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Big Star / Third/Sister Lovers/1992 Rykodisc RCD 10220



長年のメンフィス在住者として、私はいつも幸運に思ってきた―ここは今世紀のアメリカから登場した最高の音楽的才能を生み出した地だ。子供の頃の私は、夜な夜な地元のAMラジオのトップ・テン・カウントでメンフィスの音楽を聴いていたことを覚えている。多くはローカル・ヒットに過ぎなかったが、私にとってはその地域的なサウンドが全てだった。

私たちはみな鼻にかけていた。たとえエルヴィスがB級映画を撮るハリウッドにいたとしても、彼の音楽は依然グレイトだった。グレイスランド(エルヴィスの邸宅)はここにあって、したがって彼は私たちのものだった。スタックス/ヴォルト、ウィリー・ミッチェル、チップス・モーマン、その他多くの者が次から次へとヒット曲を創り出していた。それがメンフィスの黄金時代だった。その音楽は時代が変わり、貪欲さが残り物の骨までもしゃぶりついた時、ゆっくりと停止していった。

一方でパーティーはまだ続いていた。地元の音楽愛好家ジョン・フライは、60年代半ばにアーデント・レコーディング(スタジオ)をスタートさせた。フライのスタジオは、一般的に知られたメンフィス・ミュージックには音楽的に当てはまらない変わり者たちのメッカとなった。退屈な郊外出身の多くの子供たちは地元のシーンに刺激されていたものの、ブリティッシュ・インヴェイジョンで育っていた。

フライはこういった剥奪された若き英国びいきたちの創始者となり、数年間に彼は主にThe Scruffs、Tommy Hoehn、そしてBig Starとともに長い時間を過ごし、スタジオの中で彼らの特色とサウンドに磨きをかけていった。ブリティッシュ・サウンドを追求し、その土地固有の音楽的要素を欠いたこれらメンフィス・ボーイズ一団を聴くことは、長い年月を経てもなお、私にとって興味深いものだ。

そういった男たちは、その土地の派閥には属さず、自分たちの基本原則をスタートさせた―生まれついてもっていたメンフィスの音楽性に食ってかかっていた。地元のアーチスト一派の中で、ビッグ・スター(元ボックス・トップスのリード・シンガーだったアレックス・チルトン、クリス・ベル、ジョディ・スティーヴンス、そしてアンディ・フンメルから構成されていた)が疑いなく最高の地位にいた。

1971年初頭、ジョン・フライによるすばらしいプロダクションとエンジニアリング的導きのもと、ビッグ・スターはアーデント・レコード(フライの社内レーベル)で音楽を創り上げた。それはビートルズ、バッドフィンガー、キンクス、そしてバーズの見事なブレンドだった。優美ではあるが緊迫し混沌としたハーモニーと無骨な演奏は、自己陶酔的な歌詞を伴い、それ以前に存在したどんなものにも似ていない―少なくともメンフィスでは―緊張感を創り出していた。

彼らのデビュー作『#1 Record』は、オープナーの“Feel”でエネルギッシュな第一印象を与えるが、サイド2の終わりまでにはメランコリー、憂うつ、そして切望感が支配的なムードとなっていた。アルバムの中でビッグ・スターはソングライティング、アレンジメント、そして繊細なアコースティック・ナンバーの“Thirteen”から、どなりつけるような“Don't Lie To Me”まで、幅広い演奏スキルを実証していた。ジョン・フライによるプロダクション・アプローチ(とりわけアコースティック・ギターの録り方)は、バンドのマテリアル、濃厚で明晰な佇まいと同時にユニークなものだった。

アーデントは2枚のシングルをリリースしたが、即座に(そして悲しいことに)所在不明となってしまった。その間、『#1 Record』の商業的失敗によりグループの方向性と、ベル、チルトン間のリーダーシップについての激しい口論が増していき、それはベルのソロ・キャリア(脱退)を導くことになった。その時点でチルトンはソロ・プロジェクトを追及することを考えたが、なんとかビッグ・スターはトリオとしてアーデント・スタジオに入るだけの団結力を見せた―むこうみずな活気にあふれたセカンド・アルバム『Radio City』のレコーディングのためだった。

『Radio City』のパフォーマンスは、『#1 Record』よりもはるかに独断的で一貫性を欠いていたが、すみからすみまで散りばめられた至宝の価値を減ずるものではなかった。とりわけ“September Gurls”と“Back Of A Car”がすばらしい。

