
「みかんの花咲く丘」 作詞 加藤 省吾 作曲 海沼 実
『わたしが「みかんの花咲く丘」を作ったのは昭和21年8月24日の12時半から13時くらいの間であった。』
これは、作詞の加藤省吾さんが自伝の冒頭で書いている言葉としてよく知られています。
こんな名曲の歌詞がそんなに短時間で作られたのかと誰しもびっくりしますし、
また、その時間をこれだけ正確に覚えているのにはわけがありそうですね。
その事情は、概ね次のようだったとのことです。
昭和21年(1946)8月25日のことですが、東京のNHKと伊東市の小学校を中継しての
NHK ラジオ二元放送「空の劇場」という番組が企画されました。
作曲者の海沼実はなんとその前日の24日に、静岡にちなんだ曲の作曲を依頼されます。
当時、川田三姉妹(正子、孝子、美智子)の川田家に住み込みで作曲活動をしていた
海沼でしたが、そこへたまたま川田正子の取材に来た雑誌記者、加藤省吾に
急遽作詞の依頼をしたというわけです。加藤は富士市出身でしたので、
故郷の風景を思い浮かべてその場で作詞したのだそうです。
ただ、詞はできても曲はまだなわけですからこの日はこの後も大変だったと思います。
伝えられている話としては、川田正子と共に乗った伊東行きの列車の中で
試行錯誤しながらようやくの思いで曲を完成させた海沼は、その夜当時12歳だった
正子をお風呂に入れて、背中を流しながらメロディを教えたとのことです。
それで、翌日の放送に間に合ったのですから、正子ちゃんもたいしたものですよね!
確かにこの話を聞くと誰しもすごいなあと思いますが、創作というものは
どうもそういう面があるようです。時間が無くてせっぱ詰ってひねり出したものの方が、
時間をかけてゆっくり作ったものよりも、なにかの魂でも乗り移ったかように
「インスピレーション」がわいてきたり…
余談ですが:
よく知られているクラッシック音楽の世界の話として、
オペラ「ドン・ジョバンニ」がプラハで初演された際、作曲者のモーツァルトは、
序曲がすでに始まっているのにまだ終幕の音楽を作曲していました。
このオペラは、3時間以上かかりますからその場で写譜をすれば、
オーケストラの譜面が間に合うとは思いますが、練習なしのぶっつけ本番
でしたから、公演自体は大失敗に終わったようです。
でも、音楽は名曲として今日も広く上演されています。
ちなみに、この「みかんの花咲く丘」の歌碑は、宇佐美海岸を見下ろす景観の良い所にあるそうです。
昭和21年(1946)8月25日、 NHKの特別番組「空の劇場」