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The Action/Action Packed/2001 Demon Music Group Ltd. EDCD 699



過去そして今もなお沢山のグレイトなレコードが作られてきたが、ほとんどのバンドはその価値に値するほどの認知を与えられてきたとはいえない。普通こういったタイプの‘成功しなかった偉大なレコードとバンド’というのは、ほとんどの人々にとっては忘れ去られ、‘カルト・レコード・コレクター’の中でのみ生き延び続けることになる。

60年代半ばにおいて成功しなかったバンドには例えば、The Creation, Birds, John’s Children, Artwoods, The Eyesなどがある。これらのバンドには少なくとも2枚は傑出したシングルがあって、現在では驚くべき値段で取引されている。そしてさっき述べたグループに付け加えられるのが、このthe ACTIONだ。実際これらのバンドは全てモッド・シーンに影響を受けてきたのであるが、そのなかでもThe Actionはその傾向が特に強い。The Actionはタムラ(モータウン)といったソウル・サウンドを身に着けたばかりでなく、それを自分たち独自のスタイルとサウンドに消化したグループのうちの一つだった。他の同時期、同地区で活動していたバンドで思いつくのが、The Small Facesだ。

The Actionは1963年にケント州の町で結成された。メンバーの構成は、レジー・キングがヴォーカル、アラン・キングがリズム・ギター、マイク・エヴァンスがベース、ロジャー・パウエルがドラムス、そしてピート・ワトソンがリード・ギターだ。彼らは1965〜67年にかけて5枚のシングルをレコーディングした。伝えられるところでは、アルバムもレコーディングされたが残念ながらリリースされなかった。全てのシングルはこのLPに含まれていて、それプラス“Harlem Shuffle”、“The Cissy”、“The Place”、そして“I Love You(Yeah!)”が収録されている。これがお蔵入りになったLPの一部なのかな?
僕はレジー・キングはスティーヴ・マリオットと並ぶ、ベスト・ホワイト・ソウル・シンガーのうちの一人だと考えている。ある意味彼の濃厚でスムーズな声の響きは、マリオット以上に持ち前のものだと思う。テンプテーションズの“Since I Lost My Baby”と、ヴァンデラスの“In My Lonely Room”の彼のヴォーカルをチェックしてみてほしい。他の優れた特徴としては彼らのグレイトなハーモニーがあげられる。最後のシングル両面、“Shadows And Reflections”と“Something Has Hit Me”では彼らの最高のハーモニーが聴ける。僕にとってはこれがベスト・シングルだ。

いうまでもなく、彼らのライヴについてはどうこう言えないが、僕にとってはどんな音楽であっても本当に誰かを感動させるものであれば、それをソウル・ミュージックと呼びたい。このレコードが作られて15年ほど時が経ってから初めて彼らを知ったのだが、今なお彼らは僕を感動させてくれる。その感動はThe Actionの持つソウルのなかにある。

さあどうぞ!これが君の分け前だ(a piece of the action)!

ポール・ウェラー 1980年11月


THE ACTIONは間違いなく、60年代中期のブリティッシュ・モッド・シーンから現れたバンドの中で、もっとも過小評価されたうちの1つだった。もちろんそのマーケットのリーダーはThe WhoThe Small Facesだった。彼らは衣服の好みにうるさいモッドたちの嗜好とレコード・セールスをうまく結びつけ、大成功を収めた。The Actionのようなおびただしい数の他のバンドは、時の経過とともに大きな称賛を受けるに至ったが(例えば他に挙げるとThe Creation, The Eyesなどだ)、そのクールな音楽的才能、息をのむようなアンサンブル、みごとなヴォーカル・ハーモニー、そして自らの音楽に対する確かな理解力の点で、レグ・キングと仲間たちに並ぶ者はほとんどいなかった。

The Actionはもともと1963年に、カムデン・タウンと、ケンティッシュ・タウンとして知られる緑の多い小さな町の間に位置する北ロンドンの地区で結成された。そのラインナップは、Reg King(vocal), Alan‘Bam’King(rhythm guitar, backing vocal), Mike Evans(bass), Roger Powell(drums)そして(少し後に加入した)リード・ギタリストのPete Watsonだった。彼らはクラブで歌っていた女性歌手、Sandra Barryのバッキング・バンドとして初の舞台を踏んだ。その時のバンドの名はThe Boyfriendsだった。その後、バンド名は短縮され、Sandra Barry & The Boysとなった。

