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DIARY


2007.1.14 Live 「耕す・創る・歌う」
 東京・国立市のプランターコテッジにて 久々のライブをやらせて頂きました。約25名もの方々が集まって下さり、ワインやお茶を片手に、持ち寄ったおいしいものを皆でつまみながら、久々に会う人や初めて出会った人との会話も弾み「ライブ」であることを忘れてしまいそうなほどでした。
 僕の山での暮らしの写真を見てもらったり、井上阿美奈さんのイラストを眺めてもらいながら、僕の歌を散りばめる・・・という当初のイメージがそのままになり、想い描いた以上に いい時間になったと思います。
 これまでやってきた「僕、うたう。皆様、聴く。」というライブに会話はありませんでした。だけど 自分がやりたかったことは、自分の表現を通して 集まって頂いた人たちとのコミュニケイションであることに気付きました。それはプランターコテッジという空間との出会いによって具体的に自然にイメージすることができました。
 3時間で8曲しか歌わなかったことに後で気付きましたが、いい時間の中で いい歌をうたえた気がします。しばらくライブをする気になれなかったのですが、それはライブという表現の仕方に行き詰ったからでした。今回こうして新しい方向性が見えてきたので 再び歌うことに力が湧いてきたところです。人々との出会いが嬉しく、それが力になってゆくのを感じます。
 「耕す・創る・歌う」は僕の名刺に書いた文句です。「ご職業は?」と問われても 話せば長くなるので、そう書いています。
 「耕す」とは僕にとって、生きるために食べるおいしいものを実らすこと。家をつくることも耕すこと。家族との日々をすごすことも耕すこと。「歌う」ことは耕しながら見て感じたものを人に伝えること。このふたつの「創」作活動が僕の生活(仕事)。つまり やりたいことしかやっていない自分の自己紹介なのですが、それが今一番表現したことといえるかもしれません。

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キモチイイ 秋晴れ
 山が日に日に秋色を深めてゆく。
 田んぼの仕事も片付き、少しづつ冬支度を始めている。今年も そろそろ ここを離れ、冬をすごしに町に下りる。

 子供たちと散歩をする。ムカゴ(山芋の子)をとりながら、栗を拾いながら、クルミをけりながら、アケビをとって食べながら・・・真っ青の秋の空の日々は陽の光も気持ちよくホントに素晴らしい。
 それをダイナシにしようとするのがやはり今年もカメムシ。今年も過去最高と思わせる数の彼らが我家を襲撃している。晴天の日は窓にも壁にも屋根にもびっしりである。気持ちよい秋晴れの日ほど気持ち悪い。ほうきとちりとりとバケツを持って立ち向かうことにも無力感を覚え、精神が病んでくる。家族と自分を守るため何とかしなければ・・・。ふと思いついた。火だっ!干した稲ワラの束に火をつけて家の周りに置いた。家は煙に包まれた。するとどうだ!彼らは逃げ出した。「ワラにもすがる思い」ってこういうことか。いっきに未来が開けた気分。彼らは飛来する時間帯のピークは10時〜14:30だから その間 煙を絶やさなければ心安らかな暮らしを守ることができるのだ。とは言っても一匹もいなくなるわけではない。万単位が千単位になるくらいである、万が千になったところで「いっぱい」には変わりないが、千ならほうきとちりとりで百にすることができるのだ。百匹くらいなら少ないと思える感覚になってしまった。
 春と秋はカメムシ、夏は蚊、ブヨ、アブ・・・これらの虫がこれほど多くなければこの土地はもっと過ごしやすいけれど、僕らの都合に合わせた完璧な土地なんてそうあるものではないだろう。
 この中でできる限り快く暮らすために工夫することが ここでの暮らしの仕事みたいなものだ。それが自分の発想、と根性次第で何とかすることが出来る可能性があるってことは自由なことだと思う。ここのこの自由は何にも換えられない。カメムシなんかに負けてはいられない。

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生きる力
枝豆編
 野うさぎに葉を全て食べられてしまった枝豆は、その後素晴らしい生命力で、再び葉を棒状になってしまった幹からしぼり出し、なんと実までつけた。再びうさぎの奴に喰われてしまわぬようにと、風の通るシートをかぶせておいたのも良かった、と思っていた。
 実がおいしそうにふくらみ、「よし明日獲ろう」と思い、次の日に行ってみると、なんとまた全て棒状の幹だけになっていた。シートをはいでから食べたらしい様子。奴はいつでもシートをはぐことができたのだ。
 怒りは無い。敗北感があった。


かぼちゃ編
 春先に苗箱に種を蒔き、畑に定植したかぼちゃの苗は、ウリハムシに食べられてしまったのか、雨で腐ってしまったのか、いつの間にか全て消えてしまった。
 しかし、夏の始めの頃、生ゴミ捨て場から、たぶん昨年捨てたかぼちゃの種が芽を出し、ぐんぐんツルを伸ばした。いまだかつてない勢いで伸び、一株とは思えないほど広がった。そして美味しそうな実をごろごろとつけた。
 こういう実を食べていれば、自分も強い人間になれるような気がしてくる。


にがうり編
 大好物な訳でもないけれど、毎年つくってしまう。あまり獲れすぎないように少ししか植えていないけれど、それでも1日に2本くらい獲れてしまう時期がある。
 豆腐と炒めたのをビールの肴に食べると美味いけれど、毎日食べたいとは思わない。人に分けるにも相手が好きかどうか気を使う。「食べる」と言ってくれたところで、一度に何本もあげて喜ぶ人もそういないだろう。ニガウリに限っては。
 全く無くても寂しい、有り過ぎても厳しいこの微妙な苦味・・・再び食べたくなるのだからやっぱり好きなのだ。大好きではないけれど。


なす編
 六月の末ごろ、ホームセンターで売れ残ってほとんど枯れたようなナスの苗が¥30だったので一本買って植えておいた。五月に植えた畑のナスは枝豆と共に野うさぎの奴に食べられて全滅したので、娘が家の前で管理する彼女の畑のナスの隣に植えてもらった。
 大きな葉はほとんど枯れ落ちたが、枝の下に小さな新芽の頭が見えた。大地に植えてやると彼は少しづつ回復して、大きな綺麗な葉を広げた。九月七日、初めて実った彼の実を二つの娘が収穫し、食べた。美味だ。まだまだ小さな実がたくさんついている。
 彼には、¥30以上の可能性があったのだ。そうはじめから信じていたんだ。

