SAPPORO 駅裏8号倉庫

 

 

 

WAVE         ROCK MAGAZINE IN SAPPORO   

 

 

1980年頃、札幌の音楽シーンを紹介・批評していた、WAVE というたいへん面白いミニコミがありました。編集長は吉岡賢さんという北大生の方だったそうです。今となってはたいへん貴重な資料と思えるので、勝手ながら、その内容を少しだけ紹介させていただきます。

 

 

 

 

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WAVE 1 1980/5/5

 

特集:札幌音楽状況    50人の音楽関係人間に聞いた

シリーズ・インタビュー 1   管 洋二 氏

表紙写真は アナーキー 3月24日 ディオール

 

発刊に際して    吉岡賢

札幌という街、非常におもしろいというか、アンバランスな街である。こと、ロックとファッションに関しては…。札幌に限らず北海道という所、開拓民の土地だけあって、「北海道」ということにすごくこだわったところがある。そのこだわり方は広島県人が、カープ、カープと叫んだりするのとは、趣がちがうものだ。そのくせ、音楽、特にロックに関してとなると、これは、札幌だ、という物がほとんどつかめないし、そこから出た、シンガーなり、グループもロックに限ると極端に少ない。博多、大阪などとくらべると、いっそうよくわかる。演歌とかニューミュージックなどでは札幌、いや北海道というところは、けっこう頑張っているのに、どう考えたっておかしい。気候、風土の関係だろうか?いや、他に大きな要因があるはずだ。そこで、札幌のそういう状況をとらえ、多くの人にしってもらうメディアというものが当然のこととして必要になってくる。このたび、おこがましくも創刊した本誌も、基本精神を札幌の音楽状況を捉え、且つ、良いもの、おもしろいものにしていく手助けをする、というところにおいている。一応、ROCKマガジンという名にしてはいるが、それにこだわらずトータルに状況を捉えていこうと思う。しかし、雑誌の精神の奥は常にROCKしていなくてはならないのである。かっこつけ過ぎちゃったが、ようするにオモロクしていこうということなのです。

 

 

 

 

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WAVE 2 1980/7/20


へヴィメタルとアメリカンロックの街 札幌に
吹き込む Punk / New Wave の嵐     吉岡 賢

パラ・フレイズ
メタル・バナナ
電撃BOP
藤森カツヲ&パッサテンポ
YEN
不過脳
E.X.P
V−2シュナイダー

シリーズ・インタビュー 2  藤森 カツヲ 氏

 

へヴィメタル と アメリカンロックの 街 
札幌に 吹き込む PUNK/NEWWAVE の 嵐

 

 ファッションだけじゃなく、去年の暮れあたりから、連続して本州より、PUNK/NEWWAVE バンドが山口組系加茂田文組に半年も先駆けて本道攻勢に掛かりだした。クラプトンの前座でやってきたEX、会場が悪かったというハンディはあったが神様よりは楽しめた。B52’Sの飛来は札幌までは及ばなかったが、B52’Sより先にやってた?そんなアホな、で話題になっているプラスチックス。やたら札幌好きなA.R.B、モデルとしてもやっていける鮎川率いるシーナ&ロケット、一風堂、Y.M.O、竹村健一と共演したアナーキー、RCサクセション、(本誌で呼ぶ豊田雄三)とけっこうな数である。自らシッポを切って生き返ったリザード、P-MODEL、ヒカシュー、パンタ&HALも来道する可能性があるそうだからたいへんだ。

 これらのバンド、プロモートできているのも多いが、既成の予備屋じゃない人達が呼んでいるということもおもしろい。まぁ、呼んでも金儲けのネタにならないからというのが本音だが…。

