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War Child:Eno
 関連リンクを探したんだけど
日本語で書かれている所が見つからないんで
Eno の日記 「A YEAR」 から、ウオーチャイルドなどを紹介してしまいます。

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ウォーチャイルド  ・   モスタル児童音楽センター

 

ウォーチャイルドは、イギリス人映画制作者ビル・リーソンとデビッド・ウィルソンか始めた慈善団体である。2人は旧ユーゴスラビアで映画を撮影中、自分たちの回りで起きていることを目撃して、無視できなくなった。そこで、仕事(BBCのシリーズ「アリーナ」用のもの)を終えた後、ポスニアで何か実際に役立つことをしようと、映画製作からひとまず遠ざかった。この慈善団体は1992年に結成され、その主要な目的は、戦争に巻き込まれた子供たちの肉体的精神的諸問題に一般の注意をうながすことだった。

わたしが関わるようになったのは、アンテアがきっかけだった。1993年初頭にラジオでウォーチャイルドについてのインタピューを聞いた彼女は、ラジオ局に連絡して電話番号をおしえてもらった。それから同団体のオフィスヘ行き(カムデンの裏通りにある小部屋2つ)、自分が携わっている音楽ピジネスの人脈を資金調達に使ってみてはどうかと提案した。また、わたしを後援者(当時はトム・ストッパードとジュリエット・スティープンソン)のリストに加えてはどうかとも提案した。わたしたちはいくらかの金を寄付し、後にわたしはデビッドとビルに会い、2人の姿勢と熱心さに感銘を受け、2人を完全に信頼するようになった。

まもなくわたしたちは、援助方法についてアイデアを出し合うため、関心を寄せる人々でシンクタンクを作った。だれでもそうだと思うが、わたしたちも善い目的のために催される平凡なイベントにはうんざりしてきていたので、私たちの最初の決定はチャリティーの目的の如何に関わらず、行うことはすべて、その存在を正当化できるに足る良質のものでなければならない、というものだった。

ウオーチャイルドのために最初に催したイベントは、ミュージシャンや音楽ビジネスに深く関わっている人々の手になる絵や写真やオブジェを集めたフラワーズ・イースト・ギャラリーでの展覧会だった。これらは展示後すぐにすべて王立芸術学校で競売にかけられた。予想通り私たちは(タイム・アウト誌で)恥知らずの自己宣伝屋と評されたが、にもかかわらず順調にことは運び、多額の金を調達できた。おそらくこれ以上に重要なのは、ボスニアの若者に、彼らが尊敬する人々が彼らの身に起きていることに注意を向けているという感覚を与え、音楽業界関係者にウォーチャイルドの存在を印象づけることが出来たことだろう。総じて素晴らしい成功だった。

この日記が進行中、アンテアはペガンおもしろウェアを開催した。これは不条理なまでに大がかりな企画で、私たち2人は参りそうになったが、これも音楽業界でウォーチャイルドの評価を高めるのに一役買った。

これに続く2つのイベントは、金銭的な意味でそれまでのショーをはるかに上回るものだった。飛び抜けてエネルギッシュなゴー!ディスクの人々が組織したレコード「ヘルプ」は、1週間で20組のバンドのレコーディングを行い、アルバムを1枚リリースしたものだった。これはチャートの1位となり、ウォーチャイルドの財源に多大な貢献をした。そのわずか3日後には、モデナでのルチアーノ・パヴァロッティと彼の友人達による大規模なコンサートが行われ、さらに数10万ポンドの収益をあげた。

そのような次第だが、私が関わったそもそもの理由は何だったろうか?私はそれ以前はどんなチャリティーにも積極的に関わったことがなく、そういったものに関わっている人々に対してかなり批判的だった。だが、ユーゴスラビア(そしてアンテア)で考え方が変わった。我々が守るのだと主張している文化的、複合的な行為を実現しているように見えた国が、隠れファシストどもに蹂躙され拷問されているときに、何もしないわけにはいかないと感じたのだ。全体の状況がいかに複雑で対処しにくいものか、しかとみんなに理解させたいバルカン半島の賢い歴史学者達によって楽しげにあおり立てられた、複雑な道徳的、歴史的議論の中にみんな多少迷い込んでいたが、そんなことは何の役にも立たなかった。

