|
|
本 名 |
本名は“一方井利昌”です。 これだと読み方がわからないので、“いちかたいとしまさ”と、ひらがなで表記しています。 |
|
|
出身地
|
東京都葛飾区
|
|
|
生年月日
|
1954年12月20日 ゴジラ、ロックンロ−ルの誕生年と同じです。
|
|
|
血液型
|
A型ですが、時々本当にA型なのかと思う時があります。
|
|
|
音楽遍歴
|
母親が音楽好きで、音楽を教えていた親戚もあり、小さいころから音楽に親しむ。
|
|
小学校4年生頃からはTVで放送されていた「ビートポップス」等を見始め、邦楽よりも、洋楽のかっこよさに強く惹かれるようになる。
|
|
|
|
人前で唄った一番最初の記憶は、小学校の5年生頃の遠足のバスの中で「ペチカ」を唄った時の事。担任の先生に誉められた。
|
|
|
|
次に人前で唄ったのは、中学生の時で卒業する3年生が後輩に歌や演奏を聴かせる会(予餞会といい体育館で行われた)で。
|
|
同級生3人で1人がギターを弾いてPPMの「500マイル」やフォークルの「何のために」「戦争は知らない」等を唄った。
|
|
この時の演奏を録音したカセット・テープ(当時カセット・レコーダーは珍しかった)があったが、現在行方不明。
|
|
|
|
その次は、高校の学園祭で、ギター・ボーカル担当の2人にいちかたいボーカルで演奏。PPMの「ベリー・ラスト・デイ」ビートルズの
|
|
「アンド・アイ・ラブ・ハー」等を唄った。この頃現在のぶらんぶら〜ずのメンバーである松田茂(日本橋高校同級生、)原昭二と知り
|
|
あう。
|
|
|
|
大学(独協大学)入学後先程の松田、原とプロディガル・サン(ローリング・ストーンズが演奏していた曲名から命名)というグループを
|
|
結成し、地元などで演奏活動を行う。
|
|
演奏曲目はニール・ヤングの「テルミー・ホワイ」「バーズ」「サザン・マン」CSN&Yの「青い目のジュディ」「ティーチ・ヨォー・チュルドレン」
|
|
「自由の値」、ガロの「美しすぎて」「暗い部屋」等々
|
|
オープンリールのテープやカセット・テープにこの頃の演奏が録音されている。
|
|
|
|
大学1年の途中まではまったくの洋楽志向であったが、ある日ラジオから流れてきた曲に耳を奪われてしまった。その曲ははっぴいえんど
|
|
の「抱きしめたい」であった。はっぴいえんどのレコードは「ゆでめん」を高校時代に松田から借りて聴いていたが、日本のロックは端から
|
|
聴くにたえないと、馬鹿にしていたのでその先入観から、まったく印象に残っていなかった。ラジオからふいに流れてきたのを聴けて本当
|
|
にラッキーだったなと今になれば思う。そうでなければ未だに洋楽かぶれのままだったかもしれない。
|
|
|
|
はっぴいえんどの「抱きしめたい」に出会えた事をきっかけに、その後日本のロックやフォークを聴くようになり、日本語の曲なら作詞作曲
|
|
出来るなと思い、オリジナル曲を作り始める。その頃出来た最初の曲が「かげろうゆらゆら」。(日本のロックやフォークの影響から作った
|
|
最初の曲は「かげろうゆらゆら」だが、それ以前に石森章太郎の漫画に出てくる「夜は千の目を持っている」という歌詞に曲を付けたのが
|
|
一番最初の作曲体験)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|