本州からは強力なバンドが次々にやってくるが、当の道内、特に札幌ではどうであろうか?去年あたりから、ぼちぼちその手のバンドが出始めてきている。まだ表立った活動をしているグループこそ少ないが、夏あたりから、雨後の竹の子なんていう表現は古いか?ぎょうさん出てきそうだ。去年のツーアウトにも出場し、キョウコの強烈なボーカルがおもしろいメタルバナナ。知名度では一、二となって来たパラフレーズとY.E.N、ニューウェイブ自主制作レコードの先頭を突っ走った不可能。「あれはオモロイ」という人の多い千歳の電撃BOP、パンクっぽい詞を強烈な個性で歌う藤森カツヲ。へヴィ・メタル、ウェストコースと、サザンロック、と頭打ちになっていた札幌に新しい息吹を吹き込んでいるか?

 

 

 

 

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WAVE 3 1980/10/10


特集:ロックする場を考えよう

ツーアウト フルペース

門間かしこ

Dr.G

塩田 隆

ステージフライト

小林 中
佐久山 秋比古

札幌サミット 

吉岡 賢

対談 : パンタ VS ミヤザワ (PARAPHRASE)

シリーズ・インタビュー 3   前田 重和 氏 (ミルク)

 

シリーズインタビュー 前田重和氏

 

W:、まずツーアウトをはじめたきっかけとか聴きたいのですが?

M:はじめた頃の状況というのは確かに始めるのが必要だったってことがあったんだよね。アマチュアのコンサートはほとんどなくて、プロのバンドのコンサートが隆盛だったんだ。さらにプロのバンドは2000人〜3000人はいるのに、アマチュアのコンサートは、Dr.Gとかヤマハがやってても100〜200人ぐらいしか入らなかった。なぜなら、やはり楽器屋のヒモ付きだから、1〜2曲しかやらせないで、ワンステージこなす力が育たなかったんだね。それ故、スポンサー無しのコンサートを作り、ワンステージをこなせるバンドを作ろうとしたわけ。だから当時始めることは明らかにたたかいの意識だったね。既成のヤマハとか玉光堂なんかに対してのね…。決して相手を否定するわけじゃないけど、別々の方法が必要だと思ったからね。

W:現在のツーアウトについてどう思いますか?

M:少し敵が見えにくくなって闘いの意識は薄れたね。しかしともかく、ツーアウトが一つの形式として定着したとは言えると思う。例えば、今どんなバンドが出ようとも、それほど客の動員はちがわないんだよ。手売り・義理売りもどんどん少なくなってきてるしね。でも、形式が確立したからね、こんどはもう少し中身の充実を考えていかなければならないと思うね。
 僕がよく言ってることなんだけど、ツーアウトは一つの踏み台にしたいのね…つまりミュージシャンが跳ぶための踏み台みたいなものに出来れば良いと思うわけ。それを使って跳ぶことの出来るバンドが出てくれたらと思うのね。まぁ、その台を作るのに3年かかったっていうことだね。

W:今のツーアウトはまだまだゲストの力に頼っているところがあるように思えるのだけれど…

M:確かにそれはあるね。しかしいびつな形だけど、とりあえずツーアウトという台を維持するためには、もうしばらく外的エネルギーが必要じゃないかと思うんだ。また、他のバンドを見ることによって、札幌のバンドが変わっていくんじゃないかと思ってるしね。大事なことは、ツーアウトフルベースに行ったという既成事実を作って、ツーアウトに足を向けさせることだと思う。ただね、心配なのは4年にもなるのに、台を使って跳びだしていくようなものはやはり出ないのか?っていうことなんだよね。(以下略)

 

ツーアウトフルベース
日時:毎年8月の中旬に3日間。不定期に秋や春に一日限り。77年から3年間で7回のコンサートを実施。場所:最近は大谷会館。出演基準:札幌を中心に積極的な活動をしているバンド。その他、道内各地からも出演する。選択はプロダクト内の選考委員会による。形式:1日 地元8〜9バンド+本州からのゲストバンド。持ち時間は、15〜50分。

 

 

 

 

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WAVE 4 1981/1/30

ブルース特集

1 対談 

キヨシ 氏 
(神経質なニワトリ・キャノンボール) 
小林 中 氏 (パラフレーズ)
イチロウ ヤマグチ (シチュエイションズ)

2 ブルース収穫祭 11月29,30日   ルポ 

3 シリーズ・インタビュー 
  梶原 伸幸 氏 (神経質な鶏、GEE のマスター)

特集  ジョン・レノン が 死んだ

 

 

 

 

 

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WAVE 5 1981/5/17

特集 学生バンドってなんなのだろうか?

