

『呉清源 極みの棋譜』
1928年14歳で北京から来日、それ以来ずっと日本で囲碁の世界を極め続け、
撮影中は苦労も多かったようで、「資金繰りが大変だった。あとは、1930・40年
『呉清源 極みの棋譜』
記者会見(8.29)&田壮壮監督インタビュー(8.30)
TEXT:松岡 環
「昭和の棋聖」とも呼ばれている棋士、呉清源。囲碁界ではまさにカリスマ的存在です。
『青い凧』(93)や『春の惑い』(02)で知られる中国の田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督
は、呉清源氏の著書を読んで心を動かされ、彼の半生を映画化したいと思い立ったそ
うです。呉清源役には、演技力では定評のある台湾の若手俳優張震(チャン・チェン)
を起用、昭和という激動の時代に「真理」と「囲碁」を追究し続けた人物像に迫り
ました。
張震は撮影中、「若い頃の呉清源さんにそっくり」「まるで本当のお孫さんのよう」
と言われ続けたそうで、外見の激似と入魂の演技がプラスされて、素晴らしい呉
清源像がスクリーンに焼き付けられました。
呉清源の母親役を張艾嘉(シルヒ゛ア・チャン)が演じているほか、柄本明、松阪慶子、南果
歩ら日本映画界のベテラン陣が脇を固めて、作品を重厚なものにしています。また
プロダクション・デザインをワダエミさんが担当、昭和という時代を細部に至るま
で再現し、当時の雰囲気を見事に出しているのも大きな見どころです。
その『呉清源 極みの棋譜』の田壮壮監督と主演の張震が、8月末に来日し記者会
見を行いました。頬ヒゲをたくわえ、時折鋭い眼差しを会場に向ける田壮壮監督
と、物静かなたたずまいの張震とは、はたから見ていると「師弟」という雰囲気です。
田壮壮監督は、呉清源氏の著書に感銘を受けたことを述べ、「しっかりとした精神
を持っている人が少なくなった現代においてこそ、呉清源先生のような確固たる信
仰を持っている人を描くこの映画を撮りたかった」と語りました。
その呉清源氏について張震は、「本当に特別な方。記憶力が素晴らしく、何十年も
前の対局も全部憶えていて、その時の棋譜を再現して下さった」と語り、こちらも
呉清源氏に対して深い尊敬の念を持っていることを感じさせました。
田壮壮監督が張震を選んだのは、「1回会っただけでピンときた」からだそうで、
「こういうのも”縁”なのだろう。本人を目の前にして言いたくはないんだが、い
い俳優だね」とちょっぴりユーモアも。

代の日本を再現するのにも苦労した」と田壮壮監督。「東京では古い建物が見つか
らず、近江八幡市でやっと見つけ、そこで撮影した」とか。プレスによると、近江
八幡市で2〜3ヶ月撮影を行い、あと小田原市、舞鶴市、神戸市などでもロケが行
われたそうです。
「囲碁の対局シーンは寺院の中を使って撮影したんです。お寺の中をゆっくり見る
ことができたし、僕の一番好きなシーンです」と語るのは張震。本因坊秀哉名人と
の対局や、親友でもある木谷実との対局シーンは、本当に美的なシーンになってい
ます。
記者会見の間、監督は通訳が訳している時にしばしば隣の張震に話しかけ、2人は
楽しそうに談笑。張震は監督の大のお気に入り、という感じが伝わってきました。
会見の最後に、車椅子に乗った呉清源氏が登場。映画の冒頭に出てきた姿より一段
とお年を召した感じでしたが、監督と張震がかいがいしく世話をする姿が感動的で
した。しゃがんで呉清源氏に話しかける張震は、おじいちゃんをいたわる孫そのも
の。彼の優しい性格がよくわかります。
会見場は超満員。この作品、中国映画やアジア映画に関心を持つ人だけでなく、囲
碁好きの人からも大きな関心を寄せられているようです。

