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“黒船”来日


 1956年9月29日は、日本のオペラ史上(音楽史上)、歴史的な日となりました。1976年まで8回に及ぶ、NHKイタリア・オペラの記念すべき初日です。日本は空前のオペラ・ブームとなり、オペラ人口が急増したということです。当時を知るオジサマやオバサマは、青春のかけがえのない思い出として熱っぽく語り、年配の批評家さん方は、何かにつけて引き合いに出す。あてにならない私の母の話では、チケットが2000円(当時の高卒の初任給は3000円)だったという話。
 間もなく、50年が経過しようとしています。ずいぶん日本のクラシック音楽界は成長しました。彼らは何と大きなお土産を置いていってくれたことでしょう。

※私は当然当時のことなど知るはずもなく(第5回までは生まれていない。)、聞きかじったことを書いてるだけですので、大先輩には甚だ恐縮です。
 鎖国時代(?) (日本オペラ生誕100年)

 2003年は、オペラの歴史における節目の年であります。
 日本で最初に日本人によるオペラが上演されたのは
1903年。今からちょうど100年前にあたります。演目はグルックの《オルフェオとエウリディーチェ》。オケなし、ピアノ伴奏、日本語訳。でしたが、めでたく全曲演奏されたそうです。
 このころ生産国では、ワーグナーが世を去り、ヴェルディは創作を終え、R.シュトラウスやプッチーニの、最後の黄金期にありました。極東の地へこの文化が届くまでには、ずいぶんと長い年月がかかったものです。

 最初の日本オペラの興隆期は
“浅草オペラ”時代です。大衆にオペラがもてはやされた不思議な社会現象だったように思えます。オペラは誰にでも楽しめる大衆娯楽的資質を十分に持っているとは思うんですけどね。オペレッタを中心に上演されたようですが、関東大震災で浅草は焼け野原になり、根付き始めたこの文化もポンペイの遺跡のように幻のごとく姿を消し、低迷期に入ります。そんな中で、日本で最初のオペラ上演の際、エウリディーチェを歌った、後の国際的日本人蝶々さん第一号の三浦環や、スコットランド人とのハーフで、日本人離れした声と顔立ちの藤原義江が世界に飛び出します。

 藤原義江は、歌劇団設立にも力を注ぎ、
藤原歌劇団を創設し、1934年に第1回公演。
 しばらくして、ライヴァルの
二期会が発足し、1952年に同じく第1回公演。
 ようやくアマチュア的な活動を開始し始めた頃、黒船がやって来ます。


 黒船襲来 ←(招聘)

 ペリーが乗った黒船は勝手にやってきたけれど、シミオナートタッディを乗せた“黒船”(古いなあ。本当は飛行機。)は、頼み込んでやっと来てくれました。当初の計画では、スカラ座をまるごと招こうかと思ったそうですが、とてもギャラが足りず、歌手や指揮者を呼びオーケストラや合唱やバレエは日本人がやろうということになったそうです。

 私が思うに、結果としては、この方がよかったと思います。もしこれが、今でいう単なる“引っ越し公演”だったとしたら、
 「スカラ座様、こんなに遠くまでお越しいただいて、ありがたや。ありがたや。やっぱりさすがですね〜。恐れ入りました!」というだけになっていたかもしれません。
 日本人が一緒になって演奏することで得た財産は計り知れず、その後に必ずや結びついたものと思います。聞くところによると、伴奏を務めたNHK交響楽団は、それまでオーケストラ・ピットの中で演奏したことがなく、たいそう不満だったとか。
(=_=;)

◎騒然
 「おみゃ〜、知っとるか?今度、なんだかスゴイのがやって来るらしいゾ!」
 黒船の襲来は、たいへんな騒ぎになりました。当時のオペラ・ファンの熱狂ぶりはどんなものだったのかは知りませんが、徹夜で並んでチケットを買った話などを聞きます。当時は電話予約という方法がなかったんでしょうかね
(インターネット?・・・そんなもんあるわきゃないっしょ。)
 それにしても、並んだ方々はなんと見上げた根性でしょう。
(^.^;)
 
(私はこれまで、ディズニー・ランドでビッグ・サンダー・マウンテンに乗るために、2時間並んだのが最長ですからね。ず〜と前の話ですよ。)
◎大砲が鳴り響く
 「エースルターテ〜!!」
 東京宝塚劇場に大砲が鳴り響いたのは、1959年の第2回公演でした。その声の主は、企画当初から招聘メンバーの本命にあがっていたものの、都合がつかずにいたマリオ・デル・モナコです。
 当時を振り返る人達は、決まって「モナコが・・・。モナコが・・・。」と言う。日本人はもちろん、声のデカいイタリア人からしても、奇跡と言える超弩級の大砲は、《オテロ》の第一声だけで私達の祖先を威圧し、オペラのスゴサを思い知らせてしまったのです。
(*'o'*)
◎豪華歌手陣続々来襲
 第1回公演の調子に手ごたえを感じたのか、アルベルト・エレーデ海軍大佐(指揮者)が率いてきた第2回公演からは、敵もついに本気になり、今から思うに、本場にもひけをとらない(又は超えている)軍隊を送り込んできました。最強国イタリアのメンツにかけて大物がズラリ。デル・モナコ将軍をはじめ、フェルッチョ・タリアヴィーニ、ティト・ゴッビ、アルド・プロッティ、ガブリエラ・トゥッチ、ジュリエッタ・シミオナート。
 その後も、第3回東伐軍には、ジャンニ・ポッジとレナータ・テバルディが加わり、第4回で、エットーレ・バスティアニーニ。第5回では、メンバーを一新し、カルロ・ベルゴンツィ、レナート・ブルソン、ギネス・ジョーンズ、そしてレナータ・スコット・・・。
 我が国に圧力をかけてきました。
 「ああ、恐ろしや〜。詳しくはこちらを見てくだせえ〜。」
y(>o<)y
◎文明開化
 イタリア歌劇団の軍事力に感服した日本は、その後、外国の有名歌劇団に対し、ついに門戸を開く決意をします。引っ越し公演の始まりです。メジャー・クラスの日本初演を順を追ってみてみますと。(ー.ー)y~~~

