交響曲第一番 0p.7

 

冬の森。霧がかった神秘的な雰囲気のなか、弦の刻みが不安を醸す。語法は多彩で、まったく予測不可能なウィットは、印象派の影響下にある

初期のこの作品においても、ルーセルらしさを聴かせている。メロディーが全く魅力的でないのも、彼らしさだ。これは

けなしているのではない。メロディーの美しさなど、彼には必要ない。メロディーは、和声に奉仕する。いや、全体の場、

幻想的な場に、メロディーは奉仕する。

弦の刻みが激しさを増し、ついには巨大な感情の渦となる様は、もうフランス近代の枠を超えている。フランスのロマン派とでも

言いたいほどだ。

 

二楽章は、木管とそれに続く弦の軽やかな動きが愉しい。明るい田園風景であり、雄大さすら感じさせる。雰囲気づくりの上手い

作曲家なのだなあ、と再認識。中間で、フルートとハープの掛け合いが、とても美しいのだが、メロディーそれだけとして見れば

まるでなんということもない。ここにルーセルの魔法がある。展開は全く自由で、田園風景は駆けるように加速する。

つくづくオーケストレーションは巧みで、透明感がある。盛り上げ方も巧みで、大きな起伏があり、ロマンチックだが、それでいて

透明感を維持し得ているところが、ドイツロマン派の影響下のフランス印象派といった感じだ。

 

三楽章は、夏の夜だ。ここでも旋律らしい旋律はなく、ひたすら幻想的な雰囲気づくりが営まれる。夏の濃い空気を描写したかのようだ。

 

終楽章はもっとも 長い。この作曲家の、はっとさせるようなアイデアの豊富さは驚くべきものだ。ちょっとしたアクセントが効果的。

踊りだしたくなるようなリズムに乗せた、金管のファンファーレが気持ちいい。色彩のパレットは豊富で、響きはとても瑞々しい。

展開はまったく息もつかせないように、次々と変わってゆく。だが、この作曲家の個性である、メロディー感の欠如は、ソロの部分にて

あからさまになる。ここだけは、冗長な感を否めない。

 

交響曲第2番 Op.23

 

ルーセルの交響曲中、40分を要する堂々とした大曲。

重々しくほの暗い序奏で始まる。影が、力強さをもってうねうねと徘徊する。この徘徊が、またメロディーを欠いたニュアンスの豊かさである。

半音階的に弦が絡み合い、高揚していく。この部分の陰りのある含蓄の豊かさも素晴らしい。そして低音がゆっくりと加速し始め、

ルーセル一流の、色彩の魔法がオケ全体にかかる。金管の力強い主題が、高らかに響き渡る。もうここはロマン主義と断定してよい。

木管が深い幻想へと聴き手を誘い、ニュアンスは迷路のように一定しない。第一番より遙かにスケールが大きくなり、真摯さ、幻想性ともに

圧倒的だ。相変わらずメロディーらしいメロディーはないが、音が奏でる雰囲気が1番より遙かに深いため、冗長さは回避されている。

瑞々しい木管の使い方は、いかにもオーケストレーションの得意なフランス近代ものであるが、それがロマン性を表現しているところが、

ルーセルの作風にユニークであり、魅力たらしめている。

 

2楽章は、冒頭からしてメルヘンの世界全開である。木管が零していく情感は、曖昧なほど美しい。ところでメロディーを音響に奉仕させる

姿勢は、ブルックナーに通じるが、音響がロマンチックで色彩的という点では、マーラーに通じる。従って、抽象的なロマンシズムとでも

呼びたい。中間部では、幻想世界が憂いを帯び始める。憂いは暗さにまで沈みこみ、しかしメルヘンを失わない。しかも音響は透明、

高揚していって、不協和音が熾烈に鳴り響く。なんともシリアスだ。この短い楽章に、なんと豊富なドラマが詰まっていることか。

終わりの方では一楽章の印象的な主題が回帰する。

 

