‘Rock The Casbah’のダンス・リミックスは、1982年の‘North American Campaign’の最初に作られた。


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