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Bridget St John/Songs For The Gentle Man/2005 Cherry Red Records Ltd. CDM RED 283



ブリジット・セント・ジョンは1969年には英国音楽シーンにおいて最も可能性ある新しいシンガーソングライターの一人として目されていた。ジョン・ピールがコメントしたように、彼女はサンディ・デニーと並ぶこの国が生んだベスト・シンガーの一人であり、多くの人がそれに同意していた。

様々なBBCラジオ出演とTVセッションに続いて、ブリジットは1枚のアルバムとシングルをピールのダンデライオン・レーベルからリリースし、LP‘Top Gear’では彼女のナンバーが多くフィーチャーされた。彼女はまた盛り上がっていた大学とクラブ・サーキットで主役となり、彼女のファンとなったトム・パクストンとマシューズ・サザン・コンフォートとトゥリーズのサポート・アクトとしてロイヤル・フェスティヴァル・ホールで2回の名声あるショーを行い、スタンディング・オヴェイションを受けた。そして彼女はスペシャル・ゲストとしてジョン・マーチンとケヴィン・エアーズを招いて自身の30分の番組をラジオ・ワンに持っていた。

新しい10年間の幕開けは英国においてフォークロックとアコースティック・ミュージックの輝かしい歴史の始まりとなるはずであったが、スタートであった1970年はレコード・リリースの点からいっていくらか静かな年になった。これは一つにはダンデライオン作品のディストリビューションの問題に要因があった。10月、ピールと共同出資者のクライヴ・セルウッドは、配給元をUK CBSからWEAに移し、ブリジットはキャリア最高の1枚であるシングル、‘If You’ve Got Money’b/w‘Yep’をリリースした。

‘Money’はガラッと雰囲気が変わり、全体に渡って‘ヒット’を狙ったロッキン・チューンの匂いが漂っていた。キャッチーなbop-shoo-wah(訳注:ビートルズの“Boys”に出てくる‘バッシュワ、バ、バ、シュワ’といったコーラス)スタイルのコーラスとオールスター・キャスト、ドラムスにスティーヴ・ブロートン、ピアノにデヴィッド・ベッドフォード、ビシッと決まったギターにマイク・オールドフィールド、そしてベースにケヴィン・エアーズを擁していた。エアーズはまた曲をプロデュースし、それは何年にも渡ってAll Time(音楽紙?)のトップ100シングルズ常連曲となった。その曲は確かにおとなしくて内向的なブリジットに対する先入観を追い散らしていた!

当時彼女はあののどかな時代にロンドンのハイド・パークで多くのフリー・コンサートを催していたピーター・ジェナーとアンドリュー・キングのブラックヒル・エージェンシーを代表していたが、他に所属していたマイケル・チャップマン、ジ・エドガー・ブロートン・バンドそしてケヴィン・エアーズ・アンド・ザ・ホール・ワールドと固い絆のあった彼女からすれば驚くことではない。ブリジットは1969年4月のラウンドハウスのCNDベネフィット・ギグでケヴィン・エアーズに会っていた。彼はハーヴェスト・レコーズからのセカンド・アルバム、‘Shooting At The Moon’参加を彼女に依頼した。彼女は‘Oyster And The Flying Fish’に素晴らしい魔法をかけることによってそれに順当に応じた。その好意のお返しにエアーズと彼の昔のソフト・マシンの仲間であったデーヴィッド・アレンが彼女のシングルB面の‘Yep’を書いたのだった。エアーズは再びプロデュースを担当し、ホール・ワールドの仲間、デヴィッド・ベッドフォードがアレンジを担当した。ブリジットは後にもケヴィンのLP、‘Odd Ditties’で‘Jolie Madame’を歌うことになった。

残念ながら事実上ダンデライオンの7インチ盤はうまくいかなかった。しかしながら、この素晴らしいシングルの両面は、まもなくCD発売されるダンデライオンのシングルズ・コンピレーションに収録される予定になっている。‘Money’はまた結果的に番外的な作りとなった。ロック寄りのアプローチを期待していたファンはブリジットのセカンド・アルバム‘Songs For The Gentle Man’が1971年2月に出た時、大きな驚きをもって迎え入れた。もし彼女のデビュー・アルバムが少しでも装飾的なプロダクションがなされていれば、また違う尺度で見られていただろう。チェルシーのサウンド・テクニクス、そこではフェアポートからニック・ドレイクまでみながアルバムをレコーディングしたスタジオだった。そしてどの作品もが前作よりはるかに洗練され、魅力あるものになっていた。そしてより自信を持ち、より外側に目を向けたブリジットも闇から姿を現した!