シリーズ インタビュー 
第5回  フェアリー

「音楽シーンを作るもの」 
第1回 自主制作はこのままでいいのか? 吉岡 賢

 

 

 

 

 

 

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WAVE 6 1981/7/31

特集 レンタル・レコード

シリーズ インタビュー 
第6回 和田博巳 氏 (バナナボート)

「音楽シーンを作るもの」
 第2回  タウン誌   座談会

 

 

 

 

 

 

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WAVE 7 1981/12/25

特集 SAPPORO STREET ROCKER

札幌のロック・シーンのメインストリームとなりつつあるS.S.R.

パラフレイズ
シチュエーションズ
LEZZ・LESS・MASS
C・I・C
FITT


インタビュー編   宮沢 春之 (PARA−PHRASE)

 

札幌のロック・シーンのメインストリームとなりつつある S.S.R.
SAPPORO-STREET-ROCKER

 

 札幌ストリート・ロッカーライブという名前自体が使われたのは、今年の春「パラフレイズ」と「シチュエイションズ」の「神経質な鶏」でのジョイント・ギグからのことだという。片や今の3人になったばかりのパラフレイズ、片やまるっきり初登揚のバンドということもあってか、客の入りもすこぶる良く、S.S.R.としては快調なスタートだったといえる。この時、既に現在のS.S.Rのプロジエクトとしての一部が出来ているということは、これと続く第2回のライブのアート部分を現在 Lezz-Less-Massのミクニヤ氏が担当したことにも現れている。

 この2回のライブの終了の時点でHALはS.S.R.はパラフレイズの新しいプロジェクトとしてのみ考えていたという。つまりは前年の「パラノイアプロジエクト」の後をひきついだ形'といった感が強い集団であったようだ。 「鶏」での「キヤノン・ボール」とパうフレイズとのジョイントという、ありふれた異色の組合わせの第回のギグの後「TALK-EE」のナヲシが言い出しっぺとなって6月の末か、7月の初めに札幌の二ューウエイブ系のバンドを一同に集めたライブの企画が持ち上がった。これには、WAVEも、一枚からみ、マネジメントの部分を担当することになり、揚所はD'ALL、出演バンドは「電撃BOP」、「パラフレイズ」「シチュエーションズ」「TALK-EE」「C.I.C.」の5バンド開催は7月15日と決まった。このライブは結集的には120人あまりの動員と盛況ではあったが、「形式的主催者」の複数のバンドと実質的なマネジメントをとったWAVE、さらには会揚、機材側という3者の連絡、意思疎通が充分にできず細かなトラブルが幾回も生じ、ステージ・パフオーマンスはさておき企画の面で満足のいくものとはとても言えなかたようだ。具体的な反省点として、出演バンド数が多い時におけるバンド自体が主催者であるという自覚と積極性の欠如、役割分担の「あいまい」さが課題として次回へもちこされた。

 S.S.R.の輪郭が明確になり始めたのはこのころからだったようだ。この後のバンド間のミ一テイングによってS、S.R.としての基本的な原則が確立されたらしい。大きくまとめると、1.バンド主権確立:ともかくバンド主体のライブを効率的にやる目的でS.S.Rの意味があるのだからS.S.Rのどのバンド同士がライブをする時にもS.S.Rという名前を用い得る。また逆に各バンドの利害に応じて他の名前で他のバンドとライブをするのも自由。2.金銭:1.から、当然のことだが赤字黒字はバンド間で当分とす。3.WAVE:要請かあれば、マネジメント面その他で、WAVEが協力する