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バカンス
 8月は夏休み。でも田にも畑にも2日に1回は行く。そして「あっちぃーなぁ ちくしょう」と汗をだらだら流して薪割りをしたり、新しい小屋をつくったり、雨が降らない限り昼間に家の中にいることはほとんどない。
 あまりに大量に汗が流れていくので、昼のビールは欠かせない。家に入る前に沢で軽く水を浴びて、テーブルにつくと、1才の娘が「ビービー?」(ビール)と言ってビールを持ってきて、5才の娘が「おつかれさん」といってグラスに注いでくれる。畑でもいできたキューリをかじりつつ、"バカンスな時≠味わっている。
 夏休み、お盆休みのない仕事の人も世の中にはたくさんいるわけで、そういう人たちの精神力で社会は回っているのだなあと思う。ならば だからこそ、バカンスは皆の義務であるべきだ。

 いつも仕事で忙しくしていて なかなか遊びに来ない友達を呼んで、我家自慢のピザをつまみながら、昼間からビールとワインを飲む。そして夢を語る、そんな夢の空間を例のごとく廃材でこつこつと作っている。壁のない小屋を建て、その中に薪オーヴンを作り、テーブルとベンチをつくった。そして、いつか木陰をつくってくれるように、小屋の前にサクランボの苗を植えた。
 もう少しでオーヴンが出来るからそしたら、ためしにパンを焼いてみよう。ついでにベーコンも作ってみるか。そしたら畑のトマトとキューリとレタスをはさんでサンドイッチだ。
 そう、バカンスのためのバカンスな日々をすごしている。

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「カワイイ 野うさぎ」
 七月に入ってからは 雨の日ばかりだけれど そのなかで、束の間の晴れ間を見つけながら畑の野菜も育っている。
 昨年、フランスのホームセンターで種を買ってきた ズッキーニは特に元気。葉をおもいきり空にむけてひろげている様子は、朝起きて窓を開けてあくびまじりに深呼吸する時のようであり、親の胸に嬉しそうにとびこんでくる子供のようでもある。
 ナスは五月に植えた時から生育が良くなかった。やっと最近元気になってきたと喜んでいたある日、土から3p程 幹を残しただけで 花も、まだ小さかった実も、硬そうな葉も全て 野うさぎに喰われてしまった。唯一残ったのは娘・優月が管理する彼女の畑のナス一株だけ。
 この一株は悔しいくらい立派に育っており、先日やっと実った一つのナスを4人で分けて食べた。一切れ数千円のトロでも食べているような気持ちだった。(そんなトロは食べたことない)
 この夏の我家のナスは、この彼女の一株に託されているので「頑張っていっぱい実らせてね」とプレッシャーをかけると 「次の花が咲いているところだから待っていて」 とピシャリと言われた。ナスの声を聴いたようで少しドキリとした。
 枝豆もなすと同じく、野うさぎに一晩で喰われてしまった。何十株も植わっているのを順に食べていく姿を見てみたくもあるが、そのうさぎを見たら、すかさず捕って喰ってしまいたい衝動に駆られそうだ。
 来年は枝豆も娘につくってもらったほうがよさそうだ。

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花は刈れない
 田植えから約一ヶ月が経ち、稲の葉の枚数も増え、田んぼが緑色になってきた。それでも周辺の田と比べると、うちの稲はまだ細くて、田もすかすかして見える。少し不安になるけど、あと半月もすれば周辺の田に負けないくらい力強い姿になる。うちの稲は初期育成がゆっくりだ。じっくり大地をかみしめて力をつけているように見える。

 一回目の田の草取りをしている。除草機を押すために田の水をはらうと、発芽した草で全体が芝を敷いたようだ。
 田の中に出来た水溜りの中に、ミジンコのような ものすごく小さな生き物たちが ものすごい数で動きまわっている。
 うちの田は耕していないのに、除草機が埋まって進まなくなるくらいやわらかいのは、たぶんこの連中やもっと他のもっと小さい生き物たちが動き回っているからだろう。そんな気配がする。
 こんなことだけで、田んぼの中でさえ、除草機を押す足どりが軽くなるような 「いいものを見た」 気分になるのだけど分かってもらえるかな。

 畦の草刈をする時など、娘・優月がよくついてくる。お茶とおやつを持って二人で田んぼへデート。
 彼女は花をみつけると摘まずにはいられない。クローバーの花のようにたくさん摘んでも摘みきれないような花は摘みまくるが、個性的で所々咲いているような花は、少し家のグラスに飾るだけ摘む。
 畦には小さな花が、背の高い花のない草の中にたくさん咲いている。それを見て「花は刈らないで」と言う。僕自身もいつもなるべく花は刈らないようにしているが、それでも全ての花を刈らずに草だけ草刈り機で刈るのは至難の技だ。だから彼女を連れて草刈をするのは緊張するが、「花は刈らないで」 と純粋な視点で仕事をすることを改めて気付かせてくれる。
 今咲く花を刈ってまで今畦の草なんか刈らなくてもいいんだよね。


                             2006・6.18

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「て」
 5月18〜21日で 田植えをした。
 はじめの二日は一人で植えた。山奥の谷間の"隠し田"みたいな田んぼなので、鳥とカエルの声と沢を流れる音だけに包まれている。
 我家の田植えは手で植える。八年目ともなれば田植え機には勝てないけれど、我ながらリズミカルで割りと早い。小間切れの 十二枚の田んぼに一日半で この手だけで植えたのは初めてだった。やれば出来るんだなあと自画自賛。さすがに後半は腰も少々痛く ペースが落ちたが、最後まで いい時間を味わった。

 植え終えて 水を張った田を上から見ると、そこに空が映っている。たまに風が吹き抜けると その水面で 風が踊るのが見える。そんな風景を一番上の畦に腰を下ろして眺めるのが好きだ。

 20〜21日は場所の違う田んぼ。東京方面からいつもこの時期に来てくれる友人達が来てくれて、子供も含め15人くらいで賑やかに植えた。5才の娘、優月(ゆつき)も全身 ドロまみれで植わっていた。
 お昼に皆で、昨年 皆で植えて実った お米のおにぎりをほおばる。そしてまた元気になって、来年また植えるためのお米をつくるためのお米を作るためにまた植える。