続いて彼らはデッカ・レーベルでの唯一のシングル、‘Really Gonna Shake’/‘When We Got Married’を録音したが、これははっきりいって不名誉な結果となり、跡形もなく消えてしまった。バリーがソロ・キャリアを開始したため、バンドは彼女と袖を分かち、The Boysとして独り立ちすることになった。彼らは短期間、コメディアンでシンガーだったKenny Lynch(興味深いことに、彼は仲間のモッド・スター、The Small Facesとともに働いていた)と仲良くなり、彼はバンドのパイ・レーベルでの唯一のシングル、‘It Ain’t Fair’/‘I Want You’をプロデュースした。両面ともレグ・キングのオリジナルだったが、これも失敗に終わり、バンドは再考することを余儀なくされた。

1965年に入ると、彼らは名前をThe Actionに変えた(オリジナル・メンバーのキング/キング/エヴァンス/パウエルに、ギタリストのピート・ワトソンが加わった)。その名はよりダイナミックで、The Who, The Birds, The Creationのような同期の仲間たちと歩調をそろえていた。直接的でシンプルで覚えやすい名前は、モッドの一団を引きつける効果を持っていた(The Moveの名を挙げてもよいかもしれないが、彼らは少し後に登場したにもかかわらず、似たような道を歩んだ)。彼らは自分たちがプレイしたアメリカのソウルやR&Bのエネルギッシュなカヴァーに失望するようなことはなかった。その活気とパワーは、オリジナルにはないようなスタイルだった。バンドはグレイトなブリット・ブルー・アイド・ソウル・シンガーのレグ・キングと、パウエル、エヴァンスの強力なリズム・セクションを擁していた。そのリズム・セクションは恐るべき土台を提供し、その上でギタリストのキングとワトソンは自由にプレイすることができた。後者による12弦のリッケンバッカーは、豊穣で生きいきとした音楽的色彩を帯びていた。

しかし最も耳を引くのは、The Actionの素晴らしいヴォーカル・ハーモニー・ワークかもしれない。The TemptationsCurtis Mayfieldのモータウン/シカゴ・サウンドに影響を受け、一方でウェスト・コースト・ポップの快活なハーモニーも同時に備えていた。モッドたちは一斉に彼らをあたたかく迎え入れた。なぜなら、バンドはこれら色とりどりの要素を結びつけ、エネルギッシュでアンフェタミン漬けの騒々しいサウンドを聞かせることができたからだ。それはシーン・クラブやマーキー・クラブの中で、理想的なバックグラウンドを提供していた。彼らの卓越性の一部は、英国にあった米軍基地でのプレイでも証明されていた。ビデオ‘In The Lap Of The Mods’の中で、ベーシストのエヴァンスは次のように説明する―「僕たちはよく米軍基地でプレイしていたんだけど、野郎たちが近づいてきてこういうんだ―‘オレの国の歌だな。どこで聞いたんだ?’ってね。アメリカ人たちがそうやって称賛してくれれば、僕たちはうまくいくようになるんじゃないかって思っていたね」

やがてバンドはThe Beatlesの音の錬金術師であり、EMIのハウス・プロデューサーであったGeorge Martinの関心を引くことになった。マーチンはバンドとしての力強さに感銘を受け、バンドを自分のプロダクション会社AIR(ロンドン)で雇った。そして彼らをファブ・フォーと同じレーベル、パーロフォンと契約させた。両者の協力関係の最初の成果が、それぞれChris KennerMartha & The Vandellasをカヴァーしたシングル、‘Land Of 1000 Dances’/‘In My Lonely Room’(Parlophone 5354 1965年10月15日リリース)だった。彼らのソウル・スタイルを貫いたそのシングルは、最初に飛び出してくる音から十分にソリッドだった。マーチンの手腕によって、彼らのハーモニー・ワークがフィーチャーされ、パウエル/エヴァンスのリズム・セクションで締めくくられる‘Dances’は真に素晴らしかった。シングルはチャートを上らなかったが、自信に満ちあふれ、事態は好転するかのように思われた。

次のシングルであるThe Marvellettesの見事な解釈のカヴァー、‘I Keep On Holding On’(Parlophone R5410 1966年2月11日リリース)は、ただただ堂々としていた。そこにはバンドの音楽的特徴が前面に表われていた―第二のKeith Moonのようなパウエルのドラム・ワーク(パウエルはムーンとアメリカのバンド・リーダー、Buddy Richに大きな影響を受けたことを認めている)とエヴァンスの推進力あるプレイ、一方でアラン・キングとワトソンによるツイン・ギターは、ピリッとするようなリズミカルな輪郭を形作っていた。バッキング・ヴォーカルは、レグ・キングの素晴らしく安定したリード・ヴォーカルをさらにいっそう効果的に演出していた。B面もカヴァーだった。今回はノーザンのちょっとした人気者Mickey Lee Lane(詳しくいうと、イギリスにやって来たStatesideレーベルだ)の‘Hey Sah-Lo-Ney’だ。もたしてもエネルギッシュで目的にかなっていた。このシングルがポップ・チャート・トッパーとならなかったのは、ミステリーでさえある。エドゼル・レーベルが1981年にシングルを再リリースした時、これはラジオ・ワンでひんぱんにオンエアされた。DJのMike Readは絶えず盤を回し続け、それはほとんど彼の2周目の体験といってよかった。

