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Anne Briggs/Sing A Song For You/1996 A Wing & A Prayer Ltd FLED 3008



これがレコーディングされたのは20年以上前で、私の2番目の子供が生まれる数週間前だった。でも私は当時、自分の歌に満足いかなくて、これはリリースされなかった。たしかに身重の体ではハードワークだった―十分に息継ぎができなかったし、ブズーキを弾くのも難しかった。ブズーキのふくらんだ背中を私のふくらんだお腹に押さえつけなきゃならなかった。私の腕は弦と指版にかろうじて届くほどだった。

カヴァー写真は私が赤ちゃんを産んで2週間後に撮ったものだけど、私がどぎつい赤のシャツを着ていたせいで、もう一度フォト・セッションを依頼されていた。でも私は写真を撮られるのが本当に嫌いで、どうしてももう1回やる気になれなかった。こういった要因に加えて、1ヵ月後に私がノース・ウェスト・スコットランドのサザーンランドへ移ったことが、このプロジェクト全体の破棄に対する一般的認識につながることになった。

今改めてこのテープを聴いてみると、まだ納得いかないところがあるけれど、それほど問題があるようにも思えない。Ragged Robinといっしょにプレイするのは本当に楽しかった。私が生涯で唯一いっしょに働いたグループがラガッド・ロビンだった。私が自分でプレイするギターや歌のキーを分かっていなくても、彼らはとても寛大だった。私が自分で押さえているコードさえ分からなくてもね。そんなものがあったとしてもだけど!私がバンドに誘われることがなかったのは、全く驚くことじゃないわね。

アン・ブリッグス、1996年10月


ン・ブリッグズは間違いなく昔も今も彼女の世代の女性シンガーたちに、最も大きな影響を与えてきた。

彼女の選曲は完璧で、彼女のメロディのあやつり方は全くオリジナルなものであると同時に、その響きはトラディショナルな香りがある―もちろんこれがトラディショナル・ソングの真髄なんだけど。彼女の歌唱はグレイトなパッションと、あたたかさと、知性と、そしてとりわけ自由を感じさせる。それは冒険的要素が絶対的中心にあるような真の自由のこと。

中でもこの驚くべきユニークなシンガーによる1973年のこれらレコーディングに、それを素晴らしく聞き取ることができると思う。

ラル&ノーマ・ウォーターソン、1996年10月


Hills of Greenmor
歌の中で私の母親がデリー出身であることを正当化するような北アイルランドの歌。私はKielderと歌っているけど、‘Green Hills of Keady’(Keady:北アイルランドの地名)とすべきね。‘Puss’は野うさぎの方言で、これは歩行狩猟(すなわち馬なし)を称える歌。流れるような風景に出てくる‘黒と黄色の犬と黒と白の犬’の視覚的なイメージが好きなところ。

Sing A Song For You
これを歌って娘を少しの間静かにさせておくために書いた歌。70年代初めは政治的にも環境的にも警笛を発していた時代だった。子供の未来に対する私の心配がこの歌を書かせた。

Sovay
多くの人たちはこの歌でこと細かに精神分析を試みてきたけど、私は違う!これは単なる愉快な性別役割の交換―彼が自分の持っていたものを理解した時に、‘それは彼の顔をばらのような真っ赤な色に変えた’。しかし彼がもしそれを吹けば(訳注:まさかブロウ・ジョブ((フ○○○オ))のこと?)、‘彼女は引き金を引いて彼を撃ち殺しただろう’。強烈な歌。

I Thought I Saw You Again
私はサフォークの荒野でキャラヴァン生活をしていた時に、数年間、雌の猟犬といっしょだった。孤独な時期だったけど、私にはその犬がついていたし音楽があった。私はその犬をかわいがっていたから、彼女がいなくなってしまった時は妹を失くしたみたいに寂しかった。この文脈に使われる‘草むらの足跡(foil)も掘り出された土(spoil)も’は、獲物(kill = spoil)と朝露に残す足跡(spoor traces = foil)の名残りを意味する古いことば。私はもう一度彼女を見たような気がするけど、今は時々夢の中に出てくるだけね。

Summer Is In
これは60年代中頃に、アイルランド西側に住んでいた時の生活を称えた歌。その頃の私はたくさんのミュージシャンや友人たちといっしょに過ごしていたけど、大部分共に旅したのはスウィーニーズ・メンだった。彼らはとても有名で果てしない影響力をもった初期のアイリッシュ・フォーク・グループ。

Travelling’s Easy
相手とうまくいかなくなった時のいらいらソング!

