KFMとは  <戻る>
             発起人   Daddy津田・COM・橋暮慎吾・宇洞克織・JJ田邑
高石ともや氏やフォーククルセダースなど、1960年代に始まったフォークブームは、
 団塊の世代以降の多くの若者たちに受け継がれ、姿形を変えながらも
 「誰でも歌える・誰でも歌を作れる・誰でも楽器ができる」という
 ひとつの文化を築き上げてきました。
 フォークソングは「民衆の歌」として、観衆だった立場から
 「自分で作り、歌う」という、ある意味で音楽革命だったかもしれません。
 当時のフォークブームの背景には、フォークシンガー同士の横の繋がりが強くあり、
 彼らはプロとして、アマチュアをも交えて連帯しフォークソングを発展させてきました。
 テレビやCD・パソコンから楽曲があふれるこの時代にきて
 フォークソングの原点に立ち返り、
 フォークソングの先達としての彼らの精神を尊び、
 更なる「文化」としてのフォークソングを継承発展させるべく、
 北九州を中心に活動するミュージシャンや音楽好きの有志が集まって、
 「北九州のフォークシーンを盛り上げる会」として、2006年5月に発足致しました。
KFMの履歴

宇都克織が友人より仲間ショッパーズの夏祭りのライブスタジオの企画を頼まれて
フォークビレッジで歌仲間だった、橋暮慎吾・Daddy津田・JJ田邑に出演の依頼をする。
wake・仮名文・Daddy津田・JJ田邑の演奏企画は好評を得ることが出来た。
Daddy津田が北九州の歌仲間の横の連絡がスムーズに取れるようになればと、
KFM(北九州のフォークシーンを盛り上げる会)の発足を発案
橋暮慎吾・宇洞克織・JJ田邑・COMに相談する。

Daddyは、数々のライブハウス経営したがシンガーとして余生を送ると一念発起
         全国ライブツアーを思い立ち決行する。
comは、2005年脳梗塞で倒れたが、歌仲間と楽しい生甲斐のある余生を送ろうと決意。
      HP作成等リハビリを兼ねて出来ることから参加した。
2006年8月 
 橋暮慎吾は友人から平和を考えるコンサートの企画で高石ともや氏との出演依頼を受ける。
 この機会に高石ともや氏にKFMの会の主旨を伝えて 高石ともや氏に題字を頂くことが出来た。
 高石ともや氏に、3年後にもこの会の有様を報告出来るよう約束する。
 『存続していればKFMのライブに出演』の約束してくれる!

2006年12月

 『がんばれ冬の門司港』in 海峡ドラマシップ(海峡アトリウム)に出演
 KFMの会員の出演 仮名文・歌う果物屋・Daddy津田・wake
 この時の出演でKFMは海峡ドラマシップでのライブ許可を得る