ヒット・チャートへの3度目のアクションの挑戦がシングル、‘Baby You've Got It’/‘Since I Lost My Baby’(Parlophone R5474 1966年7月1日リリース)だった。B面にカップリングされたモータウン・ソングは、当時最高のプリティッシュ・カヴァーの1つだった。心地よい12弦ギターと重厚なヴォーカル・ハーモニー・ワークは、優しさ、ほろ苦さ、失恋の思慕を含んだ賛歌に添えられ、それは30有余年をたどってきた今でも全く永遠の響きを持っている。当時バンドは、1981年にエドゼル・レコーズからリリースされたアルバム、‘The Ultimate Action’で初めて日の目を見ることになる多くの未リリース・マテリアルを録音していた。その中には、Bob & Earlのスマッシュ・ヒットのカヴァー、‘Harlem Shuffle’(のちにThe Rolling StonesThe Belle Starsなど様々なアーチストたちが取り上げた)、The CissyAlan Kingのオリジナル)、そしてCurtis Mayfield(インプレッションズ)の‘I Love You (Yeah!)’などがあった。

スタジオをはなれたバンドは依然、活発なライヴ活動を続けたが、彼らはあまりにふさわしすぎるThe Whoとのツアーから外されてしまい、The Marqueeクラブ出演を切られてしまった(彼らには解雇期限があったのか?)。チャート上の成功が困難であることが判明しつつあった。次のシングル、‘Never Ever’/‘Twenty-Fourth Hour’(Parlophone R5572 1967年2月17日リリース)は、バンドのオリジナル作品であり、音楽的方向性の変化を示していた。これは、当時バンドのデビュー・アルバムが発表されなかったことを部分的に説明しているかもしれない。ポップ・シーン同様、バンドはモータウンのカヴァーからはなれ、自分たちのオリジナルに興味を持つようになっていた。アクションのニュー・サウンドは、よりウェスト・コースト的アプローチを堂々と示していた。またしてもヒットしなかったが、彼らのパーロフォンでの最後のシングル、‘Shadows And Reflections’/‘Something Has Hit Me’(Parlophone R5610 1967年6月23日リリース)は、さらに彼らのR&Bルーツからはなれ、ハーモニー・ポップ志向となっていた。それでもみごとなオーケストラ・アレンジメントが施されたグレイトなレコードだ。

バンドはBrainと名付けられたアルバムのためのデモ・レコーディングを行なった。そのアルバムはRolled Goldとして1999年にリリースされるまでお蔵入りとなった。その頃までにワトソンが去っていき、Ian Whitemanが加入した。しかしイアンは次にMartin Stoneと交代した。マーチンはイアンと代わるがわる出たり入ったりしていた。67年までに、音楽的傾向は急速に変化し、サイケデリアの波が押し寄せていた。その結果、バンドは何度かグループ名を変更した―最初はAzoth、そしてまたThe Actionに戻り、それからMighty Babyとなった。レグ・キングはユナイテッド・アーチスツでソロ・アルバムを制作した。

アラン・キングは70年代初頭にAceで浮上した。エイスはロンドンのパブ・ロック・シーンから現れ、クラシックとなった‘How Long’を大ヒットさせた。彼らはずっと続いていたかのように思われた。とはいえ、1970年代後半のモッド・リヴァイヴァルと、エドゼルのようなリイシュー専門レーベルの出現によって、The Actionのストックが明らかに目を覚まし始めた。現代のモッドファーザー、Paul Wellerがライナーノートを担当したアルバム、‘The Ultimate Action’がリリースされた。またバンドは1999年に2つの記念の祝いのために再結成し、以前と変わらぬ力強さを見せてくれた。そして他ならぬ支援者として、Phil Collinsがバンドの不朽の影響力を公に述べた。

65〜67年頃のモッドの真髄をまとめ上げたこのすてきなCDで、フィル・コリンズとポール・ウェラーをつなげるものを今あなたは聞くことができるのだ。さあ、では‘The Action’を聴いてみよう!!!

アラン・ロビンソン、2000年12月


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