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Bridget St. John/Thank You For…/2005 Cherry Red Records Ltd. CDM RED 286



ダンデライオン・レコーズのサンプラーLP、There’s Some For Going Forwardのユーモラスなライナーノーツの中で、DJでレーベルの共同出資者だった故ジョン・ピールはブリジット・セント・ジョンのことを述べている。‘何もしていないのにこの国のベスト女性シンガー/ソングライターであり続けている彼女に対してあなたには何が望めるだろうか?我々は探し続けるが。’

彼はこれ以上の表現ができなかった。2枚の優れたアルバム、Ask Me No QuestionsとSongs For The Gentle Manそして同様に優れた2枚のシングル、To B Without A HitchとIf You’ve Got Moneyをリリースしたのち、1972年初頭、ブリジットはそれ以上の成功はもはや望めないかのように思われた。プレスの称賛、多くのギグ、ラジオ・ワンへのレギュラー出演があったし、ブリジットは固いファンの支持も受けていた。しかし彼女はいくらかシーンの端にとどまり続けていたし、依然名を成すにはまだ遠いところにいた―これは一つには彼女のレーベルが直面していた配給体制に問題があった。彼女のサード・アルバムがリリースされるまでにダンデライオンは、メジャー会社のポリドールと提携していた。それでもまだ当時最先端のレコード店以外ではポリドールのレコードを見つけるのは困難な時代ではあったが。しかしながらポリドールとの契約によって、ダンデライオンのアーチストはプロモートのためにヨーロッパ・ツアーを行なうことができた。レーベルの共同マネージャー、クライヴ・セルウッドはメディスン・ヘッド、ボウ、ケヴィン・コインそしてブリジットをミニバスに詰め込み、アムステルダム、Paradisoクラブでの忘れられない夜を含むドイツ、ベルギー、オランダを回るコンサートに送り出した。

しばらくの間ブリジットはその最盛期において見事な曲を作り、定期的にライヴを行なっていた。そして彼女は間もなく新曲群といくつかのカヴァーを携えてスタジオに戻った(以前のレコードを制作したサウンド・テクニクスだ)。その結果出来上がったアルバム、Thank You Forは1972年6月にリリースされた。今アルバムを振り返ってブリジットは考察する。‘これは自分の曲について考え、他のカヴァーが自分にとってどう聞こえるかっていう最初の試みだった。私は再び友人あるいは友人の友人であるミュージシャンの中に自分の身を置いた。この時までに私はジェリー・ボーイズと一緒に仕事をしていて、彼とはとてもうまくいっていたわ。私はいつも自分にとって快適な気分でいることが曲の進化や成長を促すものだと思う。このアルバムで唯一残念だと思うのが、私がコードを全て理解していなかったバディ・ホリーの曲ね。このことによって私はギター・プレイに制約を加えてしまったと思うから。’

彼女は確かに曲を充実させ特徴づけるために一流キャストを集めた。ベースはリック・ケンプが担当した。彼はギタリスト、マイケル・チャップマンのアルバム、Fully Qualified Survivorで素晴らしいプレイを披露していた人物で、アシュリー・ハッチングスに代わって、ブリジットが共にギグをしたこともあるスティーライ・スパンに加入していた。彼女はまたカントリー・ロック・バンドのクィーヴァーといくつかショーを行なっていた。クィーヴァーは過小評価されていたバンドで、ティム・レンウィック(gtr)、ブルース・トーマス(bass)、ウィリー・ウィルソン(drums)がここで優れたプレイを提供している。いつものレギュラー・メンバー、リック・サンダースは、元リヴァプール・シーン、プレインソングのギタリスト、アンディ・ロバーツと共に呼び戻された。全体的に彼女はとても気の合った仲間を集めることになった。彼女は今日回想する。‘私は自分と似たようなタイプのミュージシャンに魅了されていたけど、このアルバムでは違ったタイプのミュージシャン同士の組み合わせが反映されていると思う。スタジオ入りする前のリハーサルはそれほどしなかったわ―レコーディングはほとんど、いくつかのオーヴァーダブを除いてライヴ録音だった。’

