イーノを聴きながら、マンガを読もうがメシを食おうが、いいとも

 

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 『ディスクリート・ミュージック』は、今やロックよりも寿司に興味のあるブライアン・ピーター・ジョージ・セイント・ジョン・ル・バプティスト・ド・ラサール・イーノ氏が最初に発表したマニフェストとでもいうべきオブスキュア・シリーズの第3弾として1975年に発表された(オブスキュア・シリーズは、全10作。そのうちペンギン・カフェ・オーケストラを除いた残り9作品はすべてイーノのプロデュースだ)。彼は、それ以前にソロ・アルバムを3枚(『ウォーム・ジェット』、『テイキング・タイガー・マウンテン』、『アナザー・グリーン・ワールド』)、そしてキング・クリムゾンのロバート・フリップとのコラボレーション・アルバム2枚等を発表している。

 ところで、オブスキュア・シリーズの全体像は、そのジャケット・ワークの統一感といった部分も含め、企画レコードの極北、とでもいうべき明解さを持っているが、イーノの『ディスクリート・ミュージック』は、彼自身が考え出したテープ・ループ・システムの使用ということから考えると、前述のロバート・フリップとの共作の延長とでもいうべき性格を有してくる。彼は『ディスクリート・ミュージック』について、アルバムのライナー・ノーツで「夕食時のナイフやフォークの音と混じることのできる音楽」というサティの言葉を引用して説明しているが、彼の「聴く事も無視する事もできる音楽」を作るという主題は、後のアンビエント・シリーズ、フォース・ワールド・シリーズヘと引き継がれ、成熟していく。

 『ディスクリート・ミュージック』は、アルバム・ジャケットの裏面に書かれたオペレイショシ・ダイアグラムをもとにして製作されている。その内容は、音をグラフィック・イコライザーやエコー・ユニットで処理した後、2discreet.jpg (22634 バイト)のテープ・レコーダーの片方(録音のみ)に通し、その録音された音をもう一台の再生専用テープ・デッキに送り再生し、その音をまた録音専用デッキに送り返すといった方法で、テープ式エコーのサウンド・オン・サウンドと同様の効果が得られる。さらに、テープ・スピードの変化やヘッド間の距離によって、ディレイ・タイムが決定されるのである。“イーノが開発したサウンド・システム”などという大仰な言い回しとは似ても似つかぬ単純な代物だ。アルバムB面のギャヴァン・ブライアーズ指揮によるコックピット・アンサンブル演秦の「ヨハン・パッヘルベルのカノンに基づく三つのヴァリエーション」という曲においては、特にこのシステムの効果がはっきり表われている。冒頭の「フルネス・オブ・ウィンド」が始まって程なく、ループ効果によってコントラバスのピッチのずれが起こり、それによって不協和な共振音が響き出す。すると、同時に個々の楽器のタイム・スケールが狂い出し、曲全体が複数の時間を持つ音群によって解体され、混沌としてくる。沼地にズブズブ体が沈んでいくような、あるいは眼蓋が閉じる瞬間をスロ−・モーションの映像で観ているような、強烈な催眠効果があるのだ。

 イーノが作曲する時のイメージを説明する際によく用いるものに、地質(長い時間かけなければ、その変化がはっきりしてこないもの)、地理(自分が立っている位置)、景観(方向性)、大気(自然に立ちのぼる雰囲気)という4つの要素がある。前述のコントラバスによるピッチのずれや個々の音が持つ時間のずれによって生ずる「印象のにじみ」は、具音化するのが最も難しいが、その曲のオリジナリティを決定づけている大気のイメージからくるものであると思える。

 ミュージシャンが楽屋裏話的に語る“イメージ”という言葉の使い方の多くは、出来上がった曲に対する口実のようなものであり、ひとつひとつの音とは全く無関係な“額縁としてのイメージ”という意味合いに近い。この“イメージ”は、当人にとっては表現すべき堅い規則となり、そのことによって音が持つ柔らかな多様性を殺してしまう結果となる。音と音、イメージと音とが有機的な関係を示していないのだ。イーノは、スタジオで音を重ねていく際、次に入れるべき音は今まで録音してきた音群が決めてくれるまで待つのだという(行き詰まってしまえば、例の“オブリーク・ストラティジーズ”をパラパラと繰るわけだ)。録音された音群が必要と求める音を虚心に聴きとり、見つけ出した“}栄光のサウンド”を“音の壷”に静かに流し込む。それらが絡まり、もつれ合ってふつふつと発酵してくるまで、テクノロジーと耳とを総動員するのだ。音は音を呼ぶのである。

 このような、音それ自体による自主性を認めることは、その音が流れる空間の独自性、特異性を認める態度につながっていくことは当然である。この空間に対する音の意識が、『ミユージック・フォ−・エアポート』等を含む一連の環境音楽群に収斂されていくことになる。しかし、イーノが奏でる音と睦み合えるような空間とは、フォース・ワールド・シリーズにおけるマーティ・クラヴェイン描くところのどこにも存在しないユートピア世界なのではないだろうか。『ミュージック・フォー・エアポート』は、どこにも決して存在することのない空港に捧げられたオマージュであり、誰もいない夜の空港の上を、誰も乗っていない飛行機が飛んでいる一枚の水彩画を夢想するためだけの装置かもしれない。すべては未来の輝かしい瞬問を待ち続ける音…なのである。

岡本 誠夫 (カン・ガン)

 

 

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