 田植え機を使えば 二時間もあれば終わってしまう田に大勢で二日かけて手で植える。周囲の人はきっと不思議に思っている。たぶん、「変わった人」略して「変人」と思っている。
 何故手で植えるかと言えば、それが僕の自然なライフスタイルだから・・・だろうか。生産性とか経済的なことをまったく考えずに、子供二人を抱えて暮らしているわけではないけれど、どうせつくるなら「味」あるものをつくりたいという想いが優先してしまうのだ。
 でも心配無用。腹減ってひもじい思いはさせないよ。上等の米はある。

                                       2006 5 28


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芽吹
 やることがいっぱいあって、あれもこれも一息にやろうとするもだから、一つのことすらなかなか完結しない。
 今日は、じゃがいも畑の準備と田の畦塗りをするつもりだったけれど、今朝は雨で午後から晴れるようなので、午前はこうしてのんびりしよう。(と思ったら娘たちが乗ってきた・・・)

 4月にこの山の家に帰ってきてまずすることは掃除。半年の間に隙間風から運ばれ積もった埃と、何故か死んでカラカラに乾いたカメムシ、死んだようにまだ冬眠して転がっているカメムシは、掃いても掃いても切りがない。
 久し振りにこの家を見ると、隙間だらけの寒い家だと思う。だからいつも春は大工意欲が旺盛で、毎春少しずつ隙間は減ってきた。いつかの自分が張った壁をはがす度に、「今にも増してイイカゲンな奴だったねぇ」と、過去の自分の仕事の跡を通して、過去の自分と向き合うことになる。「自己流」はこの瞬間に成長して行くのだと思う。
 この数年で家の中の平均気温はだいぶ上昇した筈だ。その過去との温度差が、自分の成長率と言えるかもしれない。この5年で寒い日の室温が5℃は上がっただろうから、自分は年間平均+1℃は成長していると思うと多少励みになる。

 家の補修をしながら、田の畦塗りや肥料まき、稲苗の心配、野菜の苗づくり、畑の準備etc・・・ また、それらの作業をしながら ふと立派なゼンマイやウドを見つけてしまったら、どうしても採らなければならない。採ってしまったら、ゼンマイをゆで、昼間に干し、他の作業をしつつ、しょちゅう 揉んでやらなければならない。また、こんな忙しいのに目の前の川が、どうしても釣りをさせたがる時もよくある。
 休日に山菜採りに押し寄せる車の窓から顔を出し、「こんなところに住んでりゃあ、のんびりしてていいねぇ」と 休日なのに長靴履いて、鍬とスコップ持っている僕に言う。「そう?」と思う。

                                     2006 May 8


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種まき
 我家がこの冬も無事 越えてくれたことで、また稲の種を蒔けることになった。
 昨年は何を思ったか、他の農家の共同の種蒔きの時に一緒にやらせてもらうことになった。何千枚もの育苗箱に床土を入れ、種を蒔き、水を撒き、土をかける作業を数時間でやってのける機械を使う。しかし それが動き始めると、人々はとたんに機械に使われる立場になり、多少種が無駄にこぼれようが止まらない、止まらないっといった感じ。
 他の農家は、各千数百枚の箱に種をいっぱい蒔く。僕は百枚の育苗箱に少なめに種を蒔きたかったのだが、その調整がなかなかうまく行かない間にも機械は動き続け、あ〜とか うわぁ〜と言っている間に終わってしまった。その簡約15分弱。
 だから今年はやっぱり手で蒔いた。百枚の育苗箱に半日かけ床土を入れ、一日かけてゆっくり丁寧に種を蒔いた。
 種まきはわくわくするものだ。「始まり」というものはそうあるべきだと思う。個々の「はじまり」を抱えた一粒の種に、大きくなれよっと鼻歌まじりに声をかけたくなる、新しい春が来た。

                                April 24

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春の勇気
 再び春。この冬は、10数年ぶりの大雪と言われた昨年の冬よりも新潟は雪が降ったようだ。「家倒壊」のニュースをいくつも聞いた。その度に、「いよいよ我が家もつぶれるか・・・」という気持ちが深まり、この春からの新しい進路をを本気で考え始めようとしていた。
 3月10日、とりあえず我が家へ行ってみることにした。確認せずにあきらめてもいられない。
 クロスカントリーのスキーを履いて山を登った。道がないというのは自由だ。通りたいところを通っていける。良い天気の日だった。峠から街が見えその向こうに白い山と海が、空との境なく光っていた。
 確かにインパクトのある積雪量だった。地上から5mはあると思われる、『後谷ダム↑』の標識にストックをのばせば余裕でとどいた。積雪は3mを超えていそうだった。我家の屋根のてっぺんが5mの高さだから、屋根から落ちきらなくなった雪で家丸ごと埋まってしまえる量だ。「やっぱり本当にダメかも・・・」と思いつつ、家まで約2時間スキーで帰るこの時が楽しく、鼻歌も出るほど余裕。「家がつぶれていたら、それはしょうがない、自然の中の家だもの。」と、建てる時から承知しているつもりだからだ。
 家が見えた。青い屋根のてっぺんが見えていた。家の形にそこだけ雪が盛り上がっている。
 2時間くらいかけて、屋根の雪をおろしてあげた。「よく耐えてくれた。ありがとよ。」と話しかけながら。
 この家は、クギすらまともに打ったことのなかった21才だった自分が建てた家だ。何トンもの重みになるという雪に耐えるのは偶然か奇跡だと思う。何かに守られているような気さえしてくる。山の神というか、ここの自然。ここの自然0中にいて、畑や、田んぼでも ふと一人「ありがとう」とつぶやいている時がある。
 とにかく、この春もうしろだにで勇気を頂いた。

                                        April 18

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薪ストーブの炎に
 毎週のように何処かで子供が傷つけられ、殺されるニュースがある。戦争中の何処かの国の話ではなく、この国、日本で。
 新聞のテレビ欄の裏に、小さな笑顔のその写真は何のためだろう。直視するには残酷すぎる。「昨日までこの子もこの笑顔で生きていた。」ということを、僕らはそこまで説明されないと想像も理解も出来ないだろうか。
 自分の子供がその新聞のその写真を指して、「これは何してるニュース?」と聞いてきたけれど、事実を伝えることは出来なかった。
 自分が子供の頃、地獄の話を大人にされると怖かった。想像したその場所が夢に出る。「優しくない人はそこに落とされる・・・。」
 今、現実は優しく罪のない子供まで落とされるのだ。そんな事実を伝えることは出来ない。子供が寝た後、その新聞は薪ストーブの炎にした。