Thank You Forは十分に成熟したフォークロック・スタイルのブリジットを捉え、彼女の世代のシンガー/ソングライターを代表する1枚となった。70年代初頭はギターあるいはピアノだけをその特徴としたソロ・アーチストが一気に登場し、‘ソフト・ロック’が時代の命であった。今このアルバムと彼女のそれ以前のアルバムを聴いてみると、彼女がカルト的支持を越えなかった理由といえるような神秘性が存在していることが分かる。彼女が書き、プレイした曲は確かに故ニック・ドレイク、サンディ・デニーのそれと同等か、時には凌駕していた―あるいはもし彼女が当時活動を止めるか、シェラ・マクドナルドのように姿をくらましてしまっていたら、今日さらにいっそうそのカルト的なステイタスと認知を与えられていたであろう。

このサード・アルバムは明るい調子の‘Nice’で幕を開けるが、マシューズ・サザン・コンフォートのゴードン・ハントリーによる魅力的なペダル・スチール・ギターによって、初めてブリジットのレコードで陽気なカントリー風味が加わることになった。とりわけ彼のソロが見事だ!リック・ケンプとハットフィールド・アンド・ザ・ノースのドラマー、ピップ・パイルは穏やかなリズムを提供している。ブリジットはこの曲についていう。‘私はいつも英国のエッセイの中ではniceという語は使ってはいけないって言われてきた・・・私はその語の中に厳格っていう意味があるのを意識してあまり使いたくなかったのよ。でももっとあたたかくて曖昧な意味があるのを知って使ってみようと思った。’タイトル・トラックがそれに続く―アコースティック・ギターのゆらめくような響きが組み合わされたブリジット典型のナンバーだ―(ブリジットは当時12弦も弾いていた)―リック・サンダースの繊細なボトルネックが絡み合っている。華麗で偽りのないこの小品は間違いなく彼女が書いた中で最も優しいラヴソングだろう。

私刑ソング‘Lazarus’はその3年前にBBCレコーズから出たLP、John Peel Presents Top Gearに収録されていたナンバーで、ついにこのアルバムで日の目を見ることになった。彼女のライヴ・レパートリーでずっと歌われてきたナンバーだ。ブリジットはこの古い霊歌をBuffy St MarieのLP、Many A Mileで学んだ。これはいつも彼女のライヴではほとんど無伴奏で、アコースティック・ギターのボディを叩いてリズムをとる程度の見事なパフォーマンスだった―ここではピップ・パイルがいくらか月並みなドラム・ビートで曲を補強している。

‘Goodbaby Goodbye’は、ブリジットの当時の夫、ナイジェル・ベアズフォードによって書かれた―マイティ・ベイビーのイアン・ホワイトマンによって、よりメランコリックなナンバーに生まれ変わっている。イアンはいくらか孤独感漂うピアノを弾いている。‘これはナイジェルの曲ね。’ブリジットはコメントする。‘私は彼の詞を歌ったけど、もっぱら彼の作品として歌っていたわ。それ以後は私の考える言葉で歌った。’LPのA面はオリジナルよりもスローでドリーミーな‘Love Minus Zero No Limit’の素晴らしいカヴァーで終わっていた。レンウィック氏が見事なギター・ブレイクを披露している。‘最初はボブ・ディランを聴いたわ。’ブリジットは回想する。‘大学に通っていた19歳の時ね。彼は私に深い影響を与えた。この曲は何年も歌ってきた彼の曲のうちの1曲ね。ここでの「バンド」―リック・ケンプ、デイヴ・マタックスそしてティム・レンウィックはすごくいいと思う―私はこのメンバーでライヴをしたいといつも思っていた。デイヴ・マタックスはシンガーのバックを務めるベスト・ドラマーの一人だと思う。リック・ケンプのベースとティム・レンウィックのギターも今でも大好きだわ。’ブリジットは絶賛する。このレコードがリリースされた頃、彼女はランカシアで年1回行なわれるクリゼロー・ポップ・フェスティヴァルに出演した―6月初頭の土曜午後のステージで、トゥリーズが一番手だった。次の出番だったブリジットはアコースティック・ギター1本で、MC5とUFOを観に来た酔っ払いやバイカーの群集を前に苦闘しなければならなかった―私はその日の午後はあの手に負えないギャングたちにまだ相応しいフル・エレクトリック・バッキング・バンドを使えばよかったと思う!