もし‘Ask Me No Questions’のジャケット・カヴァーが完全にその音楽の内容を反映していたとすれば、同じことが‘Songs’にもいえる―これも見開きジャケットだが、ケンジントン・ガーデンにたたずむブリジットの美しいカラー・ポートレイトと再び彼女の詞が全体に美しく載せられ、より派手でより贅沢なインナースリーヴになっている。ちなみに写真には犬と少年そしてひげをたくわえた紳士、のちにブリジットの夫になるナイジェル・ベアズフォードが写っているが、概していえばこれは彼女の正にステップアップを示している。“このアルバムのアイデアの主は元々プロデューサーのポール・サムエル-スミス(元ヤードバーズのベーシスト)だった。私は彼とキャット・スティーヴンスと一緒に話し合ったんだけど資金的にうまくいかなかったんだと思う。”代わりにロン・ギースンがプロデューサーとなった。ロンはトランスアトランティック・レコーズの‘A Raise Of The Eyebrows’含む一連のソロ・アルバムを手がけていた。もっと後にはピンク・フロイドの‘Atomic Heart Mother’とロジャー・ウォーターズのフィルム、The Bodyのサウンドトラックで大きく知られるようになった。

彼はブリジットが大学にいた時に出会った人物だった。“私はジョンを通じて彼に会った。ジョンはジョン・マーチン。”ブリジットはLiquorice誌に語っている。“まだ大学にいた頃、シェフィールドにあるHighcliffeっていうクラブだった。そこには素晴らしい人たちが何人かいたわ。私はジョンと同じエージェンシー所属だったから、時々一緒にギグをやるようになって彼(ロン)を知るようになった。で、ジョン・ピールと次のアルバムについて話していた時に彼は‘君はプロデューサーが必要だと思う’って言ったのよ。”

ロンとアルバムを制作したことついてブリジットは、“彼と彼の妻フランキーとの親交の結果ね。私たちは一緒にたくさんのギグをしていたから。彼らはラドブルック・グローヴに住んでいて、ロンは自身のホーム・スタジオを持っていた。そこで全ての仕事をした―彼は私の歌とギターを録って、ひき続いてアレンジに取りかかった。例外は彼もギターで参加したこと。サウンド・テクニクスに行くまで私は最終ヴァージョンを聴かなかったけど。”

もし彼女のファースト・アルバムのコストがほんの数百ポンドであったら、このセカンド・アルバムの予算はそれに比べて巨大なものとなっただろう。それでも今日の常識からすればほんの端金であるが!ロンはブリジットによれば最大2000ポンドの予算を用意していた。“いろんな編成の小さな室内楽団を使って、当時の彼は多くのコマーシャルな仕事をしていたし、アルバムで雇ったミュージシャンとコネクションを持っていたわ。彼はその堅実な仕事を通して、ギター・テクニックに関してもすごい腕前を持っていた。また彼は過去に確立されていたテープ技術を使ってお金を節約していたわね。”ロンはLPと自分との関わりあいについて回想している。“私は‘Songs For The Gentle Man’を制作する二つの理由をもっていた。一つはブリジットに対する親愛の情、もう一つは私が考えるあまりに安全な(そしてアメリカン・スタイルの)フォークの演奏スタイルから彼女をゆっくりと引き離していって、もっと刺激的で発展的な表現のできる環境―明らかに私が取り組んできた、したがって私がよく知っている音楽的領域へと近づけるためだった。”ブリジットはこの魅惑的なコラボレーションでさらにいっそう入念に仕上げている。“ロンのアイデアは最大の愛情を持って実行されたわ。それは彼の自己満足なんかじゃなくて、土台には彼がフィットすると感じるセンスが存在していて、それは私のアルペジオのギター・スタイルを越えたところにあったわ。その領域は私を180度転回することになった。彼は私の歌を重ねていくことによって、枠組の中に絵を描くようなものだといっていた。”

アルバムはブリジットの穏やかで軽快な声とギターが滑らかに入ってきて、豪華な木管楽器が続く‘A Day A Way’で幕を開ける。“これは晩秋に日帰りでロンドンからブライトンへ行ったあとに書いたものね。海岸と桟橋の近くで一日の大半を過ごした。”次の‘City Crazy’について今日彼女はこういっている。“大部分はニューヨークでくつろいでいた時のことを歌ったものね。私は時々ロンドンにうんざりしていた。それは‘もう私はいち抜けたいから時間が止まってくれないかな’っていうよりも‘まだ私はいたいからもうちょっとゆっくりと時間が過ぎてくれないかな’っていう感じね。アレンジメントを担当したジョン・ヘンリーは正統教育を受けたアメリカ人ピアニストで、彼は盲目のハンディを持っていた。私の母は彼の作曲を手助けするために、素晴らしいピアノを弾いたわ。ブライユ点字法によって作曲されたものはなかったわ。”

‘Early Morning Song’はブリジットがその時の夫であったナイジェルのために書いた曲のうちの一つで、恋人と共に目覚める朝の抒情詩だ。これから始まる一日に待ち受けている楽しみを思わせる。‘Back To Stay’は親友ジョン・マーチンのカヴァーだ。ブリジットが初めて会ったのは彼が17歳の時で、その後彼は‘London Conversation’でデビューした。ロン・ギースンは記している。“この神々しいオルガンはピート・タウンゼンドのホーム・スタジオでレコーディングされた。なぜかというと、サウンド・テクニクスはそのオルガンを所有していなくて、私も互換性のあるマルチトラック・テープレコーダーを持っていなかったからなんだ。”ちなみにロンはその前年にリリースされたピートのLP、‘Happy Birthday Meher Baba’にも参加していた。