 こんなニュースが、「またか」の一言で次のページへめくられていく。そんなニュースが報じられている同じ時間にバカ笑い続けるほかのチャンネルへ変えられていく食卓を想像する。
 何故こんなニュースが相次ぐのかを思っている雰囲気が、ニュースの中にも外(聞く側)にもない雰囲気を感じる。皆、自分の事で手一杯なのはわかる。仕事でいっぱいいっぱい、勉強でいっぱいいっぱい、ケイタイの返信で手一杯。夢中になることは悪いこととは思わないけど、自分の事に夢中になりすぎている人に話しかけると、返ってくる言葉はどこか冷たい。「俺べつに気にさわることも言ってないよなぁ」と極めて寂しくなる。そんな人々のリズムの中で、普通の人が「もういっぱいいっぱい 限界 」と罪を犯してしまっているように思う。

 あたりまえになっている今の生活スタイルが、何かおかしいと思う瞬間がきっと誰にもある筈と思う。その"何かおかしい@v素が、人の心の聖域に異変を起こしているに違いない。「そんなことをする筈がない」という人が突然罪を犯してしまう。カッときて、憎しみがこみ上げることは誰にもあるけれど、それを暴力に踏み切らせない心が本来は備わっている。その心の強度の問題が出てきているんじゃないか。
 それは、いくら教科書を徹夜で暗記しても、パソコンを駆使しても、お金があっても強化されるものではないらしい。

 食べ物を惜しみなく食べ残す人が大人にも子供にも多い。肉だけがかじられた皿の上に、まだ食べ物が残っている皿を重ねて流しに捨てる。
 食べ物は自分を生かすためにまず不可欠な要素じゃないか。山登りに札束を背負っていくか、おにぎりを背負っていくか。いざとなれば、札束を燃やして暖をとれるが、一瞬だ。
 一番大切なものを大切に思えなければ、基本的には全ての物事をも喰い散らかして行くのだろうなぁと、自分が蒔いた種から実った米粒をかみ締め、体に流しながら思う。

 「金で変えないものなんかあるわけない」と言った社長がいた。こんな僕の発想は売れません。悔しかったら、田畑を買い、家を建てる道具を買い、一本の鍬を買って欲しい。「自分の汗」と「喜び」と、ほんの少し「優しく見える目」がもれなくついてくる。

                                   2006 2/20〜2
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今回 そえたくなった歌

風鈴のうた
 家々の台所の窓から いい匂いがただよってくる
 子供と手をつなぎ 犬を連れて歩く
 蒸し暑い夏の空を飛ぶ あの鳥たちも
 あの飛行機も お家へ帰るんだね
  魚が焼ける匂い 甘いしょう油が煮える匂い
  TVの野球中継の歓声に 蚊取り線香の煙
  暗くなったら庭で 花火をやろうね 
  あの家にも 隣の家にも 「おかえり」の声が聴こえる

※ 窓辺に つられた風鈴が チリリンリリン
   かすかな 風が揺れる チリリンリリン
   誰にも きこえないような チリリンリリン
   小さな うたに吹かれて 僕らも家へ帰ろう チリリンリリン


 あの橋を渡って行く あの電車はどこへ行く
 あの停留所で 人を乗せた あのバスはどこへ行く
 夕のあがった ぬれた道を行く
 あの子たちも あの車の列も お家へ帰るんだね
  小さな庭の 綺麗な花が 少し寂しそうだね
  電信柱の下 寂しそうな花が 綺麗だね
  今度 暗闇の中で光る ホタルを見せてあげよう
  夜も流れつづけている 川のうたをきかせてあげよう

              ※Repeat

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 一月が新年の始まり、とは思えない。だって一月から何か新しいことを始めるのは難しいじゃないか。冬の真ん中だし、寒いし。
 新年だからと言って、新しいことを始めなければならないとは思わないけれど、、昨年一年を生き遂げ、次へ!という勢いが新しい一年の始まりに感じたい。だからやっぱり新年は四月から始まる。春の陽気に冬が溶けてゆく様子と、緑の芽吹きを見て始まりのエネルギーが湧いてくる。
 一月、二月はまだ冬じゃないか。変化を求めて動きだすには寒い。布団から出るのさえ苦だ。ストーブの前に座って、熱い茶をすすりながら、春に向けての夢を方眼紙に貯えたりしていたい。
 以前に比べ、冬への想いが変わってきた。以前は、春が待ちどうしくて冬中切なかった。冬という静かな時間の中ででも、がむしゃらに駆け回っていたかった(若さというエネルギーだろうか)。だけど冬は毎年僕を僕の自由の園、"うしろだに≠ゥら離れさせた。それがストレスを生み、切なかった。
 この冬は、穏やかな気持ちで時間が流れている。新潟の大雪はきっと我が家にも被害を与えているだろう。家がつぶれている可能性も充分ありえる。だけどそんな事態も想定しながら、新しい春にどう動こうか計画を描いている。夢を描いて貯えている。だからやっぱり春が楽しみだ。そして今こうして、「次」を想い描ける冬という静かな時間も楽しい。

