作品について

18世紀までのレパートリー

 現在残っているミュゼットを含む作品はバレーやオペラなどの舞台作品、カンタータや歌曲集などの声楽作品、室内楽や協奏曲などの器楽作品など、あらゆるジャンルに渡っている。そのほとんど全てはフランスで作曲あるいは編曲されたもので、この楽器がフランス以外の国々で人気を得ることはなかった。
 17世紀中頃から舞台作品や声楽作品にミュゼットは現れ始め、その後18世紀の半ば以降までに器楽作品も多数出版されるようになるのだが、そのような流行が始まる以前からミュゼット、あるいはミュゼットの元となったようなタイプの楽器は宮廷で使用されていた。
 先の「ふいごについて」の章でも触れた、1581年に描かれた「アンリ3世の宮廷舞踏会」と題された絵で、そこには、口送風だけれどもシャトルドローンはすでに備えているミュゼットの前身が描かれている。ここには、2人のミュゼット奏者と2人の管楽器奏者が演奏している光景が描かれており、おそらく全員で4声部の合奏曲を演奏しているのだと考えられる。


「アンリ3世の宮廷舞踏会」部分

「アンリ3世の宮廷での舞踏会」に描かれている楽器編成は、1543年に編成された「オーボエとミュゼット・ドゥ・ポワトゥ」という王宮の楽隊の楽器編成、つまりミュゼットとダブルリード管楽器のコンソートと似ている事が指摘できる。プレトリウスも音楽大全(1619)(5)の中のミュゼットに関しての解説(19章)で、ミュゼットコンソートについて述べている。

「このようなふいご付きのバグパイプを5台使って、4声あるいは5声の合奏曲を演奏するという注目に値するアイデアがある。しかしながら、その全体の響きは特に私の感情を打つものでは無いと言うことをここに白状しなければならない。」

 残念ながら、彼はあまり好きではなかったようである。(>o<)
しかしながら、ドイツでのバグパイプの地位は宮廷では使われない下層階級に属する楽器で、プレトリウスはドイツ人であり又、彼の「音楽大全」もドイツで書かれたということを考えるとき、彼の感想は全くもって素直な意見だと思われる。
 1637年にはメルセンヌはミュゼットには数種類のものがあり、ソプラノ、アルト、カウンターテノールなどの音域を持つモデルがあると述べている。
 これらの事から16世紀の半ばから17世紀にかけて、初期型のミュゼットがアンサンブルの一員として合奏に参加していた事は間違いないと思われるのだが、実際どのような作品がこの楽器で演奏されていたかは明らかではない。

 1637年には、初めて「ミュゼットのため・・・」と明記された作品が現れる。これはメルセンヌの「音楽汎論」(1637)のミュゼットについて述べられている項目に、ミュゼットで演奏されている曲例として掲載されているもので、ジャン・アンリ(若い方)が作曲したとされる「ミュゼットのためのシャンソン」という小品である。

 17世紀の後半には音楽愛好家達の間でミュゼットを自ら奏することが流行し始めていた。
 そこで登場したのがボルジョンの「ミュゼット概論」(7)なのだが、このメソードの巻末には第2部としてミュゼットで演奏される小品が掲載されている。それらの小品を見ると、17世紀中に好んで演奏されていたミュゼットの曲種がどういったものだったのか推測できる。
 特にボルジョンのメソードは、この本がミュゼットだけを扱っているということから、それらの小品が当時の典型的なミュゼット用作品の1つだと思って間違いない。
小品の内容は、プレリュード、ブランルを伴ったベルジェロネット、4曲のエア
ドゥーブルを伴った4曲のブランル、2曲一組になっている5曲のブランルである。彼は、このブランルという舞曲はガヴォットの一種であり、他の舞曲よりずっとミュゼットに合うと述べている。これら単純に書かれた舞曲に、たくさんの音符で装飾されたドゥーブルを付けることにより、演奏者の「見せびらかし」が行われたに違いない。

 しかしながら、ここに印刷されている楽譜は、あくまでもこの本を購入してミュゼットの演奏を学ぼうとする音楽愛好家を対象としたものであるので、宮廷の職業音楽家や音楽愛好家でも名人の域に達した人達(例えば、F.Langlois)が実際行っていた即興演奏よりも遙かに簡単に書かれていると思われる。

 一方、17世紀中の舞台音楽において、ミュゼットは理想郷の羊飼いの楽器として用いられた。「羊飼いの行進曲」「羊飼いのエア」などと題されている小品にこの楽器はしばしば登場したのだが、その時はほとんど常にオーボエとユニゾンで演奏し、しかもそれらの小品に楽器ミュゼットが指定されていない事も多い。それに、舞台を上演する際様々な理由でこの楽器を演奏する奏者がいない場合などには、この楽器無しでなんの差し障りもなく田園風のシーンは演じられた。しかしながらボルジョンが1672年に、「この楽器は毎年開かれている王宮のバレーで見られる」と述べていることから、スコア上に指定が無かったとしてもこの楽器が田園風のシーンで奏されたことが多々あったに違いない。18世紀に入っても、舞台音楽におけるこの状況はさほど変わることはなかった。「ミュゼット」と題された小品では、ドローンを模倣した一定の長い音符を低音楽器が奏で、楽器ミュゼットがその合奏に加わっていなくとも、オーケストラ自体があたかも巨大なミュゼットと化し聴衆を理想郷の世界へと誘った。ミュゼットは1750年以降に至るまでカンプラ、モンテクレール、ルクレール、ラモといった作曲家達によって、オペラオーケストラの楽器の1つとしてその役割を与えられ続けた。

 

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