☆Leslie Mandoki



「レスリー:“ワイルド”なハンガリアン」

僕の周りは雪ばかり
凍てついた魂の夢は風に追われてしまい
僕はただゾクゾクと悪寒のする虚無のうちに蹲る
すぐそこの山には陽光が降り注ぎ
僕の流浪する心を暖める

 僕が書いた詩だよ。ちょっぴりでも君たちの心に沁みるといいな。
 音楽と並んで、詩作は僕の大好きなものなんだ。もう50篇くらいの詩を書いてるんだよ。もしかしたら、いつか発表・出版するかもしれない。僕の詩を見てもらえれば解ると思うけど、僕自身はワイルドというよりも、どちらかといえばロマンティックなタイプなんだと思う。人はよく僕の外見だけを見て、気が変な野郎だと思うみたいだね。
 クレイジーなのは、今の僕たちのグループの方だよ。大掛かりな海外ツアー(イスラエル、日本)が予定に入ってる。僕たちはほとんど毎日リハーサルや、90分のショーの練習をしてる。
 それでも僕は、ジンギスカンにいられてものすごく幸せだと感じてる。こんな大ヒットを飛ばせるグループの一員になれるとは夢にも思っていなかったからね。だって僕は今までたくさんのバンドをやってきたけれど、こんなヒットに恵まれたことはなかったから。
 今、僕は成功と名声を得たことについて、いい点と悪い点を身をもって知ることができたよ。
 まず、いい点。僕はミュンヘンの3部屋ある住まいで暮らしている。電子ピアノの他にパーカッションも、僕はよく「ぶったたく」んだよ。やっぱり僕は筋金入りのパーカッショニストなんだね。
 僕は、ご近所さんを、絶え間なく悩ませる、びっくりするくらいの面の皮の厚いパーカッショニストではあるのだけれど、大きな争いごとは起こらないんだ。以前はもう引っ越して欲しいと思っていたみたい。今、ジンギスカンのメンバーなってからは騒音を迷惑がらなくなった。皆気軽に肩をたたいてお菓子とコーヒーを持ってきてくれる。それどころか、きっといつかスターになる予感がしてたって人もいる。
 悪い点はね。僕は、ファンが好きだよ、女の子もね。ただ、――失礼なファンもたまにいる。そう、僕の妻(まだ学生なんだ)を絶えず侮辱する様な手紙や電話を受けるんだ。こんなファンは、僕の目から見ればファンでもなんでもないよ、どうすればいいんだい、僕は妻と別れろとでも?僕はたくさんの女の子のものであって、一人のものになっちゃいけないと思っているのかな。
 だから、きっと君たちにもわかってもらえると思うけど、このページには妻の写真は載せないことにしたんだ。これ以上彼女が攻撃されないようにね。
 僕が音楽を始めた頃に話を戻そう。僕はハンガリーのブダペストで生まれた。僕の両親は今もそこに住んでいる。僕は本当は、再び帰って自分の故郷を見てみたいと思ってるんだけど、政府の許可が下りないから戻れないんだよ。僕は故国についての歌を書いたことがある。何年かぶりに故郷に帰ったら、何もかもがすっかり変わっていたという男についての曲を。
 僕は13歳の時に音楽を始めた。その頃僕たちは主にジャズを演奏してた。ハンガリーでは全部あわせて3つのバンドで演奏した。大きなホールや野外でのコンサートに出演してた。僕たちは皆、あまり見た目はよくなかったけど、肩まで髪を伸ばしていた。例えば僕の母なんかは、恥ずかしがって僕と一緒に街を歩いたりしたがらなかった。
 僕の故国のティーンエイジャーは、ドイツとはそう変わらないよ。ただ、色々不便なところはあるね。ジーンズなんかがそう。一本のジーンズを手に入れるまでに一ヶ月かかる。ここドイツでは、晩にいつも多くの若い女の子や若者がいつまでも外にいる。ハンガリーではそんなことは許されない。14-15歳の子が21時を過ぎて街にいることはないね。
 約4年前に僕はドイツに来た。元々はシュツットガルトにいる友人を訪ねる為に来たんだ。だけど、それからずっと、今も僕はドイツにいる――それは、自由な生活がしたかったから。その為に僕は故郷に還れなくなった。処罰されるだろうし――もしかすると監禁されるかもしれない。僕たちはシュツットガルトでバンドを作ってハンガリー風の音楽を続けていた。
 僕は更にスタジオミュージシャンとして運だめしをして、自分の作曲で、3枚のLPの製作に参加したんだ。スタジオミュージシャン活動の経験を通じて、ジンギスカンという名のグループを起こすに至ったということだね。そしてあとは君たちの見たとおり、運がよかったんだね。皆さんのおかげだよ。


(雑誌BRAVO 1979年35号掲載)