The Bonambuie
ボナンブイはサギ科のサンカノゴイのゲール語呼称。この鳥はかつてアイルランドの沼地に普通に生息していたけど、今はとても珍しくなった。ストーリーはアイルランドの詩人トーマス・マクダナのもの。彼がパブで飲んだあとの帰り道、沼地にさしかかった晩には、悲しげなうなり声を上げるサンカノゴイが彼をエスコートしていた。あるとても寒い晩に、彼がいつものように通りかかると、辺りは静まりかえっていた。そしてその詩人は1羽の鳥が凍え死んでいるのを発見した。鳥のことを思い、その死を悲しんだ彼は、鳥が水を飲むことができず、のどの渇きによって死んだと判断した。そこにはひとつの教訓があったのよ!

Tongue In Cheek
私がメロディと最初の2ヴァースとコーラスを書いた。デラップ(?:Delap)が残りを書いた(写真も撮った)。

The Bird In The Bush
愛することの喜び、田園のイメージ、勇敢に世論を放棄すること、簡潔でシンプルなメロディ、そしてバート・ロイドが教えてくれたことで、これは私のお気に入りの1曲になった。

Sullivan’s John
アイルランドで教わった歌。評判によれば、この歌は旅人で放浪のミュージシャンでエンターテイナーであるピーカー・ダンが書いたらしい。でもジプシー・コミュニティの中にはこれと似たようなヴァージョンがあって、伝統的な共通性が存在する。私はそれからピーカーと彼のファミリーのメンバーたちといっしょに、旅をしたりバスキングしたりした。私にとってこの歌は、アイルランドその他のジプシーたちが体験する苦難の生活を思い起こさせる。


ガッド・ロビンは、1973年にケント州出身の3人の友人たちとともに結成したみすぼらしい短命バンドだった。その年に僕たちはケンブリッジとその他でいくつかのギグをしたり、ロンドンのプリムローズにあったロイ・ゲストの“ハウフ”(パブ)にレギュラーで出演したりした。でも残念ながら、このCDが出るまで唯一レコーディングされた証拠となるのは、僕のファースト・アルバムに入っている‘Fire and Water’だけだった。その時はデイヴ・マタックスがドラムスをオーヴァーダブさえした。実際のラインナップは、マンドリンとリード・ギターにリチャード・バイヤーズ、ベースにブライアン・ディプローズ、ドラムスにジョン・トンプソン、そして僕がヴォーカル、ギター、あと「電話」だった。

アンが彼女のニュー・アルバムに僕たちを起用するために呼んでくれた時、僕たちはサフォーク州イプスウィッチ近くにあるリトル・ビーリングスのレンタル小屋に集まった―当時のことばでいうと、“田舎でのんびり暮らそう”だ。ここに入っている歌を初めて聴くのは、本当に名誉なことだった―そのバッキングを担当するのはいうまでもなくね。僕たちみんなにとって、それらの歌が呼び出す雰囲気は本当に強力だった。僕たちは1日だけのリハーサルをして、夜は‘Admiral’s Head’(パブ名称)で一杯やって過ごした。その後、僕たちはバリー・ドランスフィールドといっしょに1日だけスタジオに入った。

25年後になって再びこれを聴くのは、古い収納小屋を開けて日光を取り入れるような感じだった。そこいらじゅうにクモの巣が張ってあるけど、中にあるものはほとんど全てまだ役に立つようだった―曲がりなりにもね。歌は当時と変わらずパワフルだし、そこには今では見つからないような特別なものが存在する。それが君にとってのアン・ブリッグズだ。

スティーヴ・アシュリー、1996年9月



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