浮遊感のある痛切な‘Silver Coin’でB面は幕を開け、再びゴードン・ハントリーのプレイがフィーチャーされる。ブリジットは回想する。‘私はHunter Muskettっていうグループと一緒にギグをいくつかやったわ。特にテリー・ヒズコックの歌が好きだった。’‘Happy Day’はブリジットがフォークロックのフォーマットでもいかにうまくこなしてみせるかをよく示している―彼女はすでに1970年のシングル、‘Money’でロック寄りのスタイルを見せていた。そしてここではアコースティックとエレクトリックが美しいコントラストを描いている。曲中に配されたブリジットとアコースティック・ギターのリック・サンダースは、パノラマのような音楽を奏でていたクィーヴァーのメンバーによる息を呑むようなプレイに彩られている。ブリジットは振り返って次のような感想を述べているが―‘できることなら私のギターをリミックスしたいわ!’

ジョン・アンソニーによって大々的にプロデュースされ、リチャード・ヒューソンによるヴォーカル・アレンジが加えられた‘Fly High’のヴァージョンはシングルとしてリリースされ、ほとんどブリジットにとってヒット・シングルとなるかに思われた。しかしオープニングにロバート・ルイス・スティーヴンソンによる二つのラインが加えられたアルバム・ヴァージョンの方が素晴らしく、より有機的であった―多くの点でこれは高揚しながらも抑制されたギター・プレイがこの曲を特別なものにしている。この頃エコープレックスによるジョン・コルトレーン・スタイルの即興プレイに打ち込んでいたジョン・マーチンによるアコースティックとエレクトリックのギター・プレイだ。ジョン・マーチンの話によれば、‘To Leave Your Cover’は当時彼が書いていたメロディを強く思い起こさせるらしい。自信を持って美しく歌われ、リック・サンダースによるアコースティック・ギター・ソロとアンディ・ロバーツのKriwazcek String Organがフィーチャーされている。ブリジットはこの曲についていっている。‘いくらかあからさまに音楽ビジネスにがっかりしたこと、あるいはまだ実現していない期待について歌ったものね―でも正直、前後関係はよく覚えてないわ。’

バディ・ホリーのカヴァー、‘Every Day’についてブリジットは考察している。‘私が持っていたビートルズ以前のレコードは、エルヴィス、クリフ・リチャード、ダスティ・スプリングフィールド、ヘレン・シャピロなんかね。それでバディ・ホリーとエヴァリー・ブラザーズもその中に入るわ。この曲でコードを忘れてしまってることはさて置いてね。’失礼ながら私はブリジットと意見が違う。クィーヴァーのメンバーとティム・レンウィックの素晴らしいプレイの中でブリジットのコードは全くはずれていないように聞こえる。オリジナルLPは‘A Song Is As Long As It Wants To Go On’で幕を閉じる―私にとってこれは究極のブリジット・セット・ジョンだ―まさに一人の少女と1本のギターである―私がイメージする彼女と彼女の音楽そのものだ。この曲とタイトル部分の早口についてブリジットはいう。‘私はこれが自分の書き方だし、今でも自分は曲作り職人じゃないと思ってるわ。いろんな音楽を聴いて、それがどんなに些細なものであっても自分の耳に残ったものを取り入れるだけね。’