記者会見の明くる日は、田壮壮監督への3社合同インタビュー。記者会見の時は
ちょっと気むずかしそうな印象もあった監督ですが、この日は終始穏やかな表情
で、インタビュアーへの細やかな気遣いも見せながら対応してくれました。
まず冒頭の質問が、
「呉清源という方の一生を映画に撮ってみようと思った動機は?」だったためか
「皆さんの質問は多分似通ってると思うので、昨日からのインタビューで出たよう
な質問をまとめる形でお答えしましょう」と、何だかサービス精神旺盛な監督。し
ばらくの間、監督の独演会(?)が続きました。
「呉清源先生を知ったのは、10年前に1冊の本を読んだからです。『以文会友』と
いう本を読んで、深く感銘を受けたのです。台湾で出た本の海賊版でした。
この、ご本人が自分の半生について書いた本には、いろんな面白いエピソードが
載っていました。生まれた日は洪水で、母親がテーブルの上で出産したこと、のち
に北京に移って7歳から囲碁を始めたこと、父親が日本に行っていたこと、子供な
のに当時の囲碁の名人と対戦して勝ってしまったこと、それを親に叱られてご飯を
食べさせてもらえなかったこと....。
その頃私は、7、8年ぐらい映画を撮っていませんでした。この本を読み、呉先生
がまだご健在と知って、東京に来て呉先生に会いました。映画化してもよいかとう
かがい、承諾を得たのです。
その後、資料集めをしたりしていたのですが、その間に『春の惑い』と『徳拉[女+母]
(Delamu)』(注:雲南の険しい山中を行く物産運搬キャラバンを撮ったド
キュメンタリー。2004年の作品)という2本の作品を撮りました。
その後だんだんと『呉清源』の準備を進めていくうちに、面白いエピソードは必要
ないのでは、と思うようになりました。むしろ、呉先生の内面的な世界、たゆまぬ
探求と信仰に対する精神を描くことこそが大事なのでは、と思うようになり、角度
を変えて撮ることにしたのです。
呉先生への理解が深まるにつれ、これだけ一つのこと、囲碁というものに生涯を捧
げていくのは素晴らしいことだ、と思うようになりました。しっかりとした信仰を
持っておられるところもすごく尊敬しています。
映画をこういうスタイルにしたのは、東洋美学を用いて呉先生の生涯を表現しよう
と思ったからです。呉先生のお人柄は非常にナイーブで純粋だし、簡潔でシンプル
な暮らしをしている方です。
呉先生は子供の頃学校へは行かず、塾に通って学問をしました。しかも、その塾で
教わった文体は古い中国語のものでした。今私たちがしゃべっているのは新しい文
体の中国語なので、会話をしていると時々通じないこともあります。
しかし、呉先生の発する言葉は簡潔だけれども力があり、情熱がこもっている。こ
れは東洋美学にも通じるところがあるのでは、と思いました。それ自体がリズム、
韻律を持ち、ドラマチックではないけれども調和が取れている。
私が日本に来ていろんな事を観察してみて思ったのは、日本の建物にしろ、礼儀作
法にしろ、中国とは全然違う。それで、東洋美学という観点から映画を撮ってみよ
うと思ったわけです。
次は、どうして張震を主役に選んだか、ですが....」

と、ここで、通訳さんからストップが。「その質問はまた出てくると思うので、そ
の時にお答えになっては?」こうやんわりとお話に区切りをつけてくれ、みんなも
大笑い。監督も苦笑いしながら、「じゃ、質問して」。というわけで、「昭和とい
う時代がとても美しく再現されていますが、監督はどういうリサーチをなさったん
ですか?」という次の質問に進めました。
「言って下さったほど映画の出来はよくないと思いますが、準備には2年かけまし
た。東京には古い建物が残っていないため、古い建物を探すために地方にも行きま
した。ただ、昭和という時代の話なので、囲碁界に関しても、棋士たちの写真や棋
譜など、参照できる資料が大量に残っていました。
しかし、こういう風に物質的なものは再現できたとしても、当時の空気というか精
神は100%は再現できない。なのでむしろ、精神的な世界に焦点を当てて描いた方
がいいと思うようになりました。例えて言うと、呉先生が宗教に走ったこととか、
先生の周辺の人たちの精神面とかですね。
今回はワダエミさんに協力してもらい、国民服(戦争中の服装)のデザインに関し
ても、これは関西と関東とでは違うそうなんですが、そういったことも相談しなが
らやりました。このように物質的に100%再現する、ということも大事だと思うん
ですが、今回の場合は、精神的な世界に重点を置こうとしたらかえってリアリティ
が出て来た、ということですね」
続いて、「映画の中の呉清源氏はとても美しく、存在感があった。そういう美しい
人を描く、というか、彼の総合的な美を映画でどういう風に表現しようとしたので
すか?」というなかなか哲学的な質問が。監督もつい考え込んでしまいます。
「言葉で答えるのは非常に難しいですね....。
音楽を例にとれば、音楽は耳の想像力に頼って表現しています。文学の場合は、文
字を読むことで表現しているわけですね。それに対して、映画の場合はもっと直感
に訴える要素が多い。
音楽には音楽言語があるわけですが、映画はここまで100年以上にわたって発展し
てきて、映画言語に関しては解釈がさまざまです。私自身に関して言えば、日本の
黒澤明監督の影響を受けているので、視覚に訴えるという要素が強い。
今回の呉先生に関しては、ご本人はとても寡黙で口数が少ない。さらに、張震の日
本語も日本人レベルではないので、セリフをそぎ落としていき、ちょっとした仕草
や立ち居振る舞いによって、呉先生が持っている精神世界を表現しようと思いました。
また、呉先生が特定の環境に置かれた時の立ち居振る舞いはどんなものか、それを
表現しようとしました。カメラマンともよく相談して、呉先生が持っている精神的
世界をちょっとした仕草や雰囲気でいかにして表現するか、ということを考えました。
もちろん出来ばえに100%満足しているわけではないのですが、撮影時間が十分に
なかったことなどを考えると、ある程度満足のいく出来になったかなと思います。
映画は直感に訴える部分が多く、見る人が直感的に惹き付けられるものを表現でき
ること、これが大事なのではと思います」
これを聞いてインタビュアー側から、「うーん、難しいですね、精神を映像に表し
ていくというのは」という声が漏れ、監督からも思わず本音が。
「そうですね、自分でもどうしてこんなに難しい仕事を選んだのか、わざと自分自
身を困らせるようなテーマをなぜ選んだのか、と思いますよ。(笑)
まず、囲碁自体が非常に難しいテーマですね。専門家じゃないと、なかなか理解で
きない。専門的知識が必要とされます。それに加えて精神的世界を描くとなると....。
当時呉先生の本を読んで、これを撮ろう!と衝動的に思って撮ってしまったけれど、
非常に難しかったですね」
インタビュアーからの「囲碁に詳しい人が見た場合、なるほどと思うようなディ
ティールのこだわりはありますか?」という質問には、「中国ではまだ上映してい
ないので、中国の棋士たちは見ていないのですが、日本では棋士さんたちがだいぶ
見て下さっているので、その人たちの反応を聞いてみたいですね」と答える監督。
その後少し、劇中の囲碁手法談義に。