このアルバムの中で最も興味をそそる珍しい曲のうちの一つが、‘Seagull Sunday’だった。これについてブリジットは回想している。“これはピート・アダムスが経営していたペントハウスっていうスカーバラにあったクラブでよくプレイしていた曲((彼はウィットビー(イングランド北東部)にあった彼の家にいつも私たちを泊めてくれた))。そこではこの曲でいつもギグを始めていたわ。”しかしながら彼女は全体的にこの曲を気に入っているわけではない。“私はいつも‘Seagull Sunday’を抑制して歌っていた。でもレコードでロンがアレンジを加えた。私の表現方法と、この曲に対する不満は彼の仕事に対してじゃなく、自分が無理をして書いた結果、曲の流れが損なわれてしまっているから。これは私の記憶に深く染み込んでいることね。”

ロンは自分のパートについて指摘する。“これに使ったバッキングは速いオープニングだったが、センターに収まっていなくてサウンドが反響していた―その部分が遅すぎてさらに音が回っていたんだ。そこで私たちはそこにブリジットのギターを戻して、私の制作したLP、‘As He Stands’の‘The Middle Of Whose Night’をベースとして使ったんだ。”一方で激しく威嚇的なストリングスは確かに曲を圧倒してしまっている。この曲のアレンジはいつも私に果たしてブリジットが望み、書き、プレイしたかったものなのか、そしてこれはシンガーソングライターの絶対的第一人者であるジョニ・ミッチェルに匹敵するような曲なのかを考えさせてしまう。

かなりメランコリックな‘If You’d Been There’がオリジナル・アルバムのA面最後を締めくくり、ロンによる素晴らしいギター・プレイがフィーチャーされている。ブリジットは説明する。“これは別れの後に書いた曲。私はこの曲を聴いていると、秋に動物園近くのリージェント・パーク・ロードを歩くイメージがはっきり浮かんでくるわ。”

ブリジットは‘Ask Me No Questions’ですでにナイジェルのために‘I Like To Be With You In The Sun’を書いていた。そしてここに収録された‘Songs For The Laird’がこのペアの2番目に当たる。“コノート・ホールはロンドン大学の居住地で、そこにナイジェルは住んでいて、地主がスコットランド人の貴族だったのよ。”ここでの快い降下するギターはリック・サンダースによるものだ。ダークなスパニッシュ・ギターが施された‘Making Losing Better’はアル・スチュワートのために書かれた。ブリジットは説明する。“これはアルのために書いた―彼はめったに友人と会わなかったけど―特にお互いの傷心と慰めの期間中はね―いい友人だった。私たちがこれをレコーディングした時に、そのハーモニーを本当に楽しんだことはよく覚えているわ!”

‘The Lady And The Gentle Man’はアルバムのプロデューサーによれば、お気に入りの1曲だそうだ。“なぜならトロンボーンとソロのホーン・アレンジメントがすごく冒険的だったんだけどうまくいったからなんだ。”‘The Pebble And The Man’もロンのもう一つのお気に入りだ。“これは男性ヴォーカルのアレンジメントがすごく厚かましい感じだったんだけど、またしてもうまくいったからなんだ!”この楽しげな歌をカヴァーしたことについてのブリジット自身のコメントも同様に明るいものだ。“私はこれを2枚組の‘HMS Donovan’で聴いた(訳注:Happiness Runsが収録されているのはDonovanの‘Barabajagal’LP)。ドノヴァンからは大きな影響を受けた―映画のPoor Cowで彼の音楽が流れていたのを覚えているわ。私の歌い方はある程度彼から影響を受けていると思う。彼の音楽はある種のマジックと神秘的な純粋性を持っていると思う。”確かにこの愛らしい歌はマルチトラック・ヴォーカルによって何か特別な響きを持っている。

アルバムは内省的な‘It Seems Very Strange’で幕を閉じる。ブリジットは回想する。“この曲は実際にハーモ二ウムで書かれた曲で、あっという間に終わってしまうけど完璧にできたうちの1曲だったように思う。”

最初、この‘Songs For The Gentle Man’は‘Ask Me No Questions’と2オン1で1994年にCD化されたが、CD収録時間の制約で‘Early Morning Song’が省かれていた。今回オリジナルの形でリリースされるのは素晴らしいことだ―かつてピールが‘Sgt. Peppers’に属する作品だと語ったこのアルバムが再び栄光の姿を現したわけだ。ずっと時の試練に耐えながら。

評論家で著者のキム・クーパーは、Lost In The Groovesの中で雄弁にこのアルバムを語っている。“ジョン・マーチンを少し、あるいはドノヴァンをどっさり、クールで淡いオリジナル作品が揃っている・・・陽気に笑みを浮かべるニコに似たかわいい女の子、しかし用心深い楽観さを持った女の子を想像してみてほしい。小さな作品ではあるが、彼女は部屋を満たし、ぐずぐずとそこに佇んでいる。”美しく配された美しいレコードである。

ナイジェル・クロス

ブリジットに多大な感謝を送る



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