それでも『Radio City』全体に漂う感情は、バンドのヴィジョンの裏側奥に広がる闇を解決する手がかりが尽きた無言の不満を表していた。

評論家たちによる大絶賛にもかかわらず、CBS/STAXとのひどい配給契約は、かつておなじみのことばとなっていた“ビッグ・スター”の好機を首尾よく削いでいった。異常な出来事が起こった衰退期に拍車がかけられることで、さらにこじれた個人的問題と、フライとチルトン間の緊張感は、次のアルバムで展開される豊富な状況を提供した。

チルトンはおそらく彼の気持ちを理解してくれ、そのことを忘れさせてくれる誰かと共に働く必要性を感じていただろう。プロデューサーのジム・ディッキンソンは、意固地な南部の流儀の中で狂気を爆発させることに関してはすでに達人だった。ディッキンソンのもと、チルトンはビッグ・スターが獲得した一流のパワー・ポップ・イメージの中で反乱を遂行することになった。『Sister Lovers』としても知られる『3rd』が、最も病状の進んだ暗闇を表していた。そこには祝いの要素が何一つない。このレコーディングの時点で、ロックによる救済への信頼感、批評的回復、あるいは商業的成功は、おそらくチルトンにとって「クソの寄せ集め」だったように思われる。結果、彼はあたかも失うものは何もないかのように音楽を奏でている。

ここからチルトンのキャリアはいかにムラのある結果になろうと、感情に左右されない自分のやり方を貫くようになっていった。それがうまくいった時、彼はぎょっとするような爽快な音楽を生み出した。うまくいかない時、彼は自分のオーディエンスをばかにしたような音を聞かせた。

話はそれるが、Sister Loversというネーミングはジョディとアレックスがリサとホリデイ・アルドリッジという双子の姉妹とデートをしたことに由来している。ある時期、ビッグ・スターが“シスター・ラヴァーズ”に改名しようとしているといわれさえしたが、フライはあまり乗り気ではなかったようだ。

(誰もこのことをいわなかったが、“Sister Lovers”ということばは、デヴィッド・クロスビーがバーズ時代に録った“Triad”という歌から引用されたことに、私は驚きはしない) このリリースをリサーチしていたところ、さらにもう1つのタイトルが浮上した。ジム・ディッキンソンのレコーディング・メモにはアルバムのことを『Beale St. Green』と記してあった―“Dream Lover”の一節だ。

一見、『Sister Lovers』は私が心底信じているよりも、はるかに思慮なく精彩を欠いたアルバムのように思える。表面上、その無造作なパフォーマンスは支離滅裂な麻薬常用者的な感覚を備えている―チルトンとビッグ・スターが直面した個人的、アーチスト的失望感についての無感覚な怒りを内に秘めたまずい仕事として・・・。ちょうどニール・ヤング・クラシックの“Tonight's The Night”のように、『Sister Lovers』はロシアン・ルーレットの強烈さを伴った高度なドラマだ。

「人々はここで何が起こっているのかを自分たちでイメージするんだ」 プロデューサーのジム・ディッキンソンはいう。「ステージ・ショーのようなものだ。ミュージシャンたちはあるものを見ているが、オーディエンスは違うものを見ている。『Sister Lovers』はまさにそういうショーの典型だと思う。知覚のされ方が、理解されたものとは違うと思う」

『Sister Lovers』のサウンド・ミックスは、音楽をうつろで不気味な雰囲気に包み込んでいる。縫うようなヴォーカルは荒廃したエコーの響きでいっぱいだ。一方でバンドは空中分解寸前だ。それにもかかわらず、最も変化した瞬間でさえ、『Sister Lovers』はどちらかといえば刺激的だ。美しい“Nightime”を始めとするバラッド群はぞっとするような寂しさだ。カール・マーシュのストリング・アレンジは常に的を得ているが、時折ダウナーなナンバーでは(ビートルズの)“Eleanor Rigby”のように聞こえる。

実際“Stroke It Noel”では、ストリング・セッションで創り出された雰囲気によって、新たな歌詞がつけられていた。「元々は全く違う歌詞だったんだ。ヴァイオリンを入れた後に、アレックスが新しい詞を思いついて、そっちの方がはるかに優れていた」 ディッキンソンはいう。「NoelはNoel Gilbertのことで、弦楽器奏者の1人だった。彼はアレックスの父親の友人だったんだ。私たちがやっと取りかかった時、アレックスはストリング・セッションを本当に楽しんでいた。彼はいたずらっ子みたいにはしゃいで、それを大いに楽しんでいた。そんなところから新しい歌詞が生まれたんだ。その歌は彼のベスト・ソングの1つだと思うし、このレコードで私のお気に入りの1曲だ」 『Sister Lovers』の多くのトラック同様、“Downs”でチルトンはわざとパフォーマンスを大混乱に巻き込んでいる。

