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Martin Carthy/Martin Carthy/1965 Fontana Records STL5269



HIGH GERMANYというタイトルがついた全く異なった2つの歌が存在する。ここに入っているのはヘンリー・サッチによるブロードサイドからで、1780年代に印刷された“A Collection of Choice Garlands”にも収められている。言及されている戦争は、おそらく18世紀初頭に起こったものだろう。いくつかの詞は他のヴァージョンからの引用で、それは“The two Lovers”というタイトルがつけられている。

THE QUEEN OF HEARTSはブロードサイドに載っていたもので、プリマス近くのSheepstorにあるBurrow Tor貯水所で働いていたBaring Gouldによって収集された。メロディは明らかにチャールズ2世統治時代にさかのぼる17世紀の香りがする。

THE BARLEY AND THE RYEは、若き日のハリー・コックスのぼう大なレパートリーからMoeranが1927年に記録した。要点を取り出して短くした。
おそらく産業事故の中で最も恐ろしいのが、鉱山災害だろう。1958年、ノヴァ・スコシア(カナダ南東部の州)、SPRINGHILLの地中深くで事故が起こった。8日間地下に閉じ込められた者のうち、5人は水も飲めない状態だったが、結局一握りの鉱夫が救出された。このバラッドはその事故の少しあとにイワン・マッコールとペギー・シーガーによって書かれた。

少女が男装する話はイングリッシュ・フォーク・ソングの中ではひんぱんに出てくる。船乗りとなって長い航海をするTHE HANDSOME CABIN BOYもそのひとつ。ブロードサイドで出版された。

民俗学者、研究者たちは、植物神話の中でハーブが魔術的な意味を持っていることをよく知っているだろう―それは魔術師が呪文を唱える時に使用され、逆に相手の裏を欠く時の反呪文としても使われる。SCARBOROUGH FAIR(パセリ、セージ、ローズマリー、タイム)のリフレインで言及されるハーブは、死と災いのまなざしに対抗する魔力を連想させるものとして、もっぱら知られている。Elfin Knight(スカーバラ・フェアのうちの1つのヴァージョン)に出てくるキャラクターは悪魔とメイドだ。悪魔は不可能な命題を設定し、彼女の返答次第で悪魔の手中に陥るかどうかが決まる。バラッドの権威、フランシス・ジェイムズ・チャイルドは、そのいたずら好きな悪魔は他のバラッド(Lady IsobelとElf Knight)からの侵入者であり、彼はふさわしく死ぬべき運命にあると確信していた。しかしアン・ギルクリスト(英伝記作家)はこう指摘する。“なぜハーブのリフレインだけが死闘以上のものを示すものとして使用されるのか?” サー・ウォルター・スコット(スコットランドの詩人・作家)は、彼のMinstrelsy of the Scottish Border(スコットランド辺境歌謡集)の中で、あるバラッドを聞いたことを回想した―“ある悪魔・・・彼は1人のメイドに求婚したが、彼女が胸につけていた神聖なハーブによって狼狽した。” そしてルーシー・ブロードウッドは、そのリフレインはそういった求婚者に対抗して生き延びるためのまじないに違いないとまでいった。

過度に熱心な求婚者をなだめるために出てくるオールド・バラッドのBROOMFIELD HILLのエニシダは、ハーブに代わるもうひとつの事例だ。大陸(欧州)では、十二夜に摘んだエニシダは魔女と亡霊に対抗する時に、絶対的な効果を発揮すると信じられていた。このバラッドのテーマは騎士とメイドの間の賭けで、彼女の処女に対する賭け金は500ポンドだ。しかしエニシダを使って、彼女は相手をはぐらかし脱出する。このバラッドはイングランドとスコットランドに広く分布している。いくつかのヴァージョンでは、最後に騎士は成功(性交)する。

LOVELY JOANのヒロインは、よくある方便の才を全く持っていなかったのかもしれないが、ごまかしというよりも素早い行動で若者のたくらみを阻むことにうまく成功する。南イングランド、イースト・アングリア(イングランド東部地方)その他で収集されたバラッド。

ヘンリー・サッチによって出版されたバラッド、SOVAY SOVAYは、国じゅうのシンガーたちに大きな人気がある。他のタイトルとしては、The Female Highwaymanがある。彼女の名は場所によって様々に変化する―Sovay, Silvy, Shilo, Sallyなどだ。しかしストーリーはほとんど同じであり、彼女の恋人の誠意を勝ち取るために、少しばかり危なっかしい行動が取られる。ここで歌われているメロディはドーセットのハモンドが収集したもので、バート・ロイド(A.L. ロイド)がわずかにリズミックに書きかえ、いくらかバルカン半島の雰囲気をもつことになった。原文は様々なヴァージョンからまとめた。

最初にTHE TREES THEY DO GROW HIGHが印刷されたのは1792年で、タイトルは“Lady Mary Ann”、若者はYoung Charlie Cochranと名付けられている。1824年に“Young Laird of Craigs Town”として印刷されたもう1つのヴァージョンでは、彼はとても若くして結婚したが、その後すぐ1634年に死んだという注釈がついていた。この時代のこの事件を扱った多くのイングリッシュ・ヴァージョンが存在するという確たる証拠はない。たしかにバラッド自体は、子供の結婚が決して珍しいものではなかった中世の時代にまでさかのぼる古いものなのかもしれない。

