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Gary Moore 本名:Robert William Gary
Moore April 04 1952生まれ
出身地:Belfast Northern Ireland (北アイルランド ベルファスト出身)
1990年にリリースされたGary最大のヒットアルバム STILL GOT THE BLUES により90年以降にGaryを知った人たちにはブルースギタリストとしてのイメージが強いと思いますが、日本に於ける圧倒的な人気を確立したのは、1982年にリリースされた Corridors
Of Power 大いなる野望です。Garyの代名詞の一つとなっているフェンダーのサーモンピンクのストラトキャスターから繰り出される極上の極太ハードロックギターサウンドは圧巻です。私の運命的な出会いもこのアルバム、というかシングルカットされていた Always
gonna love you 夜明けの誓い がラジオから流れてきてそのメロディー、そしてギターソロに感動、衝撃を受け 翌日にレンタルレコード(←買っていない所がセコイですが・・・)で借りてきて洗礼を受けたのです。(後にちゃんと買いました・・・)
幼少期
Garyの父親はベルファストでローカルな音楽プロモーターをされていたそうです。(ライブハウスみたいな物でしょうか??)そこで幼少の頃からアイリッシュショーバンドが演奏する当時のポピュラーソングを聴いて育ちました。また、家族が所有していたレコードも良く聞いていたそうですが、ライブの方が好きだったGary少年。
そのGary少年が初めてプレイした楽器は何だったと思いますか?よくメディアで語られるのは凄く弾きにくいアコースティックギターが最初のギターだった・・・というのが有名ですが、“最初”となると、それは父親が家に持って帰ってきたドラムセットだったそうでGary少年は大喜びで一日中ドラムを叩いていたのだそうです。
そんな音楽大好きなGary少年のライブデビューは6歳の時。椅子の上に立ってSugartimeという歌を歌ったのだそうです。
そして10歳の時に最初のドイツ製のアコースティックギターと運命の出会いを果たすのです。そのギターはドイツのFramusというモデルのギターだったそうで、父親がショーバンドのギタリストから買って家に持ってきてくれました。そのギターを売ったミュージシャンがGary初のギターの先生となるのです。その先生が最初にGaryに教えたのはコードA。このギターに相当ヘビーな弦が張られていて弾きにくいにも関わらず、それが当たり前だと思っていたGaryは疑うことも無く練習を開始、始めの一週間でShadowsのWonderful
landをコピーしました。この弾きにくいギターが今日のGaryを築いたと言っても過言ではないでしょう。
ところでGaryは左利きだってご存知でしょうか?本当ならばJimi Hendrixのようにプレイするのが普通ですが、他のミュージシャンが右利きのギターを弾いてるのを見て疑いなく右利き用のギター(つまり普通の感じ)でプレイし始めたのだそうです。
一生のお友達であるギターに没頭し始めたGaryは外でサッカーをすることも無く、ボーイスカウト等にも参加せずギターを弾いていたそうですが、そんな時に誰かが掛けていたJohn
Mayall Blues Breakers with Eric ClaptonのAll your love を聞いて衝撃を受けました。この影響でAll
your loveはStill Got The Bluesでもカバーしていますし、The Old New Ballads Bluesでも再度カバーしていますね。それだけ想い入れが強い曲なのです。
プロキャリアスタート 1970年Skid Rowに参加
Garyは10代前半からキャリアをスタートさせています。(流石天才は違いますね〜〜っ)当初はセッションギタリストとしてDr.Strangely,Granny's
Intension等に頼まれて仕事をしていたそうです。が、当然ながらその超絶なギターは話題になっていき、ある時その才能に惚れ込んだSkid
RowのBrendan “Brush” Shielsに見込まれてバンドへ入るように誘われます。当時のGaryは純粋なブルースをプレイしたかったようでブルースをプレイするならという条件で話を聞いていたようですが、100%気持ちは向いていなかったようです。取りあえず一度バンドを見てくれと頼まれたGaryはSkid
Rowを見に行きます。そこで観たシンガーに心を動かされるのですが。それがあの有名なPhil Lynott(Thin Lizzy)でした。こうして二人は運命的な出会いをしているのです。Garyはその後Skid