 D’ALLの後、急遽次のS.S.Rライブが決定した。使用可能になったばかりの駅裏8号倉庫で2日に渡って、8/22日に、「TALK-EE」、「CO−」、8/23日に「C.I.C.」「EXP」というバ.ンドによるライブである。今から考えると1ケ月の問で、この規模のコンサートを企画するには無理が多かったのも確かだった。宣伝面や、連絡の不備が目立ち、前日に会揚側と初めてミーテイングする有様だった。はっきり言って D’ALLの教訓を生かすどころか、より酷い結果となった。この日の天候が暴風雨(台風のさなか)だったことや倉庫自体が客に浸透してなかったことを考慮すれは、動員数だけで結果を見ることもできないけれども、赤字だけが残り、ある意味で反省させられたのは確かだった。

 この時期、6月末から、パラフレイズは「Get up stand up ツアー」と銘打って市内で7回のライブを行っていた。その後HALの「ミッドナイトサンクション」出演、パラフレイズとしての音楽担当、ソノシート制作等。S.S.R.とは別の活動を中心にしていたが、以前から話のあった道内ツアーを「S.S.R.ライブツアー」として、シチュエイションズと行なうことが本決まりとなった。映画、ソノシートが一段落した後、具体的な交渉、スケジュール調整を開始した。このツアーでは私もツアーマネージヤーとして部分的にマネージメント関係に協力したが、S.S.Rの中での他のバンドとのギグより、当人たちは、スムースに動いているように見えた。無論、地方での初めての揚所でのライブとあって、「ニワトリ」や「倉庫」でのようにアット・ホームに事が運ぶわけではなかったが、バンド間の連絡が密接だった為に深酷なトラブルは生じずに済んだように見えた。地カの動員数は満足するには程遠いものだったS.S.Rとしては、確実にプラスになった。それは、彼らの口からも。彼らのその後のステージからも伺える。

 この前後から、やりようによっては、多数バンド出演のデメリットがはっきりしてきた。対外的責任が一人に集中するのは、むしろ好ましいのだが、煩雑な仕事の全てが一人に集中してしまうと、重大なトラブルも生じかねないものである。S.S.R.ツアーの最後として「ニワトリ」が決まったのは2バンドがツアーの連絡、情宣に多忙をきわめている最中で、このライブの連絡、宣伝は共演が決定していた 「Lezz-Less-Mass」に任せた。ここのバンドは9月の「倉庫オープニングイベント」でデビューしたばかりだったがメンバーはコンサート・マネジメントに関して経験者だったのでこの3バンドの連継プレーは実にうまくいっていたと、シチュエイションのイチロウは言う…。互いに互いの役割を任せられるバンド同士のジョイントがベストであることが、ようやく明らかになり、結果として、この3バンドが現在のS.S.R.の実際的な、中心になっている。(ニワトリの時の動員数は70人余り、ツアーの延べ動員数は300人程度だった。)

 そして、S.S.R.の81ラストライブになるのであるが、これは、今年のS.S.R.ライブ総決算に、ふさわしい内容になったと思う。情宣、機材等は最も経験のあるLezz-Less-Massの泉氏が中心となり連絡は最低週一回のミーテイングを行い、具体的な行動(ビラはり、チケット販売等)は出演バンド(北大軽音のFYTTを含めた4つ)とWAVEEが適当な分担をして、バンド主催の自主コンサートとしては、実に効果的に、行うことができた。動員数も満足いく数となり、S.S.Rも、かなり浸透したように私には思える。細かい課題は、まだ数多くあるようだが、「東京ではない」都市のこのような自主活動に、これからも積極的に注目したいと思う。                                                   (古川)

 

 

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