A BEGGING I WILL GOのあるヴァージョンは、ブロードサイドとして印刷されたのではなく、1641年にRichard Bromeの“Jovial Crew”の中で伝えられた(とチャペルはいっている―ウィリアム・チャペル:英国古謡を集めた英音楽研究家 1809-1888)。もう1つのヴァージョンは、1684年にプレイフォードの5冊目の本“Choice Ayers”の中にあるが、これはイングランドよりもスコットランドでの方が一般的だ。物乞い生活はスコットランドでは商売だった―王が“公認乞食”として知られる貧困者の注文にしたがって施しを行ない、彼はその代わりに王と王が統治する国のために祈りを捧げたと考えられていた。彼らはライセンスを受け、王は即位中、年1人の公認乞食を持ち、毎年新しい乞食をつけていた。これはイングランドで行なわれているMaundy money(洗足日救済金:英国王室がMaundy Thursdayに貧民・高齢者に施すために特に鋳造する1, 2, 3, 4ペニー銀貨)の制度にかなり近いものだ。スコットランドでは乞食に対する一般的な敬意は、その制度が死に絶えた後も長く続いた。これはイワン・マッコールの歌唱によるイングリッシュ・ヴァージョン。

YE MARINERS ALLは、現代のことばに当てはめた古い曲の一例。最初にこれを収集したハモンドは、シンガーが“mourners”と歌っていると考えたが、1857年の印刷物で調べた結果、“marn’ers”―marinerの方言―と判断した。バレットはそれが1857年には印刷されていたと指摘したが、もっと古い歌だろうと示唆した。

バラッド、THE TWO MAGICIANSへの注釈の中で、チャイルドは“南ヨーロッパ中で知られているかわいらしいバラッドの流れの中で生まれの卑しいものであるが、フランスでは優雅な形式を持っている”と述べている。彼は次のように続ける―‘怪物あるいは魔法使いに追われた1人の若者とメイドが、変身することによってそれから逃れる、または若者が黒魔術を学ぶために魔術師に弟子入りし、不正な書を読み、追われる身となり、様々に姿かたちを変え、ついには自分の師を殺してしまう物語から引用されたのは間違いない。’ アラビアン・ナイトの中には変身の術を使った闘いの物語があるし、世界中に巨人との超自然的な対決を表したものがある。実際、この“生まれの卑しい親類”はより原型に近いのかもしれない。メロディはA.L. ロイドによって英語化され当てはめられた。

THE WIND THAT SHAKES THE BARLEYは革命の歌としてひょっとして傑作かもしれない。Robert Dwyer Joyceによって書かれた。

マーチン・カーシー


いまや英国の平均的な町には、最低ひとつのフォークソング・クラブが存在している。成功間違いなしのフォークソング・コンサートを開催しない大きなホールはほとんどないだろう。フォークソング・クラブに行ってみるといい。毎夜あなたは様々なトラディショナル、あるいはコンテンポラリーな歌を聞くことができるだろう。それらの歌を歌っているのは、キャリアを積んだ“フロア・シンガーズ”と呼ばれるレギュラー出演者であり頑固者たちだ。そしておそらくそこに出演しているプロフェッショナルなフォーク・シンガーのうち少なくとも1人は、自分のことを単なるフォークソング・シンガーとして名乗っているだろう―つまり厳密には、トラディショナル・シンガーではなくリヴァイヴァリストだからだ。これはおもしろい相違点だ。

おそらくこのカテゴリーの中で最も人気のあるシンガーの1人がマーチン・カーシーだろう。彼はその若さにもかかわらず、現在のフォークソング・リヴァイヴァルの基礎を築いた一人だ。彼は多くの同期の者たちと同様、最初にスキッフルに関心を持ち、約8年間、人々の前で歌い続けてきた。テムズサイド・フォーとともに3年間活動したのち、ブリティッシュ・トラディショナル・ソングのレパートリーが徐々に増え、彼はロンドン中のクラブがソロ・アーチストとしての自分を求めていることを悟った。以来、彼は時折グループとして、またある時はRory McEwenとLisa Turner、そしてしばしスリー・シティ・フォーとともにプレイしたが、彼が最も大きなインパクトを放つのは、ソロ・アーチストとしてだ。

彼の作品はそこに聞けるように、多くのシンガーやプレーヤーたちからの影響を受けてきたが、それと同時に今や若いシンガー/ギタリストたちも彼の影響を否定できる者はほとんどいない。伴奏芸術に対する彼の関心はよく知られ、フォーク・ミュージック界全体から敬意を集めている。その結果、多くの有名なシンガーたちが、彼にプレイを提供してくれるよう頼むようになった。歌の中で、彼はことばをまず第一に重要なものとしてとらえている。彼の歌い方は、ことばの意味を知覚できるようコントロールされ、それはギターのリズムに左右されるものではない。今までの活動の中で、彼は英語の歌全てから取り上げてきたが、最近の傾向として、彼はよりイングランドの伝統へと向かっている。その傾向は彼と伝統双方にとって有益なものとなり得るだろう。

イアン・キャンベル

SIDE 1

High Germany
The Trees They Do Grow High
Sovay
Ye Mariners All
The Queen Of Hearts
Broomfield Hill
Springhill Mine Disaster

SIDE 2

Scarborough Fair
Lovely Joan
The Barley And The Rye
The Wind That Shakes The Barley
The Two Magicians
The Handsome Cabin Boy
And A Begging I Will Go


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