
「花」 作詞 武島 羽衣 作曲 瀧 廉太郎
この曲は、東京音楽学校に赴任直後の武島羽衣が書いた詩に、この時同校の助教授だった
瀧廉太郎が曲をつけたもので、1900(明治33)年に組歌「四季」として出版されました。
当初のタイトルは「花盛り」だったそうです。日本人の手による歌曲の第一号、また、
わが国最初の合唱曲だと言われています。
組歌「四季」の他の季節は、「納涼」(東くめ作詞)、「月」(瀧作詞)、「雪」(中村秋香作詞)となっています。
四季を歌う会の活動の中で、明治の時代に作られた歌を歌うことも多いですが、
例えば、「蛍の光」や、[冬の星座」のように原曲の歌詞を完全に無視した日本語訳
が付いていることも多いです。そのような状況にあって瀧廉太郎は、この「花」を含む、
組歌「四季」の発表に至った自身の動機を序文に表しています。
組歌「四季」の序文の口語大意:
近ごろ音楽は進歩発達し,歌曲も少なからず作られた。しかしその多くは音楽の普及を目的とした学校唱歌であり,
程度の高いものは少ない。比較的程度の高いものは,西洋の歌曲に日本の歌詞を当てたものであり,
単に歌詞の字数を合わせたにすぎないため,原曲の妙味を損なうものが多い。
中には原曲のおもむきに合った歌詞が付いた例もあるが,所詮は一時しのぎの便法であろう。
私は,力不足ではあるが,常々このことを残念に思っていたので,我が国独自の歌詞による歌曲をいくつか公開し,
我が国の音楽の進歩に寄与したいと思う。
(田村 誠さんのホームページから引用させていただきました。)
この時瀧廉太郎は、21歳でした。その2年後に23歳の若さで他界しています。
瀧廉太郎のこのような先駆者としての働きがあって、その約10年後の明治末期から
大正初期にかけて第1次の唱歌運動が起こり、高野辰之や岡野貞一などによる、
名曲の数々が生まれるに至ったことは、大変興味深いものがありますね。
歌詞について:
一、
春のうららの隅田川(すみだがわ)、
のぼりくだりの船人が
櫂(かひ)のしづくも花と散る、
ながめを何にたとふべき。
二、
見ずやあけぼの露浴びて、
われにもの言ふ桜木(さくらぎ)を、
見ずや夕ぐれ手をのべて、
われさしまねく青柳(あおやぎ)を。
三、
錦(にしき)おりなす長堤(ちょうてい)に
くるればのぼるおぼろ月。
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき。
明治33年(1900年)出版、組曲『四季』より(中学唱歌)
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麗らか:太陽がのどかに照っているさま |