☆Louis Hendrik Potgieter


   



「アフリカから来たジンギスカン」

 ああ、正直なところをいわなくちゃね。
もし、僕たちの新しいヒット、”Moskau”が、“Dschinghis Khan”を超えなかったら、そのときには、元の、大きな劇場舞台に戻ろうかと時々思っていたんだ。この5年間に踊ったたくさんの役柄を思い出してね。マーゴ・フォンティンのような、とても有名なパートナーとも共演したんだ。それが僕の世界だった。“白鳥の湖”や“シャーとシェエラザード“。今や僕は、あまり練習もしなくてもいいジンギスカンなんだけどね。
 だけど、不平を言っちゃいけないね。自分自身で望んだんだから。僕は自分から進んでジンギスカンになった、そして決して後悔はしていないよ。だってソロダンサーよりもてっとり早くたくさんのお金を稼げるしね。また違った苦労もあるね。僕たちは絶えず世界中を旅し続けてるもの。
 僕たちのグループは、そんなに永くは存続しないと思うんだ。僕がジンギスカン発案者のラルフ・ジーゲルと結んだのは5年契約だから。今、僕にとって重要なのは、たくさんの人たちと出会えることと、後続の人を援助して前進させること。それだけじゃなくて、ひょっとしたら、いつか自分自身のバレエ学校を持つかもしれないね。
 僕は南アフリカ国民なんだ。父方の先祖はオランダの出身、母方はフランス。父は南アフリカの首都、プレトリアにいて、建築会社の販売ディレクターをしている。僕には5人の兄妹がいる。兄が1人(ヨハン)、妹が4人(アンネリーゼ、カリン、エルナ、タラナ)。家族とはもう4年半会っていない。
 両親とはよく電話で話すんだよ。“Dschinghis Khan”と“Moskau”を電話で歌って聞かせたんだ。両親にはよく僕たちの新聞記事の切抜きを送る。両親は僕のことをとても誇りに思ってるよ。父は最初、僕がダンサーになるのを大喜びしていたわけじゃなかったんだけどね。
 ダンスは、もうずっと、僕を魅了し続けてる。ハイスクールの時、学園祭で、自分の振付でダンスをしたこともある。ハイスクールを卒業した後は、2年間アートグラフィックの勉強をした。その頃、こんな考えで頭が一杯だった:ファッションデザイナーになろうか、それとも音楽家か、ダンサーか。
 21歳の時、それまで一度もバレエ教授のレッスンを受けた事がなかった僕は、ヨハネスブルク劇場のバレエディレクターに会いにいった。彼は僕に才能があると見て、3ヶ月の試用期間をくれた。この3ヶ月、僕は獣のようにあくせく練習に励んだ。1日に6,7時間は練習場にいた。後になってから骨によくないって事に気づいたけど。
 だけど、努力は報われた。契約を結んだんだ。群舞の最後列だったけど、踊る事ができた。その2年後ソロダンサーになった。僕の大きな願いは満たされたんだ。
 一人の友人が、ドイツへ・ウルムへ、バレエチーフとしていく事になった。彼は僕に一緒に行かないかとさそった。それで、僕は故郷や家族を5年間放ったらかしにすることになった。1年ウルムで働いて、その後1年はスイスのザンクト・ガレンにいた。だけど違う大舞台に出たいと思い、フランクフルトへ、そこには年に3,4度であう多くのバレエダンサーや大劇場で共演したディレクターやチーフがいた。その後、ソリストとしてミュンヘンのゲルトナープラッツ劇場と契約した。
 ゲルトナープラッツでは楽しい時代を過ごしたけれど、あまり風変わりでない(大真面目な?)オペレッタにも出演しなければならなかった。それと共に、ダンス的な共演で、いろいろなテレビショーに出てもいいことになった。これらの共演(脇役での出演?)は、僕のジンギスカン役のために役立った。有名な振付家ヴィリアム・ミリーが、ダンサーを探していたラルフ・ジーゲルを、僕に目を向けさせるようにしてくれた。
 最初は、僕にたまたまやって来た出来事への、ただの好奇心だった。僕は、これはひょっとしたら短期間の仕事になるんじゃないかなと思っていた。他のジンギスカンのメンバーとはあったこともなかった。僕たちはかなりナーバスになった。もし、その当時、僕たちのグループがこのような成功を収められるかどうかと訊かれたら、きっと僕は何千回もノーと言われただろうね。僕たち6人はよく喧嘩をする。当然、意見の食い違いがあるからね。でも、すぐにまた仲直りする。僕が知っている限りでは、僕たちは全員同じ契約だよ。僕はダンサーだけど、歌ってる他のメンバーよりも稼ぎは多くも少なくもない。
 ひとつ、仕事仲間と比べてほんの少しだけ僕が有利な点がある。それは、街にいても、人々は誰も僕に気づかないこと。そう、休暇の時には扮装をしていないからね。


(雑誌BRAVO 1979年34号掲載)

※雑誌に掲載された記事の直訳です。
マスコミ向けに発表された、79年当時の状況ですので、
事実とは異なる点も含まれているようです。