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The Charlatans/San Francisco 1969/2004 Universal Music/Evangeline Records Works Ltd. ACA 8067



1969年サンフランシスコ 覚醒剤、ヘロイン、オルタモント。最盛期は幕を閉じた。どぎつい極彩色の初期の栄光はちょうど3年前に突然と現われていた。ジャニス、スライ、サンタナ、デッド、そしてエアプレインは世界的に知られていたが、地方のストリート・レベルではシーンはもうだめになっていた。モビー・グレイプは解散し、トム・ドナヒューはアンダーグラウンドFMのKSANのボスの座を降りていた。ビル・グレアムはその年の終わりまでにフィルモア・ウェストを去ることを告げた。その数ヶ月前、ローリング・ストーン誌は“ザ・シャーラタンズ、全てに先がけ、今や深い闇の中へ”と、まるで追悼のような記事を伝えていた。

ザ・シャーラタンズ!その名だけでウェスト・コーストの60sロック・マニアにとっては魔法をかけられたような気分になってしまう。サンフランシスコの最初のロング・ヘアー・サイケデリック・バンド、ネヴァダの賭博サロンから細身のスーツを着込み、西部の活気ある20年代の出で立ちで現われ、65年に“アメリカ文化”を創作すべく、キャッシュ・アンド・カーター・ファミリーの歌集を手に入れ((ある評論家は彼らのサウンドを“高速のステファン・フォスター”(米歌謡作詞・作曲家)と名付けた))、誰よりも先にレコーディング契約を結んだ(ラヴィン・スプーンフルのプロデューサー、エリック・ヤコブセンとカーマ・スートラ・レコーズ)。一丁のショットガンと口車的なやり方によって交渉は行なわれた。そういう連中だ。

しかし1969年までにシャーラタンズは完全に消え失せていた。創設メンバーのダン・ヒックスとマイク・ファーガソンは脱退し、ドラマーのテリー・ウィルソンとピアニストのダレル・デヴォアが代わりに入ってきた。それぞれはお互いに合意したかしないか分からないが、創設メンバーのジョージ・ハンターもグループを去った。残されたオリジナル・メンバーのリチャード・オールセン(ベース、ヴォーカル、木管楽器)とマイク・ウィルヘルム(ギター、ヴォーカル)は二人の新しいメンバーを加えた。

“マイクと僕は何とかシャーラタンズのヴィジョンを維持しようとがんばってたよ”オールセンはいう。“僕たちはまだ何かできると考えていた。長い間一緒にがんばってきたしね。カーマ・スートラと契約したあとも、たくさんのレコーディング・オファーが舞い込んできたね。でもジョージはいつもオファーしてくる者たちは自分たちに十分ふさわしくないと感じて断っていたんだ。マイクと僕は‘契約すべきだ!’っていってたんだけどね。”

オールセン、ウィルヘルムと‘new’シャーラタンズは、1969年にマーキュリー傘下のフィリップス・レコーズと契約したが、前金はわずかに4人で10,000ドルであった(それより1年前、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとスティーヴ・ミラー・バンドはそれぞれ50,000ドルにプラス、ボーナスを受け取っていた)。ファースト・アルバム、The CharlatansはサンフランシスコのPacific High Recordersで半年以上をかけてレコーディングされた。オールセンはレーベルがレコーディングには外部のプロデューサーを使うことを提案したのを覚えている(そのうちの1人がMac“Dr. John”Rebennackだった)。しかしグループはDIYの精神を選択し、エンジニアのダン・ヒーリィと共に自らプロデュースを行なうことにした。

一方オリジナルのラインナップでは、カーマ・スートラにすでにアルバム1枚分のレコーディングを済ませていた。バンドの公式のデビュー・アルバムThe Charlatansを制作するに当たって、その時までそれはまだリリースされていなかった。公式なデビュー・アルバムの魅力はそれに時代的な改良を加えたに過ぎなかった。ところどころで少しごちゃごちゃとした部分があるとしても(“僕たちはアレンジに凝り過ぎてしまったね。”オールセンは認める。“何でもかんでも重ね過ぎたんだ。”)、全力を尽くしたバンドの真剣さが表れているし、白人ブルース調の刺激的な騒音による西部のロックンロール・バンドの魅力にあふれ、アヴァロンとフィルモアのステージで群集の心をつかんだのである。

5曲がオリジナルのシャーラタンズのセットリストからだ。ウィルヘルムのとてつもなく粗野なバリトン・ヴォイスは“Folsom Prison Blues”(彼の声は歳より老けて聞こえ、これがジョニー・キャッシュのうらぶれた敗者の歌詞に説得力を与えている)と“Wadash Cannonball”を力強く聞かせる。後者でウィルヘルムが弾く猛烈なチャック・ベリー・スタイルのソロが、曲の中を転げ回っているのに注目してほしい。オールセンはのん気な“When I Go Sailin’ By”を書き、歌っている。これはシャーラタンズの独特なスタイルを特徴づけている1910年代と20年代の音楽にオマージュを捧げた刈りたての一本だ。君の麦わらのかんかん帽をくるくると回してくれるだろう。