                                      2006.Feb 2

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年末
 今年のうしろだにの生活を終えて、もうすぐ二ヶ月が経つ。今は、軽井沢の森の中の中の別荘地に家を借りて住みつつ、勤めに出ている。森の中とはいえ、半径百m以内にほかの家もあるので、我々家族にしてみれば、"街≠ノ住んでいるのである。
 春の、うしろだにへの生活の切り替えは、精神的にもスムーズなのだが、秋の、うしろだにからの生活の切り替えは、何年経っても少し難しい。
 うしろだにでは、田畑仕事や薪作りなどなどの「仕事」は「暮らし」であり、基本的に家族の中で仕事をしているが、冬の仕事は、家族の外である。朝、家族から離れて仕事にいき、夜戻る。つまり社会的には一般的な男の生活スタイル。それが僕には少々キツイ。一ヶ月もすると慣れてはくるけど、快くは無い。
 仕事自体はやりがいがある。五年も続いた仕事はこれまでに米つくり以外ないので、自分には合っている方だと思うし、末永く付き合っていきそうな気もしている、でも、半年うしろだにで得たエネルギーがあってこそ、今の仕事がやれているという実感がある。一つの場所で一つのことをずっとやることは自分には出来ないのだ。例えば、会社にずっと通って経済的には余裕に成り立っても、僕自身が成り立たない。
 さて、また一年が終わろうとしている。今思えば、一年は早すぎることもなく、遅すぎることもなく、確実に一日を365回刻んでいた。その一日一日は充実感を楽しんでいたり、うまくいかないことにいらついていたり、いろいろだけど、今日がなんとなくでもうまくいってくれたりすると、最悪だったいつかの日のことを思い出しても、あの時の自分に少しほほえんでみたりする。
 でも、自分の最悪なんて最悪のうちに入らないと気付くニュースが溢れている。罪のない我子の命を、狂った人間に奪われた人に、慰めの言葉があるのだろうか。僕にはわからない。それが最悪だ。想像を絶することが相次いでいる現実が最悪だ。
 僕らが今からするべきことは、そういう人間を今の子供の中から生み出さないこと。つまりは、自分が偉い大人にならないと、我子の未来は今よりさらにヤバイなと切実に思うのだ。
 どうか、よい年を迎える人が、一人でも多い新年でありますように。

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自然の中に暮す
 カメムシが凄い。この時期、晴れると山中の、いや、日本中のカメムシが我が家に大集合する。彼らの目的はここで越冬することのようだが、相当迷惑だ。外壁、屋根、窓にびっしりとしがみつき、どんなに窓を閉め切っていても、気がつくと家中カメムシ。何か物を取ろうと手を伸ばせばそれに触れ、歩けばそれを踏む。その度に頭が痛くなるような、腹が気持ち悪くもたれるような臭いに打ちのめされる。
 夜は照明の周りを飛び回り、わざとらしく人の頭や食卓に墜落する。カレーを食べていて、最後のスプーンのひとすくいの中に、よく煮込まれたそれを見つける時、もう喰っちゃった・・・というもう取り返しのつかない事実に発狂することもある。
 自然が豊かだと虫も豊富なのはわかるが、この数は不自然だ。異状。毎日何百もの彼らをほうきとちりとりでとってバケツの水に沈めても、怖い魔法のようにどこからともなく湧き出てくる様子にノイローゼにもなりえる。気をつけないと夫婦仲まで険悪なムードに追い込まれている。外にベンチとテーブルを作ったのは、そんな危機を回避するためのできる限りの努力でもある。
 「自然の中に暮す」ことは厳しい。カメムシにさえ、その生命力を目の当たりにする時、人間に勝ち目はないとわかる。でも、それでも、穏やかな生活を守るために、ほうきとちりとりで立ち向かいつつ、この脅威に心をやられないように、ハッピーを見出していかなければならない。さあみんな、雨があがったら楽しく外でごはんだ。

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 朝と夜、少し寒くなってきた。昼間は晴れるとまだTシャツですごせるが、空の色はもう秋色。同じ青なのに、夏の空とは違うのは何故だろう。
 さて、冬支度だ。まだ十月だけど、早ければ十一月にも雪が舞う年もあるので、例年だと十一月初めには山の家を離れ、また春まで留守にする。だから今月中に田畑を片付け、来年の薪を用意し、家を冬がこいしなければならない。
 薪にしようと春に拾ってきた枯れ木や廃材をやっとチェーンソーで切り、割り始めた。約半年放置しておいたら、乾くどころか芯まで湿気って、怪しげなキノコまで生えてきた。なまけていたつもりはないのだけど、こういう結果にしている自分の仕事ぶりに苦笑する。山の暮らしには几帳面な性格の方が向いている。改めて自分の建てた家を見ても、畑の曲がった畝を見ても、「俺っていい加減な人」と思う。できれば真っ直ぐな畑の方が綺麗に見えるし、そうしてみたいのだけど、一度曲がってしまうと、まあいいかぁ、疲れたし、実らないわけじゃないし、曲がってこそ俺らしいし・・・とかいい方へ解釈して納得していく。こんな性格もある意味長所だろうけど、短所の面も多々ある。いつか、ちゃんとしたものが作れなくなる。几帳面に大胆で、融通の利く人でありたい。
 薪を作りながら、薪にするにはもったいない廃材で、外にベンチとテーブルを作ってみた。明日晴れたらここでごはんを食べよう。ワインも必要だな。そうフランスのあの庭で見た、木陰でワインを飲む夫婦の風景みたいに。僕らは子供を抱っこしながら。

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九月
 サンマがうまい。焼くのもいいけれど、刺身がたまらない。すしに握ってもまた最高。
 たまに魚をさばいて、すしでも握ると、男も便利がられる。日常様々な場面で頑張っている筈だが、「うまいものを喰わせてくれる」と言ったわかりやすさがないと、なかなか褒められることもない。まあ、ともかく、今夜もビールがうめえっと思えれば僕はいい。
 十三日から稲刈りを始めた。コンバインなら半日で終わるような面積を、二日半かけてバインダー(一束づつ結びながら刈る機械)で刈って、一束づつはさにかけていく。一人でやれば気の遠くなるような苦痛な作業だが、仲間とやれば、ありがたい秋の実りのイベントだ。
 仲間は、無力な自分一人にとって最大の力だ。一人と二人では可能性がまったく違う。たとえばブルーシートをたたむだけでもそれを実感できる。二人で両端を持ってたためば、すぐにきれいにできる。一人ではまず半分に折るだけでも倍の時間と労力がかかる。ちょっと風でも吹けば、いらついて、ごにょごにょに丸めて蹴飛ばして終わり。「たたむ」と言う目標には至らず終わり。
 今年も空と大地と仲間に支えられて「実り」と言う目標に至ることができた。実際はその場の作業に終われて忘れがちではあるけれど、感謝の時だ。
 稲刈りが終わるとホッとする。春に蒔いた時からの緊張がほぐれるような気分。まだ最後の作業が残っているけれど今日は雨。図書館で借りっぱなしの本でも寝ころんで開いてみよう。