最後に、前日の記者会見で「田壮壮監督は現在、北京電影学院の学長です」と紹介
されたため、それに関して、「今の中国の若い映画作家たちについてどう思われま
すか」という質問をしてみました。すると....。
「え? 学長? 違うよ、とんでもない、学部長だよ。(笑)
電影学院に戻ろうと思ったのは、長く映画をやっていると周りのスタッフとかも固
定されてくるし、実社会に接する機会が減ってきている、と実感したからです。も
う一度電影学院に戻って、若い人たちと接していくことが自分の力になるのでは、
と思ったわけです。
私は、優秀な映画、面白い映画には、2つの種類があると思います。
1つは、若い作り手によって作られた映画。彼らは映画が大好きで、作品自体は荒
削りなところがあるものの、非常に活力に溢れている作品になる。
もう1つは、成熟した、長い時間を経ても鑑賞に堪えられる、ベテラン監督たちの
良質な作品。この2種類の映画が私は好きです。
今、電影学院で若い人たちと交流していますが、電影学院で学んでいる彼らには実
社会と少々かけ離れているところがあります。私には理想主義的な部分があって、
こういう交流が自分にはプラスだと思って戻ったわけですが、現実にはいろんな問
題が出て来ています。
現在、デジタル化とかネット社会を通じて、音楽や映画は一つの場所から別の場所
へ、非常に行き来しやすくなりました。私が電影学院で常々言っているのは、大事
なのは映画に対するスタンス、そして社会に対するスタンスだということです。
最近も中国映画は映画祭でいろんな賞を獲ったりしていますが、長い時間の経過に
耐えられる作品、生き残っていく作品は少ない。何年経っても見応えのある作品と
いうのは、まだまだ数が少ないです。
日本も同じではないかと思いますね。電影学院には日本人の留学生もいるのです
が、彼らがいつも言っているのは、日本では製作費がすごくかかるし、映画の仕事
に就くのも難しい。だから中国に残って映画の仕事をしようとしている人もいます。
現在中国では、映画はまだ産業として確立されていません。芸術映画やインディー
ズ系の映画といったものもありますが、バランスの取れた形では存在していない。
芸術映画やインディーズ系作品は、まだまだ脆弱な存在なんです。
中国でいい映画が生まれてくるまでには、まだまだ時間がかかるのではないでしょ
うか」
映画のこととなると、いつまでも話していたそうな田壮壮監督。『呉清源 極みの
棋譜』は、監督の言うように、寡黙ながらとてつもなく大きな精神世界が感じられ
る作品になっています。中国人監督が捉えた日本の「美」の世界をぜひスクリーンで!
公開情報:11月、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館 ほか
全国ロードショー!!


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