3楽章では、1楽章と同様、暗い情感が迫っては遠のいていく。かなり息の長い曖昧なクレッシェンドののち、音楽は一気に弾ける。

まことにシリアスで、表現主義的な強烈さもある。ほとんど感情的である、とすら言いたい。いつものメルヘンは見出せない。

作曲者の苦悩が屈折した形で描かれる。一楽章に現れた動機が、雰囲気を転々としながら展開される。そして沈む。

不安定さは極まり、緊張感は最大になる。緊張感は音楽が舞踏に変容しても維持され、その頂点では輝かしい主題が鳴り響く。

再び幻想世界。そこには達観すら感じられる。

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ルーセル:交響曲第2番 ヤノフスキ/Redio France

 

強靭な幻想。響きは逞しく、しかも幻想性に富んでいる。それは、神秘的というより、聴き手を強引に

ファンタジーの世界に引き込む力をもっている。もはやフランス音楽という枠を超えた演奏だが、

野卑なわけでもない。大音量のところは凄まじいし、スケール大きな世界観を分厚い音色で表現。

一方で、音楽自体のもつ流動的な幻想性を力強く描き出そうとするあまり、もともとルーセルにあって

希薄な旋律性が犠牲にされている。細かい旋律の絡み合いは、響きの曖昧な重層性へと解消される。

響きの派手さ、加速部分の気持ちよさでは初心者向けの面をもちつつ、旋律性の希薄さによる

響きの晦渋さという点では初心者にはお薦めできない。

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交響曲第3番 Op.42

 

ルーセルの交響曲中、最も人気が高いだろう。冒頭の強烈なインパクト。強靭で単純な第一主題、それと対比的な複雑な情感を湛えた

第二主題。この二つの性質の違いの間を、音楽は忙しく運動する。しかしルーセル一級のウィットは戦闘的に表現され、戦闘は勝利の

ファンファーレへと収束していく。短い楽章だが、ルーセルのエッセンスは余すところなく示されている。途中の弦楽器ソロによる

室内楽も愉しい。

 

オーボエソロの取り留めのなさで始まるが、いつものルーセル・アダージョとは一味違う。主観的な憂いが表現されているのだ。

憂いは作られた憂いでなく、真に聴き手に迫って、胸苦しい慟哭を鳴らしてやまない。そして管楽器が加わると、憂いは踊りに変わってしまう。

ルーセルの演出する舞踏は、どれも個性があって愉しいのだが、ここでの舞踏は、とても力強くシリアスだ。

しかも、舞踏のなかにドラマがあり、盛り上がり、気づくと既に舞踏ではなくなっている。クライマックスを経て、音楽は再びアダージョとなる。

和音は不協的に響き、葛藤と煩悶とが已むに已まれず触発しあう。

 

第三楽章は、ルーセル節炸裂。わくわくするスケルツォ。タンバリンが添えられ、いつもの可憐さより、強引なリズムの刻みが感じられる。

終楽章は、明確な主題がある。あちこちで休む間もなくいろいろな楽器が鳴っており、それを追うだけでも愉しい。

明確な安定したリズムは、ロマン派を脱し新古典派に入った例証だろう。次々にいろんな事が起きている。忙しく、慌ただしい。

玩具箱のように、中には面白みがぎっしり密度濃く詰まっている。中間の甘美なヴァイオリンソロは、聴き手に、あれ、と思わすに足る。

ギャップが激しいのだ。終盤に向けて、いよいよウィットは嵐の如く舞い、混沌としていく。

 

ピアノトリオ Op.2

 