だが、幾晩も対話を重ねるうち、(少なくとも)2つのことは複雑ではないということがはっきりとわかってきた。1つ目は、この戦争の犠牲者のほとんど……特に子供達……にはまったく罪はないのだから、かれらを助けようとする前に、決着が付かない事柄をすべて完全に決める必要はないのだという事だった。そうでないと、頭をハンマーで強打されている男を見かけたときに、(まだ殴り続けている)攻撃者が自分の人生がどれほど困難だったか語るのを辛抱強く聞いているようなものではないか。

2つ目に気が付いたことで今年ずっと私のテーマとなったのは、道徳上の考え方と法的な合意の間には区別があるということだ。法体系は、受容できる行為の範囲を述べるために発効する。人々、機関、国の関係において現在受容される範囲を定義するのである。それは、「これは我々が遵守すると同意したことがらである」というコンセンサスによってもたらされ、当然、どこまでも完全に正しいというものではなく、常に見直されるべきものである。「その状況においてそのとき一番良いと思われたこと」という表現があるが、法律に効力がある間は、我々にはそれを尊重し、守る義務がある。他人が自分の家に銃を持って押し入り、こちらの所有物をバッグに詰め込みながら、「俺は私有財産に関するどんな法律にも同意しない」ということが認められないように、ある集団が別の集団を侵略して、「領土保全に関する法律には一切同意しない」というのを許容すべきではない。どちらの場合にも、「あなたが同意しないのは自由だが、その見解の相違を表現するのにこんな行為をしてはならない」と言わなければならない。 

ボスニアについての議論の多くは、セルビア人がそれを併合しようとすることに正当な道義的事情があったかということについての議論だと私には思われた。私は答えはわからないが、とにかく今は、法的合意に対する明らかな審判に対して行動を起こさずに、優柔不断で動きが取れないまま本質的に道徳的な議論(これはすでに数百年間続いてきた)の最終結果を持っているときではないということが、どんどん明らかになってきている。
 
ついでながら、これと同じ事がサルマン・ラシュディの事件にも当てはまる。「悪魔の詩」は本当に冒涜的であるのか、作家はそのような題材を書くことが許されるのか、イランには腹を立てるしかるべき理由があるのか、等についてのあらゆる議論は、他国の一市民を殺せと国がけしかける(そして報酬を約束する)という、合法でないことは明々白々である行動の前では、見当はずれである。ここでは、道徳上の議論は必要ない。そのような行為は我々がしてはいけないと合意したものであり、肝心なのは、こういった合意(ただし合意を支える道徳上の解釈ではない)は協力と共感の土台だという事なのである。

 

 

その後、2001年に会計不正処理事件が発覚。そのことについて、英国在住AKKOさんのボウイ・フアンサイト ART DECADES News 2001・6・Feb に記事が紹介されていました。

 

 


 


モスタル児童音楽センター
The Pavarotti Music Centre

 

ウオーチャイルドが企画、出資するモスタル児童音楽センターは、新しいタイプの機関である同センターの第一の仕事は、ボスニアの子供達の差し迫ったニーズに対処することだが、国際的な水準の機関として機能し、他のときと状況にも適用できるような見本となることを意図するものである・・・

 同センターは音楽セラピーのユニットを持つ。これは戦争の余波が引き起こすいろいろな問題に対処して、幅広い包括的な治療を行うことに専念し、モスタル地域とその周辺から委託された子供達を受け入れる。作曲家でありエジンバラ大学の音楽教授であるナイジェル・オズボーンは、この地域で少数の孤児を集めすでに音楽セラピーをはじめた。さらには、サラエボ大学の医学部および音楽部教員に認定された、大学院の訓練コ−スと研究ユニットがおかれる。センターの中には小規模な美術セラピーのユニットも置かれる・・・・

センターは地域の教育・社会的施設として機能し、誰もがアクセスできる音楽と芸術を提供し、若いミュージシャンが演奏しレコーディングできる設備も用意する。センターは町の中心部に位置しており、またカフェはボスニアの人々にとってもっとも一般的な会合の場所であるため、気軽に立ち寄れる広いカフェのスペースを建物の大通りに面した側に開き、通りかかる人々を歓迎する。センターには小規模だがプロ用のレコーディング・スタジオが組みこまれる。これは、戦争で精神的ショックを受けた子供達に治療効果があるだけでなく、将来的にセンターを維持するための実際的な手段として役立つものである・・・・

 


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