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1971年 |
6月に弘前大学の音楽科ホールで「現代音楽の夕」と題し、弘前大学生の作品とアメリカから一時帰国した赤城真理(ピアニスト)の作品等14曲が発表された。その頃から地元の作曲家の組織づくりが行われ、弘前大学作曲科教官・阿保健を会長として20名が集まり、青森県作曲研究会が結成された。
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1972年 |
「Modern Ballet + Poem + Music」の会で、音楽と詩と舞踏の総合的な作品が試みられた阿保健作曲《α・β・γのための気韻生動》は、ステンレス板の造形を擦ったり、掻いたり、敲いたり、ゆすったりの作品であった。
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1973年 |
上記の会の名称をこの年から『音楽展』と改め、第2回を実施。1976年まで毎年、弘前市と青森市の2会場で合計約50曲の新作が発表された。
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1974年 |
地元弘前出身の作曲家・下山一二三(東京在住)や、仙台の作曲家らも加わり、第3回を実施。その層を拡げた。
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1976年 |
第5回では、地元の発表の他に東京の青森県人会が後援して、新宿・朝日生命ホールで公演がもたれた。
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1980年 |
青森県芸術文化奨励賞受賞。
昭和54年度弘前市著作出版物補助をうけ、レコード「笛魂 津軽の詩(うた)——石田光男のフルートによる——」を出版。
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1983年 |
第10回では記念事業として、青森県出身の作曲家(下山一二三、田中利光、本間雅夫、間宮芳生)にも作品を出品してもらい演奏する。また、音楽評論家・上野晃氏により、その活動が音楽雑誌等で全国に紹介された。
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1984年 |
第11回では、欧米作曲家との作品交流が行われた。
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1986年 |
「音楽展」作品集(楽譜)を出版。
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1987年 |
第13回では、テネシー大学マーチン校との作品交流が行われた。
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1990年 |
会の名称を「青森県作曲家協会」と改める。
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1994年 |
第20回では、「郷土の詩人と郷土の作曲家による声楽作品」を記念事業として実施する。さらに、下山一二三、上野晃の両氏を交え、「地域の音楽創造」と題し座談感を実施し、記録をプログラムに掲載した。
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1995年 |
音楽展作品集I・II(CD)を出版。
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2001年 |
阿保健会長の死去により、第27回を〈哀悼 阿保健会長〉と題し実施。
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2002年 |
笹森建英を新会長に選出。
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2004年 |
第30回を記念し、久しぶりに弘前・青森の2会場で実施。
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2007年 |
第33回を弘前学院大学礼拝堂で実施。
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2008年 |
9月、公式サイト開設。
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