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The Flying Burrito Brothers/The Gilded Palace Of Sin & Burrito Deluxe/1997 A&M Records Ltd. 540 704-2



今回フライング・ブリトー・ブラザースのタイムリーなリリースであるこの最初の2枚のアルバムは、カントリーロックというジャンルに大きく貢献しそれを決定づけただけでなく、他の同志向のグループによって基準点として認められている。フライング・ブリトー・ブラザースのオリジナル・ラインナップが響かせた音、見据えていたもの、書いた曲そしてライヴ・パフォーマンスは、それ以前のロックンロールと似ても似つかないものだった。先端をいっていた若い長髪の青年たちの奏でる、ロックンロール的アティチュードを伴った独特な手法によるカントリー&ウェスタンは今なお再生産され続けているが、これを超えたものは存在しない。

フライング・ブリトー・ブラザースは、リーダーのグラム・パーソンズ主導によってたった2枚のアルバムを残した。ファースト・アルバム、The Gilded Palace Of Sinは、戦後のポピュラー・ミュージックを熱心に収集する者たちにとって全く単純に、欠くことのできない1枚であり、セカンドのBurrito Deluxeはややファーストに劣る作品ではあるが、それでもなお優れたアップテンポのカントリー風味あふれるロックンロールが満載であり魅力あるアンサンブルを見せてくれる。

The Gilded Palace Of Sinのレコーディングは、チャーリー・チャップリンの映画撮影が多く行なわれたハリウッドのA&Mスタジオで1968年暮れから始まった。彼らの母体ともいえるバンド、ザ・バーズの古典的LP、ばらばらのレコーディング・セッションとなったThe Notorious Byrd Brothers同様((このタイトルは、グラム・パーソンズがやって来て彼の新しいバンドの名前(Flying Burrito Bros)を告げたところからインスパイアされた))、The Gilded Palace Of Sinのセッションはメンバー・チェンジによって阻害されることとなり、とりわけドラムのイスには何人かが座ることになった。いずれにせよ、クリス・ヒルマンはこう回想している。“同じようなヴィジョンを持ったグループの中では、Gilded Palaceで僕らは間違いなく最先端にいたと思う。ソングライティングとステージング両面においてね。”

A&Mのスタッフ・エンジニア、ラリー・マークスがプロデュースを、メインのエンジニアにヘンリー・ルーウィを迎えたアルバムは1969年2月にリリースされ、USAで164位まで上がり、たった5万枚のセールスに終わった。しかしながらヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストのように、作品に注がれたファンの愛情は大きく、これを聴いた人たちがバンドを結成するようになっていったと思われるのだ。

ブリトーズがBurrito Deluxeのレコーディングを始めるまでに、ドラマーのJon Cornealが後のディラード&クラークの一員となるマイケル・クラークと交代した。エスリッジが去り、ヒルマンがベースに回りハーツ&フラワーズからバーニー・レドンが加入した。元バーズのマネージャー、ジム・ディクソンがヘンリー・ルーウィと共にプロデュースに当たった。しかし悲しいことにグラム・パーソンズがリハーサルをすっぽかし、出て行ってしまった。ヒルマンはコメントする。“あの頃グラムはミック・ジャガー流のロック・スターになることを望んでいて、彼は音楽的にも精神的にも追いやられ始めていたんだ。彼がほんの少しの責任感、誠実さ、そして規律さえ持っていさえすれば、それは成し遂げられたと思うよ。たったあれだけの期間に彼は本当にパワフルな音楽を残したんだからね。” アーメン。

闇を照らすようなR&Bバラッドは姿を消し、代わりにロックンロールがやってきた。1970年5月にリリースされ、絶賛されながら低セールスに終わったBurrito Deluxeは、それでもなお大学においては「カントリーロック101への入門書」としてもてはやされている。

当時ほとんど売れなかったフライング・ブリトー・ブラザースが、今になっていかに重要な存在になったかを考えると皮肉なことである。彼らにインスパイアされたバンドが大きく成功しただけでなく、ブリトーズに在籍していた様々なメンバーたちがバンドを結成し、より大きな成功を収めたのである:イーグルスのレドン、ファイアーフォールのクラーク、デザート・ローズ・バンドのヒルマンなどだ。そしてさらに皮肉なことに、それらバンドのどれひとつとして、より多くのレコード・セールスを上げたにもかかわらずグラム時代のフライング・ブリトー・ブラザースの創造性、個性、影響力ほどの歴史を残していないのである。

シド・グリフィン
1997年1月



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