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Al Stewart/Orange/2007 Collector’s Choice Music CCM-768



1970年のサード・アルバム、Zero She Fliesのリリースではアル・スチュワートは自らの判断により、書き溜めて処分していた全ての曲をレコーディングした。よってニュー・アルバムのレコーディングのために新曲を用意しなければならなかった。不幸にも長年のガールフレンド/インスピレーション源であったマンディ・ニューアルとの破局によって、彼は曲が書けない状態、いわゆるスランプに陥ってしまい、2年間で快方に向かうまでただの一つも詞を書くことができなかった。彼は会場を変えることで問題を解決しようとギリシャへ向かったが、残念ながら問題の解決にはつながらなかった。そこでソロ・アーチストとしてのギグをいったん休み、元フェアポート・コンヴェンションのメンバー、イアン・マシューズの新バンド、マシューズ・サザン・コンフォートでベースを弾くことを考えた。彼はマンディと暮らしていたフラットを引き払った。しかしそれでも彼はBena Nicholsonという女性を好きになっていた。

時間の経過だけが傷を癒す薬であった。そして1971年、彼はようやく4枚目となるアルバム、Orangeの曲を書き始めた[韻を踏めない英単語がほとんどない言葉を選んだのがおもしろいところだ]。

当時のサウンズ誌のインタビューでアル・スチュワートは次のようにいっている。“Orangeは・・・娯楽アルバムというには不条理だね。でも同時に多くの曲は軽快な調子だから、その点において苦悩は感じさせないね。‘The News From Spain’だけがかなりヘヴィだ。あと‘You Don’t Even Know Me’と‘I’m Falling’のような曲は、二人の始まりの頃を歌っているんだ。軽い感じがする。”

“僕は何か込み入った問題に対処しなきゃいけない前に自分の基礎を確立したと思ってるよ。その基礎っていうのは以前に作ったことのないような、自分がほしかったサウンドのことだ。僕の最初の3枚のアルバムのプロダクションはひどかったと思うね。多分あまりみんな聴く気がしないんじゃないかな。”最初の3枚のアルバムのプロデュースは全てがロイ・ゲストだったが、今回はスチュワートの仕事から身を引き、ジョン・アンソニーがプロデューサーの座に着いた。サポート・メンバーの中にはイエスのキーボーディスト、リック・ウェイクマン、クィーヴァーのギタリスト、ティム・レンウィック(最初の何枚かのアルバムにも参加)そしてパブ・ロッカーのブリンズレィ・シュウォーツ(グループ名としてでなく個人名:彼はブリンズレィ解散後グレアム・パーカーズ・ルーモアと運命を共にした)らがいた。

Orangeに流れる感情の中心となっていたのは、彼のマンディとの関係について書かれた4曲だ。実際それらはアルバムの半分を占めていた。ディランのカヴァー(“I Don’t Believe You”は意外にもアル初のディラン・カヴァーだ)と、“Once An Orange, Always An Orange”(インスト)を除けば、レコードの3分の2はマンディについてアルが書いた曲だ。アルはかつてジョークで、もし彼とマンディが別れなかったら、Orangeで回り道せずにZero She FliesからPast, Present, and Futureに直行していただろうといったことがある。

“Night Of The 4th Of May”と“The News From Spain”の2曲は、“you hurt me”ソングだ。“I’m Falling”は“oh, I’m in love”ソング、そして“You Don’t Even Know Me”は“それ見ろ!”ソングだ。しかし最後のセンテンスでごまかしを加えている。“オーライ、もう少し一緒にいよう”

アルは、オリジナル作含む何曲かはカタルシスであるように思えると発言している。あるいはある意味、彼らそのものがカタルシス的な関係だったのかもしれない。マンディは何年もあちこちで過ちを犯し続けていたが(物理的にも暗喩的にも)、彼らは何が何でも親から金を借りるようなことはしなかった。しかし親たちはとにかく状況を把握できる限り、アルが自らのキャリアを進展させることを見守っていた。

今のところサード・アルバムのZero She Fliesに入っている“Manuscript”だけが本当にアルの独自性のヒントを与えてくれる曲であり、それは自らの鮮やかな史実に基づくバラッドを巧みに作る才能を示している。それは中世の吟唱詩人と20世紀のロック・スターをつなぐ橋でもある。またアルの最初の4枚のアルバムはUKとヨーロッパのみでのリリースであった。アメリカは眼前に広がる大きな夢であった。1974年のPast, Present, and Futureのリリースをもってアルは、大西洋を渡り世界的なスーパースターとして大きな飛躍を見せた。

※ ※ ※

アウトテイク及びふさわしい当時のライヴ・レコーディングの欠乏によって、ボーナス・トラックは後の時代のものからとなっている。しかしこのアルバムの主題に沿った選曲がなされることになった。

“Soho(Needless To Say)”のオリジナル・ヴァージョンは、1974年リリースのPast, Present And Futureに収録された。これは少なくとも3つのヴァージョンがリリースされている。うち2つはライヴで、ここでは“フォーク・ダンス風”なリミックスが収録された。ニューヨークのピーター・ウッズのアパートでレコーディングされ、ゲストのスパニッシュ・ギターにピーター・ホワイトが参加した。先の2005年にEMI UKから出た5枚組CDボックス、Just Yesterdayでのみ聴けるものだ。

“Elvaston Place”はアルがガールフレンド/インスピレーション源であったマンディ・ニューアルと住んでいたフラットのあった場所だ。これはとりわけマンディが去ってからは、調和がとれるようあらゆることが略式で書かれることになった。

レースの穴
カーテン 窓枠の裂け
家具の小さなすき間
僕たちは大家さんの名も知らなかった
君の足のつま先をあっためる電気ストーブ
バスマット用の夕刊
顔をのぞきこむ
君は僕のそばで幸せそうに見えた
Elvaston Placeで

この曲は2000年、UK BGOでのModern Timesで日の目を見た。しかし今回アメリカでのリリースは初めてだ。

バディ・ホリーはポール・アンカの曲、“It Doesn’t Matter”を有名にした。彼がカヴァーしたからだ―ストリングスの爪弾きが入っているこれは、彼の最後の公式レコーディング・セッションでの曲だ。アルのヴァージョンは80年代後半、アメリカのアリスタを去って新しいレコード契約を獲得するために売り込み配布したデモ録音だ(RCAその他いろんなレーベルでも同様)。そして最後に・・・ずっと昔に終わってしまったある恋人たちの事件の謎は全く解けないままになっているOrangeというアルバムを思えば、このあたりで筆をおいた方がよさそうである。
Thane Tierney
January 2007


アル・スチュワートの伝記作家ネヴィル・ジャッドに多大な感謝を送る。彼のAl Stewart:The True Life Adventures of a Folk Rock Troubadourは、このライナーノーツを書くに当たって大変参考になった。ヘルター・スケルター出版から出された新改訂版、他のアル・スチュワート関連の本はwww.nevillejudd.comで入手可能だ。

また実際の文書館員であるスティーヴ・チャップマン、ネヴィル・ジャッドそしてパトリック・ニールズに感謝する。彼らのアルの未発表レコーディングはこのリイシュー・シリーズに使われた。さらにジェイ・ストックトンとインターネット上のアルのファンにも感謝の念を送る。彼らは愛想よく(そして熱狂的に)このシリーズに収めるべきトラックについて提案してくれた。


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