かなり爽やかな出だし。水面に穏やかな太陽が移り、揺らめいているよう。反復がその印象を強める。

音楽は加速すると、印象主義風から一転する。若々しい生の喜びが、全く陰影や染みを排して、すっと広がる。

ドビュッシー風の部分を経て、音楽は緊張感を帯び、激しい感情描写はロマン派風だ。

ピアノのアルペジオが印象派風に美しい綾をなすとき、VcとVnの絡みが、昇り詰めていったかと思うと、一転慟哭の表現になる。

ロマン派と印象派の折衷。むしろ、印象派が音を印象に奉仕させたように、メロディーがそれ自身ではなく印象全体に与し、

しかもその印象が、ロマン派風に高まっていく。まず印象があり、その印象の高揚と沈殿がある。

そして音型の多彩さ、小粋なリズムはルーセルの特徴をもう示している。

 

二楽章は印象派が前面に出ている。だがやはり、暗い情念が取って代わり、音楽は興奮し、一つのカタルシスへと至る。

暗い部分は本当にシリアスで、鬼気迫るものがある。

 

風を運ぶかのように軽やかなリズムは、揺らぎながら、情念とならぬ、かといって純粋に印象的でもないような、情感に満ちている。

憂いと言ってもよい。人が対象を捉え、その印象を掴む。しかしルーセルは、その印象そのものでなく、印象による情感を描いた。

そして、その情感を主題とし、ロマン派風に展開したのだ。調の変化は非常に曖昧で、曖昧なだけ、印象が漏れだす。

 

「蜘蛛の糸」Op.17

 

優雅さが水面に浮き沈みするかのような冒頭。弦の緊張感ある刻みによって、優雅さは減退し、生真面目さと倦怠感が交互する。

第二曲。玩具による戦闘の音楽。加速感あるポップさを下地に、趣向を凝らしたウィットが弦で、木管で自由に展開される。

第三曲。ポップさが幻想を纏って、淡く弾ける。リズム感は秀逸で、愉しい気分になること請け合いだ。動き自体はころころと変わり、

曲想もポップさを保ちつつ、次々に衣装を変えてゆく。

第四曲は、アダージョ。洞窟の奥の湖面のような趣き。というのは、秘境に臨むがごとき冒険心を湛え、湖のように神秘的だからだ。

弦の旋律とならぬ主旋律を、木管とハープが彩ってゆく。

第五曲は、再びポップな曲想を取り戻す。しかもリズムは加速し、疾走感を聴かせるやいなや、可愛らしいワルツとなって笑いを誘う。

次第にクライマックスへ向かい、加速は最高潮へ。

第六曲は、一転して鈍いリズムが支配する。音楽は徐々に瞑想の淵に沈んでいく。

終曲は、第一曲の再現である。ただし、ここでの水面は斜陽を反射している。優雅に、暮れていく。

 

String Quartet Op.45

 

厳しさと柔らかさが、絶妙な和声感覚の中で交差する。声部が複雑に絡み合って、明確な旋律もなく、一定のリズム動機を

発展させることに終始する。それでも、ドラマはある。躍動的であり、明と暗を行き来しながら、高らかに主題を響かせて、終わる。

一転して二楽章は、穏やかな曲想だ。それでも、やはりどちらかと言えば和声で魅せ、メロディーらしきものはない。

淵を彷徨うような伴奏に乗せて、Vnが抽象的な動きを見せるのだが、その動きの変化もまた緩慢なので、なかなか渋い音楽だ。

だがクライマックスは設けられており、淵に光が射すかのようで、その光がいろいろな角度から見られたかのように、ニュアンスは

含蓄がある。スケルツォはやはり一番分りやすい。リズムが明確だし、明るく、反復運動が聴きやすさに貢献している。

だが和声は複雑で、注意して聴くほどに、奥深さが滲み出る。終楽章はフーガで始まるが、この主題がまた複雑だ。

これをフーガにできるところが、ルーセルの対位法技術の高さを示している。曲想は、いろんなリズム形が混じり合って、

音が跳ね、あちこちの楽器を行き来するので、まるで音が愉しそうに遊んでいるようで、聴いているこちらもとても愉しくなる。

明るい音楽だが、ニュアンスは一瞬ごとに変化し、単純な平明さは全くない。

 

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