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八月
 この土地で夏を感じるのは、八月に入ってからの二週間くらいのように思う。七月いっぱいは梅雨。八月中旬には秋を感じる風が吹く。
 世の中の夏休み期間中、我家に高校生が入れ替わり立ち代りホームスティに来る。僕が卒業した学校の生徒の希望者が、「体験学習」としてくる。受け入れを始めて五年目になる。我家以外にも様々な土地に農家や保育園などの受け入れ先があり、希望者が希望先を選び、そこでそこの人々の仕事を体験する。
 我家の場合、この時期農作業はあまり忙しくない。僕にとっては、家のメンテナンスや薪作りや音楽など、農作業以外のことをする時間があるお楽しみの時。だから高校生たちとは、朝晩のご飯つくりと午前中の作業は共にするが、午後はお互いの自由時間。
 ひたすら昼寝をする者(昼寝の域を超えている)、川で洗濯をして、そのまま川に足をひたして過ごす者。木陰で絵を描くもの。我家の娘に遊ばれ続ける者。ひとり散歩に出る者
・・・。やらなければならないことは特にない。テレビもパソコンもケイタイもケンガイだから、自分の時間を過ごせる。
 この空間を楽しめたとき、彼らも自由を感じるようだ。それこそが僕が彼らにここで味わって欲しい時間。この感じを知ったうえで卒業後の彼ら自身を描いて欲しいと思っている。そして大人になった彼らに会うのが楽しみなだけだ。
 いつも三年生との別れ際には、「家出するときは我家へどうぞ」と言っておいているが、まだ卒業してから我家を再訪してくれた奴はいないと言うことは、みな何処かで頑張っているのだろうと思う。でも、彼らの心のどこかでこの土地が、「夏が来れば思い出す」ような所になっていてくれたら嬉しい。そしてまたふと遊びに来てくれる日を楽しみにしている。また会おう。酒飲めるようになっておけよ。

 『ここは 川のようにきれいで 草たちみたいに静かにもえていて 木のようにあったかくて 私の知っているどこよりも口笛が似合っている』    (彼らの感想文より)

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60年
 日常からかけ離れた、いつかの現実が映っているテレビや新聞の写真などをモノクロで見るとそれはずっと昔のお話のことのようだ。だけどたった60年。
 この国の戦争が終わって60年目だという。一見、60年と言えばたいした数字だが、この頃、自分も大人になったせいか、10年がそんなに長い単位でもないような気がしてきたから、その6倍と思えば、「60年」もそんなに未知な年数にも感じない気がする。60年前の現実を生きていた人は今も身の周りにたくさんいる。
 僕らは直接、戦争の中に生きたことはないけれど、その当時の光景が映し出された写真や、そのとき生きた人の言葉などから、その時を想像することができる。
 現実は想像を絶しているものだから、想像に限界はあるけれど、そうすることでしか過去を知ることも、今の自分のしあわせを知ることも、未来の平和を語ることもできないのかもしれない。
 8月の新聞に映る60年前のやけ尽きた街、空、人・・・それをコーヒーでもすすりながら、いつもと変わらない晴れた朝に たまたま眺めてしまうとキツイ。理不尽でしかないように思えるその60年前の光景がキツイ。
 キーワードは「しあわせ」。なんだかんだ言っても誰もがしあわせになろうとして頑張っている。そして、誰かのしあわせのために誰かが犠牲になることなく、誰もがしあわせになろうとして頑張れる日々が平和。
 この国も平和を模索している途上国。「今、『郵便局』はどうでもいいからそれよりも・・・」と思っている60年前の傷がまだ癒えない人や、自分の将来に夢を抱けない子供や、大人がいっぱいいるようにみえる 戦後60年の夏が過ぎて行く。
                 
                                      Aug  28

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バカンス
 フランスでバカンスして来た。フランスでチーズ職人を目指して学んでいる親友が、「来い」と言うので、「こんな忙しい時期にしょうがねえなぁ」と言いつつ、喜んで行った。
 彼とは同年で、出会ってまだ5年くらいだが何故かお互い「親友」と思っている。彼は自分のチーズを作ることを目指してフランスで学んでいたが、この夏で日本に戻り、いよいよチーズを作り始める。その前に、彼が魅せられたフランスを見せてもらおうと思った。ヨーロッパは初めてだった。一度は行ってみたいと思っていた。
 田の草取りもそこそこに区切りをつけ、妻子を実家において、久々にバックパックを背負って旅立った。早朝の飛行機だったので、前夜に成田空港について、待合室でビールを飲んで寝た。周りは様々な訳ありそうな外国人が十数人で、日本人は僕一人だった。嫌いじゃない久々の雰囲気がぬるいビールの肴だった。
 
 彼も僕も酒が好きだ。そして彼の彼女も酒好きときたから毎日昼から楽しかった。彼と彼女はフランスの酒と、うまい肴を毎日用意してくれた。
 まず初日は、ブルゴーニュのワインセラーで試飲の域を超えるほど飲み、ワイン農家の貸別荘に戻ってビールを飲み、バックパックに背負ってきた新潟の酒を「やっぱりなんだかんだとコレだな」などと言いながら飲んだ。
 肴はエスカルゴや仔牛のリブだのと、これぞフランス料理というものをわざわざ用意してくれて恐縮しつつ腹一杯いただいた。いい仲間達と、うまいもの喰って、うまい酒飲んで、バカンス最高。翌朝、部屋の木の窓枠におさまったいい絵のような農村の風景と青い空を眺めながら、コーヒーとバゲットの朝食の時間も幸福だった。
 フランスでたくさんのしあわせな風景を見た。家の庭の木の陰にテーブルとイスを出して、明るいうちからワインを飲む夫婦。朝のカフェのテラスで新聞をめくりながら、ゆっくりエスプレッソをすすりるサラリーマン。駅に漂う焼きたてのパンの匂い。毎日広い山に放牧されている自由な家畜の牛やヤギ。
 古い家も新しい家もひとつの町にとけあい、赤い花が飾られたおしゃれな生活。ほかにも車の助手席から外を眺めながら、「いいねぇ」とつぶやいてしまう素朴でおしゃれな風景が続いた。