「潜在意識下のアレックスの動機は、彼がずっと食い物にされてきたことにあると思う」 ディッキンソンはそういう。「彼が成功して稼いだ金は誰か他の者へ渡ってしまった。それで彼はどうせ事がだいなしになるなら、みずからめちゃくちゃにしてやろうと決心したんだ」

「それがはっきりと“Downs”に起こった」 ディッキンソンは続ける。「フライはあの曲にポップ性があると考えていたが、私がいったとおり、彼とアレックスの関係は悪化していた。そこでアレックスがあれを破壊したんだ。私たちはリリース・ヴァージョンでスネア・ドラムの代わりにバスケットボールを使った。私はその時の彼の表情を覚えている。もしフライがそれをベタ褒めしなければ、全く違うものになっていただろう。でも彼を責めることはできないな」 まごつくほどに優美な“Kangaroo”は、『Sister Lovers』に何かとてつもない超越的な瞬間を与えている。

「ある晩、アレックスはガールフレンドのリサ・アルドリッジをエンジニアとして彼女といっしょにスタジオに入って、同じトラック(チャンネル)にヴォーカルと12弦ギターを入れた。そのことによって、それらを分離させることはできなくなった」 ディッキンソンはいう。「翌日、アレックスは挑戦的にそれを私にプレイして、こういった―“もし君がプロデューサーになりたいのなら、これに何か効果的なものを加えてよ”ってね。私は最初にメロトロン・パートを入れて、反応を待っていると、アレックスは判断に迷ったようになって、再び協力するようになったね。彼はのちに、その歌に費やした45分間で初めて私を信頼して、その後の10年のキャリアを導くものになったと感じたといった。とにかく“Kangaroo”はレコードが本当にうまくいき始めた最初のナンバーだったんだ」

アルバム収録のロック・チューンのうち、“You Can't Have Me”はザ・フー・スタイルの騒がしい怒りを表明している。そこでチルトンはキャリアの信条となった説得力あることばを発している―「君は僕をただで使うことはできないよ!」 『Sister Lovers』を聴いて分かるのは、その表明に至るまでに払われた彼の個人的犠牲だ。

『Sister Lovers』は以前から輸入CDで入手可能だったが、それは真に完全な形で、あるいは正しい曲順でリリースされたことはなかった。今回のライコディスクによるリリースが、チルトンとディッキンソンが4曲(最初の3曲と最後の1曲)について唯一賛同できる曲順であるという意味において、最も本来の姿に近い。

「理論上、全体は1つのポイントにおいて意味をなすんだ」 ディッキンソンはいう。「まさに循環だったんだ。“Thank You Friends”が最初で、“Take Care”が最後のはずだった。これまでの曲の並びではレコードの最後がすごく暗いから絶対的に大きな違いがあると思う。実際、最後が“Holocaust”というのもあって、それじゃあ全然ポイントを外していた」 「正直いって、誰がこのレコードに関する選択をしたのか知らないんだ。厳密にはリリースされなかったから」 ディッキンソンはつけ加える。「のちの何種類かのリリースは基本的にブートレグだ。正しい曲順ではリリースされていないから」

「ある時期にはみんなこれを2枚組にすることを話していた」 ディッキンソンは説明する。「私たちはみなスタックスが潰れそうなのを知っていたから、このアルバムが消えてしまわないことを願いながらレコーディングを続けていた。でも実際には完成しなかったんだ。私たちがそれ以上先に進めないところまで事態は悪化していた。最後の最後に録ったのが“Dream Lover”だ」

最初の2枚のアルバム同様、『Sister Lovers』も(商業的成功を超えたところで)意欲的なライターやミュージシャンたちの全ムーヴメントに多大な影響力を及ぼすことになった。R.E.M.、ザ・リプレイスメンツ、ザ・バングルズ、ザ・dB's、ザ・ポウジーズ、ゲーム・セオリー、クリス・ステイミー、その他多くの者たちがビッグ・スターのヴィジョンに恩義を感じていることを口にしてきた。

不運にもビッグ・スターの作品、とりわけ『Sister Lovers』の退廃的な雰囲気は、独創的な自滅の種をまく中に、ある種の崇高さを見る多くの媚びへつらうチルトン好きによって、それ自体が目的として信仰されてきた。それでも『Sister Lovers』は、これに反応した人々が選んだ道に対する非難の的となるべきではない。その断固たる声明と今日の才能たちへの深い影響力は、真の傑作と呼ばれるに全くふさわしいものだ。

―Rick Clark



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