アルバムのリリースに先立って、彼女は4月28日にRose d’Or de Montreuxに出演し、その時のハイライトがこのCDに収められている。ギグはブリジットにとってノスタルジックなものではなく、意義深いものだった。彼女はキャラヴァン、クレア・ハミル、そしてジム・モリソンのいないドアーズと共演した。30年後にこのコンサートを聴いたあと彼女はいう。‘自分のパフォーマンスを楽しめたし驚いたし安心したわ。最後のオーディエンスの反応はとても好意的だしね。’この短いライヴはこれから彼女のサードLPで日の目を見ようとしていた‘Nice’、‘Silver Coin’、‘Fly High’そしてタイトル・トラック‘Thank You For’のアコースティック・ヴァージョンを含んでいる。数曲の昔のお気に入り、ジョン・マーチンの‘The River’と‘Ask Me No Questions’も同様に入っている―また‘Money’の楽しげなヴァージョンが全体に丸みをつけている。そして最後の4曲ではリック・サンダースがギターで伴奏をつけている。

ダンデライオンはついに1973年の初め、所属アーチストたちを置き去りにしたままつぶれてしまった―クライヴ・セルウッドはブリジットのためにMCAと契約を交わし、唯一のシングルがリリースされた。ブリティッシュ・アコースティック・シーンの仲間、マイケル・チャップマンによってプロデュースされた‘Passing Thru’は、クライヴ・セルウッドが彼女に教えたレナード・コーエンの曲だった。ブリジットはこの時のセッションははっきりと覚えていないが、チャップマンは少し覚えているようだ。“僕はスタジオに入るまで聴いたことのなかった曲でギターを弾くように言われていたんだ。ブリジットはその曲の骨組だけを聴かせてくれた。で、僕はその時そのセッションを仕切っている人間が誰もいないことに気づいたんだ。僕がプロデュースをするなんて誰も考えてなくて、事は泥沼へはまっていった。僕は猛然と仕事にとりかかったね―船は暗礁に乗り上げてた!僕はレコーディング・スタジオで時間を浪費するのに耐えられなくて「さあ、急ごう」っていったよ。”マイケルは公式にその仕事を頼まれていたわけではなかったが、セッションはチッピング・ノートンのスタジオ(古い校舎の中だった)で行なわれた。マイクはドラムスを担当したのはクライヴ・バンカー(訳注:おそらくジェスロ・タルのドラマーと同一人物)だったかもしれないと記憶している。

もう1曲のボーナス・トラックである‘There’s A Place I Know’は、彼女の1972年のマキシ・シングル‘Fly High’のB面に収録されたもので、セント・ジョンの考えでフル・エレクトリック・アレンジだった。ブリジットは回想する。‘私が幼い頃聞いた歌が時々しみ出てくるように思う。子供向けの歌として書かなかったとしてもね。’

クリサリスからもう1枚のLP、Jumblequeenをリリースしたあと、ピート・ベリーマン、元ダディロングレッグスのギタリスト、スティーヴ・ヘイトンと共にいくつかのライヴ・ショーを楽しみ、ブリジットは大胆にもニューヨークに居を移し、グリニッジ・ヴィレッジの中心部に30年近く住んだ。娘のクリスティを育てる傍ら、彼女は曲を書き、レコーディングをし、ライヴを続けてきた―「道は永遠に続く」これがTake the 5ifthという1976年から1982年までのレコーディングを集めた素晴らしいコンピレーションという形になって現われた。友人であり良き指導者であったジョン・ピールの死のすぐあとの去年(2004)の12月、彼女はシェファーズブッシュのブッシュ・ホールで素晴らしいライヴを行ない、オーディエンスの大きな称賛を受けた。彼女はさらなるギグとニュー・アルバムを計画している。願わくば旧友ケヴィン・エアーズとのコラボレーションが実現するといいのだが。

長く待望されてきたダンデライオン・レーベル作品の正式なリイシューは、彼女のプロフィールと認知を与える上で今こそ相応しいだろう。私はブリジット・セント・ジョン以上に何年にも渡って音楽の楽しさをもたらしてくれた女性シンガーを誰一人思いつかない。

ナイジェル・クロス

ブリジット、マイケル・チャップマン、パトリシア・マリア・ボーランドそしてデヴィッド・サフへ彼らのこのノーツへの協力に多大なる感謝を送る


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