 「バカンス」という風習を日本で言うなら「盆休み」だろうか。これも先祖を大切にする日本ならではの、なかなか意味のある風習だと思うが、「バカンス」にはもっと個人の気分転換の時間という要素を感じる。いつもの日常から離れて、ただゆっくりとした時間をワインと味わう時間。その中で僕は今回、日常とは違う新鮮なしあわせの風景をみつけることができた。そして、家に帰ってこうやってもっとしあわせな日常にしてやろうとイメージがわいた。
 大切なことは年に一回、又は定期的にバカンスを取るということだ。次回は家族で。でも時に一人バカンスもいい。他人のしあわせを見て、自分の帰る場所が改めて愛しくなる。

                                         Aug 13
                                     
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七月
 例年より遅めに梅雨入りしてから、ほとんど毎日雨が降っている。朝起きて「久々に陽がさしてるぞ!」と、仕事をする気になっても、朝食を食べている間に陽はかげり、「どうせ俺が外に出ると降りだすんだぜ」といじけ気味に長靴をはき外に出ると、ポツポツとくる。雨はそんな奴だ。さすがにこう雨が続くと、「雨だから仕事は休み」と言っていられなくなる。田の草取りも仕上げて、しばらく田を乾かせなければならない。この時にある程度田を硬くしておかないと、秋の稲刈りの時ぐちゃぐちゃで大変だからだ。
 なるべく雨の間を見て田に出て行くが、汗とドロでぐしょぐしょになった頃にまた雨が降り始めても、もう関係ない。むしろ気持ちいいくらいだぜっへへんだ。
 今年は特別に仕事を急いでいる。七月後半に十日間ほどおフランスへ行くからだ。わざわざ忙しい時期に、しかも一年で最も飛行機代が高い時期に行くこともないのだが、フランスに行ってる友人の都合でこの時期しかチャンスがないのだ。たぶん今行かなければ今後フランスを訪れることはない気がしたので、思い切って決めた。僕自身は諦めかけていたのだが、「チャンスを逃すな。ぜひ行って来い」と言ってくれた我妻は本当に偉い。旅行中に結婚記念日があることにこの頃気付いている我は偉くない。
 八年前のインド以来の海外。あの頃はひとりだったから何ヶ月でも行っていられたが、今はひとりではないから十日間。それでも充分と思えるようになったのは、帰る場所が出来たからだと思う。
 ロンドンでまたテロだ。新聞をめくりたくなくなってくる。一面の写真だけでいっぱいいっぱいだ。
 今回のフランス旅行の目的は、カフェのテラスでカフェオレをすすり、夕暮れ時にはワインとチーズとフランスパン三昧といったところ。それが夢だった。幸せってそんなものだろ?

                                      2005  July 11

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六月
 春って短い。僕の中では四月、五月が春。三月は冬で六月は、まだ春か、もう夏か決定する前に気がつくと過ぎ去っている。自分が何をしていたのかもあやふやで、過ぎ去ってみると「ああ、春は終わった」と思う。「もう、すぐ秋だな」と思う。四月に2mの雪にスコップ一本で立ち向かった時のようなハツラツとしたエネルギーはもはやなく、海でビールでも飲みながら一日釣りでもしていたい気分。たぶん、頑張りすぎてしまった春に疲れている月と言える。
 そして六月は、少し病んでいるそんな人間にも容赦なく田の草が一斉に嬉しそうに生える月であり、山菜のシーズンが終わり、食べ物がなくなるので、畑の世話も日々やらねばならぬ月であり、冬に傷んだ家のメンテナンスをやってしまいたい月であり、そしてやっと気合をふりしぼって長靴をはき、外へ出ると雨が降りだす月である。それでも「家族のために働かなければ」とか言ってずぶぬれで仕事すれば、サラリーマンでなくてもウツになるので、雨が降ったら外仕事は休みと定めている。恵みの雨を眺めながら本をめくったり、ギターの音を出してみたり、それを絵本を抱えた子供に邪魔されたりしながらただ日が暮れてゆくことが安らぐ。そして夜に肉でも焼いて食べて眠れば翌日には充電完了。田の草取りをしたくなっている。畑仕事や大工仕事といった創作意欲が蘇っている。肉はしょちゅう食べてはいけない。少し弱った時にがつんと食べると効く。
 そろそろ畑で夏野菜が成りはじめる。七月に入ればまずズッキーニが実りだし十月まで続々と実り続ける。どんどん実るのでどんどん食べ続ける。オリーブオイルで焼いてしょう油をかけて食べるのがうまい。ピーマンやししとうやじゃがいもなども一緒に焼けば食卓はすごいごちそうだ。とうもろこしは皮をむかずにそのままあみの上で焼いて食べるのが一番うまい。それらを食いつつ、まずビール、次は冷えた白ワインなどあおって寝れば充電完了。肉の必要性は下がる。一年中、晩飯は毎日の楽しみだけれど、この時は特に晩飯のときがしあわせだ。
 僕の畑は草だらけ。でも野菜達は負けることなく共存している。草が生えてこそ生命力ある大地だ。田畑に草があってあたり前と思えば、辛いと思いがちな田の草取りも気楽だ。草は敵で完璧に除去しようと思うから不自然になる。作物が草に負けていなければ草も生えている田畑の方が自然だ。不自然な場所に健康な命が育まれる気はしない。だから僕は草が一本もないキレイな畑を目指していない。見るからにエネルギッシュな畑を作るのを楽しんでいる。元気なものを食べれば元気になる。人間は単純だ。
 昨日今日と久々の雨が降っている。そろそろ止んでくれてもいいのだけど。恵みの雨も降りすぎるとウツになる、六月である。
                                      2005  6 /27〜28