 ・ベルリン・ドイツ・オペラ(1963年)
 
・バイエルン国立歌劇場(1974年)
 
・メトロポリタン歌劇場(1975年)
 
・ベルリン国立歌劇場(1977年)
 
・コヴェント・ガーデン王立歌劇場(1979年)
 
・ウィーン国立歌劇場(1980年)
 
・ミラノ・スカラ座(1981年)
 ●ついでに今後の予定

  
・ウィーン国立歌劇場(2004年)
    《フィガロの結婚》《ドン・ジョバンニ》
 
 ・バイエルン国立歌劇場(2005年)
    《アリオダンテ》《タンホイザー》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》  
 
 ・フィレンツェ歌劇場(2006年)
    《ドン・カルロ》《トゥーランドット》
 
 ・ベルリン国立歌劇場(2007年)
    《さまよえるオランダ人》《トリスタンとイゾルデ》《モーゼとアロン》
◎黒船対策
 我国のオペラ上演(だけじゃなくて西洋音楽)の水準は、諸外国の指導によって急速に高められたというのは、確かなようです。欧米の列強は、オペラ弱小国の我が国に対し、上演についてあれこれと文句をつけ始めました。設備が整っていなかったためです。日本は甘んじて受け入れることにしました。近代国家に向けた努力が始まります。

 第1回イタリア・オペラ公演の際に使用していたホールは、「東京宝塚劇場」「宝塚大劇場」でしたが、宝塚仕様ではオペラはおろか、オーケストラ・コンサートをやるのにも満足なホールとはいえませんでした。
 ホールの建築が始まります。「東京文化会館」が完成。第3回イタリア・オペラ公演《アンドレア・シェニエ》でオープニング
(1961年)し、第6回公演まで使用。続いて「NHKホール」が完成。第7回《アイーダ》がこけら落とし(1973年)で、第8回も使われました。

 これらのホールが、黒船対策のためだけに建てられたとはいえませんが、理由の一つではあるかもしれません。少なくとも、そういう気運を高めたのは黒船軍団といえそうです。しかし、当時の日本は音響設計の後進国でしたから、これらのホールも素晴らしいとはいえません。
(特に「NHKホール」。人をたくさん入れることを第一としたのが明白。バカデカイだけで音響悪すぎ!「紅白歌合戦ホール」と呼ぶ人もいる。)d(^.^;)
◎進出
 イタリア・オペラ第1回公演の頃、彼らはイタリアから飛行機でまる2日かけて来ました(現在は約13時間)。飛行機嫌いのデル・モナコは、本当に黒(?)船で来ました。40日もかけて。ありがたいことです。
 私の子どもの頃は、海外旅行など珍しく、ハワイに行ったなどというと、その子はクラスの英雄になり金持ちのレッテルを貼られました。外国は、夢のように遠いところでした。しかし、私が大学生の頃になると、海外旅行は格安になり、一般庶民にも手が届くようになりました。
 これを機に、私達にも敵地視察のチャンスが訪れ、今や「観光+オペラ・ツアー」なる企画もみられるようになりました。実際に行ってる人達が精鋭部隊かどうかはわかりませんが。いい時代になりました。私も行けましたから。
(^-^)v
◎列強に追いつけ
 黒船効果で成長を遂げた日本は、オペラが土壌に根付いたかどうかはともかく、足場を固めつつあります。有名歌劇場は(金儲けのためか?)相変わらず来日していますが、それを受け止める日本の聴衆のレベルは、文明開化当時に比べると格段に向上しているのではないでしょうか?多くの演奏家も世界に飛び出し、立派な劇場も出来ました。
 新国立劇場でのオープニングを飾った
(1997年)のは、バテレン作曲家の手によるものではなく、團伊玖磨氏の《建・TAKERU》(オープニングが邦人作曲家の作品というのは日本のコダワリであった。続く公演はワーグナー《ローエングリン》とヴェルディ《アイーダ》の両巨匠の作品。)。その後も、シーズンに必ず一つは日本人作曲家の作品を取り上げてきました。
 新国立劇場の開場から6年。他にもオペラ仕様の劇場を持つようになった日本は、専属のオケや合唱団がなかったり、その他ハード面で不自由なところもいくつかあるものの、進化を続けています。
 地方都市の歌劇場が盛り上げ、その頂点に新国立劇場
(その頃には名前も変えて「TOKYO OPERA」なんて。)が存在するという形になってくれば理想的でしょうね。

 
黒船様。ありがたや。ありがたや・・・。m( . . )m

NHKイタリア・オペラ公演記録

【2003.12.27記】



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