Rowに入りますがPhilは直ぐに脱退・・・それでもGaryはSkid Rowを続けるのでした。Skid Rowのサウンドは ズバリCreamでしょう。ブルースハードロックという表現が適当かと思います。Creamが好きな人は一度聞いてみてください。Skid
Rowで活動していたGaryに運命のラッキーな出会いが起こります。ある時Skid RowはPeter Green率いるFleetwood
Macの前座を務めることに、そこでGaryを観たPeterがGaryの才能を見抜き、大手レコードレーベルへ紹介してくれたのです。この事がその後のGaryのサクセスストーリーの扉となるのです。
初のメインプロバンド! 1973年 The Gary Moore Band結成
Skid Rowを脱退したGaryは自身のバンドGary Moore Bandを結成します。実はこのバンドはアルバムリリースする前までにバンドのフォームが三度変わっている事をご存知でしょうか?つまり厳密には3期に分かれているんです。この詳細についてはバンド変遷史を作成予定ですのでその際にお知らせします。このバンドのサウンドはブルースロックを主体とし、ジャズ、ファンク、フュージョン等の要素がミックスした形となっています。コマーシャルなサウンドではありません。
First Thin Lizzy year! 1974年 Thin Lizzyへ短期参加
Gary最初のThin Lizzyは半年ほどで終了します。理由は酒盛りが主体で音楽が惰性だったかららしいです。ストイックなGARYらしいですね。レコーディングは数曲で終わりアルバム作成までは至りませんでした。Thin
LizzyのアルバムNight Lifeに収められているStill In Love With Youはこの時にレコーディングされていたものです。
Colosseum IIへ 1976年
Thin Lizzy脱退後、1974年にGaryはJon Heisemanに出会いColosseum IIを結成します。ここでGARYの成功を支えるDon
AireyやNeil Murrayと出会います。素晴らしい内容で当時のプレスからは高評価を得たのですがセールス的には成功しませんでした。当時のファンにはジャズロックというジャンルを受け入れることが出来なかったようです。しかしこのバンドでGARYはその才能を世間に示す事が出来たことは大きかったと思います。Garyの幅広い音楽性はこの時に養われたといって過言では無いと思います。
Thin Lizzy正式メンバーへ 1978年
Colosseum IIの活動を終えたGaryは1978年にパーマネントなThin Lizzyのメンバーになります。この時に名作「Black
Rose」が誕生します。しかし名作が誕生したにも関わらずJourneyの前座を務めていたUSツアーのOakland公演後に姿を消してしまいます。これが今でも一部のThin
Lizzyマニアから恨まれている原因となっています。
Jet Record Years 1978年〜1981年 G FORCE
Thin
Lizzyを脱退したGaryはJet Recordと契約します。しかしこのJet時代はGaryにとって悪夢のような時代だったのです。まずGaryはLAに飛びG
FORCE結成に向けて動き出します。まずBrian Downeyの代役でThin LizzyをヘルプしたMark Nauseefを呼びます。でココで凄い人が加入するのです。Glenn
Hughesです。当初は三人で活動していましたがGlennがツアーに意欲的では無かったためGlennが消えTony Newtonがベースとして迎えられます。Garyがリードシンガーを務めることも検討されたようですが結局Willie
Deeが加入して四人体制で動き出すことになるのです。ご存知のようにG FORCEアルバムはギターが変な音を除いて素晴らしい楽曲の数々でGaryのソングライターとしての才能が開花しています。結局1枚で終了したのが残念でなりません。因みにこの時期にGaryはOzzy
Osbourneからバンド加入を打診されていたようですが、ワンマンバンドを目指していたGaryは断ったようです。Ozzyはカンカンに怒っていたそうですが、Garyが加入しなかったのでRandyが加入したというから運命とは判らない物ですね。
この時代にレコーディングした下記アルバムは何故かお蔵入りに・・・契約で雁字搦めだったGaryは身動きがとれずイライラした時間を過ごしていました。この時にレコーディングしたのがGary人気に火がついてリリースされた「Dirty
Fingers」です。
しかし無駄にこの時間を過ごしていた訳ではないのです。
続く・・・
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