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雪どけ
 4月に我が家に帰ってきてから数日後、「市役所に除雪して下さい。」と頼みに行った。一人だけのパラダイスは捨てがたいが、田んぼの仕事をはじめなければならない。車が必要だ。
 とはいっても昔の人は車なしで暮らしてきたのだから、必要不可欠ではないのだろうが、その時代の人とこの時代の男とは、生まれ持った根性がちがう。昔の人は必要なものは時間をかけて手でつくりあげる力を持っていた。山の地形に合わせて作られた田んぼの姿や、曲がりくねった大木を巧みに組み合わせて作られた家の姿などに出会ったとき、その想像力と根性に惚れる。
 この土地の冬の姿を見ると、かつて人が暮らすことを諦め街に下り、廃村になったわけも良くわかる。ここには命豊かな山があり、それだけで人々は暮らしてた。でも変化する街の豊かさがなかったのだ。その後車の通る道ができたがそれだけで、今も命豊かな山だけがある。だから我が家以外誰も住まない。
 そして除雪はきてくれた。そのとき僕は屋根から落ちることがない間にと、家の屋根のペンキを塗っていた。大雪をうまく利用した。
 真っ青な空の下、真っ青なペンキを塗っていると遠くから重機の音が聞こえてくる気がした。その前の日もその前の日もあの音が聞こえてくる気がしたが空耳ばかりだった。でも今度は確かだ。ユンボが雪を崩し、その後を除雪車が雪を食いつつ吐き飛ばしているのが見えた。海で遭難して無人島で救助の船を見つけたような気分になるから不思議だ。胸のあたりが熱くもある。ここはパラダイスではなかったのか?救助(除雪)のおじさんたちにふかぶかと頭を下げ、礼を言うそぶりをすると、おじさんたちは軽くてをあげて去っていた。
 彼らのエンジン音が去った後、早速車を取りに行こうとすると、まず道に降り立つのにはしごが必要だった。道の両側は当たり前だが高さ3メートルくらいの雪の壁だった。一人でスコップで除雪したら・・・次の冬が来ちまうな・・・除雪されたばかりの道の隅にふきのとうが出ていた。雪があっても「春は春なのだ」といっているところが僕と似ている。雪があっても春だから愛しい我が家に帰ってきた。
 こうしてまた僕の家も一本の道で街とつながってしまった。

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仕事
 「職業は何ですか」と聞かれると僕は明確な返事ができない。「山の中に家を建て、田畑作って妻と娘二人と暮らしてます。冬は道が閉ざされるので、町に下りて子供相手の福祉の仕事をしてます。」と答える。ある意味自己紹介まで含んでいるので判りやすいはずなのだが、「じゃあ、農業ですか?」といわれると、「いや、そんなに大きな規模ではないのですけど、自分たちが食べる分の米、野菜は作ってます。」 「自給自足ですか?」といわれると、そこまで頑張っていない。肉や魚や酒を買いにいくのも、たまに週末のユニクロに行くのも好きだ。
 山にいる半年は、勤めてはいないが仕事はしていて日々忙しい。「自然の中でのんびりしていていいねえ」等と思われがちだが、週末に通う別荘にしているわけではない。住んでいるのだ。家にいる=暇してる、というイメージも持たれがちだが、それも間違っている。
 とりあえず、僕の春一番の仕事は毎年、田んぼで苗代作り。例年なら4月10日頃、他の一部に雪解け水を引いて、土を練って米の種をまく。今年は雪が多く、その頃はまだ2メートル以上あり田んぼが見えない状態だったので、雪かきからはじめた。ひたすらスコップで雪を掘る。一日やっても土は見えてこなかった。気が遠くなって、予定していた4月10日からも遠くなっていくが、4,5日放って置いたら太陽のおかげで田んぼが見えてきた。一日掘ったところも、何もしてないところも均等に見えてきた。人一人、一日スコップ持ったところで無力だね。その辺の気持ちを唄にして歌うのもまた僕のライフワークである。
 5月は田植え、それから7月までは田の草取りが主な仕事だ。田の面積は農家といえるほど広くないので、機械を使えば一日もかからない田植えを仲間と5日くらいかけて手で植える。草取りも除草剤を使わない故に、ある意味珍しがられる仕事だ。それとは別に日常生活として、薪作り、家のメンテナンス、畑作り、パン焼きなどがあり、それも僕ら家族の「仕事」である。職業は「日常生活」と言いたいが、多分はじめて会う人には通じない。
 日常生活は忙しい。田畑に行って、薪を割って、風呂焚いて、それだけで日は暮れる。そして迎える晩酌の時が毎日の楽しみだ。

                                       六月十七日

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 この春も田植えを終え、ひと段落。でもやるべき仕事は山と有る。
 まずは、この冬の大雪でつぶれた、昨年作ったばかりの薪小屋とウッドデッキをかたづけるここ数年積雪もすくなかったので、甘く見てちゃちなものを作ってしまった。かたづけながら、こういうものを作ってしまう自分に嫌気がさす。こういう思いけっこうしている。誰かのために何かを作るときはそれなりに慎重になるが、自分が使うものに対しては大雑把。とりあえずつかえればいいやといいかげん。壊れたらまた作ればいいや、どうせ拾い物で作っているのだし、金もかかってないし・・・と思ってしまっている。でも今回こんなに早く壊れると、内心ちょっとショックを受けた。意識を変えて行こうと思う。
 しかしこの家自体は七回目の冬を無事越えた。(七年前の自分は、自分のものに丁寧だったということか。初心に返ろう。)多少ドアーが開きにくくなったが、
そんなのはこの雪国では被害のうちにはいらないらしい。我家の近くにある別荘のおじさんに、建物は大丈夫だったか聞くと、「家全体がちょっと沈んだようだが特に被害は無かった。」と割れた窓をもちながら微笑んだ。気持ちが軽くなる。
 4月2日に冬の間はなれていたこの家に帰ってきた。道は除雪されておらず、途中に車を置いて、背負子を背負い、クロスカントリースキーを約3メートルの雪の壁の上に投げ、その壁を攀じ登って我家へ続く雪の道を、荷物が重くてバランスが取れずに何回も転びながら帰ってきた。そんな風にして家に帰っている自分はけなげで好きだ。
 真っ白の世界に青い屋根が見えたときいつもうれしい。帰ってきたぞ、という思いと、冬が開けた実感と、家がつぶれてなくてラッキー、という思い。
 玄関まで雪を掘り、ここまできて空き巣に入る人もいないだろうが、一応掛けておいた鍵を開けるときも少しどきどきする。熊とかすんでたりして・・・とか4歳の我が子と同レベルな想像を本気でする。半径約7メートルに誰もいない自然の中で一人になった時の人の素直な恐怖心だと思う。
 半年振りの掃除をして、とりあえず生活できる状態にして、裏の沢にはしごを下ろして水を汲んで米を炊き、大事に背負ってきた焼酎に熱いお湯を注いで、薪ストーブの火を相手に飲んだ。誰か誘いたくもなるけれど、これは一人でしか味わえない味なんだろうなと、何杯も確かめる口実のように飲んで、また始まった春を祝って深く寝た。

                                        六月二日

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