ウィルヘルムの“Blues Ain’t Nothin’”は少しせわしないかもしれないが熱い演奏だ。ゴロゴロというドラムスがブラスの一撃へと疾走し(“Hold On I’m Comin’”の倍速リフのようだ)、ピアノとサックスの跳躍はヴォーカルの周りで盛んにアジっている。そしてウィルヘルムのギターはまさかりのごとくそれをぶった切る。カオスと化したクライマックスは“Alabama Bound”の中で現われる。シャーラタンズ印の1曲であり、“long song”だ((フリスコ(Frisco:サンフランシスコ)のバンドは皆こういった1曲を持たねばならなかった))。この7分間ヴァージョン、全員によるヴォーカル、サックスとクラリネットを担当するオールセン、その大部分は彼らが66年以降プレイしてきたそのままの雰囲気を伝えている。古風でくすんでいて、熱狂的で不吉だ。((“次の曲は、”ウィルヘルムは時々こう紹介する。“僕たちが少し手を加えたジェリー・ロール・モートン(米ジャズ・ピアニスト)・ナンバーだ、いや、実際大幅に手を加えた。チベットのモード・チューニングを使ってね。”))

“Ain’t Got the Time”はモダンだ。ウィルヘルムによるほとんど意気揚々のフォークロックである。“High Coin”はもちろんヴァン・ダイク・パークスの名曲であり、ハーパーズ・ビザールからウェスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンドに至るまで誰もがカヴァーした。“Coin”の最終部分(12弦、サックス、ギター・アクセント)はこの曲のカヴァーの中で際立った1曲として特徴づけている。

アルバムの残りの4曲は新しく加入したカンサス・シティ出身のジャズの素養を持つピアニスト、ダレル・デヴォアによって書かれた。(ドラマーのテリー・ウィルソンは初期のサンフランシスコのコンボ、Orkustra出身であり、そのメンバーの中には前It’s A Beautiful DayのDavid LaFlammeと前MansonのBobby Beausoleilがいた。)

デヴォアの曲は他に比べて明るいトーンを持ち、確かにポップ・ジャズの香りがする。親しみやすいメロディと冒険的なリズムを取り入れた二つの特徴を持っている。軽快さとブギウギが交互に出てくる“Doubtful Waltz”は、効果的なテンポ・チェンジが出てくる。また三拍子は“When the Movie Are Over”の中でも使用され、オールドタイムなピアノを伴ったこのメロドラマチックまがいな曲は、オリジナルのバンドのレパートリーにぴったりに違いなかったであろう。

デヴォアの“Easy When I’m Dead”はあまり目立たないが、メロディックなフックは強力であり、ブレイク部分とエヴァリー・ブラザーズ・スタイルのコーラスは興味深い。ウィルヘルムのギターの閃きは、ジョン・シポリナ(クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス)のトレモロ・スタイルのギターを強く暗示させる。

その素晴らしい出来にもかかわらず、The Charlatansは乏しい反応しか得られなかった。フィリップスは1枚のシングル、“High Coin”b/w“When I Go Sailin’ By”をリリースしたが、実際熱心なプロモーションは行なわれなかった。しかし率直にいって、レーベルがいかにシャーラタンズの簡潔で調子のよいロック・ナンバーを流通させようとも、1969年までに聴衆はより気ままなジャム・セッションと芝居がかったヴォーカルに騒ぎ立て始めていた。Creams and Lizard Kingsの食い過ぎか?(訳注:クリームとキング・クリムゾンのことか?) (グループは4人編成でライヴをしていた。オールセンは“フリーフォーム”なインストゥルメンタル・プレイに重点を置いたプロフェッショナリズムに欠けるフィルモアでの全く印象に残らないギグを覚えている。)

ザ・シャーラタンズはその年(69年)の暮れに解散した。オールセンは迅速に3年の期間、パシフィック・ハイ・スタジオのゼネラル・マネージャーとしての仕事に取りかかった(“僕はスタジオとローカル・ミュージック・コミュニティの間のつなぎ役だった”)。彼はそこでWorkingman’s Dead(グレイトフル・デッドのアルバム)とスライ、ヴァン・モリソンそしてクイックシルヴァーのアルバムを手伝った。続く70年代の初頭は旅行に費やし(アフリカに2年間、その後時折フランスに渡り、大道芸をしたり、パリの地下鉄でタップ・ダンスをやったりした)、彼は最初のPowell Street Jazz Bandを結成すべく、ベイエリアに戻った(サンフランシスコの30年代と40年代のトラッド・ジャズ・リヴァイヴァルの昔の仲間と共に)。その後はRichard Olsen Orchestraとなった。彼は以降今日に至るまでプレイし続けている。

ウィルヘルムはいく分落ち着いた活動を続け、70年代後半にはシスコの仲間であるフレイミン・グルーヴィーズでギグをしていた(彼のプレイは彼らのアルバム、Now!とJumpin’ in the Nightで聞ける)。その後、称賛を受けた自身のバンド、Loose Gravelを結成した。彼は北カリフォルニアで居を構え、今でも時々ライヴを行なっている。オールセンとウィルヘルムは生き残っているオリジナル・シャーラタンズであるダン・ヒックスとジョージ・ハンターと共に、周期的な再結成をしてきたが、最も注目すべきは1997年、クリーヴランドのロックンロール・ホール・オブ・フェイムにおけるサンフランシスコ・ロックのエキシビションである。

このThe Charlatansは歓迎すべきリイシューだ。まさに特別な時代の特別な場所でのドキュメントそのものである。よく聴いてみればそれが分かるはずだ。
-Gene Sculatti


Gene Sculatti:Davin Seayとの共著でSan Francisco Nights:The Psychedelic Music Tripがある
(1985, Sidgwick & Jackson)



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